その奴隷買います

さくな

文字の大きさ
上 下
1 / 2

1

しおりを挟む
「その奴隷買います」

そう言うと、奴隷商の男は気持ち悪い笑みを浮かべた。

まずは自己紹介から。私の名前は江見 樹里。
エミ ジュリと読む。小学校ではロミジュリと変なあだ名を付けられたことがあったっけ。その名づけ親はかなり渋い趣味をしていると心の中で称賛した。

話を戻そう。


私の愛読書は専ら異世界ファンタジーものだ。異世界へのトリップ、そして異常なまでの主人公の絶対的な力に魅了されていた。そしてこの度、めでたく異世界へ召喚された私。教会のようなところに召喚された私は辺りを見渡す。そこには白い衣を着た金髪の美しい女性。その周りには神父のような格好をした男が数人。なぜか私以外の全員が硬直していた。私が首を傾げていると女よりも先に復旧した男たちが私を教会の外へと引っ張り出した。雑な扱いに顔を歪ませると私を連れ出した神父が手を離しながら謝罪した。

神父の話はこうだ。

なんでも聖女はすでに召喚され、今まさに大詰めを迎えているところとのこと。突然現れた私に邪魔をさせるわけはいかないらしく、どこかへ行ってほしいと説明された。

それを聞いた私は絶望した。

私には聖女としての役目は愚か、カッコいい騎士や王子様は現れなかった。してお約束の元の世界へは戻れない発言。私は神父に泣きつき、せめて生活の面倒をみてほしいことを伝えた。一度は断られたが、召喚前に神に遭遇した。私に酷いことをすると神が怒り、何をするか分からないと、主人公として有るまじき大嘘を吐き出し、脅しをしかけ、なんとか3年分の生活費を手に入れた。なぜ3年分かというと、信仰している神が3という数字を好むからとの理由だった。神を信仰していない私には理解できない行動だが、数年は生活の心配をしなくて済みそうだ。

異世界に裏切られた私は誰も信用することが出来ず、裏切らない相手を探しているところ、奴隷商の話を聞いた。フードを深く被り、声を低く落とし入店した私。出迎えてくれたのは薄気味悪い笑顔を浮かべた太った中年の男。視線を辺りにやれば、そこには檻に入った人々。なんとも言えない異臭と、恐怖に襲われ、逃げ出したかったが、逃げたところで私を救ってくれる人はいない。そう自分に言い聞かせ、勇気を奮い立たせた。薄気味悪い笑顔を浮かべた男へ口を開く。

「ここで1番強い者を」

そう言うと男は私のことを上から下まで眺め、笑顔のまま眉を下げた。

「1番強い…ですか。申し訳ございません。当店ではお客様が買えるご予算に見合った奴隷をご紹介させて頂いております」

身なりをみて貧乏人ということを悟られてしまったようだ。舌打ちしたい気持ちを抑えつつ、手持ちの中から1番高価そうな硬貨を引っ張り出して男に見せる。

「これで買える奴隷を」

そう言えば男の目が見開かれ、すぐさま私に頭を下げた。

「失礼いたしました。すぐにご用意致します」

そう言って慌てて消える男。その態度の変わりように顔を歪めていると、誰かの呻き声が聞こえた。不思議に思い、呻き声のした方へ向かう。たくさんの奴隷の檻がある場所のさらに奥。カーテンが引かれた方から声がしたような気がした。なんとなく気になった私はカーテンを引く。引いた先は薄暗く目を凝らさないと何があるか分からなかったが、檻が1つ設けられていたことだけ分かった。観察していると先程聞いたものと同じ呻き声があがった。そばによるとそこには暗闇でも分かるほど真っ赤な髪をした男の人が転がっていた。

「おやおや。お客様。こんなところに入られては困ります」

奴隷商の太った男の声が私の背中にかかった。振り返ればそこには先程と同じ笑みを浮かべた男。

「彼は?」

そう聞けば男は笑顔のまま眉を下げた。

「この者は戦闘中に毒を受け、返品されました。屈強なドラゴン族の戦士が聞いて呆れます。毒は解毒が難しい毒で、これは廃棄する予定なんです」

「ドラゴン族は珍しい?」

「えぇ、とても。金貨10枚はくだらないです。ただ毒を受けた状態ではもって数日かと」

金貨10枚の相場がピンとこない私。ただ、奴隷商の「廃棄」という言葉を聞いて胸がえぐられるような気持ちだった。同じ人間なのに、種族や生まれた環境が違うだけで商品扱い。胸糞悪かった。ただ、購入しようとしている私も彼らにとったら同類なのだ。そのことが酷く苦しくて、惨めだった。そう思いながら私は倒れ込む彼を見つめる。所々着ているものは血が滲んでおり、苦しそうだ。

