その日に出会うものたちへ ~東の巫女姫様は西の地でテイマーとなり、盗まれた家宝を探して相棒の魔獣と共に旅をする~

杵島 灯

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第1章

5.見えなくても話そう

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 辺りは背の高い草が揺れているばかりで他の人の姿はない。もしや声が聞こえたのは気のせいだったのかもしれないと思いつつもリディは呼びかけてみる。

「誰かいるの?」
『あっ、はい! います、います!』

 応じて声が戻ってきた。見えなくともこの場には誰かがいるようだ。

『すみません、突然声をかけられて驚きましたよね。実はあなたの髪の毛があまりに美しくて見惚れていたものですから、お帰りになるのが残念で、つい――』

 声は高めだが女性のものではない。おそらく男性で、どうやらこの背の高い草むらの中にいるようだ。
 リディが小さく首を傾げて草の間へ視線をさまよわせていると、風が草を揺らす音にまざっておずおずとした声が耳に届く。

『……もしかして、怒ってます……?』
「ん? どうして?」
『その……何も、おっしゃってくださらないものですから……』
「あ、そっか。ごめんね。怒ってなんてないよ。どこに顔を向けて話したらいいのかなって悩んでただけ」

 リディが答えると、声は「良かった」と安堵した調子になって、すぐに力を無くす。

『……そうですよね……私は隠れているのですから、あなたはどこを見れば良いのか分かりませんよね……つまりあなたにとって私は存在していないも同然……。だったら姿を見せれば良いじゃないか。あなたは今、そうお考えになりましたね? 本来ならば顔を合わせて話をするべきじゃないかと。ええ、私もそう思います。思って……いるのですが……すみません……実は人に“お願い”をするため思い切って住処すみかを出てきたというのに、あの大きな街を見たら尻込みしてしまい、気力がすべて吹き飛んでしまったんです。……おかげでここから動けなくなってしまい……あなたの前へ行くこともできず……我ながら情けない話ですよ……ははは、はは、は……』

 声は一方的に言って卑屈に笑う。その調子にリディは覚えがあった。故郷の大社おおやしろに務めていた頃、神に悩みを打ち明ける人々の中には時折りこんな人がいた。

 ――きっと、とリディは思う。

 この場にいるは人が苦手で、誰とも会わないようどこかの森や山の奥に籠ってひっそり暮らしていた。だがある日、どうしても他者の手を借りる必要が生じてしまったのだ。

 助けてもらう覚悟を決めて近くの集落までやって来たものの、ひとりで暮らしていた彼にとって丘から見下ろす港街はあまりに大きすぎた。怖気づいてつい草の中に隠れてしまい、そして隠れた自分に落胆していたところへちょうどリディがやってきた。

(うん、そんな感じだろうな)

 彼は今、前に進みたい自分と、元に戻ろうとする自分との間で揺れているのだ。リディには、自嘲の笑みを浮かべながらも座り込んで動けない男性が見えるような気がした。

「全然情けなくなんてないよ」

 巫女だったあのときそうしたように、リディは草むらに向かって声をかける。

「あなたは人に会おうと決めてここまで来た。今までの自分に打ち勝ったんだ。それはすごいことだよ。自分を褒めていいんだよ」
『……いいんでしょうか』
「もちろん。だからあなたはこの後きっと人に会える。ちゃんとお願いだってできるよ」

 微笑みを絶やさずに言い切ると、感極まったような声が聞こえる。

『ありがとうございます。あなたはとても美しいタテガミを持つだけでなく、優しい心もお持ちなのですね』
「タテガミ?」
『……いいえ、髪と言いました』
「ごめんね、聞き間違えちゃった。――そういえばさっきも、私の髪を見てたって言ってたもんね。そっちからは私が見えるんだね」

 高い場所で結んだ髪を持ってヒラヒラ振って見せると、草むらの中から「ぶふぉおおおお」という深いため息らしきものがきこえた。

『ああ……なんて艶やかな黒! なんて見事な直毛! まさに理想形、間違いなく完全無欠! どんな馬の尾も絶対に敵いませんよ!』
「よく分からないけど、褒めてくれてありがとう。私の髪がこんな具合なのはね、東方の出身だからなんだよ」
『なんと。それは本当ですか? ということは、この辺り……西の方にはあなたのような髪の人はあまりいないわけですね?』
「ん? うん。私の母様は『西方の人たちは髪の色がたくさんあるから黒い髪も少ないし、いても真っ直ぐな髪は少ない』って言ってたよ」

 リディの言葉には、ほほう、という感心した調子の声が戻って来る。
 人里離れて暮らす彼は他の人を見る機会が少ないため、西方に暮らしながらも西方の人のことに疎いのだろう。リディはそう考えた。

「でも東方の人だってね。少しずつ色合いが違ったり癖が入ったりするから、全員の髪が完全に同じってわけじゃないんだよ」
『ほうほう。なかなか興味深い話ですね。……少しずつ違う。しかし、似てはいる、と……。ふむ。なぜ東方の人間の髪は西方と違い、同じような色をしているのでしょうね』
「境界があるからだよ。東方の人たちをお作りになったのは、調和を好まれる神々であられるから」

 この世界の各地には境界があるのだという。それは神々が互いの領域を犯さないように作られたものなのだそうだ。人間のように力の弱いものたちには何の支障もないが、強い力を持てば持つほど境界に行動を縛られる。

 そして、最大の境界は東と西の間にあった。

『なるほど、境界。そうか、確かに……ううむ、東方か……黒い髪の人ばかりなんて、いい場所ですねえ……』

 憧憬の滲む調子で呟いた声は、続けて「そうだ」と叫ぶ。

『よろしければ、その素晴らしい東方の話をもっと聞かせていただけませんか?』
「うん、いいよ。……って言いたいところなんだけど、もう街へ戻らなきゃ」

 日はだいぶ傾いてきた。急いで戻らないと閉門に間に合わなくなってしまう。

「せっかくだし、あなたも一緒に来る?」
『……いえ。私はもう少しこの場で、身の振り方を考えようと思います』
「分かった。じゃあ、さ――」

 さようなら、と言いかけたリディはふと母のことを思い出した。一度口をつぐみ、笑って言いなおす。

「“この後のあなたに、良き出会いがありますように”」
『……それはなんです?』
「私の母様がね、人との別れ際にいつもそう言ってたんだ」

 さようなら、と言われたオレリアは、良き出会いがありますように、と返していた。傍でその言葉を聞くと別れの寂しさが和らいだが、言う方も実は別れの寂しさが和らぐのだと今の今までリディも知らなかった。

『良き出会い、か……。そうですね。ありがとうございます』

 感慨深そうな声が聞こえる方へ改めて手を振り、リディは丘を下り始めた。
 最初は早歩きで良いかと思ったが、陽が落ちるのは思いのほか早かった。道の後半は緋色の袴をからげて走り、ようやく街の門に到着した時には星が見え始めていた。荒い息を吐きながら門へ行くと、「草原までにしておけ」と助言をくれた門番がリディを見てホッとしたように笑ってくれたのがなんだか嬉しかった。


   *   *   *


 たまたま見つけた東方料理の露店で簡単に夕食を済ませて宿へ戻り、併設の浴場で汗を流してさっぱりした後は起きている理由もなくなった。
 明日こそ冒険者になるための受付をしてもらうのだし、寝坊するわけにはいかない。リディは早々に寝台へ潜り込んで目を閉じる。

(私は冒険者になれるかな……)

 こんなに心が浮き立っていては眠れないかもしれないとも考えたのだが、次に目を開けたときにはちゃんと、窓の外に薄紅色の朝焼けが広がっていた。
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