堕ちる犬

四ノ瀬 了

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さっきから何してん?打つたびに酷くなるとはな。とんだ駄馬だよ。自覚あるか?無いようだから教えてやる。

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 何も変わらない1日のはずであった。黒木は仕事を切り上げて、ショッピングモールに立ち寄り、必要なものを買い、リュックに詰め込み、バイクに跨った。バイクで道を駆けていく道中、とりとめのない思考が昇っては、沈み、消えていった。とりとめのない思考とは、言葉にするにしても断片的すぎる思考である。太陽が、緩やかに沈んでいく。落ちていく真っ赤な太陽に向かって、直進する。そして、夜の帳が降り始める。

 山へと入る頃には、辺りは真っ暗になっていた。ランプに照らされたカーブが緩やかに目の前に展開されていく。自然はいつでも平等に黒木を迎えた。光の中に、黒い影が映ったように見えた。気のせいだろうと思うが、近づけば近づくほどに、確かに、それはある。小屋へと続く隠された獣道の前、舗装道路の路肩に、見慣れた高級車が停まっていた。黒木はバイクの速度を緩め、ゆっくりと、慎重に、車の横にバイクを横付けした。そのまま身を屈め、ポケットからライトを取り出し、中を照らして見る。真っ暗、空っぽ、車内には誰も、何もない。黒木はライトを滑り込ませるようにしてポケットの中に落とし、バイクを発進させ、車の前を通り、車が横付けされたすぐ真横から伸びる、いつもの獣道にバイクを乗り上げ、スピードを落とし気味にして走る。ライトに照らされた土の上に、古くない大きな足跡が続いていた。そしてその足跡は、「行き」の足跡のみで、「帰り」の足跡は無い。黒木は、普段のようにバイクで獣道を小屋まで突っ切ることはせず、舗装道路から小屋へと続く獣道の、その、ちょうど中間あたりでバイク止め、降りた。ヘルメットとジャケットは脱いでバイクにかけ、小屋の方へ向かった。バイクのライトだけ、つけたままにしておく。足跡は小屋の方へまっすぐ続いている。扉に手をかける。鍵はかかっていないかった。

 家の中に踏み入れてすぐ、異変に気がつく。玄関の家財が自身でもあったかと思う程に、めちゃくちゃに倒れている。家の奥の方から何か投げ飛ばされたような音と共に、足の裏に振動が伝わった。間をあけず、また何か物が破壊される音、大きな振動、ぐらぐらと、小屋そのものがゆれるような錯覚を覚えた。錯覚では無く、本当に揺れていたのかもしれない。黒木はブーツを脱ぐことをせず土足のまま、足を踏み出した。廊下を進むといつも以上に床の木が軋むような音を立てる。黒木は気配を消したまま音の方へ向かった。寝室の方だ。リビング、廊下を通っていくが、部屋の中、廊下に置かれたていた何もかもが、めちゃくちゃになっていた。元あった場所にそのままある物を探す方が難しい程だった。食器棚は倒れ、粉砕した食器が転がり、テーブルは上下逆さにひっくり返り、壁掛け時計は床で歯車をむき出しにされて割れて、投げ飛ばされたらしい椅子が壁に突きささり、窓の半分は粉々に割れていた。脚の折れた椅子が、奥に進むドアに突き刺さって、ドアはドアの役目を果たさずに半開きになってゆらゆらしている。まるで小屋の中を台風か何かが直接突き抜けて行ったかの様。幽霊屋敷の方が未だ手入れが行き届いている。

 廊下を進んだ先の寝室のドアは、そもそも無くなっていた。扉だったと思われる板の破片が廊下の上に、バラバラになって散乱していた。乱されたベッドルームの中央で、ちょうど二人の男が向かい合って対峙していた。黒木がいままでせっせと集めて来た数多の私物が破壊を極め粉々にされている中、二人の男が取っ組み合いをしては立ち上がり、物を破壊し、責め、受けを繰り返していた。

 霧野はまだ、立っていたし、二条は、もちろん立っていた。霧野より先に二条の瞳が、部屋の入口に佇んだ黒木を捕えた。半ば黒木を振り見た二条の顔のちょうど半分が真っ赤に濡れて、輝いていた。その血は衣服にまで飛沫し、よく見れば未だ二条の顔をつたって、今この瞬間も止まることなく床にぽたぽたと垂れ続けている。霧野に、椅子か、何か硬い物で頭をやられたのだろう。しかし顔や頭に腫れ等は見当たらず、いつも通り。おそらく頭の皮膚が切れただけで、見た目のインパクトほどダメージは無い。しかし、顔面が紅く血染めになっているせいで、普段に増して、鬼に見えた。誰も今の彼に近づきたくないと思うだろう。二条は霧野を視界の端にとらえたまま「よぉ」と黒木に向かって笑いかけた。かなり、ご機嫌の様子。一方の霧野は、肩で息を切らせながら、二条から目を外さないまま、探るように黒木を一瞥した。黒木は二条の方に身体を向けて片腕を拡げた。

「あはは…は、あはぁ、酷いな、俺の家、めちゃくちゃじゃないすか、なんすかこれ。」
 
 黒木の笑い声は乾いていた。二条は霧野を視界の端に捕えたまま、紅い半身を黒木の方へ向けた。

「お前の家、ね。俺に隠れて、こそこそと建てた、お前の城。悪くない。」

 黒木は拡げていた腕を降し、黙った。二条と反対に黒木の顔から笑みは完全に消えた。二条の顔が一層楽しげに歪むのと対称的だった。黒木の視界の端で霧野が動きかけたと同時に二条は黒木に向けていた半身をけん制するように霧野の方に戻し、霧野は踏み出しかけた足を引っ込めた。二条は霧野の方に再度身体を向けて体勢を立て直す。また、横目で黒木の方を、ちらと見た。黒木は二条のどろりとした瞳を見ている内、足元がぐらぐらと揺れているような錯覚を覚えた。黒木は腹に力を入れ、一呼吸して二条を見た。二条はふふふと笑った。

「お前の中の疑問。いつからこの場所の存在を知ってたか。……実はかなり最初から、知ってはいた。……お前はうまくやっていたよ、かなりうまく。場所選びも悪くない。いい。お前にしては、よく、考えられている。」

