2 / 17
1巻
1-2
しおりを挟む
私が特殊な能力を持っていることで、一番割を食ったのは、母だ。
幼いころの私は、自分が人とは違っていることを知らず、前世について周囲の人たちにしゃべり散らかしたらしい。
しかも、他の人の前世も、見えるままに口にしてしまっていたそうだ。
前世は、信じる人にだけ信じてもらうのであれば、問題になることなどない。
でも、子どもとはいえいきなり身体に触られて、「あなたの前世はこう」なんて言ってくる人がいたら、気味が悪いに決まっている。
「お父様は生まれる前、海賊だったのね! かっこいいわ!」
そう言う私の手を振り払った父の、嫌悪感に満ちた目と、その時言われた言葉は、今も覚えている。
『――お前は、我が家の恥だ』
それをきっかけに、母は私を連れて家を出た。そして、私にこう言い聞かせたのだ。
「あなたは、人の生まれる前の姿を視ることができる。でも、お父様は視られたくない人なの。だから、別れて暮らすのよ」
「お父様は、私のこと、きらいなの?」
泣きじゃくる四歳の私に、母は首を横に振った。
「いいえ、そんなことありません。ルーシーはとってもいい子だもの。そうではなくて、視られることが嫌なの。そういう人は他にもたくさんいるのよ。だからルーシー、勝手に視てはいけないし、もし視えてしまっても、それを口にしてはいけません」
「言わない、絶対に言わないから。お母様はどこかへ行ってしまわないで!」
「あら、お母様は視られてもちっとも嫌じゃないから、大丈夫よ。それにもちろん、ルーシーをとてもとても愛しているわ。だから、ふたりで楽しく暮らしましょうね」
――いくらいい子にしていても、この力を嫌がる人がいる。
父と別れる理由を母が正直に教えてくれたおかげで、以来私は秘密を守れるようになった。そして、母が家庭教師の仕事をしながら女手ひとつで私を育ててくれたからこそ、大人になれたのだ。
その母が病気になって家庭教師を続けられなくなったのは、私が十四歳の時だ。
今度は私が頑張る番だと、仕事を探したけれど、母の世話をしたいので住み込みの仕事はできない。
そこで、通いや単発の仕事をバンバンやった。日本風に言うと、フリーターだろうか。
メインでやっている仕事は、通いのメイド。大きなお屋敷で大勢のお客様を迎えてのパーティがある際など、人手が必要な時に呼ばれ、洗濯や皿洗い、料理でもなんでもやる。
そしてその合間にやる単発の仕事のひとつが占いだ。占いをやっているあの中流階級向けアパートメントは、高いお金を払って部屋を借りているのではない。不動産屋に雇われて、あのアパートメントの掃除をしているのもまた、私なのである。
平民の企業家や高給取りなど、中流階級の人々が暮らすオシャレな建物は、結構ひんぱんに入退去があった。私は住人が退去すると掃除に入り、次の住人が気持ち良く住めるように綺麗にする仕事もしているのだ。
つまり、鍵を預かっている上にどこの部屋が空室かわかっちゃうので、こっそり拝借……ってわけ。ちなみに水晶玉は、質流れ品で安く手に入れたものだ。
もちろん、私が変な占いをやっているなんて知ったら、気味悪がる人もいるだろうから、仕事仲間や雇い主には秘密にしている。
自分的には特に不満のない生活を送っているのだけど――
「あなたのことを理解してくれる男性が、いないものかしらね」
最近、母がそんなことをポツリと言った。
自分亡き後、娘がひとりぼっちになってしまうことを心配しているのだ。
この国の女性は、だいたい二十歳までには結婚する。
でも、特殊能力持ちの娘を気味悪がらない男性を探すのは簡単ではない。さらに病気の自分が足手まといになっているせいで娘の結婚が難しいのでは……と、母は考えているのだろう。
私はというと、結婚願望がないわけじゃなかった。能力のことは、旦那様に隠しとおしたっていい。
でも、結婚相手の絶対条件は、母を大事にしてくれる人だ。
私がもっと器量良しだったら、うまいこと玉の輿に乗って、母に十分な治療を受けさせてあげられるかもしれないのにな。
まあ、結婚はともかくとして……
私は前世が視える仲間、もしくは私が前世で生きていた世界にいたことがある仲間を待ち望んでいる。友達になれたらいいな、って。
いつか母が旅立つ時に、私はひとりじゃないと安心させてあげたい。
そこへ、とうとう現れたのが、あの少女だったのだ。
――私はテーブルの上に水晶玉を出すと、両手を組んだ。
(全能神様、神獣様。今日は『仲間』に出会わせてくださって、ありがとうございました!)
