伯爵令息の僕だけど、姉上のフリをして初恋の彼女の教師になります!? ~偽りの姿をした僕と、優しい嘘を言う君が、陽の光の下でワルツを踊るまで~

杵島 灯

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第3章

お祝いに欲しいもの

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 僕とサラは向かい合って座り、二人で馬車の揺れに身を任せていた。
 来たときと同じような状況だけど、来たときとは違って車内の重苦しい空気が払われていく様子はない。それは僕の心がものすごく重かったり、サラの表情がずっと暗いままだったり、といったことが影響しているのかもしれなかった。

 さっき、馬車に乗る前。ジェフリーは「屋敷へ戻りましょう」と言ったあとに上機嫌で付け加えた。

「そうだ。ルーク様はサラの馬車へお乗りください!」

 この言葉に真っ先に反応したのはサラだ。

「待ってよ。その場合エレノア様はどうなるの?」
「私と同じ馬車に乗っていただく」
「エレノア様とお父さんが二人きりになるってこと? なにそれ、冗談じゃないわ!」

 本当に冗談じゃないよ。
 今まではジェフリーと二人きりになっても、短い時間だったからまだ良かった。でもここからモート家の屋敷までは割と時間がかかる。その間の狭い馬車の中でジェフリーと二人きりになって、僕がグレアムだって見破られたらどうすればいい?
 僕はハラハラしながらサラとジェフリーのやりとりを見守る。

「お父様と呼びなさい、サラ。――私はエレノア嬢に対してやましい気持ちはないぞ。今回は、婚約者同士を二人きりにして親睦を深めてもらいたいと思ってだな」
「ダメ! エレノア様とお父さんが二人きりになるなんて、絶対にダメ!」
「お父様と呼べと言ってるだろう? とにかくサラは、ルーク様と同じ馬車に」
「ダメダメダメ! 来たときと同じようにしてもらうわ! 私はエレノア様と同じ馬車、お父さんはルーク様と同じ馬車!」
「何度言えば分かるんだ。お父さんではなくお父様とだな」
「まあまあ。ここはサラ嬢の言い分に従っておきましょうよ」

 微妙に噛み合わない父娘おやこの会話に割って入ったのはルークだ。

「ボクも、若い女性と密室で二人きりになるのはさすがに恥ずかしいですよ。それがたとえ、婚約者であってもね」

 笑顔のルークはおどけたように言って、両手で顔を覆う。その仕草は嫌味もなくスマートだった。ルーク自身はどう見ても若い女性と二人きりになるのを『恥ずかしい』って思うようなタイプじゃないけど、本人がそう言い切るんだから仕方ない。ジェフリーもしぶしぶのようにうなずいて、おかげで僕はジェフリーと一緒に乗るという危機的状況からは逃れられたってわけだ。

 こうして来たときと同様に、僕は馬車の中でサラと二人きり。話したいことや聞きたいことはたくさんあるけど、何から聞いていいのか、どう話しかけたらいいのかはさっぱり分からなくて、湖を出発してから馬車の中はずっと静かなままだった。
 だけど、そっか。

「初恋……」

 サラがハッとしたように頭を上げる。
 しまった。心の中で思っただけのつもりが、うっかり口に出してた。
 青ざめた顔のサラは硬い声で「違います」って言う。

「ルーク様とは、ただの顔見知りです。決して『初恋の相手』なんかじゃありません」

 なんだろう。“エレノア”とルークの仲を心配して緊張でもしてるのかな。
 王都にほとんど行ったことない僕は、エレノア姉上とルークがどんなふうに会って、どんなふうに話をしてるか知らない。だけど姉上の婚約に関しては未だに情報が届かないし、ルークだってサラとの婚約を承知したんだから、二人のあいだに何も無いってことは間違いないはず。そう結論付けて僕はニッコリ笑った。なんの心配もないよ、っていう気持ちをこめてね。

「いずれにせよ、サラさんとルーク卿が婚約なんて驚きましたわ。しかも以前からの知り合いだったなんて」
「知り合いというほどじゃないんです」

 サラは目にぐっと力を入れる。

「さっきも言いましたけど、私がルーク様と初めてお会いしたのは十一歳のときです。あの頃の父は商いの主な相手を貴族にすべく努力していて、実際にいくつかのお屋敷へ出入りするようになっていました。その中の一つがたまたまセンシブル家だったってだけです。私がルーク様と話したことだって、ほとんどないんです!」

 そんなムキになることないのにな。だってルークはサラにとって本当にいい相手だよ。
 センシブル家は領地だけでなく王宮内の役職も持っている。裕福で、先々の心配もないんだ。パートリッジ伯爵家うちとは違ってね。

 そこで僕はまだサラにお祝いを言っていなかったことに気がついた。ちょっとためらったけど、一つ、二つ、大きく息を吸って、途中でくじけないよう一気に口に出す。

「遅くなりましたけれど御婚約おめでとうございますサラさん」

 少し時間をおいてからサラの唇が「ありがとうございます」って動いたけど、車輪の音の方が大きくて、声は僕の耳に届かなかった。
 以降はまた重苦しい空気の中で、僕たちはただ流れていく景色だけを見つめていた。やがて馬車は見慣れた鉄の門を通り、木々の間を抜けていく。ここを過ぎたらモート家の屋敷に着く。そこでまた僕は気がついた。言葉だけじゃなくて物品のお祝いもしたほうがいいのかなって。どうも今日はボンヤリしすぎだ。しっかりしろ、僕!

「サラさん。わたくし、婚約のお祝いを差し上げたいと思いますの。何かご希望はございまして?」

 窓の外を見つめていたサラが顔を動かす。その瞬間、差しこむ光がサラを照らしたから、僕は思わず視線を下げた。同時にサラから短く答えが戻った。

「花」
「お花ですわね。どのような?」
「……『暁の王女』」

 僕の声が喉の奥で止まった。

 『暁の王女』だって? どうしてその花を……ああ、でも、なんにせよ『暁の王女』は……。

「……ごめんなさい。『暁の王女』は枯れてしまいました。もうどこにも、ありませんの……」

 目を伏せたまま答える僕はサラがどんな顔をしていたのか分からない。ただ、息をのむ気配の後に、微かな声が聞こえただけだ。

「そうだったの……」

 という、とってもとっても寂しそうな声が。
 やがて馬車が止まった。しばらくして扉が開いたときに立っていたのはルークだ。眩しい笑顔を中に向けて、彼は優雅に手を差し出す。

「さぁ、お手をどうぞ。ボクの婚約者殿」

 膝の上で両手を握りしめたあとにサラは腰を浮かせ、ルークの手を取る。
 ルークは相変わらずの明るさを振りまきながら「疲れましたか?」なんてサラへ話しかけていたし、「いいえ」って答えるサラは……湖畔で見たときよりも表情は優しかったと思う。馬車を降りてからも二人は離れることなく、連れ立って玄関の中へ消えて行った。

 二人はよく似合ってた。見送るジェフリーがとっても満足げな様子だったのも、僕にはよく理解できるんだ。
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