 黒木は霧野の方へ視線をやった。霧野は半ば絶望半ば希望を見るような瞳で、黒木を見ていた。……ああ、ところで、息を切らしている霧野の姿には、夜の遊び中に見せるものに似た奇妙な色気がある。黒木は一瞬今目の前で起きている惨事を忘れた。夜のことが、頭をフラッシュバックして回った。黒木は霧野から目を逸らし、また、二条を上目づかった。常にこちらを圧する気配、その気配が今、霧野と黒木の両方の方に向いていた。二条の身体からは、普段より高い熱が放出されて、その熱が黒木の皮膚の表面を撫でるような気がした。部屋には霧野の熱も混じった独特の獣臭が充満する。……ああ、ところで、そんな二条の姿を見ていても、黒木は、奇妙な色気を感じて、今の惨事を一時忘れた。臓腑を直接つかまれ引き出されることを想像したくなるような色気がある。黒木は一度目元を覆い、顔を拭い、二条に向き直った。

「知っていて、許容していた。……何故です。」
「別に……。そんなことより、今一番大事なのは、次の一点じゃないか?お前、どっちにつく気だ?」
「……………。」
 二条はしばらく黒木を見ていたが、黒木が何も言わないで居るのを見ると、黒木から完全に霧野の方に集中を戻し、霧野の方へ距離を詰めた。そのまま二条は独り言のように言った。
「別に、どっちでもいい。」
 再び取っ組み合いが始まる。
「それにしても、見が一番つまらない、そう思わないか?……いや、思わないか、お前は、何も。」
 
 目の前で血しぶきが飛び、ベッドを汚した。霧野の拳の皮膚がすり切れ、皮がめくれ上がった部分から出血しているのだった。今、この状況で、礼儀も何もないが、二条は未だある種の型にこだわって霧野に対峙していると言えた。まるで蛮族のように思われている二条であるが、ことに一対一で誰かと愉しく闘おうとなると、あからさまに穢い手を使うことはほどんどしないのだった。二条が柔道三段まで取得していたのと対照的に、空手柔道共に初段までしか取得しない選択をしている理由のひとつも、実はそこにポイントがある。殊に日本の格闘技の段位には、段位が上がる程に、スポーツマンシップ、平等、精神性の高さが重要視され、卑劣な者は段位を取得するに値しないとみなされる。単純な力だけで評価されない。ゆえに、段位の高い者が、段位の低い者に敗けることもあり得る世界。

 今の状況は、二条にとっては遊びの一環でも、霧野にとっては生死を賭けた取っ組み合いである。二条は今、霧野のことで心がいっぱい。黒木もとい間宮のことは二の次だ。
 
 霧野は、二条に比べて、分が悪い。そもそも二条は元から精神的にも肉体的にも、霧野より優位である。短い期間休息があったこと、そして追い詰められている状況は霧野にプラスに働いて、傍から見ても、二条相手にかなりの善戦といえる、が、奇をてらった策を練るか、抜け道を考えるかしなければ、勝ち切りは難しいだろう。それゆえ、黒木の家財のありとあらゆるものが犠牲、武器となり、使用され、破壊されつくされているわけである。

 黒木は、間宮を装うならもちろん二条に加勢しなければおかしいことはわかっていたが、今の二条との会話を総合して、というか、今こうして立ちすくんでしまっている状況を見て、二条は既に、”わかっているのだ”と思った。今霧野と遊ぶことが第一になっているから、黒木の方に意識があまり向いていないだけで、二条は今、間宮が間宮では無いことをおそらくわかっているし、確認のための念押しで「どっちにつく」と、聞き、自分の考えを確信に変えたのだろう。

 このまま黙って見ていてれば、8割くらいの確率で、霧野がここから連れ戻されるのを、ただ見送るというか、手伝わされ、全てが終わるだろう。その上、何かしらの、具体的に言えば、この家を生家と同じように燃やされた上、二度と同じようなことが出来ないような教育が追々課せられる位の事はある。2割くらいは、霧野がうまいこと二条を圧倒する可能性も未だ残されている。その場合、ここでも選択を強いられる。霧野を手伝うのか、二条の側に立つのかという選択。……。……。

(駄目だ、決められない、誰かに全てを、決めて欲しい。人生の、全部を……。支配して欲しい……。)

 そう思った途端自然、黒木の身体は二条に加勢しようとした。が、踏み出しかけた足が止まる。考えてみれば、黒木が加勢するまでも無く、本気を出した二条一人で霧野には、勝てる。一番二条にとって面白いのは、逆。そして、霧野にとってもまた、同じこと。霧野は今、黒木に対して、半信半疑、いや、どちらかといえば、二条の方に立たれ、追い詰められることを考えて動かざるを得ない。その証拠に、さっきから、二条が霧野にしか集中していないのに対し、霧野は黒木へも警戒を怠らず、決して背を見せるような動きをしないのだ。今、黒木の存在自体が、霧野にとっては完全に足手まとい、ハンデになってしまっている。

 あは、ちぇ、信用ないぜ、俺って……、結構、いろいろしてやったろ。ま、当たり前か。背中を預けたのだってほんの限られた期間だけ、思ってたことの一割も伝えないままで、結局論理より性衝動に流されて今日まで来たわけで、その結果がこれなわけ。同じことの繰り返し、失敗の∞ループ。また、失うのか。自分が、弱いせいで。決めたんじゃないのか、どうなるのか、見届けたいと。

 黒木は、今度は強く一歩踏み出した。身体は思いのほか滑らかに迷いなく動いた。全く警戒していない二条の背後へ移動。しかし、二条の視線は前を見たまま、背後の気配に腕をふりかぶる。黒木は、二条の一瞬の隙の中で、ふりかぶられた腕をかわし、二条の前に飛び出、それから、霧野の横に立った。

「……、こっちにする、今、決めた。今日だけは、そういうことで。」

 二条は一瞬虚を突かれた表情をしたが、怒るでもなく、ふふふと含み笑いをして「どうぞどうぞ、……、穂君。」と今度は黒木にも注意を向けながら、さらに臨戦態勢。やっぱりわかってた、と黒木も口元に笑みを浮かべた。霧野は何も言わなかったが、さっきまであった警戒、殺気が半分くらいにまで軽減して、二条の放った言葉に不審の表情を浮かべたが、すぐに雄の顔になって二条の方に向き直った。あーあ、そんなことだから二条に気に入られて、とんでもない目に遭うんだよ、と、横槍でも入れてやりたくなったが、今は黙っていた。
 
 黒木は霧野の動きに合わせて援護する。二対一だとしても、正攻法で二条薫に勝てると思わない。黒木は、霧野と共に組の人間を襲撃していく中で、霧野とのヤり方、つまり、後方支援の方法を大体身に着けていた。ノアと仕事をするのと同じである。先に自分より強い犬に行かせて、犬の攻撃から零れ落ちた部分をサポートするだけでいいのだ。霧野を援護しているとはいえ、二条の拳を、まともに食らうと、下腹部に、じんじんと、感じるものはあり、別に、もう、このまま2人そろって負けてしまっても結局、美味しいんじゃないのか、とまで思うが、横で必死になっている男を見ていると、また別の意味で股間が熱くなるので、わざと負けは無しだ。また、違ったリビドーを感じる。