この国の人々は、唯一の全能神様を信じてるんだけど、その神様の言葉――つまり神託とか預言とかそういったものを人々に伝える神獣が、いつも私たちのそばにいると言われている。
ギルゼロッグと呼ばれるその神獣は、宗教画には竜に似た姿で描かれていた。身体は蛇ほどは長くなくて、三本の角を頭に生やし、長いたてがみをなびかせている。
日本で竜といえば、手に珠を持っている。水晶玉を商売道具としている私はそんな珠繋がりで、神獣ギルゼロッグを占いの神様だということにしていた。それにギルゼロッグは預言の神獣だから占いと通じるところがある。
(商売繁盛のために、神頼みはしないとね!)
私のこの特殊能力は形のないものだから、いつなくなってしまうかわからない。なくなってしまえば、この仕事では稼げないのだ。
ついでに家内安全、健康長寿もお願いしつつ、この力が私と母に幸せをもたらすように祈る。
そして……
ツインテールの女の子と、その子の前世――黒髪の女の子を思い浮かべた。
いつかあの子に、再会できますように!
それから数日が過ぎた。
日々は忙しく、あの男性とどこで会ったのかは相変わらず思い出せない。
その日は、あるお屋敷でパーティが開かれることになっていて、私は厨房の手伝いに行った。料理人が次々と料理をするそばで調理器具やお鍋を洗い、すぐ使えるようにする仕事だ。
料理がメインのパーティなので、予想どおり厨房は大忙しの大混乱。
立ちっぱなしで洗い物を続ける私は、手荒れがひどくなることを確信した。
(まあ、今は春だから冬よりはまだマシかな……)
夕方、ようやく洗い物から解放され、お屋敷を出る。
「こ、腰が痛い」
屈伸運動をすると、あちこちの骨がピキピキと鳴った。
でも、頑張ったかいがあってお給料は良かったし、食べる暇がなかったまかないのパンも持たせてもらえた。先日の占いの報酬もあるので今日の夕飯は豪華にできそうだ。
「今日は、お母さんの大好きな茶碗蒸し!」
茶碗蒸しはこの国にはない料理みたいだけれど、前世の記憶を頼りに作ってみたところ、母が大変喜んだのだ。
私の能力を気味悪がらずに理解してくれ、前世が別の世界であることを疑わず、受け入れてくれる母。
私はそんな母が大好きだ。
もっとも、私に勉強を教えていた時は、すごーく厳しかったけどね。
母の前世は学校の先生だったみたいだし、現世でも数年前までは家庭教師。そのせいか、教え方がとても上手で、天職なんだなぁと思う。
人でごった返す市場で、私は買い物をした。
紙に包んだ鶏肉と卵、きのこにハーブ……買い物かごがいっぱいだと、幸せな気分になる。
「チャッチャッチャッ、茶碗蒸しっ。プルプルプルプル、茶碗蒸しっ」
謎の歌を歌いながら歩いているうちに、テラスハウスが見えてきた。
私は歌うのをやめ、自宅の玄関扉に鍵を静かに差し込む。母が眠っているかもしれないので、そっと家に入るのが習慣になっていた。
(……あれ? 鍵が開いてる。女ふたりで不用心だから、いつもかけてるのに)
「ただいま」
小声で言いながら、後ろ手に玄関扉を閉めた。
寝室の扉は開いているものの、返事はない。覗いてみると、ベッドに母の姿はなかった。
「お母さん? ……トイレかな」
テラスハウスの住人が共同で使っているトイレが、外にある。そっちかもしれない。
待っていれば戻ってくるだろうと、ひとまず食材をテーブルに置いた時、私はそれに気づいた。
テーブルの上に、一枚の紙が置かれていたのだ。
『ルシエットへ』
紙に書かれていたのは、知らない文字。
背中がぞわりと冷たくなった。
私は急いで、続きを読む。
『ミルディリアが病気だと聞き、空気のいい場所へ移すことにした。まずは家に連れて帰る。お前も帰ってきなさい。リカード・グレンフェル』
ミルディリアは母ミルダの本名だ。
そして、リカード・グレンフェル……
(……誰? 聞き覚えのあるような気もするけど)
帰ってきなさいという文言もひっかかる。
しばらく考えて、私は息を呑んだ。
「……もしかして、お父様……!?」
父と一緒に暮らしていたのは、四歳のころまでだ。
彼については『家の恥』だと言われた時のことくらいしか覚えていなくて、顔さえおぼろげなので、懐かしいとか慕わしいとか、そういう気持ちは全くない。
ずっと母方の家名を名乗っていたこともあり、かつての家名も記憶の彼方だ。
「どういうこと!? 十六年間、一度も連絡なんて寄越さなかったのに。お母さんが連絡先を教えてた……?」
今になって母が病気だと知った父が、心配になって連れ戻しにきたのだろうか。
でも、おかしい。急すぎる。
もし父が迎えにきたとして、私が留守の間に父について行くことを、母が承諾したとも思えない。
今朝、仕事に出かける私に、「今夜はチャワンムシ作るんでしょ、楽しみだわ」って……そう言っていたんだから。
母は、父に強引に連れて行かれた?
