堕ちる犬

四ノ瀬 了

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お前が病的なマゾであることの証左だ。

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 大広間の天上は高く、黄金色の屏風が立ち並ぶ。屏風の中で金の鯉が滝を昇り黒い龍がうねり雲を突き破っていた。立食形式の料理は、色彩豊かで、会が開かれてずいぶん経っても、最初来た時と同じように食事は常に新しいものが盛られ輝いている。とにかくヤクザ者というのは華やかなものが好きだ。貪るための贄はいくらあっても良い。ありすぎることはあっても、足りないということは、ないようだ。
 
 義孝は壁際に置かれた椅子に腰かけ、裏社会の人々が立ち回るのを眺めていた。水族館で魚を眺めているのと変わらない。最初の方こそ汐について回っていたが、飽き飽きしてきていた。料理も物によっては美味いし、話が面白い人間も多少は存在する。汐も「な、ほんとつまらねぇだろ?適当にしてな。」というので、二人で遊び、その後、義孝は稼業に勤しむ汐をよそに壁の際で全体を眺めていたのだった。

 結局どこにいても同じだ。派手なだけで結局、基本は見栄と嘘とくだらない世間話ばかり。どうしてそんなこと飽きずに永遠と続けてられるのだろうか、死んだほうがよくないか。どうして生きてられるんだろう。

 忍の周りに人は多い。忍と懇意にしていた人間ほど、今更汐になびけない。しかし、逆も然りで忍と折り合いがつかない者は、汐の側に逃げる道が示された。軽快な足取りで汐に近づいた小柄な男がいた。汐は彼と楽しそうに話した。汐は誰であれ表面上は、楽しそうに話すのだ、表面上は。

 汐は男から受け取った紙きれを食い入るように見ていた。義孝は、椅子から立ち上がり壁に背をもたれさせた。思った通り、彼がこちらを向いて悪戯っぽく笑うのだった。彼を痛めつける時、時折同じ表情を浮かべる。

 彼の無言で呼びつける方へ、まだ硬い革靴で向かった。女でなくて良かった。履きなれないヒールなど履かされた日には彼の元へ真っすぐ歩いて行かれないだろうから。
 革靴は汐が義孝に試着させ選んだ。他に何でも買って良いと豪語する汐に、ピンヒールとレザークラフト用品を買わせた。汐が、プレゼント用か?と、にやにやするのをよそに、義孝は家で暇な時間にピンヒールを改悪して遊んでいた。お前に履かせるんだよ、とは言わない。

 汐は、近づいて来た義孝を抱き寄せるようにして肩を組んだ。汐の体温が義孝の身体には高すぎる。彼は悪だくみでもするように、顔を近づけ、わざとらしく囁き声を出すのだった。
「おい見ろよ、これ」
 鼻先に写真が突きつけられた。無造作にベニヤ板の上に置かれた重厚な拳銃が映っていた。
「マグナムだぜ……」
 どこか、年季の入ったグランドピアノを彷彿とさせる銃器だった。もっとよく見ようと顔を近づけると、写真が取り下げられ、代わりに汐の顔が覗き込むのだった。義孝の左目の下が軽く痙攣し、代わりに汐の瞳が輝きながら悪戯っぽく細まった。

「また、お前の興味のありそうなものをひとつ発見したぞ。お前、撃ったことあるか。」
「ありません。汐様は、おありになるのでしょうが。」

 汐はどこか喘ぐような、悪酔いしたような歓喜と苦痛の間の奇妙な表情を義孝だけに見せ、すぐさま元のへらついた表情で小男の方に向き直った。
 男は濱村という武器商人であった。汐が、是非このマグナムをぶっ放してみたいと強く要望し、数日後に汐と義孝の二人で試射撃をする約束が取り付けられた。

「一日ぶっ通しでやるんだ。新型のライフルも3丁ほど試したいな。」

 道楽半分仕事半分だった。義孝が汐の傍ら、銃の写真を代わる代わるめくり見ていると「これなんかお前向きだぞ。特にこれは殺傷能力も高めだ。」と汐は写真を数枚抜き出して、テーブルの上に並べるのだった。