 黒木は、一つの機が訪れるのを待っていた。二条と黒木の距離が近く、二条と霧野の距離が一番遠くなる瞬間を。闘いながら黒木は確信を固めた。霧野との二対一の共闘であるとしても、正攻法では絶対に目の前の男に、勝てないと。そこには、霧野や二条とは違う精神構造がある。早々に逃げの戦略をとりがちな黒木の精神の構造、それから長年二条から受けて来た調教の結果、その残滓。目の前の男が、全くダメージを受けているように見えない。壁を殴っているのと何ら変わらない。手ごたえが無い。黒木の待っていた機はなかなか訪れなかったが、丁度、黒木の目の前で、霧野が勢いよく吹っ飛ばされた上、酷くバランスを崩した瞬間、黒木は待ってましたとばかりに、霧野を二条の反対側へ勢いよく蹴り飛ばした。霧野の身体が、二条の拳と黒木の蹴りの二重の衝撃で壁に激突し、ちょうど部屋の対角線上に二条と霧野が立ち、その中間に黒木が立つ状況が生まれた。黒木は、霧野が驚愕と恨みがましい目をして立ち上がった瞬間、ポケットから握り拳を取り出し、霧野に向かって手の中に握り込んでいた物を投げた。霧野の手は反射的にそれを受けとった。

 それは、一番初め、唯一、二条が隙を見せた時、黒木が昔の手癖を使って器用に二条のポケットから抜き取り、掏った、二条の車の鍵である。そして今、霧野のすぐ横に、この部屋の出口がある。

「ほら、行け、はやく。」

 霧野は一瞬で黒木の意を理解し、躊躇いと怒りと混じったような複雑な表情を見せた。
 その時、黒木は霧野に初めて怒声を浴びせた。
 
「俺の行動を無為にするなよな!いい加減にしろ!行けと言ったら行け!」

 霧野は顔を伏せ、床を蹴り身体をドアの方へ向け、飛ぶように駆けた。そう、それでいいんだ。すぐさま追おうという二条を黒木は全身で止めた。その衝撃は、車に轢かれたに近いが、とにかく数秒だけでも、それだけでいい、だって、もう、今しかないんだ、頑張れる時は。黒木は全身をもって耐え、二条を足止めた。なんだ、俺だって、やればできるじゃないか。霧野だって闘いながら、頭では理解したくなくても、身をもって理解していたはずだ、二人でやろうが、おそらくこのままでは負けるだけということを。穢い手を使うのには慣れたものだ。霧野の居た熱が、部屋の中にまだ残されている。黒木は改めて二条に対峙する。遠く、エンジン音が響くのを聞いた気がした。



 どこをどう走ってきたか、まるで覚えていない。何も考えられない。どくどくとこめかみの血管がうずく。
 現実か?これって。霧野はそう思うたび身体の痛みを感じ、現実であることを確認した。
 しかし、こんな目立つ車でいつまでも街を走っているわけにもいかない。

 霧野は繁華街のパーキングに車を乗り捨てることにした。助手席に、間宮のバイクにかかっていた黒いライダースジャケットがある。ポケットに、ハンカチ、折り畳み式ナイフ、スマートフォン、キーケース、ライト、現金の入った折り畳み財布が入っていた。ジャケットを羽織り、ポケットに手を突っ込んで、夜の人混みの中に紛れた。まず繁華街の公衆トイレで、血と汚れに濡れた手を入念に洗い、腫れた箇所を冷やした。鏡に映った自分の上気した顔、やはりそこに飛び散った汚れを洗い流す。それから浴びるように勢いよく顔を洗う。しかし、いくら冷水を浴びても熱は冷めきらない。余計に血の流れを強く熱く感じた。

 トイレを後にして、人混みに紛れながら飲み屋の中に見えた時計は21時を指していた。悪くない時間。目に入った日めくりカレンダーは、金曜日。花金。これは身を隠すには有利な要素。最初、視線を下に向けたまま彷徨っていた霧野だが、徐々に頭が上げっていった。もし万が一この繁華街で誰か見知った者に見つかったとしても、人のごった返した狭い路地だ、地形を利用して潰せるし、逃げおおせる自信がある。こそこそしている方が浮く。堂々と行け。道の中心を。霧野はまだ興奮醒めぬままの顔に、うっすらと汗まで浮かべ、ぎらついた瞳をしていた。それでも、この時間の酔客の中に紛れれば、違和感はない。霧野はなるべく混雑し一人客も多い店を選び、腰を落ち着けると、適当な酒を頼んだ。一般人の叫び声笑い声、そのような雑踏の中でようやく夢から覚めたような気分になってきて、頭が少しずつ冷静さを取り戻し始めた。ジャケットのポケットに突っ込んだままになっていた手を財布と一緒にテーブルの上に出した。

 あのバイクとこのジャケットは意図して置いてあったと霧野は感じていた。小屋から出た時、進むべき方向が、バイクの光で示されていた。まっすぐ光の方へ進めば、ジャケットのかけられた、ライトのついたままのバイクが停車しており、その向こう側にうっすらと獣道が開けていた。ジャケットの中に在ったペンライトで地面を照らせば、バイクの車輪の跡と二条が付けてくれた足跡で、進むべき方向が分かった。普通、ジャケットを脱いで置いていくにしても財布や携帯、鍵などは身に着けて離れるものだ。それらをそのまま残して間宮はバイクに目立つようにかけて置いていった。

「……、……。」

 財布を開き、中を見た。現金4万4千円2百16円、カード類、茶封筒、レシートの束、運転免許。霧野は光に照らすようにしながら、目を細めて運転免許証を見た。ここ数日で腐る程見慣れた、顔。しかし、横に並ぶ名前が、知っている名前と一致しない。二条が「穂君」と言ったことを思い出す。当初からは打って変わった、不可解で奇妙な協力的言動、今日の二条と霧野に対する、今までの間宮であれば絶対にあり得ない態度、……、……。

 運ばれてきた酒に手を付ける気が起きない。鼻の奥の方がむずむずとしてくる。免許証をしまう。キーケースの中に、4本の鍵。内、1本は事務所の地下室の鍵。間宮、いや、黒木が「鍵まで変えてあった。入念なことだよな、まぁ、俺には関係ないことだが。」と言って見せてきた、石膏で型をとって作ったお手製の鍵である。同時に鍵を作る方法も空いた時間に聞き出し、黒木は霧野の質問にはすべて的確に答えた。霧野が地下室の扉の前まで行った際、万が一新たに鍵がかえられていたとしても、霧野一人で対応できるよう練習までしてある。何度やっても黒木の倍は時間がかかってしまい、霧野は口惜しがっていたが、そんな霧野を見て黒木は「初めてにしては素晴らしい上達だと思うよ、十分。」と霧野の肩に触れ、にやにやと上から笑っていたのだった。それがまた頭に来るのだが、敵わない。

