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第4章(後)

44.荷

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 町の南門へは早めに行く予定にしたローゼだったが、見送りに来たヘルムートは朝食だけでなく、道中でも食べられるような昼食も渡してくれた。

「色々とありがとう。……そういえばヘルムートはいつ王都へ戻るの?」
「あと2~3日もしたら発とうと思ってる」
「え? 早くない?」
「一人旅は初だから、早めに出発しようと思ってさ」

 それに、とヘルムートは付け加える。

「昼飯はできれば座って食べたいし」

 吹き出したローゼは、また王都で会う約束をしてヘルムートと別れる。

 懐の身分証に服の上から触れつつ、きっと自分の方が早く南門へ到着するだろうと思っていたローゼだったが、ラウフェルズ邸の門を出て最初に目に入ったのは、葦毛の馬の横に立つ青年の姿だった。

 1日休んだセラータの足取りは軽いが、彼の馬にはさすがに疲労の色が見えている。それでも急がせなければ問題はなさそうだということで、馬をゆっくりと歩かせながら、ふたりは村への道を進み始めた。

 まずはすれ違った今回の顛末を双方で話し、互いに誤解があったことを再確認して安堵する。すかさずレオンが「だから俺が話し合えと言ったのに……」とのぼやきいたのには、それぞれがひたすらに謝罪の言葉を述べた。

 その後はローゼが南の話を始めたのだが、もちろん移動時間よりも話す内容の方がずっと多い。
 町を出たのは早朝、村が見えてきたのは昼も過ぎてからなのだが、ローゼとしてはほんの何回か瞬きをしたくらいの時間にしか思えなかった。

「……もう着いちゃった。まだ全然話し足りないわ。村がもっと遠かったら良かったのに」

 一昨日は望郷の思いと共に眺めた神殿の鐘塔だが、今はひたすら恨めしい。白い輝きを睨んでいると、腰から笑い声が聞こえた。

【先日は『村がもっと近かったら良かったのに』と言ってたくせに】
「あの時と今とは別」

 言いながら横へ視線を送ると、アーヴィンはいつもの穏やかな笑みを浮かべていた。しかし彼の瞳には自分への特別な感情が含まれている。嬉しくなったローゼが顔をほころばせると、もう一度茶化すような声が聞こえてきた。

【不機嫌になったりニヤついたり、忙しいやつだなお前も】
「うるさいわね」

 この道中はレオンもまた口数が多く、声は明るかった。

 村の東門へ入ったローゼは、門番に挨拶をしてセラータから降りる。ここからローゼは徒歩で家へ戻り、アーヴィンはセラータを神殿へ連れて行く、と話は決まっていた。

 ローゼの家にある馬屋は長いこと一か所しか使っておらず、大半の場所が物置になっている。セラータに乗って帰っても休ませる場所がない。しかしローゼ自身が神殿の馬屋にセラータを預けに行くと、家へ帰る気分にならない可能性がある。

 そんなローゼの気持ちを見透かしたかのように、村への道中でアーヴィンは言っていた。

「ご家族はずっと心配しておいでだったんだ。先に皆様へのご挨拶を終えて、許可をいただけたら神殿へおいで」

 実際のところ、心配してくれているのは妹のイレーネくらいだろうとローゼは思っているが、家族に会ってから来いと言うアーヴィンの言葉はもっともだ。特に母とは何も言わず別れてしまっている。謝罪をしなくてはならない。

 そう思いながら家へ戻ってみると、最初に会ったイレーネは珍しく感極まった様子で「……おかえり」と言ってくれる。次に会った母からは、やはり話の途中で別れたことに対する不満を真っ先に述べられた。

 その他の家族――祖父や祖母、父と弟はいつもと大きく変わることがない。つまりは全員がほぼ予想通りの反応だったことにローゼは苦笑した。

(さて。どうやって神殿へ行く言い訳をしようか……)

 居間で集まった家族に話をしながらローゼが考えていると、「ところで」と上の弟マルクが身を乗り出してきた。

「姉貴、土産は?」
「あんたね、まだ話は途中よ? 姉の話より土産が重要なの?」
「だって姉貴は戻ってきてんだから、もうそれで十分だろ? な、あるんだろ、土産?」

 土産、土産、と繰り返す弟の言葉を聞きながら、ローゼは内心で「これだ!」と手を叩いた。

「ええとね。お土産が入ってる袋は、神殿に置いてあるわ」

 言うと、妹以外の全員が落胆した様子を見せる。どうやら全員が土産を待っていたらしい。ローゼが苦笑する横で、母がぽつりと呟く。

「そういえばローゼが道で落とした袋の中には、着替えしかなかったわね」
「でしょ? あれには入れてないもん」
「ふむ。そういうことなら、しょうがないな。神殿に――」
「分かった! 今すぐ行ってくる!」