「取り扱い方は俺が一から教えてやる。残念ながら俺はもう公式の大会になど出られない朽ち果てた実に悲しい身分になってしまったが、腕は確かだ。」

汐は芝居がかった様子で言う。彼の数々の癖のひとつだった。

「ま、多少なまってはいるのは仕方がないけど、遊んだり教えたりするには十分さ。」

濱村との約束と商談が済むと、次に控えていた別の男が近寄ってくる。汐が男の方に行く前に、呼びかけた。

「お召し物が乱れておりますよ。」

振り向いた汐の首筋は赤らんで、さっきまでの子どものような表情は消えていた。

「私が直して差し上げます。」

 手を伸ばし、衣の上から今一番汐が触れられるところを拒む箇所に指を這わせた。布越しに彼の熱を感じた。本当は一切乱れてもいない着物の上から、指を喰いこませるようにして乱し、整える、その間、汐の白い首筋が紅葉の燃え広がるように染まっていくのを眺めた。

「汐様、飲みすぎではございませんか?この後運転なさるのでしょう。」
「そうだな、気を付けようかな。」

 それは承諾というよりも喘ぎだった。公の場にそぐわぬ色をした揺れた瞳が義孝の方に注がれていた。

「ああ駄目です、うまくいかない。後で一度奇麗に直しましょう。そうですね、」
義孝は汐の背後で待ちわびる客人に横目をやってから、汐に目をやった。
「お客人がお待ちですし、お話しされることもあろうと思いますから、30分ほど後にしましょう。」

 汐が媚びるような表情を浮かべ、それから気を紛らわすように他の人間の方に向かって行った。義孝はその後もしばらく濱村と話していた。
 銃、生物を殺傷するという目的だけでこの世界に生まれてきた、生み出された存在について。

 会がお開きとなった帰り路、全てから解放された汐が、助手席に義孝をのせながら、例の大口径マグナムの話を続けていた。車は滑り込むように渚の居る病院へ向かっていた。病室につき、義孝が病室の窓から義孝が外の夜景を眺めている間、汐と渚は仕事について語り合っていた。

「義孝さん、どう思います?」

 義孝は汐の隣の椅子に腰かけ、渚を見た。渚の瞳は奥の方が静かに燃えていて美しかった。たまにだが、汐にも似たようなことが起きる。この火が、あの家を焼けばいいと思った。

「濱村だけに絞らず、信用できる仲介屋をもう幾人か集めれば、もっと良いかと思います。特定の一人と昵懇になりすぎると手を広げにくくなりますから、今のうちにがいいかと。複数囲っておけば、互いにけん制し合って良い利潤を生むかもしれないですからね。今、輸入業、それも銃器をやっている同業は周りには少ないようですから、業者同士で切磋琢磨していただくのがよろしいかと。影から双方応援して恩を売るのが良い。他の人間が追々深く参入できない程度にこちらから先に縛っておくのです。」

 義孝はスラスラと発言したが、まったく本心で発言をしたわけでは無かった。複数の人間を抱え込むことすなわち、統率力が問われることになる。縛りすぎても緩めすぎても間違いなく問題が起きるに違いなかった。問題が起きたら良い位に思って言ったのだ。この件については、上手くすれば珍しくこの双子の意見が割れるように思われた。

「いい線いく。俺も賛成だな。濱村は良い奴だが頼りきりになるのはこちらとて不安だ。少し値は張っても他の業者も見てみたい。」

汐は祈るように両手を組み顔に擦り笑っていた。対称的に渚は思惑的な目を汐に向け、皮肉な調子で続けた。

「そんなに手塩に掛けて育つ分野とも思えないけれど。汐、お前は自分が見たいだけでしょう。」

思った通りだった。汐は銃を弄びたいという欲望を軸に行動して、渚は忍を倒したいという欲望を軸に行動しているのだから。義孝はポケットに手を突っ込んで椅子に浅く腰掛けたまま、二人を眺めていた。あの大広間での馬鹿げた集いなど遠く霞むほどに面白い。

「渚は興味が薄いからそう思うんだよ、絶対面白いのに。そうだ渚、渚も一緒にどうだい。三人で行こうよう。」

 汐は射撃に渚を誘っているようだった。渚は冷めた表情のまま、汐を一瞥、それからまた義孝の方に向き直る。

「ねぇ。義孝さん、汐は今日、貴方に対して大変五月蠅かったんじゃありませんか?」

始まったな、と思った。

「ええ、そうですね。」

渚はしばらくの間汐の方は一切見ようとせず、義孝を見ていたが、ふいに和やかな視線を汐に向けた。

「マグナムがどうかとか……、私に対しても馬鹿みたくまくしたてて。汐、大体お前が特に見せてきたのは、銃気違いしか買わないような規格外の銃じゃないか。M500、だなんて。だいたいマグナムは男性器の隠語と言います。それも、巨根のね。連中の”Schwanz”がまだそんなにも恋しいの……?ああ、それで、また、公共の場で、欲情したのですね、汐。まったくなんて恥ずかしい、恥晒しな男なんでしょうね。」
 