 キーケースをポケットに戻す。自由。このままほとぼりの冷めるまで、身を隠すという手を考えないでもなかったが、ここまでお膳立てされて、あのような逃がし方をされた霧野にとって、計画を放棄、やらないという選択肢はもうほとんど霧野の中ではあり得ないことになっていた。計画への執着、精神的に燃え視野が極端に狭くなっている状態なのだが、燃えている本人は気が付かない。

 しかし、大丈夫だろうか、黒木は、と霧野は思わない訳にはいかなかった。人の心配をしている状況ではないのはわかっている。今更、あそこに戻ることも、不可能。どういう決着であれ、全てが終わっているだろうし、あの小屋の周辺はもう、危険すぎてとても近寄れない。それに、黒木からされてきた所業の数々を、忘れたわけでもない。
 ただ、それでも、今だけは、心をすぐさま切り替えることが、どうしても、どうしても、できないのだった。今までで一番自由の身に近い状況だというのに、霧野の心の中に今までに無い程、暗い影が広がった、一人であるということの不自由を、感じたのだった。
 


 ようやく川名が目の前に現れた時、美里はとても口が利けるような状態には無かった。
 あれほど会うことを切望していたはずの川名だと認識するのに通常の5倍以上かかる程に、疲弊が激しく、声が出ないのだった。しかし、段々と川名が言っている声は耳から頭に入ってくる。つまり、服を着て、外に出ろ、ということを繰り返し、子どもにあやすように言っているのがわかってくる。自分の手足がいつの間にか自由になっていることを確認する。

「じゃあ、外で待っているから。」

 気が付くと扉が閉まっており、紙袋と共に、がらんとした地下室に一人残されていた。時間をかける程に、後から面倒なことになる。紙袋の中にクリーニングされた自分のスーツが一式入っていた。強烈過ぎる既視感、デジャヴ、自分が、霧野に与えたのと同じ状況。

「……。」

 着替えて自分の足で歩き、外へ出た。真昼間、光が眩しい。階段の頂上に佇む黒い影が、美里に向かって何かを投げ落とした。車の鍵だ。それも、美里の車の鍵である。修理が終わったらしい。川名の元まで上がっていくだけで、息が切れた。川名は美里が口を開くより先に「ああ、地下だとついわからなくなるが、お前かなり臭いな。先に中でシャワー浴びて来いよ。」と有無を言わさぬ調子で言って腕時計を見た。
「ま、長くて15分だな。」
 視線。三百六十度あらゆる場所から視線を感じ、無意識に全身に鳥肌が立っていた。だから、何だって言うんだ。美里は、はい、とも、何とも言わず、速足で事務所の中、最短のルートでシャワー室へ向かいかけたが先にトイレに入り二度ほど嘔吐して、シャワー室へ向かい、シャワーを浴び、歯を磨き、再び外に出た。川名が先に美里の車の後部座席に乗って、ドアが開きっぱなしになっていて、手元で何か書いているのが見えた。美里が近くまで行くと、顔も上げないまま、本部へ向かえと言う。今の美里に運転させようというのである。

「俺が、アンタを連れて、全然違う場所に行く可能性って考えないわけ。」

 ようやく出た声は、掠れていた。川名は目も上げず「考えない。」と言った。それきり、何も言わない。

 言いたいことは山ほどある。弁解したいことも、あるはずだった。運転席に乗り込み、車の全てのドアを閉める。
 川名は、口火を切ろうとしない。まったく普段通りに振舞っている。いや、普段以上に冷淡かもしれない。車を走らせながら、美里は頭の中を整理しようとしたが、上手く回ることはなく、腹が立って熱くなるばかりだ。

「………、俺に、何か、言いたいこと、聞きたいことが、あるんじゃないですか。」

 美里は運転しながら、川名に問いかけていた。川名はやはり目線一つ上げず間髪入れずに「特にないな。」と言いはなって、そこには”五月蠅いな”という気配さえあった。川名の言動の全てが美里の気に障った。赤信号で止まる。貧乏ゆすりが止まらない。あー……と美里は頭をハンドルにつけるようにうつ伏せ、呻くように声を出した。

「……特にない?特にない、ねぇ。ああ、ああ、そう。そうすか!じゃああんなとこから、出せよッ、はやく、」
 一瞬の沈黙。美里は頭を上げ、ミラーの中の男を見た。目は合わない。ずっと何か書いてる。
「出してるじゃないか、こうやって、今。不満?」
「あ?じゃあ、終わりってことかい。これでもう。」
「終わり?あの程度の些末事でもう頭が沸いたか、つまらないこというなよな。終わらせるわけないだろ、あれくらいのことで。」
 ようやく川名の視線があげられたが、その気だるげな瞳は美里ではなく、窓の向こう側の景色を見ていた。
「信号が青になったぞ。ところで、もう少しスピードを出せ、約束の時間に遅れる。」

 結局、美里は川名の言う通りに加賀家へと車を乗りつけ、川名と行動を共にすることを求められるのだった。

 すべて、全く意味不明。ビジネスの場、勉強、まだそういうことを俺にさせる気があるということだろうか。どうかしてるよ。だって、信用問題じゃない?俺みたいな反逆者をまだ熱も冷めてない内に、近くで以前のように側近同等に使役してそれを見た他の組員がどういう感情を抱くのかわからないのだろうか。そこまで人としての感情が欠落しているとでもいうのか。終わりだよ終わり。

 ビジネス、人脈、会議も半ばというところまで、川名の背後に控えさせられていたが、何一つ頭に入ってくるものは無かった。肉体疲労による強烈な眠気と、数多の男の視線。顔を上げると、誰かしらと視線が合う気がする。というか、合うのだ。今までもそうだったが、もう何も気にならなくなっていた。それが、今は特に人の視線を感じて、身体が痒いのだ。もう何も思わなくなったと思っていたのが、再発した。情けが無い。そう思って無理にでも顔を上げると、喉の奥がぐぅと締った感じなり、また伏し目がちになる。つい、伏し目がちになると、更に無遠慮な視線が身体全身を刺すように感じる。発汗する。もう、これ以上、人前に、出ていたくない。これか?これを俺に感じさせたくて、連れて来たというのならば、川名の意図のほんの少しくらい、分かったような気もする。