そして冒頭へ戻る。

「その奴隷買います」

その言葉に男が驚いた顔をし、次に目を見張った。

「たしかにあと数日の命なので金額は安いですが…全く使い物になりませんよ?ご返金も承れませんがそれでもよろしいのですか?」

「はい」

そう承諾すれば奴隷商の男の対応は早かった。すぐさま書類を作り、奴隷を服従できる紋を私と赤髪の男に刻み、約束の金貨1枚を支払い、おまけに薬草や包帯なんかをサービスしてくれた。しかも倒れた男も泊まっていた宿まで運び入れてくれた。その様子をみると、もう少し安く購入できたかもなんてことを考えてしまう。

宿の一室には私と赤髪の男だけとなった。

赤髪の荒い息を聞きつつ、彼に近づく私。光がある下で初めて確認した彼の顔は酷く整っており、端正な顔には傷一つついていなかった。歪められた眉には深い皺がより、おでこには脂汗が滲んでいた。私はそれを持っていたハンカチで拭いつつ、彼の鍛え上げられた体へ手を滑らせる。ボロボロになった服は所々穴が空き、痛々しい傷が覗いていた。私はそんな彼の体に慎重に手を這わせる。自分の体温よりも高い熱を感じながら私は祈った。

「はやくよくなーれ」

その瞬間、温かな光が赤髪の男を包んだような気がした。

それからは男の看病につきっきりだった。熱がある男に絞ったタオルをあて、時々体をさすったり、もらった薬草なんかも傷口にあててみたり、人生初めてのことに四苦八苦していた。

中でも背徳感が否めない行為は水分や栄養補給をするためのスープの時間だった。

「今日は食べられそう?」

「…」

そう声をかけても意識が混濁している彼には届かない。仕方ないので食材の入ってない透明度の高いスープを口に含んだ。口に含むとたくさんの食材の味、調味料の味がし、味覚を楽しませた。料理人が丹精込めて作ったことがうかがえるそれを含みながら私は彼に近づく。

唇をつけ、舌で彼の歯の間を開き、それをゆっくり流し込む。彼は無意識にスープを小さく飲み込んでいく。その小さな行動に安堵しつつ、何か悪いことをしているような気がして気がひけた。スープを飲む干すころには私の羞恥心が振り切れるところまでいってしまう。

そんなことが3日続いたある日のことだ。

主様あるじさま…」

聞き覚えのない少し掠れた低い声がして目を薄っすら開ける。つきっきりで看病して、うとうとしてしまった私は慌てて上体を起こす。赤髪の男のベッドの側に備え付けの椅子を引っ張ってきて、腰掛けていた私。私はどうやら男のお腹あたりに顔を埋めていたようだ。上体を起こした私は目を見開く。そこには困った顔をした金色の瞳をした赤髪の男がいた。

目を覚ました!!!

私は嬉しさの余り、半泣きで彼に飛びついてしまった。彼が今度こそ困惑した顔をしていたことも知らずに。

「主様、ベッドをお使いさせて頂くには…恐れ多いです」

「そのベッドはアルフレッドさん専用です。私はすぐ隣のベッドを使いますね」

彼の名前は奴隷商の男から確認済みだ。本名なのかは分からないが、もしかしたら前の主がつけたかもしれない可能性があったが、呼ばれても嫌悪の表情は見えない。それに安心した私は安堵の溜息をつく。

そうこうしていると、安心のあまり私は睡魔に襲われた。そして、ろくに何の説明もしないまま眠りについてしまった。寝るのが大好きな私が2日間徹夜したのだ、少し寝たところでバチは当たるまい。

目を覚ますとあたりは暗く、寝ぼけ眼のまま上体を起こして伸びをする。

そういえばアルフレッドさんはどうしているかと思い、ベッドから降りようとした瞬間、金色に光る瞳を見つけた。

「きっ、きゃぁぁぁぁぁぁ!」

お化けかと思い、私は悲鳴をあげ、床に尻餅をついてしまった。微動だにしないお化けを恐る恐る直視すると、そこには床で蹲るアルフレッドさん。

「ちょ!病み上がりなのに何してるんですか!?」

私は慌てて立ち上がり、蹲っていた彼のボロい服を引っ張った。アルフレッドはされるがままで、私が引っ張るとそれに従い、すぐさま立ち上がってくれた。

「 もしかしてずっと座っていたんですか?」

「これが奴隷の基本です…」

その言葉に私は眉を寄せた。生きてきた世界が違いすぎて涙が出そうになった。私には彼の人生は計り知れない。想像だって全くできない。ただ辛くて、苦しいことしか分からない。私のエゴでしかないが、私と一緒にいる時だけはそんな辛くて苦しい気持ちを味わって欲しくないと思った。本来ならどこへいってもそんな気持ちになって欲しくはないが、そばにいてくれる限り私が彼を守ろうと思った。私はもう2度、こんなことがないようにしようと心に固く誓う。