Schwanz:ドイツ語でしっぽを意味する単語。スラングとして男性器という意味で使用される。



 川名義孝の脚、数多の人間を踏みつけ殺し屍の上を歩んできたこの脚、太腿に顔を埋めでもして帰りたいとすがれば、帰してくれるような予感がある。それは霧野の自負だった。

 自分以外の他の誰かが、川名の足元に乞い縋ろうとしても、一蹴され踏みつぶされるだけだが、今の自分の折れた姿を見せれば、川名の霧野と同じく高い心をくすぐり、受け入れるのではないかと。ただし、帰る場所はもちろん、我が家ではなく、彼の作り上げた獄である。
 
 下腹部より下の部分が未だ脈打つのを感じた。外気に当てられるほどに感じたくもない己の温かい血の脈流が感じられる。空気が、濡れた肌を撫でた。
 
 霧野は、川名を他の構成員とは違った目線で眺めることができた。彼より一つ上の立場から、捕縛対象として観察する。恐れが、極限に達すれば、澤野として川名に尽くせばよかった。観察した時得た感触は、澤野として彼の下で働く時にも役に立つ。彼に高圧的な声で、何気なく一人で来るように呼ばれた時、霧野の鼓動の速さは極限に達するのだった。

 霧野は、細胞の奥から滲む熱を誤魔化そうと、視線を川名の方に上げた。川名がさりげなく己の顔に触れるような仕草をしたので、懐に銃底部が見え、彼の気に入りの磨かれた拳銃のすっかり収まっているのが見えた。

 ああ、火薬の臭いまで鼻の奥に蘇る。強烈な死の感覚が、木崎の姿が思い起こされて、沈んでいた霧野の理性の部分が浮き上がってきて、激しく心臓が高鳴るのだった。蹂躙者であった川名が再び宿敵として目に映る。

 俺は馬鹿か。川名に取りすがって、こんな馬鹿げた、ふざけた姿であの地下に戻り、また獄に監禁されたいなんて、どうして思ったんだ。あそこに戻るということは、肉体か精神かもしくは両方が壊れるまで暴力と陵辱を永遠と繰り返されるということだ。どうかしているぞ。こんな首輪、俺は犬じゃない。俺は……。

 川名は黒い布のようなものを引っ張り出して霧野の目の前に落とした。

「これに着替えるといい。」

なんだろう、下着だろうか。広げてみれば、霧野の手の中でまるであやとりの糸のような下着、肘上までのラバーの長手袋、太ももまでのラバーソックスであり、意志を取り戻した霧野を動揺させた。

「なっ、なんだよこれは……、」
「お前の身体が汚れない為の衣服だ。自分で着られないなら、運転手の関にでも手伝ってもらうか?」
川名の革手袋を嵌めた黒い手が、運転席を指さした。無骨な体躯の関は前を向いたまま黙っていたかと思えば鼻を鳴らした。
「いい、自分でやる……っ」
「着終えたら二足で立って身体をよく見せろよ。」

 長手袋を嵌めて手を開き閉じるとみちみちと音が立った。肉体を覆うべき箇所がまるで逆だ、馬鹿げてる。通気性がないため酷く汗ばんだ。薄手のラバーは吸い付くように霧野の腕と脚を覆って締め付けた。ラバーと皮膚の境い目の部分の皮膚が濡れた。小さな下着と言えない下着を身に着けると、自然の空気の中を自由にぶらついていた雄が布でひき絞められ、ちょっとした膨らみでも薄手の布の中で強調されるのだった。首輪を着けられ、小さな下着で引き締められ、長い手脚を黒く覆われて暗がりの中に浮かび上がる霧野の肉體は、生気とエロスに満ち溢れていた。