「聞いてるか?」

 は、と頭を上げると会議は小休止となり、川名が美里の方を向いて立っており、正座したままぽかんとした表情をした美里を冷めた目で見下げていた。

「ちょうど今、澪様が帰ってきたらしいから、遊んでやってこい。」
「……。」
「あまりにうるさいからな。お前がいいと何度も何度も。駄目だと言っても聞かないんだから。だからまだ出すべき時期じゃないのに今日は特別に出してやったんだ。だが、本家の関係者に気に入られるということは、実に良いことだ。以前から、お前を指名している外部の人間はいないわけではないんだ。だが、丁重に断ってきた。それは俺にとってもお前にとっても、プラスにならない、良くないと思ってのことだ。でも今は、状況も何もかも違うし、相手が相手だからな。どうした?顔色が悪いな。もう少しくらいしっかりしろよ。」
 
(顔色が悪いだって?はァ~~~~??????????当たり前だろッッ!!!!!!お前のせいなんだからよッッ!!!!今の今まであんなことさせておいてどの口が……。)

「わかりました。それではしばらく外します。」

「あまり気を悪くさせるな。うまくやれ。……もしも、まぁ、お前のことだ、無いと思うが、万が一、後で本人の口から俺の元に苦情がくるようなことがあったら、今日から少なくとも3日はまともに寝れると思うなよ。」

 美里は返事もそぞろに会議の座から外れた。なァ~にが3日はまともに寝れると思うなよ、だ。死ね!澪の待つ部屋までの廊下をゆっくりとした歩調で、歩いていった。中庭に木漏れ日が射している。異様なほどに静かで、嘘のように穏やかである。

 このまま、全てほっぽり出して、帰ってやろうかな。まぁ、そんなことをしたところで、すぐに見つかって今まで以上に酷い目に遭うだけの話。ここまで一見すると、まるで川名とふたりで車でやってきたように見えるが、実際は違う。同じ組の車が三台も別働でこれみよがしに付いてきていたし、駐車場にも止まっている。顔の知った構成員が待っている。裏口もきっと同じことだろう。どの組も、見張りを外に控えさせていることが多いから、多少人数が多く屋敷の周りを構成員がたむろしていても別段おかしいことではない。

「…………。」

 ところで俺が霧野だったら、この状況でどうする。思考を放棄せずにたまには逆に考えてみよう。どうせ、どうにもならない状況なんだから。そうだ、澪に取り入ってみるというのはどうだろう。別にこの道具、少しくらい肉体を使ったっていい。単純な権力という1点だけで言えば、川名より上、年端の行かない糞ガキには違いないが、現に川名が頭が上がらない人間の1人であることには違いない。今までは全く興味が無かったが、今となっては話が違ってくる。絶望するな、これは寧ろ好機、川名が俺を見くびっているが故に生まれた好機だ。……、駄目か?微妙か?でも霧野ならこの位は考えるだろ。しかし、まだ見つからないでいるらしいな。よくやってるよ、本当。美里が心の奥に無意識にほんの少しのやすらぎを覚えている内、件の部屋の前についていた。

「…………。」

 普段のように何も考えず無の心で、失礼します、と入っていけばいいのに、今日はなぜか身体が強張った。日向をのんびり歩きながら腑抜けたせいだろうと、美里は思った。同時に予兆、嫌な予感、が頭の中に警鐘を鳴らす。美里の直感は高確率で当たる。それで難事を切り抜けたこともある。襖が、中から勢いよく音を立て、開いた。

「……。なァんだ……居るんじゃないか……。どうして直ぐ入ってこない。」

 澪が、目だけで微笑んで立っていた。本当に今今学校から帰宅したばかりらしく、全ての光を吸い込むような濃紺色の名門校の学生服を軽く着崩していた。澪は踵を返し、部屋の中へと消えた。追従するほかなく、中へ足を踏み入れ後ろ手に襖を閉め、その場で立ったまま、澪を思わず苛立ちを隠し切れない感情を伴った表情で見てしまった美里である。さっきまで取り入ってやろうとまで考えていたのに、いざ本人を前にして、その考えが吹っ飛んでしまった。せめて気が付かれていないことを願い、感情を奥へ奥へと落とし込もうとする。”私などをご指名いただけるなんて光栄ですね”と澤野なら、お追従の一つでも飛ばし、奇麗な顔を作ってつらつらと嘘八百並べ立てて相手の中に入っていくのが想像できる。今さら同じセリフを言ってみたところで、嘘にしか聞こえないに違いない。

「……だって?」

 澪はくつろぐようにしてテーブルに肘をつき、胡坐をかいて畳に座し、美里を見上げていた。前半部分がうまく聞き取れず、思わず「は」と聞き返すと澪は、川名にも似た笑みを浮かべて、「だからァ、……折檻受けてるんだって?」と言ってのけたのである。

 美里が絶句したまま茫然自失として立っているのが面白いのか、澪は、美里が澪に顔を合わせてからほとんど口をきいていない「失礼します」の一つも言わないで居るのを別段咎めず、気の良い調子で「何故知ってる?とでも、思ってるのか。ああ、別に川名さんから聞かされたわけじゃないよ。念のため言っとくけど。」と言った。

「はい、でも、大したことでは無いです。」

 美里は、ようやくいつもの調子をとりもどし、つい、そう言ってから、澪を見た。そして、やられた……と思ったのだった。澪の顔の上に、驚きと愉悦の入り混じった混じった表情があからさまに現われたからだった。とどのつまり、カマをかけられたのである。本当のところを何も知らない澪が、美里の様子を一見して、もしや川名から懲罰を受けている最中なのではないかと仮定して、さも知っているかのような口の利き方をしたまでのことである。

「そう、大したことないなら、それは良かった。川名さんは、どうも、やりすぎるところがあるから。」
 澪は柔和な笑みを浮かべた。
「……ええ。そうですね。」
 どことなく、すべてがぎこちなくなっていく美里である。一度調子が崩れると、持ち直すのに時間がかかる。
「ふーん。なぁ、本当に、大したことないの?俺が、直接、彼に言っておいてやろうか。あんまりいじめてやるなってな。」

(こ、こいつ……!俺が、本当は、俺がお前を操ってその言葉を言わせたかったんだ、が、まるで駄目、逆。)

 美里は無表情に「いえ、本当に、大丈夫ですから。」と立ったまま、せめて気丈にふるまい続けた。澪が一向に座れと、わざと言わないから、座れないで部屋の縁に立たされたままでいるのだった。

「本当か?美里君、俺や川名さんに気を使ってるんじゃないのか?……。まさか、俺に、嘘を、つく気じゃないだろうな。そんな気遣いは要らないんだ、全然。辛いなら辛いと言えよ、俺だけには、そう言ってくれ。」