それだけならまだしも、気味悪がっていた私まで呼ぶなんて、父はどういうつもり?
とにかく、母が気になる。
(行くしかない!)
私は顔を上げた。
悪い想像をしていても仕方ない。生まれた家に、帰ろう。
何が起こっているのか、私は確かめる決意をした。
私はそれからすぐに近所のフリーター仲間の家に飛び込んだ。母が入院することになったと嘘をついて食材を押しつけ、しばらくの留守を頼む。
次に、寝室のチェストの引き出しをひとつ引っ張り出し、背板にピンでとめつけてあった封筒を取り出す。
大事な貯金、今こそ使う時だ。いつ必要になるかわからないのだから、持ち歩こう。
身の回りのものを布カバンにまとめ、戸締りをすると、私はベルコートの役所に飛んでいった。グレンフェルという家について、聞いてみる。
「グレンフェル家っていったら、アルスゴー伯爵のことだよ。隣の領主の」
役所のおじさんが、貴族年鑑をめくりながら言う。
「見せてください!」
「読めるのかい?」
おじさんは私の目の前に、年鑑を広げてくれた。下町暮らしの人々は文字が読めない人も多いんだけど、私は母から教え込まれている。
名前をたどっていったそこに記載されていたのは、『アルスゴー伯爵 リカード・グレンフェル』の文字。
「なんてこと……」
私は思わずつぶやく。
父がアルスゴー伯爵なら、つまり母は、かつてアルスゴー伯爵夫人だったのだ!
(……ん? てことは私、伯爵令嬢だったの、かな?)
間抜けな感想だけど、何しろ幼いころに家を出てそれっきりなのだ。
今よりはいい暮らしをしていた記憶がうっすらとあるものの、まさか貴族だったなんて想像したことすらない。母もそんなことは一言も言わなかった。
母子ふたり暮らしというだけで十分大変なのに、伯爵夫人などというれっきとした貴族が突然労働者階級になって働きながら子どもを育てるなんて、簡単にできることじゃなかっただろう。母の苦労は並大抵のものではなかったはずだ。
「どうして、言ってくれなかったの……」
いまいち実感が湧かないまま、私は馬車の駅に向かう。
夕方だったので、残念ながら乗合馬車はアルスゴーの手前までしか行かないとのことだ。
じっとしていられなかった私は、とにかくそれに乗り、途中の馬車の駅にある簡易宿で一夜を過ごす。
そしてついに、翌日の昼にはアルスゴー伯爵の屋敷に到着し――
そこで、真実を知ることになった。
アルスゴー伯爵邸は、灰色がかった白い石づくりの大きな屋敷だった。
洗練された直線的なデザインの窓、シンプルながら美しい装飾。まるで神殿のようで、貴族が雲の上の存在であることを思い知らされる。
正面の階段を上って玄関扉の前に立つと、私はひとつ深呼吸をして呼び鈴の紐を引いた。
「ルシエット様!」
扉を開けたのは、髭のおじさんだ。
「大きくなられて……! 私です、執事のライルズです!」
「は、はあ」
(ごめんなさい。覚えてません)
古着のコートの胸元を握りしめた私は、何やら興奮しているおじさんをなだめようと、とにかく聞く。
「あの、母が……ミルダ・ウォルナムが来ていませんか?」
「ミルディリア様は先におみえですよ。とにかく、まずはリカード様にご挨拶を」
「…………」
母がいると聞いて、多少なりとも安心した私は、先に伯爵に会うことにした。
ライルズに案内され、中に入る。
占いに使っていたベルコートのアパートメントもそれなりに素敵な内装だったけれど、やはり貴族のお屋敷は違う。ホールは天井が高く、繊細な天井画がこちらを見下ろしている。
(……見覚えが、あるような、ないような)
見事な赤い絨毯を踏んで階段を上がり、廊下の突き当たりにある書斎に通された。
厚みのあるカーテン、色鮮やかな油彩画に囲まれた書き物机と、やはりこの部屋も立派だ。そこで何か書き物をしていた固太りのおじ様が顔を上げた。
彼は私を見て、眉を上げる。
「ルシエットか」
「はい、私――」
挨拶をしようとした出端をくじくように、彼は呆れた声を出す。
「なんだ、そのみすぼらしい格好は!」
(カァッチーン)
取るものも取りあえず駆けつけたんだから、しょうがないでしょ! あなたがいきなりお母さんを連れてくのが悪いんでしょうが!