 それにしても、裸の方が恥ずかしくなかったかもしれない。川名の前に立ちながら、霧野は俯きがちに右手で左腕を擦っていた。川名が何も言わないから、何もできない。空気が、性感帯の部分を更に擽る。風が強くなったのかと霧野は思ったが、そうではなく、自分の姿と、覆われないことによって余計に敏感になった身体が、感じやすくなり欲するのだ。手脚を黒ラバーで覆われることで、本来覆うべき肉感的な胴の部分が強調されて、余計に羞恥を感じさせる。小さな下着が伸びきって、余計に隠せなくなった霧野の硬い警棒を強調させる。

「良く似合うな、淫乱ポリス君。」

ゆっくりと何か唱えるような低い川名の声に、霧野はハッとして一瞬川名を見たが、すぐに視線を別の場所にやった。川名の姿はいつもどこにいても一切乱れがなく洗練されて、己の姿と比較すると、恥ずかしさに死にたくなる。声も、褒め方も、いつも通り、変わらない。

「そのまま警官隊パレードの先頭切って旗でも降って張り切って歩けばこの街の治安も良くなるんじゃないか。俺がお前の上司だったらそうするね。」
「何を、言ってるんだよ……」

 霧野は苦虫を嚙み潰したような顔で俯き囁いたが、霧野の豊かな想像力が、川名の発言を脳裏に悠々と描かせ、想像の中で街を徘徊した。警官姿の川名が運転するパトカーの助手席に神崎が座って、ふたりして煙草をふかしながらこちらを無表情に眺めている。
 川名がいつの間にか手に持ったケインを持て余すようにしながら、霧野の太腿に這わせ、ケインの先端が膨張した布地にくい込んだ。ピクピクと布の中で逃げられない雄が膨張をやめようと思うほど暴走する。

「う゛……っ、」
霧野は片手で顔を覆ったが、黒ラバーの冷たさにまた自分の姿を思い起こされ、ぞっとした。
「お前こそなんだ?さっきから、口と身体でちぐはぐだぞ。ここに、警察旗でもくくりつけて、パレードの先頭を歩き、街を練り歩くべきだな。街の見物だ。」

「ゆ、由紀は、っ、由紀は、無事なんでしょうね。他の連中も。」

霧野は気が狂いかけ、無理やりに、正常と思える台詞、言葉を、震える吐息と共にひねり出した。川名は霧野の聡明さを取り戻しながらも激しい恥辱に溢れた瞳を見て、急に優しい声色を出し身を乗り出すのだった。

「君と違って約束は守るよ、俺は。何度も言っただろう。お前が俺の元で正しく歓喜したり苦悶したりしている間はその通りにする、必ず。お前の態度しだいでは由紀さんにも会わせてやるから。」

 問題は先に俺の精神がどうにかなるか、どうかだな。
 霧野はそう思って川名を眺めた。川名の常に綻びひとつない装いを。それに比べて……。

「もう、お前の身体の様子はわかったから、いつまでも汚いブツを自慢げに見せびらかしていないで、そこに座れ。Sit.」

 霧野は川名の前におすわりの姿勢をとた。みちみちみちっ、ラバーが霧野の豊かで頑強な太ももの肉の上ではちきれんばかりに伸びて音を立てていた。手を土につこうとすると、川名のケインが霧野の腕をコツコツ軽く打った。霧野は両手を、拳を握って、犬のようにまるめて、顔の下に出し、犬の姿勢を取るようにした。霧野は川名の顔の方を仰がずに、足元の辺りに視線を泳がせていた。ぼすんっ、撫でられるにしては大きなものが頭の上にあたり、何か被せられたことが分かる。

「とても良く似合うぞ、霧野捜査官君。」
「……、……」

 霧野は頭を下げたまま震えていた。嫌な予感がした。川名のゆっくりと語り掛ける声が、さっきから妙に耳について離れない。耳を塞ぎたいが、塞げない。

「俺が今お前に何を被せたか当ててみせたら、今夜は少しくらい手を緩めてやろう。久しぶりの日課でお前も疲れただろうから。外したら、そうだな、後でお前の発情して膨れ上がった雌犬マンコにとても良い物を挿れてあげよう……おや待て、これじゃあどっちでもお前にとっては美味しいじゃないか。……まあいいか。たまにはお前を甘やかしてやるのも。どうだ?乗るなら顔をあげて一声吠えてみろ。」