 美里が言葉を探して、何も言えないまま、視線がほんの少し泳ぎかけるのを澪が、見逃さないはずはなかった。

「……美里君。」
 美里は、ハッとして再び澪に視線を合わせた。
「口で言えないなら、直接見た方が早いね、俺の言ってる意味、わかるよな。」

 わかるよな、には有無を言わせない調子があり、美里には”わかった”。しかし、従いたくない。こっちが食ってやろうと思っていたはずなのに、もう始めから完全に相手のペースに飲み込まれてしまって、何とか巻き返してやりたいと思う。

「わかりますが、お目穢しさせるだけ、」
「いや、全然。見たいんだから、俺が。それで、お前が言ってることが、本当かどうか、確認してやろうってこっちが譲歩してやってるんだぜ。いいか、俺が、お前に、譲歩をしてるんだぜ。」

 そう言われてしまうと帰す背が無い。澪が手招きする。その方へ黙って歩を進めると彼は美里の目の前で勢いよく立ち上がった。

「ほら……、もうこの距離で、わかるんだから。」

 美里のシャツの隙間から見える胸元、首にも隠しきれない挫傷痕がある。

「ま、でも、この程度ならまだ、喧嘩でした、カチコミでした、とでも、お前らみたいなのは言い訳がきくよな。でも、念のため、全部見せてくれよ、大したことないんだよな?だったらなおのこと問題無いだろ。恥ずかしいのか?……。男同士だぞ?それとも、お前には、俺に対して、恥の感情が存在するのか?……だとしたら、面白いことだ。愉しかったもんな、この前。」

「……。……。」

 美里はこれ以上このガキにかける言葉を見つけられないという風に、あからさまに眉をしかめはしたが、澪は表情一つ変えず、真っすぐどちらかと言えば嬉々として美里を見ていた。結局、黙ったまま、逆らうこともできず、また、澪のすぐ目の前で服に手をかけ始めた。会議の間中、発汗していた身体が、余計に熱く濡れ、発汗し始めていた。傷に染みる。肌が露になる度、澪の視線が痛いほど身体に突き刺さってくる。見るなと思う程に、痛くなる。微かに美里の表情が歪むのを、澪の瞳が、じっと、獣のような色で、見つめていた。

「おいおい、話と違うぞ、話と。随分酷いように見える。」

 澪はそう言ってその場にゆっくりと始めのように座りなおし、下から美里の身体を無遠慮に眺め始めた。

「震えてるな。立ってるのもしんどいか、いいよ、俺の横に座ってごらん。なるべく近くに。」

 美里は衣服をよけ、澪の方を向いて正座して座り、俯き、畳の目を数えるようにして眺めていた。しばらく無言の時間が経過する。その間にも滑らかな、しかし、傷ついた美里の皮膚の上に、猫の毛の逆立つように、ぷつぷつと鳥肌が浮き上がっていった。

「どんなことされた?」

 先に沈黙を破ったのは澪の方だった。美里が答えを思いつくより先に、澪が続ける。

「ああ、気が利かなかったな。悪い悪い。お前は自分より立場の上の人間には、正直に物を言えないんだった。まぁ仕方の無いこと、この世界でよくある話。気持ちがわからないでもない。でも、正々堂々と俺に平然と嘘をついておいて、今更、お前の口から出た言葉の何を信用しようって話になるのも道理だよな。俺が言ってること、間違ってるか?間違ってないよな、何一つ。だから、俺がお前の代わりに答えてやるよ。なぁ、さっきから下ばっかり向いて、面白いか?俺の方を見ろよ。まだ多少は面白いかもよ。」

 美里が顔を上げると同じ高さに澪の視線が交差した。年頃の男子高校生にしては艶やかで青白く薄い皮膚、近くで見る程に、彼の内側にとてつもない冷酷さを示しているように見える。瞳は、子どもっぽい好奇心の中に、異常な冷たさの入り混じって、それが射抜くように美里の瞳を覗き込んでいたのだが、胆力の強さで勝てない美里でもない。澪の双眸が驚きそれから微笑みに目まぐるしく色を変えていった。

「美里君がここに来るとこの野蛮な、息苦しい空間の中で、そこだけ唯一花が咲いたようになるんだな。俺のクラスメート、学校にいるすべての人間と比較しようとしたってきっと同じことだ。そんなお前が、一体どんなことをされてきたのか、至極簡単な想像。リンチだけにとどまらず、そのまま輪姦されるくらいは、当然にされたろう。サイヤバだしな。ああ、サイヤバとは、”最もヤバい”ではなく”最も野蛮”の略ね、今俺が考えた。そう、サイヤバだからな~、美里君たちのとこは。そしてその延長で様々な性的制裁が行われただろうな。どお~?当たりィィ~?」
「……。あはは。ふーん、そうかもね、でも……、だったら、なんだって言うんだ、それがどうした。」
「そうだな、答え合わせしたいから、四つん這いになって俺に尻を向けて見せてみろよ。」
「……。」
「嫌とは言えないよなお前は。立場上。」

 美里は重い腰を上げ、苛立ちに身体を震わせながら、指示された通りに澪に身体を向け、畳に肘をついた。尻に何か温かい物が当たる。すぅ、と息を吸って、もう無暗に抵抗することは止そうと決めた。靴下の裏側が尻に押し付けられて、つまり、背後に座っている澪に足で尻の肉を、押し開かされている。美里は屈辱感に余計に頭をさげ、握りこぶしの中に立てられ爪が、自身の肉を抉る程に強く突き刺さり、どくどく熱を帯びるのを感じた。

 直接冷たい空気に触れさせられた肉蕾が、美里の意志と関係なく、押し広げられ、口を開いてひきつり、治りきってない裂傷痕が血こそ流さないが、やはりその傷口を大きく開いて、じんじんを熱を伴って痛み始め、肉の奥、中の方からシャワー室で出し切れていなかった泥のような液体が微かに滲み零れ、ごく最近そこに陰茎が挿入されたことが、誰が見てもありありとわかる様相。足の指が、摘まむように尻の上を這い、押し広げられる時間が長くなるほどに、美里の下半身、顔、手の中、と順々に身体が、燃えるように熱くなった。踏み、踏み、靴下が尻の上を撫でるように進んだと思えばまた肉を開かされ、その下でぶらぶらと所在なく雄が揺れた。生温かい靴下の底面が、そこを、つまり美里の雄をめがけ、時々意図的に擦り上げるように動いて、だんだんと物理刺激で美里の雄の様子もおかしくなり始め、状況も伴って身体が反応するのだった。透けるような皮膚の内側から真っ赤になった顔、息が上がってくる。背後で、小さな笑い声がするのが耳を擽って、煩い。澪は初めてまじまじと男の身体、恥部を見続け、飽きることを知らなかった。少し足で虐めてやるだけで、本来は排泄孔である恥部が膨らんでひきつったようになった。