「アルフレッドさん、これからはベッドに座ってください」

「し、しかし…」

「これは主人命令ですよ?」

そう人差し指を立てるとアルフレッドさんは黙ってしまった。

「アルフレッドさん、部屋の明かりをつけてください」

そういえば、アルフレッドさんは不思議そうにしながら魔法を使い、部屋の明かりをつけてくれた。眩しさに目をぱちぱちさせていると、アルフレッドさんが困惑したように眉をひそめた。私は苦笑いを浮かべつつ口を開く。

「私は生活魔法が一切使えません。多少なりは使用できますが、部屋全体を明るくする力はありません」

力がないというのは多分語弊があるのだろうが、説明するのが難しいので割愛する。そのせいでアルフレッドさんはさらに困惑したようだった。

「あなたを買ったのは生活の為もありますし、何よりも私を守ってほしいのです」

「何からでしょうか?」

アルフレッドさんにそう聞かれて苦笑いを浮かべる。何からなのか私にも分からない。正確に言えば私に危害を加えようとしている「全て」だ。でもそんなぼんやりしたことを言っても伝わる自信がないのでそれも伏せる。

「アルフレッドさん、ご飯まだですよね?宿の人にお願いして何か作ってもらいます」

「そんな主様…」

アルフレッドが狼狽えたのが分かったので、すかさず声をかける。

「私、ジュリっていいます」

「ジュリ様…」

「ジュリと呼んでください。様付けはなんだか恥ずかしいです」

「い、いいえっ。そのようなことは…」

「命令ですよ」

私はそう言って、部屋から逃げ出す。守りたいと思いながら「命令」といって主従関係を行使する自分に吐き気がした。だが、やはり「様」つけは譲れなかった。

宿の人に2人分の食事をお願いすると少し嫌な顔をされたがすぐに作ってくれた。この世界は奴隷に厳しい世界のようだ。奴隷と同じ部屋に泊まるなんて言語道断で、奴隷は奴隷だけが集まる部屋に通されるのが普通らしい。変わり者の私に酔っ払いの男が教えてくれた。

部屋へ戻ればベッドの上で落ちつかないのか、そわそわするアルフレッドさん。なんだかそれが可愛くてつい顔を綻ばせてしまった。

アルフレッドさんに消化の良さそうなスープを渡し、ベッドとベッドの間に挟まるちょっとしたチェストの上へパンの入ったカゴを置く。ベッドに腰掛けながら湯気を立てるスープへ口をつける。口に広がる味は今日も噛み締めたくなるほど美味しい。

ふと視線を感じて顔を上げると、そこには顔を硬くしたアルフレッドさん。なぜかスープに口をつけない。

「食欲があればパンも食べてください。病み上がりなので無理は禁物ですけど」

「…お、同じ食事をとるなんて…」

「え?おかしいですか?」

「ジュ…ジュリ様…私なんかに敬語なんて勿体ないことです…それに恐れ多くもジュリ様と同じものを食べるなんて…」

アルフレッドさんがそういいつつ俯いてしまった。この世界の常識は私にとっては寂しすぎる。

「誰かと同じものを食べる。それはいけないこと?1人で食べるご飯なんて味気ないじゃない…」

そう言ってみるがアルフレッドは俯いたまま。私はその行動に目を細める。胸の中で世間に対しての小さな蟠りや怒りが生まれた。チェストへ飲みかけのスープを置き、アルフレッドの持つスープを取り上げる。そこでやっとアルフレッドは顔を上げた。真っ赤な髪の隙間から悲しそうに下がった眉が覗いていた。スープを取り上げられたと思っているのだろうか。そんなことを考えながら、私はアルフレッドのスープを一口、口に含み、それを同じくチェストへ置く。

アルフレッドに優しく手を伸ばすと殴られると思ったのか目を強く閉じた。それをいいことに私は片手を彼の肩へ置き、もう片手で頬を優しく包む。アルフレッドは私の肌が接する瞬間、過剰に反応した。それを見て、胸が苦しくなり、庇護欲をかきたてられた。

「!?」

唇をつければ彼の息を飲む音が聞こえた気がした。私は目を閉じているから分からなかったが。

例のごとく舌で唇を開き、歯茎を舐め、歯に隙間を開けさせる。空いたその部分にスープを流し込めば戸惑いつつも彼はそれを飲んでくれた。

彼の頬から手を離すころには怒りが収まった私は、慌てて唇を拭いながら彼とは反対側のベッドに腰掛けた。

「いっ…いい?これに懲りたら様呼びはなし!」

「ジュ…」

「様付け無し!」

再度、念押しすると彼は観念したように力なく笑った。彼の顔は病み上がりで少し疲れていたが、端正な顔が微笑む様はジュリを酷く落ち着かなくさせた。

「分かりました。ジュリ…俺のこともアルと呼んでください」

今度は敬語を無しにさせよう。そう心に決めるジュリであった。
しおりを挟む

処理中です...