 霧野は逡巡の後、頭をあげた。微かに、霧野にわかる程度の微笑を口元に讃えた川名がこちらを見ていた。彼は手元でケインを弄ぶように撫でていた。嗜虐の色が薄っすらと暗い瞳の奥に見える。拒絶が許されないのは、今に始まったことではないのだ。どうだ?やってみるか?と彼から仕事やゲームに誘われてあからさまに断るということは、彼を激しく退屈させ、すなわち今後一切お声がかからなくなるということなのだ。

「……わん、っ」

霧野が顔をあげて無理に自分を奮い立たせ、吠えたのを見て、川名の目元が若干のやさしさに溢れたように見えたが、それが本心からなのかワザとそう見せているのか、今の霧野には判断ができなかった。

「お前も遊びごとが好きだもんな。よし、じゃあ、答えてみろよ、ハル。」
霧野の顔には羞恥の他に、若干の嘲りと自信が隠し切れず、溢れ出ていた。
「……警帽、官帽だろ、どうだ?警察官の帽子だよっ、馬鹿にして!どこで手に入れたんだか……。」

川名は再び霧野の頭の上に手を伸ばして取り上げ、霧野の目の前にソレをかざして見せた。

 それは確かに警帽を元にしている被り物だが、正しくは違った。日本で使用される正規品と違い黒く光沢があり独裁的権威を見せつける軍帽子のように見えた。更に異質なのは、そこに三角を模した物が二つ取り付けられていることだ。よく見ればそれはノアのたて耳にもよく似た獣の三角耳であった。

「正解は畜生耳を生やした警帽だ。残念だったな。警官などは皆コレを被って自分が国の言いなりにしか動けぬ僕、情けの無く頭の硬い犬畜生であることを表明すべきだ。コレはお前専用だからノアの耳を模して作らせたんだ。嬉しかろう。」

川名はくるくると手で帽子を回すと再び無造作な調子で再び霧野に被せ、そのまま手で強く頭を押した。大した力でもないのに、霧野の頭がまた下を向いて、耳が川名の方を指している。瞳だけが恨めし気に川名の方を見ていた。

「あたるわけ、っ」
「自信満々に間違いを言って、わざとか?そんなにも雌犬マンコが疼いていたとはな……」
「ちが」
「ああそうか、今日は誰にも使わせてやっていないから、ご機嫌ななめなのか、俺としたことが気が付かなくてごめんな、ハル。獣の気持ちは難しいなぁ。」

 川名は表面的な笑顔を見せて霧野を眺めていたが、瞳の奥の方が暗く、何を考えているのかわからず、じっと見ていると気が狂いそうになってくる。こちらの存在が揺るがされる感じがする。暗闇で仏像と向き合うのにも似ているかもしれない。

 霧野が、初めて彼と直接顔を合わせた時も、彼は同じ顔をしていた気がした。彼は私服姿で霧野の前に現れた。緩いサテンの白シャツを身に着け、かなりラフな印象だったが、向き合っていると、目の前に深さがわからない巨大な穴があって、その際に立たされているような気分になった。霧野は必死になって目の前の男を分析しようとしたが、うまくいかず、常に心臓を掴まれているような、断崖絶壁に立たされているような感覚に苦しめられ、同時に愉しんだのだった。悪人に対して常に高圧的な態度で責め、下手に出るとしても理由あってそうしていた霧野が、恐怖心と未知の感覚で奮い立たされた相手であった。

 不思議なことに、彼が何かに対して価値があると言えば、例えそれがゴミでも価値があるように見えたし、その逆も然りだった。頑なであるがゆえに、この男が捕まった暁には、一体どんな様子を見せるのか楽しみでならなかったというのに。己が捕まってしまうとは情けが無かった。しかも、こんな風に遊ばれることになるとは。

情けなさを感じると心がくすぐられ、ため息してしまう肉機械。
ごくりとつばを飲み込むと、首の装飾が皮膚に擦れた。
この首輪が。首輪が悪い。霧野は自らの手で首元に触れた。
川名は涼しい顔をして霧野を眺めていた。

 川名は辺りに散らばった淫具を片付けるように霧野に命じた。上から彼の視線を感じながら、地面に這いまわって己に使われるかもしれない異物を回収する間中、霧野はこの地獄からの抜け道について、意図的に考えるようにしていた。意図的に何かを考えなければ、川名の視線とその目に映る自分の淫乱姿が気になりすぎたし、また、大きな波のようなものに自分が飲まれ持っていかれ二度と帰ってこれなくなるような気がした。