「う゛………」
「正解、正解、大正解。川名さんも酷いな、俺にこんな面白い話、黙ってるんだから。」

 脚がどき、美里の背後で、男の、雄の、立ち上がる気配がある。美里が、このガキにまで、犯されるのでは、あり得ない、という防衛本能から反射的に咄嗟に身体を起こそうとした瞬間、正確に股間を撃ち抜くような衝撃と破裂音が響き、美里は言葉を失って、目の前に手をついてつんのめり、震える手が握りこぶしを作って、畳の上を滑り、耐えた。じんじんと火花が散るような痛みが追って身体に響いて来る。さらに、尻をぶたれるという最悪。小さく呼吸と共に呻き、這った姿勢のまま背後を振りかえった。

 制服からベルトを抜き取った澪が、さっきまで打って変わって無表情になって佇んで「誰が動いていいと言ったんだ。」と冷めた口調で言った。シュッという音が空を切り、ベルトの革の部分が美里の雄、淫花、肉を打っては戻っていく。耐えた。その内尻全体が重くだるくなり、熱を帯びはじめ、腫れはじめた。また、打たれた衝撃で身体が前につんのめる、横に手がずれる。

「今また動いたな。全然駄目。」と、強く打たれ「そんなだから折檻されるんじゃないのか?」とねちねちした追及が止まらないのだった。小さく喘い喘ぎしていた唇の端から露が一筋垂れて畳を汚すと、今までで一番強烈な一撃が股間をぶち抜き、つい耐えきれず、高い声を上げ、畳に猫のように美里の爪が立って、ゴリゴリと音を立て削りえぐり青草色をした畳に深い傷をつけた。身体ががくがく震えて止まらなくなっていた。漏らすまである。が、そんなことになったら、確実な騒ぎになる。というか、するだろ、こいつ。

「ぁ゛……っ、ぐ……」

 身体がもたず、正しいと思われる姿勢を保っていられない。

「美里君、さっきから何してん?打つたびに酷くなるとはな。とんだ駄馬だよ。自覚あるか?無いようだから教えてやる。」

 澪は吐き捨てるようにそう言ったかと思うと、静かな手つきでベルトをテーブルの上に置き、和室にそなえつけられたクローゼットの方へ向かった。そして中から、普段であれば澪が絶対触らないような、使用人が屋敷の掃除のために使うのであろう、ピンク色をした、先の別れた束のようになったハタキ、手ごろな掃除道具を取り出した。持ち手の部分とハタキの部分が半々程合わせて25センチ程ある。澪は美里の背面にしゃがみこみ、ハタキを本来と逆さに持ちかえ、徐に美里の尻を掴んだかと思うと、持ち手の部分を、強引に美里の淫花の隙間に押し当てた。美里の腰が逃げ、動くたび、澪はハタキを床に転がし立ち上がって、再びベルトを手に取って、ほとんど無言のまま動物にするのと同じように根気よく、美里の腰から下の部分を徹底的に打ちこんで、戦意喪失させてから、再びゆっくりとした様子でかがみこみ、同じ動作を繰り返す、できるまで、繰り返す。無言のまま。微かに、美里の小さな耐える声が響く以外は、打擲の音。ようやく、美里は姿勢を固定させ、その淫花は、ハタキの持ち手の底部を最初こそ入口の筋肉の抵抗で拒んだものの、一度先っぽが入ってしまえば、後はぬるぬると真っすぐ奥まで入っていくのだ、が、また腰が逃げる。澪は今度はベルトを手にする代わりに、ハタキの避けた束の部分を指先で軽くつまみ、引っ張った。

「うぁ……、ぁっ」

 ずる、ずる、と、一面美里の汁に濡れ、ゼラチンのような腸壁の破片のこびりついた掃除道具の持ち手が引き出されて、苦い香りが部屋に充満した。抜けるか、抜けないか、というところまで、ねっとりと吸い付く肉の縁の、そのギリギリまで引き抜いてから、澪はその棒を再度勢いよく奥に押し込んだ。美里が悲鳴に等しい声を上げた瞬間に、立ち上がりそのまままた尻を思い切りベルトで打つのであった。頭が真っ白になる。震える美里の真っ赤に腫れた尻の間では淫華がきゅうきゅうと瑞々しく肉を痙攣させながらハタキをしっかり奥まで咥え込んで、身体の揺れるたびに馬の尻尾さながらに、ばらばらと揺れる。先の割れたハタキの部分が尻から突きあがり、下へと垂れ下がっていた。硬い芯の入ったこの掃除棒が、美里の朝から晩まで酷使された肉筒の奥まで真っすぐ、ぎちぎちに、まるでそのための筒とでもいうようにぴったり嵌り込んで、少し動くただけでも、敏感に腫れあがった肉の中を刺激するのに、外から打撃をくわえられてはたまらない、余計に身体が引き締まり、鳴いてしまう。呼吸1つでも、体の細胞が動きズレていくような感じなのである。耐えなければ、場所が場所だ、あまり、大きな声も、出せない。

「いいか?1cmでもそのダサいモップ、いや、俺がお前に授けてやった最高にカッコイイ尻尾を外に出してみろ。その恰好で、廊下を這って歩かせてさっきまでお前が居た広間まで戻させるから。その恰好のまま会議にも出て、そのまま帰れよ。あは!至極最悪だな!しかもこれは、もう、お前だけの問題じゃない、川名さんがどう思うだろうな。それから、他の連中がお前らのことをどう思うかな。組の評判も落ちるなんてもんじゃないよ。」

「………、………。」

「こっちの手が痛む程、根気よく打ってやっただけあって牝馬らしく尻が盛り上がって、かっこいいザマだよ、美里君。これで……、もっと下賤な牡馬共にモテるようになるに違いないね、良かった良かった。それにしても、興奮しすぎじゃないか?前代未聞だ、この家の畳をお前風情がそんな風に汚し散らして。どうする気?……、と、本来なら言いたいところだけど、今の美里君は俺の牝馬だからな。動物が多少汚らしいのは仕方が無いことだろ。人間の方が我慢すべきこと。なんだ?さっきからがくがく震えて。ああ、歩きたいか、牝馬。いいよ、テーブルの周りをぐるぐると休まず歩いてろ。俺は少し外すが、勝手に脚を止めるなよ。」