 父の言葉へ食い込み気味に叫び、ローゼは立ち上がる。名を呼ぶ声を無視し、玄関まで行ってから振り返った。

「あー、そうだー。あのね、あたし、アーヴィンに話があるのー。戻ってくるのは間違いなく遅い時間になるけど、許してねー」

 嘘をつかなかった、と自分に言い聞かせるためにも、必要なのは『言った』という事実だけだ。ローゼの声は話し言葉程度であり、居間の家族に聞かせるつもりは無い。

 なのになぜか近くからイレーネが姿を現し、ローゼに向かって大きくうなずいた。

「分かった。任せて」

 思ってもみなかったことが起きて、ローゼは狼狽える。

「あ、あ、ええと、イレーネ?」
「家のことは気にしないで」
「んん? 何のことかなー?」
「大丈夫。私はお姉ちゃんの味方」
「……そ、そう?」

 訳知り顔で手を振る妹に見送られながら、ローゼは玄関の扉を閉めて首をかしげる。すかさず黒い鞘から訝しげな声が聞こえた。

【おい。妹の発言はどういうことだ?】
「あたしが知るわけないでしょ。……でも」

 ローゼは左腕を突き上げる。合わせて、銀の鎖がしゃららと涼やかな音をたてた。

「イレーネがああ言ってくれた以上、今日は遅くなっても平気!」
【そこの姉、そんなことでいいのか】
「しーらなーい! でも、いいってことにするー!」

 沈みゆく陽は、雲を茜色に染めつつある。
 レオンの苦笑を聞きながら、ローゼは弾むような足取りで神殿に向かった。


   *   *   *


 神殿の表扉は開いているので、アーヴィンはまだ私室へ下がっていない。
 ローゼが裏扉へ回って執務室を訪ねると、神官服姿のアーヴィンは大きな机の前から立ち上がり、長椅子へと招いた。その前にある机に乗っているのは、ローゼが王都から持ってきたふたつの荷物だ。

 客間に置いたはずの荷物が移動している件については、町から村へ戻る途中にアーヴィンから説明を受けている。
 申し訳なさそうに何度も謝るアーヴィンに向けてローゼは「今回の件は変則的な出来事だし、気にしないで」となるべく明るい口調で何度もアーヴィンに言ってあった。

「ええとね、帰り道で言った通り、こっちの荷物は王都でフロランから預かったの」

 ローゼは大きめの荷を指す。
 ふたつの荷は一時的にアーヴィンの私室で保管されていたらしい。今、執務室に持ってきてあるのは、ここで話をするためだろう。

「中に入ってるものは布製の何かだと思うんだけど、すっごく重かったのよ。今度フロランに会ったら、絶対に文句を言ってやるんだから」

 ローゼが腰に手を当てながらアーヴィンを見上げると、彼は礼の言葉の後、ついばむように口づける。途端に頬へ血が上り、フロランへの感情などどうでも良いものとなった。
 そんなローゼを見ながら笑んだ後、アーヴィンは軽やかな音をさせつつ荷を包む布を解いていく。中から出てきたものを見て、アーヴィンは納得したかのような声を出した。

「フロランの結婚が決まったのか」
「え? 分かるの?」

 ローゼが覗き込むと、アーヴィンは中身を手に持って広げてくれる。
 それは素晴らしい衣装だった。

 丈はアーヴィンの足首まである。前面の首から腰までが白、それ以外はやや深みのある緑色の布で作られていた。

 衣の緑はゆらゆらと動くたび、明かりに合わせて淡く、濃く、色を変える。その様は木が風を受けたとき、生い茂らせた葉が揺れるかのようだ。
 そして長い裾の周囲やゆったりとした袖回りには、銀の糸で刺繍が施されている。意匠は花。こちらはまるで、布の中に刺繍の花が咲き乱れているかのようだった。

