地獄

四ノ瀬 了

文字の大きさ
上 下
2 / 15

ED

しおりを挟む
 果歩とは、大学のサークルで知り合った。果歩が一つ先輩である。常に頭の悪い男達が周囲に立ち現れ、彼らに辟易しているようだった。最初から俺達は馬が合い、自然と結婚を前提とした交際に発展した。両家、舞阪家と本郷家に挨拶も済ませていた。俺は小さな会社を経営し、果歩は大手貿易会社で働いている。 

 手製の料理を運んでくる彼女に微笑みかけた。最近では、美味しいはずの料理の味がしない。ついに味覚まで俺は「正常じゃなくなった」か。それでもまだ果歩のことを好きだと思うから、心というのはタチが悪い。
 
 果歩のことをいくら好きだと感じていても、性行為で感じることができない。ベッドの中で勃起させるのは至難の業であり、俺にとって彼女との性行為はただただ、苦痛でしかない。しかし、それを言い表したり、顔に出してしまえば、彼女は傷つき、泣きだし、喧嘩になった回数は数知れなかった。喧嘩の度、俺の雄としての自信が失われていくことなど、彼女は永遠に理解しない。他のことなら全て理解し合える俺達が、その点だけですれ違い続けた。
 
 俺の死ぬほどの努力を、彼女は認めないし、理解しない。
 愛し合う男女だったら、性行為が出来て当たり前、感じて、気持ちよくて当たり前。
 貴方がおかしい。きっと、私のことが好きじゃないから。
 
 毎晩ベッドで泣きたかった。果歩ばかりが泣いて怒っていた。一言でも、苦しいなら無理しなくても良いと、言ってくれれば俺は救われるのに。永遠にそんな気配はない。「頭のおかしな俺」が「正常」にならないといけない。果歩のことが好きだから、努力しないと。

 SNSを更新し続け、この世の幸福を確かめた。フォロワーはどんどん増える。俺は周囲の誰よりも「恵まれている」。父と母の自慢の息子であり、弟と妹からは自慢の兄として彼らの異性の恋人に紹介される。家族も親族も皆優れていて、幸せだった。

 よく不平等を口にする屑がいるが、お前は少しの努力でもしたのかよ?と言ってやりたくなる。口だけならなんとでも。仕事も順調だ。Webマーケティング会社を立ち上げ、ある程度の財を成した。立ち上げ初期の忙しい時期も越え、自分の時間もある程度は持てるようになった。SNSでのつながりから仕事も増え、いいこと尽くし、ただ、勃たない。

 繰り返される喧嘩の果てに、いまやもう、果歩に身体を触られるだけで、頭痛、吐き気を催すようになり、それを一切表面に出さないように努力した結果、何でもない時に涙が溢れ、果歩にどうしたの?と心配される。一番好きな人に、一番言いたい悩みを言えない。傷つけるようなことを言えるわけがない。だって、俺が普通じゃないのが悪いんだから。
 
 もし神が居るのなら、何故俺をこの世界に遣わしたのですか。こんなに苦しい思いをさせるため?苦しみは、神からの授け物だという。俺は幸せになってはいけないの?ただ普通になりたいだけ。努力して、努力して、努力するから、ここだけを治してくれないか。俺の最悪の、ビョーキを!

 「果歩さんとはお盛んか?」そんな冗談を言ってくれる友人もいる。

 清水は、中学時代から、付き合いの唯一続いている友人だった。高校や大学には彼のような品性の劣る人間は居なかった。俺は清水に言う、もちろんだと。家にいて、どちらかが立ち上がるたびにFUCKしてるよ、と軽口叩くのだ。清水は「善ちゃ~ん、お前は相変わらずだな~安心したぜ!」と俺の肩を抱いた。俺は心の中で清水をなじった。お前も相変わらず最悪だよ、なあ……、お前また殴ったんだろ?彼女……。清水の彼女のマチコとは何度か顔を合わせていた。しかし、彼らも長いのだ。マチコの身体には常に痣があった。

 清水の家に遊びに行き、清水が外した時に、どうして付き合っているのかマチコに聞いた。マチコはくすくすと顔を伏せて笑って「善太郎さんだって、清水なんかと仲良くしてくれてるじゃないですか。あの人いないんですよ、他に。」と言った。返す言葉が無かった。唇に血が滲んで良い赤をしていた。

 果歩に優しくされる度、負い目がある俺は、笑顔のまま彼女の抱擁を受け入れた。感情よりも先に、身体の特定の部位が不愉快にさいなまれ、泣きたくなった。知人のつてで時々薬を身体にいれた。そうすれば、果歩との行為も、何とか乗り越えられることもあった。

