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5ページ目 気づくの遅えよ

後編①

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 泣き止んでみれば、次に理性が戻ってくるのは当たり前の話で。
 
 激昂したまでは良かったが、怒り出す前となんら変わらず近藤の腕の中で安らいでしまっている、かなりみっともない状態になっていた。
 
 こんな展開になってしまうと、所詮はただのヒステリーで、肝心の別れ話はうやむやになってしまう。
 
 近藤の自分の背を擦る掌の温かさが居心地良くて、彼の腕の中から抜け出す気にもなれずにうっとりと身を任せたまま、圭介は次に取る態度を考えあぐねていた。
 
 そんな圭介に救いの神が舞い降りた。
 
 近藤のスマートフォンが着信を知らせる。その音にチッと近藤が舌打ちすると、そっと圭介の身体を手放した。

 こつんと圭介の額に自分の額を押し当てて、圭介の顔を覗き込むと「落ち着いたか」と聞く。

 羞恥でパッと顔を赤らめると、圭介は自分の頬をペシペシと叩いて、はい・・・と覚束ない声で答えると、素早く彼から離れた。
 
「・・・はい、近藤」
 
 彼が電話に出る声を聞きながら、圭介は洗面所に向かって、顔をゴシゴシ洗い、泣きすぎて腫れた顔を水で絞ったタオルで抑えた。
 
 恥ずかしくって仕方が無い・・・鏡で、ぶさいくになった顔を眺めて、圭介はふぅっとため息をついた。
結局のところ、何も変わっていなくって・・・近藤が好きなまま・・・彼には妻がいるまま・・・。
近藤は、それでも惚れていると言ってくれて・・・
 
 もう、どうでもいいやと、半ばヤケクソになりながら、圭介は顔を拭うと、部屋に戻った。
近藤はまだ電話で話を続けてる。
 
「・・・どれくらいの問い合わせ数なんだ・・・うん・・・そうか・・・」
 
 なんだか、仕事絡みらしく、近藤の表情が厳しいものに見る見る変わっていく。
 
「なるほど、わかった。すぐ行く。・・・あぁ、見張っていてくれ。頼んだぞ、小出」
 
 最後の言葉に圭介ははっとした。小出・・・顧客の問い合わせを受ける部門、カスタマーサポートのマネージャーだ。
 
「何かあったんですか?」
 
 スマホをしまい、ジャケットを取り上げた近藤に、圭介は慌てて訊ねた。
圭介が引っ張ってしまったネクタイを締めなおしながら、近藤は眉間に皺を寄せたまま、わからん、と答えた。
 
「どういうことですか?カスタマーサポートの小出マネージャーはなんて?」
 
うーーと近藤は唸ると、圭介を見て言葉を継いだ。
 
「まだ、チラホラらしいんだが、プチのお客から『アプリのサイトで購入できない』って問い合わせメールが入り始めているらしい」
「えっ!プチでですか?」
 
 圭介は仰天した。今日、帰社するときには受注は順調に入っていた。販売システムに不具合が発生していたとは思えない。
 
「いや、プチだけじゃない。他の媒体サイトからも入り始めているらしい。受注システムが動いていないなら全サイト共通だからな・・・まだ数件らしいからカスタマーサービスでスマートフォンの機種依存か、こっち側の原因か探ってくれる。」
 
 説明しながら、近藤は仕事用のアタッシェを持つと、玄関へ足早に歩いていった。圭介も慌てて後を追うと、近藤の背中に話しかける。
 
「お、俺も行きます!」
  
 行ってどうなるってものでもないし、役に立つわけでもない・・・でも万が一販売システムが落ちているのであれば、その危険を察知出来なかった自分の責任だ。
 
 プチは、この会社一番の看板サイトで、売り上げも多い。購入できない深刻なエラーが発生していたのだったら、自分がまず真っ先に気付くべきだった。
 
 振り返ると、近藤は心持顔を青くしている圭介の顔を覗き込んだ。
たぶん、圭介の杞憂が理解出来たのだろう。

 近藤は来るなとは言わなかった。
 
「3分で支度しろ、タクシーを呼ぶ」
 
スマートフォンを取り出して背を向けた上司に、ハイと勢い良く返事をすると、圭介は押入れを開けていた。
 
 
 
「・・・あぁ、ビンゴだ」
 
 カスタマーサポート部のフロアーで近藤と圭介を出迎えた小出はそう言った。
 
「どういうことだ」
 
 近藤は、眉間に皺を寄せたまま小出を見る。小出は火の点けていないタバコを咥えたまま、見ろよ、と言って、自分のデスクのPCを指し示した。
 
 そこには、お客様問い合わせ専用のメールソフトが起動されている。
 
「未アサインっていうのが、今、ジャンジャン入ってきている問い合わせだ。件名の横にあるメガネマークがプレビュー画面で、問い合わせ内容が見れる」
 
 その言葉に促されて、近藤と二人肩を並べて画面を覗き込んだ。
件名を見ただけで、圭介はうっ、と驚きの声を上げた。
 
 どの件名にも「買えません、購入出来ません、購入しようとすると、ネットが切れます・・・etcetc」似た言葉が踊っている。
 
「なっ・・・なにこれっ・・・!」
「ひでぇな・・・」
 
 さすがの近藤も厳しい顔つきになる。
 
「今のところ、問い合わせ件数が820件になっている。この時期、平均で120件位しか問い合わせは来ない。ざっと舐めた感じでは、9割がこの手の問い合わせだ。」
 
 小出は、トラブルが起きているというのに、のほほんと現状の報告をする。
 
 さすが、だと圭介は思った。自分など、トラブルに対する耐性がないから、仰天してしまうが、トラブル慣れをしているのだろう。

 このカスタマーサポート部のマネージャーは不穏な予感に動じていない。

 フロアーを見渡せば、もう深夜だというのに、まだ数人のカスタマーサポート部の社員が、カタカタとPCでメールを打っている。
 
 小出が率いるカスタマーサポートの組織力は社内随一で、この質の高いサポート体制でプチをはじめとする通販サイトは守られているといっても過言ではない。
 
「お前に連絡したのと同時に、ソリューションチームの安部と佐藤に連絡を取った。まもなく来るだろう。」
「安部と佐藤はなんて言ってた?」
 
 近藤の問いに、小出は頭を振った。
 
「予想もつかないってさ。今のところはな。やつらは自分のシステムを信じているから、まだ機種依存の望みは捨ててないようだがな」
 
 言って、ちらりと皮肉めいた笑みを浮かべる。
 
「今、あいつらに・・・」
 
 親指で、PCに向かっている社員を指し示して、言葉を継いだ。
 
「お客様にレスを打たせている。夜分の失礼をお詫びして、『機種名』と『エラーメッセージ』あと、どこのサイトで、この現象が出ているのかを、聞く内容でな。そのレスが来れば、まぁ、原因が分かるだろうよ」
 
 小出は、やれやれと伸びをすると、近藤と圭介に、また連絡する、と言い置いて、休憩用のリフレッシュルームに消えていった。
 
 近藤は、ふぅっと重いため息を吐いたまま、行くぞ、と言うと、自分達のフロアーへと歩き出した。
 
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