「すごい! すごいわ! ものすごく綺麗!」

 歓声を上げ、ローゼは衣装を見つめる。
 アーヴィンの青い衣や、聖剣の主が着るローブも美しかったが、この衣装もそれらに勝るとも劣らないほど素晴らしい。

「これは何? 結婚式に関係する服なの?」
「そう。結婚式に参列する時に着る衣装だ」

 手にした衣を机に降ろし、アーヴィンは言う。

「神殿では、結婚式に参列する時の衣装は皆まちまちだろう? だけど北方では衣装が決まっているんだ。身分などで素材や細かい部分は変わってくるが、基本の姿は変わらない。が……」

 言って、アーヴィンはわずかに眉を寄せる。

「どうしたの?」

 ローゼが問うと、アーヴィンは黙って服の首元を示す。高い襟の下には銀の糸で刺繍がなされているのだが、ここに施されている物は他と違っていた。

 まず目に入るのは木。そして木の上半分には、取り囲むように5つの花がある。

「公爵家の紋章? これがどう――あ、もしかして、フロランは『エリオット』に来て欲しいってこと?」

 ローゼが問いかけると、アーヴィンは困った様子でうなずいた。

 きっと、とローゼは思う。

 衣装のこの部分には着る人の家の紋章が刺繍されるのだろう。この衣装を着るのならば、アーヴィンは公爵家の一員、つまりエリオットとして参列しなくてはいけないのだ。

【だが、代理がいるんじゃなかったか? あの小生意気なマリエラの、護衛騎士とかいう男が】

 アーヴィンは『エリオット』を選ばなかった。
 もし今後『エリオット』が必要になったとき、しばらくはベルネスが身代わりとして人前に出ると言っていたはずだ。

「そのはずだったのですが……」

 答えるアーヴィンは複雑な表情だ。しかしローゼには、フロランの気持ちが分かるような気がした。

「ねえ、アーヴィン」

 言ってローゼはアーヴィンの手を取る。

「今回はエリオットになってあげて」

 見上げると、灰青の瞳は惑うかのように揺らめいている。
 ローゼは「アーヴィン殿には絶対来てもらいたいんだよなぁ」と言ったフロランの声を思い出しながら続けた。

「だって、結婚式でしょ? フロランも『兄』が他人っていう状況は、やっぱり嫌なんだと思うの」

 ただ、それだけではないだろう。

 おそらくフロランは、あらかじめ衣装を作った上でわざわざローゼに持たせる、などという搦め手を取るくらい、アーヴィンに結婚式へ来てもらいたいのだ。
 そしてそんなフロランの気持ちを察したローゼが、アーヴィンの後押しをしてくれると期待しているに違いない。

(つまりあいつ、アーヴィンのことがすっごく好きなのね。可愛いとこあるじゃない)

 本来なら弱みを晒したくないはずのフロランが見せる『なり振りかまわない様子』に、ローゼは思わず笑みをもらす。

(あいつの思惑に乗るのはちょっと悔しいけど、手伝ってあげるわ)

「代理の神官のことなら心配ないわ。ハイドルフ大神官がきっと誰か見つけてくれると思うの。それに――あ、そうだ。フロランから結婚式の招待状も預かってきてるのよ。待って、今渡すから」

 アーヴィンの手を離して袋を開けたローゼは、中を覗き込んで思わず瞬く。

「あれ?」

 袋の中の状態は、記憶と違っていた。

「おかしいな。あたし、一番上に置いたのはこっちのお茶なのに。それに、手紙は――」

 言いかけ、ローゼは口をつぐむ。
 これは誰にも見せるつもりがない手紙、他人に存在を知られてはいけないものだ。そのため手紙を扱う時には、いつも聖剣は腰から外した状態にしていた。

 ローゼはさりげなく聖剣を抜く。後ろへ置こうとした時、手の中からあっけらかんとした声が聞こえてきた。

【ああ、一応言っておこうか。お前が荷物の一番下に隠してる物のことなら、俺はとっくに知ってるぞ】
「ふえっ!?」

 ローゼが頓狂な声を上げると、レオンは、くくく、と笑う。

【南にいる時からおかしいとは思ってたんだ。湯上りに戻ってくるのが遅すぎる上、階下では物音がしてるしな】
「えぇ……」
【とりあえず今後、宿で隠したいものをいじる時は窓や鏡の位置も考えろよ】
「……嘘……」

 袋を開けたままローゼが呆然としていると、目の前に1通の手紙が差し出される。視線を移すと、『アーヴィンへ』と書かれた封書を持っているのは、一番見て欲しくない当のアーヴィンだ。

 ローゼは顔から血の気が引く音を聞いたような気がした。
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