 人間の基本的な性質とは怠惰。精神とは弱さの上に自らの意思で建造する城のこと。人間を籠絡し苦しめることを観測するのが趣味の、この人外鬼の川名が、人間の弱さについて、わかってないわけがないのだ。精神的に揺らいでいる時など特にどれほど奇妙に思えても楽な方へ救われたと無理やり理由付け何も考えず流れてしまう。

 俺の城はそれほど脆弱では無い。霧野は心の奥で感情を高ぶらせていた。

 昼間のことを考えて、伏せた頭の下で、霧野は川名に諭られぬ程度にほくそ笑んだ。この男はまだ、ひとつ、わかっていないかもしれない。もしも、貴方があそこに置いたのが八代などではなく美里であれば、もしかしたら、俺の気も靡いたかもしれないのだから。もし川名が八代ではなく美里が置いたのであれば、美里がどちらの側であれ美里を籠絡させてやりたいという欲望に燃えてしまい、そちらを選択したかもしれなかった。それで、この目の前の身奇麗な男の所有物の1つを奪って正しく帰還して、鼻をあかしてやりたくもなるという欲望。

 零れ落ちた物の中に黒いシルクの袋があった。中にインクのないボールペンとオイルの抜かれたライターと靴下とリボンとが入っていた。なるほど、これが今の俺の全財産と言いたいわけね。袋の口を締めてアタッシュケースの隅に押し込んだ。

霧野がケースの蓋を閉じると同時に、川名が車から降り屈みこんで霧野の首にリードを繋ぐのだった。
「じゃあ、行こう。」
「……、俺に、こんな格好させて、行って一体今度は俺に何をさせようって言うんだよ?ご主人様?」
淫具拾いの最中、孤独に自己を奮い立たせた時間が霧野の気を少し大きくさせた。
「また馬鹿の一つ覚えみたく性欲馬鹿共に俺の身体を使わせ遊ぶとでもいうのか?結構なことですね。」
「……。」
川名は何も言わず立ち上がり、リードを掴んだまま、霧野を見降ろしていた。
「どうです?少しは楽しい気分になったかい、マスター。」
「ああ、実に愉快だね。俺が何故こんな辺鄙な場所にお前を連れて来たか、すぐにわかる。」
「……。」

 アタッシュケースが、ズルズルと音を立てながら、土の上を擦っていた。アタッシュケースの持ち手は四つん這いになって進む霧野の口には、くわえられていなかった。代わりに、小さく苦し気に喘ぎ続ける犬の口には、川名の私物の白いハンカチが、降参の白旗のように咥えさせられていた。
 
 白いハンカチは、咥えられて湿っていたが、霧野の口に運ばれる前に、一度霧野の精に蒸れた下着の中を通されて臭いつけられていた。こんなに臭うものでも、まだ川名の私物であることには変わりなく、大事な私物を穢れた土の上に堕とすということは、大罪に値するということを、咥えさせられる前によく脅された。

「ネクタイピンを紛失した分の罰がまだ残っているというのに、また同じように物を落としたりしたら、わかっているな。倍の罰じゃすまないぞ。それにしても異常に臭う。ほら、嗅いでみろ。酷いな。お前の耐え切れず漏らした粗相の臭い、淫臭が酷い。お前が病的なマゾであることの証左だ。収集癖の酷く嗅ぎまわるのが大好きな犬のお前のことだ、明確な証拠を集められ、なお臭いも嗅げて、飛びあがるほどに嬉しいだろう。」

 アタッシュケースの持ち手には、紐が括りつけられて、紐の先は霧野の股座に伸びていた。霧野の可愛らしい二つの膨らみの根元は紐で硬く縛られ、そこから伸びたロープでアタッシュケースを家畜のように、引かされていたのだった。白いハンカチはこの陰嚢への荷物の括りつけ作業の間中、霧野の下着の中にしまわれており、まさに”旗”のように一部が下着から飛び出していたのだが、その際に臭いついてしまったのだ。もともと川名の愛人が洗ってふんわりとした柔軟剤の香りをしていた布地だったが、その香りの痕跡は霧野の獣臭に掻き消され、一切残されてない。

