伯爵令息の僕だけど、姉上のフリをして初恋の彼女の教師になります!? ~偽りの姿をした僕と、優しい嘘を言う君が、陽の光の下でワルツを踊るまで~

杵島 灯

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第3章

野外授業の始まりには靴が飛ぶ

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 今日の空は綺麗な青だけど、夏よりも色が薄くて日差しも弱い。先々週のサラが言ったとおり、季節はもうすっかり秋だ。
 ということは、僕がモート家に来る残り期間も半分を切ってる。サラとお別れするまで、あと……。

「どうかなさいました?」

 馬車の小窓から外を眺める僕がぼんやりしていると、気遣うような小さな声がした。
 そうだ、今は野外授業ピクニックへ向かう途中だ。馬車の中にはいつもと違ってサラも一緒にいる。余計なことを考えて気を散らしている場合じゃない。

「ごめんなさいね、今日のサラさんはどのようなことをなさるのかしら、と思っていたところですの。だってサラさんの立てた予定はわたくしも存じませんもの、馬車で移動すると聞いたときは、びっくりいたしましたわ」
「エレノア様をびっくりさせることができたのなら、私の最初の計画は成功です」

 どうやら僕のとっさの嘘は我ながらうまく言えたらしい。サラに訝しそうな雰囲気はなかった。

「このあとは、湖へ行きます」
「湖、ですの?」
「はい。実は少し前にこの周辺の地図を見ていたときに、小さめの湖があることに気付いたんですけど……」

 言い淀むサラの表情は、どことなく申し訳なさそうな様子に変化した。土地の由来を知ってるからなのかもしれない。

 この辺り一帯はもともと、パートリッジ家が所有する荘園の一つだったんだ。借金の返済が滞ったときに権利が移って、今はモート家のものになってる。
 そうはいっても僕はここへ来たことなんてほとんどなかったし、湖があったことだって知らなかったくらいだ。だからモート家の土地になった事実に関しても特に悪い感情を持つことはない。

「湖なんてありましたのね、どのような感じなのかしら。サラさんはもうご覧になりまして?」

 微笑みながら僕が言うと、サラはホッとしたように肩の力を抜く。

「はい。どんなところなのか気になって、実際に行ってみたんです。そうしたら思いのほか景観が良くて、植生も豊富で。いいところだなって思ったら、どうしてもエレノア様とご一緒したくなったんです」
「素敵な景色を見たときにわたくしのことを思い出していただけたなんて、とても嬉しいですわ。きっと楽しい授業になりますわね」

 僕は心からそう思ったし、僕の言葉を聞いてサラはきっと喜んでくれるだろうと予想していた。でも、サラは少し寂しそうな笑みを浮かべる。

「授業……。そう、ですね」

 呟くようにそれだけを言って口を閉じてしまった。

 馬車の中では声が絶えて、また車輪の音だけが響く。僕も口を閉じて、サラと二人で外を眺めていた。無理にも明るく話して盛り上げるより、流れる景色に少しずつ感傷をほどかせていくほうが似合うような、そんな気がしたんだ。

 やがて軽快な車輪の音が少しずつ間延びして、完全に止まる。小窓から改めて景色を確認したサラがうなずいた。

「到着しました、ここです」

 いつもの声色に戻ったサラがバスケットを持ち、御者さんが開けた扉から身軽なウサギのように降りていく。二人で何か話している声を聞きながら、僕も慎重に踏み台に足を置いた。カカトの高い靴に慣れたとはいえないからね。段差には特に気をつけないと、うっかり転がり落ちるかもしれない。
 御者の人の手も借りて僕はいつも通り地面に降り立つ。ホッとして顔を上げると、サラが不思議そうに僕のほうを見ていた。

「サラさん? どうかなさいまして?」
「えーと……動きが……」
「動き? 何のですの?」
「いえ。うーん」

 サラが何か考えている様子を見せているうちに御者さんは馬車に戻り、馬を操って少し離れた木陰へ移動させた。それを確認したサラはバスケットを地面に置くと、まるで子どもみたいにニッと笑って、両手で持ったスカートの裾を少しまくった。
 ドキッとした僕が目をそらした直後、

「えーい!」

 とサラが叫ぶ。なにがあったのかと視線を戻した僕の目に映ったのは、サラの右足が地面から離れている光景だった。
 唖然とする僕の視界の隅で、白いものが地面の上にポトリと落ちる。……あれはもしかして、サラの靴? うん、きっとそうだ。だってサラの右足からは靴が無くなってる。

 状況が分からない僕が目をぱちぱちさせていると、サラが今度は左足を蹴り上げた。靴が空に向かって弧を描き、先ほどとは違う方向の草むらの中へ入って見えなくなる。

「どっかいっちゃったー!」

 大きな口を開けて笑いながら、サラが僕の方に向き直って宣言した。

「次はエレノア様の番ですよ!」
「ええっ? まさか、わたくしも、靴を飛ばすんですの?」
「はい! これが最初の授業です! 『きちんと靴を前に飛ばせるかどうかの研究』!」

 それ、絶対にいま考えたよね?
 どうしよう。靴を飛ばすなんてこと、エレノア姉上は絶対にやらないよ。ここはなんて返すのが正解だろう。
 僕は小さく唸るけど、サラは笑ったまま青い空を指さす。

「ほらほら。早くしないと、日が暮れちゃいますよ!」

 僕はふぅっと息を吐いた。
 ここにいるのは僕とサラだけ。馬車は少し離れた場所にいて、御者さんが先日のジェフリーみたいに邪魔しに来ることはない。
 じゃあ。だったら。

 僕は靴を脱いだ。「ええいっ!」って叫んで右足を、続いて左足を振り上げる。二つのベージュの靴が青い空高く舞い上がった。
 歓声を上げたサラが手を叩く。

「すごいすごい! 私の靴よりも遠くに行っちゃった! じゃあ次は、靴を探しに行く研究! 私がエレノア様の靴を探すので、エレノア様は私の靴を探してくださいね!」

 言うや否や身を翻すサラは、僕よりも向こう側にいる。この競争はサラに有利なんじゃないか? とは思う。でもね!

「負けませんわよ!」

 サラに釣られるようにして僕も足を踏み出す。靴下が汚れちゃう不安はあるけど、触れる草と土の感触があたたかくて柔らかくて、なんだか心がふわっとほどけていくような気がしたんだ。
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