 澪が部屋を出ていく気配、美里は言われた通りテーブルの周りを歩き続けていたが、尻尾が動く度、出そうになる度、膣を引き締める要領で身体を引き締めて歩くしかないものだから、その度、屈辱感と相まって、頭がチカついて、真っ白になって、雄も、中からの硬い刺激でいつの間にか透明な汁でふるふると濡れ始め、畳も無遠慮によごしはじめていた。爪を立てたせいで抉れた畳、涎と、淫液で濡れた畳の面が、テーブルの周りをてんてんと囲んでいる。美里は自分のことに必死だった。だからいつの間にか澪が戻ってきて、部屋の端で美里を眺めているのにも気が付かず、俯きながら這い歩きの1人パドックを続けた。ドスンと背中に重みを感じてようやく澪が戻ってきたことに気が付いたほどだった。ついに美里の堪忍袋の緒も切れようというところで、口に、徐に澪の指が入り込んでき、喉を器用につき、声の代わりに反射的に出た暴れ逃げる舌を器用に捕まえ引き出したかと思うと、二本の棒状の金具で美里の舌を挟みこみんで、掛け金でとめたのだった。下が引き出されたまま引っ込めることもできず、話すことはもちろんままならず、挟まれた痛みも手伝って涎がだらだらと、垂れっぱなしになる。金具の両側にリングがついており、そこに紐が通され、ひかれると、頭ごと持ち上がった。美里は、なるほど、と、もうほとんど正常に働いていない頭の片隅で冷静に、澪の立場に立って、思うものがあるのだった。これは馬に騎乗する時に馬に噛ませて引き綱をつける、ハミに近い、わざわざ作ったのだろうか、まぁその位の金はあるだろうが、それともこういうものがもともと販売されているのかな、どちらにせよどうかしてるよ。数多の変態との遊びにつきあわされてきたが、面白いよお前、余ってたら1個くれよ、俺にも使ってやりたい奴が、一人だけいるからな。美里の頭は思考を放棄し、だんだんと鈍く怠く重く、沈んでいった。熱い。馬の体温も相当高いと聞いたことがある、と思いながら、舌の出され閉じきれない口ではぁはぁと息を整え、頭の中で澪をなじり、歩き続けた。時々また気紛れに身体を打たれ、耐え、澪を振り落とさないように、また、澪の体重で潰されないように、腕に力を入れた。メリメリと腕に血管が浮き出た。ああ、だるい、でも、いい、いい、つきあってやるよ、それで機嫌がとれるってなら、付き合ってやる、あーあ、どこまでいっても、どうしようもねぇ変態ばっかだな。澪の丁寧な罵詈雑言を聞き流しながら、打たれ、痛みと共にくる甘やかなものを否定するように、美里はわざと自分で自分を痛めつけるように、ずんずんと威勢よく歩き回った。

 美里の上から澪が降りたのは、時間にして対面してからきっかり一時間後であったが、美里にはもっと随分長い時間に感じられた。口元の装飾を外され、タオルを投げ渡され、裸のまま、まだ尻に疑似尻尾を突き立てられたまま、澪の足もとで、自分の蛞蝓通った道のように汚してきた汁を拭いて回り、これで、爪を立て、ささくれ立たせた畳以外の部分は元のようにキレイになった。澪は部屋の隅に座って手元でさっきまで美里に嵌めていた人間用のハミを手入れしていたが、美里が近くに寄ってきたのを見て、それをポケットに滑り込ませて立ち上がり、部屋の様子を見まわした。

「ああ、奇麗になった。あそこの、畳のささくれ以外は元の通りだな。」
「申し訳ございませんでした、一畳、弁償のお金位、俺でも出せます。部屋の畳を総取り換えしたいとおっしゃるならそれでも、もちろん出せます。出させていただきます。」

 美里は早く終わりたい一心で、ただ機械的に言ってのけ頭を下げていた。実際その位の金は簡単に出せる。
 
「金?いい、そんなの、どうでも。燃やしたって余る程ある。」

 澪はまだ自分が押し込んでやったマヌケな尻尾を突き出したまま足元に居る細身の男を見降ろして許されるならいつまでもこれを手元に置いて遊んでいたいと思ったほどだった。しかし、川名がそう簡単に手放すとも思えない。

「そろそろ、川名さんのところに戻りたいだろ。」

 澪の言葉に、美里は返答に迷った。はい、と答えるべきか、当初考えたように、澪に取り入るために、まだ一緒に居たいですと擦り寄ってやるべきなのか、しかし美里の心は再三の想定外の澪の仕打ちと、自分の身体の反応に疲弊、殆ど折れかけており、は……と答えかけ、しかし、口をつぐんだ。今のように澪のところに居るのはもちろん嫌だが、別段川名の元にも戻りたくも無いのだった。戻ったところで、空疎な会議を消化し、川名を送り届けたら自分はまた、地下に戻るだけなのだから。

「わからない……」

 美里がそう言うと、意外にも優し気で快活な笑い声が帰ってくる。とてもさっきまで冷酷に粘着質に人を蹂躙していた男の口から出てきた笑い声とは思えないのだった。

「正直になってくれて結構だぜ、嬉しいよ、美里君。そりゃあそうだよな、だって組の中で折檻されてる最中なんだろ?そりゃあ戻りたくないよ、かといって俺に散々された後に、ここに居たいとも口が裂けても言えないよな、嘘過ぎるからなァッ!!あははははッ!!……そうだな、美里君は今、正直になったし、俺の遊びにつきあってもらったわけだし、俺の言う条件をクリアしたら、二三日か、可能なら一週間でも、この家に居られるように、俺からはからってあげよう。それで美里君の身体、心の傷が治るとも到底思ってないが、多少の休息にはなるだろう。別に俺は俺でその間、今みたいなことは決してしないよ。本当だ、二言は無い。どう、悪くないだろ。まぁ、話し相手くらいにはなってほしいけどな。じい様を除けば馬鹿しかいねぇからな、この家。」

「……。なるほど、で?何です、その条件とかいうのは。」

 澪は美里の前に屈みこんで、変わらず爽やかな笑みを浮かべたまま言った。

「その馬鹿みたくケツにぶっさしたままになってる掃除道具を使っていいから、俺の目の前でイッて見せてくれよ。つまり俺の目の前で、男根を触らないまま穴使ってイけってこと。見たことないし、まぁ、今までそんな穢いもの、見たいと思ったことも興味も無かったんだけど、美里君のなら、見たいし。……。できるだろ?」
「……、……。」
「美里君、怖い顔してるけど、別にやりたくなかったら、もしくはできないのなら、やらなくても、俺は全然かまわないんだぜ。そのままそれを俺に返してくれ。そうしたら、そのまま、川名さんのところに戻っていいんだから。……でも、もしかしたら、もう2度と俺はお前には会わないかもしれないよな。だって……、期待外れなんだから。期待したらした分、失望もデカいんだよ。時間を無駄にした、とな。ああ、もしかして、そっちの方が美里君にとっては嬉しいのかな……?一生、川名さんの下で、こき使われている方が……。」
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