 膨らみは、縛られたのと荷の重みで引っ張られて、ぱんぱんに赤く腫れていた。建物がある場所までは、ゆるやかな坂道で、自然と重力で下にケースが引っ張られる。荷物のせいで、紐下着は、ずれ、紐の部分も最早陰嚢と淫孔の部分を覆っておらず、ただ膨らんだ雄の部分だけをくるむ布と化していた。時折、何かのはずみで紐の部分が、蕾のような柔孔の温肉に擦れると、犬は呻きハンカチを取り落としそうになるのだった。女児の小指で優しく触れられたような微かな、蟻に這われるような感覚が余計に犬を悶えさせ、一層発情させた。
 
 この哀れな運搬畜の背後を、革リードを手にした川名が歩いていた。川名は霧野の動きが少しでも緩慢になったり呻き声が漏らすのを聞いたら、ケースを軽く踏むだけでよかった。それで、ほんの軽く体重をかけてアタッシュケースを斜面に沿って下に滑らせるだけのことが、この運搬畜にとって、その時の激痛と屈辱と言ったらたまらなかった。悶絶し、許しを請う代わりに足を止め、土を掴んでぶるぶると震え、背後を、乞うように、しかし、半ば怒りに息を荒げて振り向くのだった。振り向くたびに白旗がゆらゆら揺れた。

「なんだ?これくらいのことも耐えられないのか。たかがこれくらいのことを、お前が。」

川名がまた足で引き下げると、紐がピンとはり、悔し気にしていた獣が耐えられず高く啼き、勢いよく顔を地に伏せってぐるぐると威嚇と喘ぎの混じった声を上げて喋れぬ代わりに喉の奥の方で呪詛を唱えるのだった。

「あ??なんだ?このまま去勢してやろうか。ノアの子種は大切だからまだとってあるが、お前のは別に不要だ。お前のような頭の弱い屑の子孫がこの世にうようよとボウフラのように繁栄したところで、この世界に大変迷惑だからな。……もしあるとしても、俺の手で教育して飼育してやるよ。まあ、去勢するにもいろいろ手段があるんだが、やるならもっと楽な方法の方が良いと思うし、準備もしたいところだ。だが、今日はお前を少しくらい甘やかそうかという気分もあるから、お前が望むなら、このまま去勢してやってもいいぞ。ほら。」

さらにケースが下に引き下げられ、霧野の身体も耐え切れず後退した。

「ぐおぅうう゛っ……!」
「おい、犬。一体なぜこうされているかわかってるかな。お前の歩みが、一等遅いからだ。俺は頭にしても身体にしても、とろい物は嫌いだ。お前ならよくわかっているだろう?ノロマには虫唾が走るよな。なあ、このままでは上に着くまでに朝になるんじゃないのか?あ?もっとキビキビと歩かないか。」

川名はケインを霧野の左太ももの辺りに振り下げた。肉の音が響き、獣が唸り小さく高い声を出して跳ねた。獣は歯をぐっと食いしばり耐えた。身体ががくがくと震え、ふいに力が抜けそうになる。タマがちぎれそうになりながら、ハンカチまでも、取り落としそうになるが、頭を伏せ耐えた。強烈な自分の匂いが鼻腔に入り込んで気が狂いそう。霧野は半笑いになりながら、もう一度勢いよく頭を上げてみせた。

「さっき貴様を警官隊パレードの先頭において歩ませればサマになると褒めてやったが前言撤回だ。のろまなお前など車に括りつけて引き回させるのが良い。」

 脚を外された。そして、再び一発食らいビリビリとくるが、今度は頭も下げず、身体を起こす。

「ほら、気合を入れてやったんだから、さっさと前に進め。それとも、馬のように逐一鞭打って欲しいか。たとえ馬だとしてもお前は駄馬だ。今のお前が競走馬として出たとして、誰ひとりとしてお前には賭けないし、さっさと肉にでも卸された方が世のために役に立つ。」

 霧野の恥辱の運搬が続く。頑張って歩いてはいるものの、いつ荷を踏まれるかわからないだけに構えることもできず、どれだけ必死に歩いても急に躾と称して踏まれると、霧野はうなり声をあげて、地に肘をついてしまうのだった。しかし、口に布を咥えているのもあるが、さっき軽く主を挑発して見せた手前すぐさま、すみません、やめてください、俺が悪かったです、との弱音は絶対に吐けないのだった。吐いたところで余計に打擲される。いや、もしかしたら許してくれるかもしれないが、許してもらわなくていい。霧野は脂汗の浮いた身体を再び上げ、頭を上げ、絶望に泣いた。頂上まで、まだ三分の一も登っていない。まるで蟻の歩みだった。
  