そう言いたい気持ちを抑え、私は母の教えどおり、スカートを摘んで淑女の挨拶をした。
「ルシエット・ウォルナムです。伯爵様にはご機嫌麗しく」
「ふん。ミルディリアに礼儀作法は仕込まれているのか。それなら話が早い」
伯爵はいったん視線を落とし、書いていた手紙か何かにサインをすると立ち上がる。
「お前に、結婚の話が来ている。お相手は、ウィンズロー辺境伯、ライファート・リンドン殿だ」
「……は?」
母について話し合おうと思っていた私は、ぽっかーん、と口を開けてしまった。
(いやいや、今は結婚の話なんてどうでもいいでしょうが!?)
私はとにかく母のことを聞く。
「あの、それより母は――」
「話の途中で口を挟むな」
しかし伯爵はぴしゃりと言い、自分の用件を続けた。
「ルシエットを妻に、という話がリンドン卿のほうからあった。お前、何をやったか知らんがうまくやったな。まあ、我がアルスゴー伯爵家にとっても有益な話だ。お前を私の娘ルシエット・グレンフェルに戻してやるから、この家からリンドン卿に嫁げ」
(……この人、本当に私のお父様なの?)
私は心の中で首を傾げた。
この伯爵様の態度、実の娘に対するものとは思えない。この人と母が一時でも夫婦だったなんて、想像ができなかった。
まあ、彼が本当のお父様だとして、その鐘が鳴ってるみたいな名前の辺境伯を私は知らない。こちらからアプローチなどしていないことは確かだ。
「申し訳ありませんが、人違いのようです」
私がそう言うと、伯爵は目を細めた。
「なんだと?」
「私、そのリンゴン卿? には、お会いしたことも連絡を取ったこともありませんが? 卿は、同じ名前の別の方をお望みなのでは?」
「私の娘で、ルシエットという名前の者はお前だけだ。黙って嫁げ」
「とにかく母に会わせてください。そもそも、私があなたの娘だということが、信じられません」
「ミルディリアによく似た顔をしておいて、よくも」
伯爵は声を荒らげかけて、不意に表情を変えた。そして鼻で笑う。
「まあ確かに、お前が私の娘かどうかは怪しいものだがな。私の親族で、お前のように気味の悪いことを言い散らかす者は、他にいないのだから……」
(……何?)
