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第5話 役夫之夢-2

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「純平、今日帰ってくるの遅かったから……。もう我慢できないよ」
「えっと、何を?」
「これ以上は言わせないで……」
「は、はい!」

そうか。俺が見ているこの夢は、昨日の続きなんだ。つまり、結婚式を挙げたあと。新婚ホヤホヤってことだ。新婚の夫婦が夜二人ですることと言えば、ひとつしかない。いや、それがしたい!

俺は唾を飲み込み、喉をならした。美幸の行動の意図を理解してしまったので、心臓はさらに早鐘をうつ。
美幸は段々と、その可愛らしい顔を近づけてくる。標的は俺の唇。目を閉じ、身を預けるように体重をのせてくる。

ああ、夢だけど……。行けるとこまで行っとくか。ほんと男ってやつは、欲望に弱いよな。ははは。


「…………って、ちょっとタンマ!」
「え!?」

俺は咄嗟に美幸を押し戻した。そうだった、この夢は美幸とキスをしようとすると終わってしまうかもしれないんだった。確か、昨日もそんな感じで目が覚めたはず。

別にこの夢が終わっても何か不利益があるわけではないけど、もう少し夢での美幸との会話を楽しみたい。

いい雰囲気だったのに……。途中でお預けをくらった美幸の顔は、そう言いたそうだった。このままでは、会話どころじゃなさそうだな。

「……ごめん純平。そんな気分じゃなかった?」
「いや! そういう訳じゃなくて!なんていうかその、少し話がしたくて!」
「……終わってからでもできるよ?」
「ぐぬっ」

今のは返事に詰まったのではなく、美幸が可愛すぎて漏れた声だ。やばい、この夢ヤバイぞ。なんだこれは。卑怯だ卑怯。

「い、いま話がしたい気分なんだよね! ほら、ムード作りだと思ってさ!」
「そういうこと言っちゃったら、余計ムードとか無くなるよ?」
「ぐぬっ」

今のは単に返事に困った声だ。こういうとこだけ鋭いんだよな、夢の中の美幸って。なんでもっとこう、アホじゃないんだよ。単純明解でこいよ。

「そ、そういえば、今日は1日どうだった?!」
「え、今日? 今日は……早めに仕事切り上げて、病院行ってたよ」
「そうかそうか。仕事切り上げて病院ね。…………病院?」

無理矢理話題をそらすために話を振ったけど、予想外の答えが返ってきた。病院って、風邪かなんかか? いやでも、調子が悪そうには見えない。

それに、美幸から何か持病があるなんて話も聞いたことがない。……夢の中、だからだよな。

「えっと、他には?」
「聞かないの?」
「え?」
「病院行ってどうだったか」

その質問の答えを聞くのが何故か怖くて、つい話を変えようしてしまったけど、美幸はお見通しらしい。

「……どうだった?」
「…………」

自分から質問させるよう誘導したわりには、口を開こうとしない美幸。先ほどまでのイチャイチャした雰囲気とは正反対の、静かな空気感に包まれている。俺はまた、唾を飲み込んだ。


「私ね、純平には本当に感謝してるの」
「え?」
「純平に選んでもらえて、嬉しかった。純平は気づいてなかったかもだけど、純平って結構モテるんだよ?」
「なんの話だよいきなり? それに、俺がモテるなんてそんなわけ……」
「あるんだなあこれが。不思議なことに」
「褒めてるのか、けなしてるのかどっちなんだよ」
「両方かな?」

なんと器用な。だいたい俺は、生まれてこの方モテたことなんて一度もないぞ。これはマジの話だ。謙遜でもなんでもなくマジのマジ。


「だから、純平がいつ他の女の子に告白されるのか、いつも不安だった。純平が誰を選ぶかなんて、私には分からなかったし」
「美幸……」

それが、美幸があの時俺にプロポーズしてきた理由なのか? ……それはないか。これはあくまで夢の中。付き合ってくれって告白ならともかく、そんな理由でいきなり結婚してくれ! なんて言わないよな。

「私は別に可愛くもないし、プロポーションが良いわけでもないから。純平が好きになってくれそうなところなんて、思い当たらなかったし。だから」
「そんなことない!」

「……え?」

気がついたら叫んでいた。美幸の口から、そんな言葉を聞きたくなかった。だってそれは……。

「俺、気づいちゃったんだよね」
「気づいたって、何に?」

本当に人間っていうのは愚かだと思う。いつも、過ぎてしまってから気づく。失ってから気づく。気づかなければ、知らなければ良かったかもしれないけど。


でも俺は、自分に嘘はつきたくない。

「俺の、本当の気持ち。もっと早く気づくべきだった」
「本当の気持ち? やっぱり、私のことなんて……」
「美幸」

俺は美幸の背中に手を回し、ゆっくりと抱き寄せた。暖かい体温を感じると同時に、その体が震えていることに気づいた。宥めるように、優しく頭を撫でる。

「俺、今度はちゃんと伝えるから。本当の気持ち。もう、間違えたくない」

「…………うん」

俺は、美幸の口元に自分の唇を近づけた。瞬間、視界が真っ白になり、意識が遠のいていった。
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