 川名の目の前で、霧野の汗ばんだ双丘は、荷と繋げた紐と、赤らんだ雄を、みしみしとぶら下げながら、四足で這って進むたびに、誘うように左右にのしのしと揺れているのだった。みしみしと結び目が、膨らみの肉のに食い込み擦る度、赤らんだ弾力ある肉に緊張が走り、小さく跳ねる。背中の筋肉の細やかな凹凸が月明かりで陰影が付いて山脈が四つ這いで這うたびにぬるぬると動いた。霧野の肉の締めつけ、膣としてのすばらしさを、筋肉の規則的な動きが、見る者に彷彿とさせる。

「お前は、自分が何のために生まれてきたかわかっているか?」

 川名の声かけに、勿論白旗を振るだけで言葉を発することを許されない畜からの答えはない。霧野は、少なくともこんなことをするためじゃない!と叫びたかったが、では一体何のためにと追及されれば、わからなくなってくる。しかしそんな気持ちも、この甘く痛い苦役が直ぐに掻き消すのだ。

「お前に適正な役目は、俺が与えてやる。」

 運搬畜の方が、川名より先に斜面の上を登っていくので、目の前に壮大な恥部の様子がありありと拡がり、よく見える。霧野にもそれがよくわかっていた。霧野は運搬業の最初、自分から前を進もうとせず、川名が先導し自分を導いてくれるものと思ったらしく、川名を不思議そうに見さえするのだ。口で言って、打って、やっと犬は自分が川名を先導して進むことを理解したようだった。

「一体どうして俺がお前を引っ張ってやらないといけない。まるで嫌がるお前を俺が無理やり連れて行っているみたいじゃないか。そうじゃないだろう。どこまでも甘えて。とんでもないガキだな。目的地はこの丘の上だと最初に教えてやっただろ。それくらいのこともできないで、お前は。一体何ができるって言うんだ?」

 川名が自らの手で鞭打った箇所が一番の蚯蚓腫れになって太ももから尻にかけて刻まれていた。彼には、畜舎の方へと昇っていき中にまで入るように伝えていた。

 道程の半分ほどのことろで、畜の股座の果実がゆさゆさと、ゆれながら大きく育ち、小さな布の隙間から最早悠々とトビウオのように飛び出して、周囲の空気を淀ませるようにむわつき主張を始めていた。上の口が咥える白旗は涎に湿り、濡れそぼったハンカチの角からは涎の雫が地面に垂れる始末。ふんふんと荒い息遣いの度に獣臭があたりに漂う。
 
 そして、今日は誰にもその裂け目を使わせていないそのせいなのか、裂け目を媚びるように卑しく濡らしていた。歩く度時々、くちくちと音を鳴らした。何も挿れさせていないことで、余計に淫孔の締まりのない口の、歩みにあわせて欲情しぬめるような動きがよく見える。
 
 特に、斜面が急こう配であったり、荷を引っ張り下げてやったりした時、この淫畜が四つ足で地の上で、わき目もふらず去勢の恐怖に必死こいて脚を広げて踏ん張る時は、よく見える。畜もそれがよくわかっているのか、一層身体を赤くして、後孔を引き締めて、トビウオを弾けさせ、啼いた。

 辿り着いた小屋。畜舎には立派な成馬達が繋がれていた。川名が脚を止めたことで、引っ張られるようにして霧野も足を止めさせられる。顔を上げた霧野の目の前に一本の生々しい肉塊、グロテスクな巨塊が横切っていた。内臓のような赤黒い光沢で生々しく光り聳え立ちどろどろとした汁が周囲に飛び散っていた。汁が月明かりでてらてらと土くれと藁の上に光っている。辺りには畜獣の臭いが充満し、川名は、自分がこのような不浄な場所に一人立っているのを不快と思いながらも、足元に這わせた一人の男がより深い不快と異常な快楽を目指して堕ちていくことを考えれば目の前の不浄は大した問題ではなく寧ろ、川名自身と畜のためには良いことと思われた。

 畜舎の闇の奥から白い服を着た男が現われた。男が屈んだ場所に、床に小さな地下へ続く鉄製のドアがとりつけられており、階段がのびていた。
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