 たとえ、作業としての性交だとしても、俺がどれほど苦痛を感じていても、果歩が満足するならば、正常に近づけるのならば、それでよかった。果歩がどこかにいってしまうのが、とても怖いから。でも、果歩にはそんなこと言えない。誰にも言えない。どうか、俺を一人にしないでくれ、俺を落伍者にしないで。

 果歩がいない夜、ベッドに横たわりながら、何も考えないように努めた。
 どす黒い欲望。

 欲望が沸いた時、ジョギングをしたり、マンションに備え付けのジムやプールで身体を動かし発散するのが常だった。

 昔は果歩に黙って、別の女で試そうとしたこともあった。女はすぐに釣れる。入れ食い状態だった。彼女たちに好意や性欲を抱いたからではなく、全くの逆に理由からだった。果歩に勃起するための練習でしかなく、しかしそれらの努力すべて無意味に終わった。

 ……。

 昼間、清水達に会ったのが良くない……。

 気が付くとスマホを片手に、何度も消しては復活させた隠しフォルダを開いて中を漁っていた。そこでは、この世の天国と地獄が繰り広げられていた。

男が男に覆いかぶさり、無理やり何度も射精させて、犯し、締め、言葉責めし、堪えきれなくなって、逃げようとするのを縛り上げ、痛めつけ、また永遠と犯す。竿役が入れ替わり、永遠と休みなく繰り返される淫遊戯。画面の肌色が呻き声と共に切り替わり続ける。俺の頭の中に強烈な熱があらわれ、下腹部が疼き、全身が発汗する。動画を切替えるラグ中に画面が一瞬黒くなり、そこに俺の悦楽とした顔が映っていた。

 俺の下腹部、男根は身体とベッドの間で鉄のように硬くなって脈打ち、激しく勃起し濡れてさえいた。果歩の胸に顔を埋めても勃起しなかった男根が、こんな地獄で!腕を振り上げスマホを投げ出しかけた。

 手を、ゆっくりと降した。それから、下半身に持っていった。何度も抜いた、何度も、何度も、サルのように。この時だけは、果歩のことも、家族のことも、仕事のこともすべて、一切を忘れた。俺が、一番嫌いな俺になっている瞬間に、一番の快楽を感じる。深く息を吸って吐いた。灰白色の液体が、零れ落ちる。痺れる感覚がいつまでも続いて、しばらくの間、目も口も半開きにして、浅い呼吸のまま、ベッドにうつ伏せに寝ていた。
 SNSの通知音と♡マークが画面に映し出されたのを見て、鼻で笑った。

 ベランダに出て、煙草を吸った。果歩の前では吸わない。風にあたりながら、発信するのではなく、見るためだけに作った別のアカウントにログインした。このアカウントからは、毎回ログアウトをし、毎回端末から情報を消していた。ログアウトする度、もう二度と見ない、と固く誓い、時にアカウントを消すのだが、欲望に負けてしまう。
 
 「くいんびぃ」というアカウントをいつからかフォローしていた。くいんびぃは、ろくに言葉を書きこまず、ひたすら自分の肉体の写真をアップロードしていた。特に土日は活発なので、本業は会社員だろう。自発フォローはゼロのくせに、身体だけでフォロワーを2000人集めていた。個人の自撮りエロアカウントで、男単体で2000人は大したものだ。コメントにも一切反応する様子も無いお高くとまった野郎だった。しかし確かに、それはよく鍛えられた身体で、それだけでなく、艶のある皮膚も骨格も適度な脂肪も見る側を煽情的にさせる。口にしたくないが、好みの身体をしていた。

 ちょうど1分前に写真があげられていた。今日は日曜日だ。それは、自宅の洗面所で撮影されていた。一糸まとわず、スマホで顔を隠しながら、豊かな肉体と四肢を晒していた。尻をこちらに向け、まるで尻尾のような巨肉がぶらさがって、まっすぐ床を指している。写真の背景には注意を払っているようで、殆ど彼について知ることができるような情報は無い。俺はくいんびぃのアカウントの写真をさかのぼり始めた。そのうちまた下腹部に熱がこもり始める。煙草を咥えたまま、いつまでも貪るようにスクロールし続けた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

悪役令息の義姉となりました

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:22,682pt お気に入り:1,372

運命の番(同性)と婚約者がバチバチにやりあっています

恋愛 / 完結 24h.ポイント:994pt お気に入り:29

蒼い海 ~女装男子の冒険~

キャラ文芸 / 完結 24h.ポイント:404pt お気に入り:36

年下の夫は自分のことが嫌いらしい。

BL / 完結 24h.ポイント:340pt お気に入り:217

前世は拾われた猫だったので。転生したら人間を拾っています。

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:41

気づいたら転生悪役令嬢だったので、メイドにお仕置きしてもらいます!

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:362pt お気に入り:6

すきにして

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:284pt お気に入り:0

処理中です...