言葉を返せないでいるうちに、伯爵は軽く手を振った。
「その辺はミルディリアから聞くがいい。あいつが一番よく知っているだろう。ライルズ!」
呼ばれた執事さんが現れると、伯爵は言う。
「ルシエットをミルディリアのところに案内しろ。――ルシエット」
再び私に視線を戻した彼は、ニヤリと笑った。
「ミルディリアのためにどうしたらいいか、よく考えることだな。自分の利用価値を知り、私と取り引きするのだ」
私は何がなんだかわからないまま、執事さんの後について書斎を出た。
「ミルディリア様はこちらです」
案内されたのは、二階の一室だ。
扉を開けると、この部屋もまた上品な柄の絨毯が敷かれ天蓋つきのベッドがあるという豪華さ。
そのベッドで、母が身を起こしていた。
「ルーシー!」
「お母さんっ」
私は母に駆け寄り、伸ばされた手を握る。
「ああ、ルーシー、ごめんなさい」
母は顔色が悪く、何か話そうとして、咳込んだ。
私は急いで、持ってきた荷物の中からハーブティの葉を出す。立ち去りかけていた執事さんを呼び止め、お茶を淹れてくれるよう頼んだ。
医学的にどんな作用があるのかは知らないけど、とにかく母の咳にはこれが効く。そのため、庭で育てては乾燥させて常備している。
しばらくして私は、ハーブティを飲んで少し落ち着いた母から、話を聞いた。
「急に私がいなくなって、驚いたでしょう。いきなり馬車に乗せられて、駅に連れていかれてしまって」
母は、積み上げた枕にもたれる。
「……けれどリカードは、本当にあなたのお父様よ。ここは、あなたの生まれた家なの」
「伯爵家だなんて、全然覚えてなかった。私たちが家を出た時のこと、ちゃんと教えて」
そう聞くと、母はうなだれた。
「そうね。今が、話す時なのでしょうね。……あなたの能力を気味悪がったリカードは、幼いあなたに辛く当たったわ。このままではいけないと思った私は、あなたと家を出た。そうしたらいつの間にか、あなたがリカードの娘ではないかもしれないと……つまり、私が不義をして産んだ子で、だから私とあなたは家を出たんだということにされてしまっていて」
(あっ。さっきお父様が、自分の娘かどうか怪しいって言ってたのは、そういう意味!?)
「何それ、ひどい! お父様は違うって言ってくれなかったの?」
「誰かに聞かれると、一応の否定はしていたようだけれど……そんな話が一度でも広まってしまえば、疑いは残るわ」
「そんな……。私たち、追い出されたようなものじゃない。それなのに……」
「それで、私の父、つまりあなたのおじい様が私の不義を信じてしまって、ひどく怒ったの。だから実家は頼れなかった。でも、おばあ様がこっそり手を回してくれて、私はベルコートの企業家のところで住み込みの家庭教師の職を得た。あなたがある程度手がかからなくなっていたから、雇い主はあなたも一緒に住んでいいと許してくれたわ」
そのあたりのことは、なんとなく覚えている。
母がその家の娘さんに勉強を教えている間、私は半地下の使用人区域でひとりで遊んだり、料理の下拵えを手伝ったり、靴を磨いたりしていた。そうして、様々な労働を学んだ。
今、私たちがふたりで暮らしている家は、その企業家が世話してくれたものだ。
母が病気で仕事が続けられなくなっても、今までよく働いてくれたからと、手配してくれた。
「お母さん、どうして話してくれなかったの?」
「証し立てができないもの……私が不義をしていないという証がない」
「やっていないことを証明なんて、難しいに決まってる。そんなこと証明しなくていい、私はお母さんを信じるから!」
はっきりとそう言うと、母は涙ぐんだ。
「ありがとう、ルーシー」
「当たり前のことなんだから、お礼なんて言わないで。それで、どうして今さら連れ戻されたの?」
私は話を戻す。
「役所で、貴族年鑑を見せてもらったわ。お父様、再婚して子どももいるじゃない。どうして今になってお母さんを? 連絡したの?」
「していないわ! リカードの目的は私ではない。あなたよ、ルーシー」
母は眉根を寄せた。
「私は、あなたに言うことを聞かせるための人質みたいなもの……だと思うわ」
「はあ!?」
私は思わず声を上げる。
母は、拳を握りながら続けた。
幼いころの私は、自分が人とは違っていることを知らず、前世について周囲の人たちにしゃべり散らかしたらしい。
しかも、他の人の前世も、見えるままに口にしてしまっていたそうだ。
前世は、信じる人にだけ信じてもらうのであれば、問題になることなどない。
でも、子どもとはいえいきなり身体に触られて、「あなたの前世はこう」なんて言ってくる人がいたら、気味が悪いに決まっている。
「お父様は生まれる前、海賊だったのね! かっこいいわ!」
そう言う私の手を振り払った父の、嫌悪感に満ちた目と、その時言われた言葉は、今も覚えている。
『――お前は、我が家の恥だ』
それをきっかけに、母は私を連れて家を出た。そして、私にこう言い聞かせたのだ。
「あなたは、人の生まれる前の姿を視ることができる。でも、お父様は視られたくない人なの。だから、別れて暮らすのよ」
「お父様は、私のこと、きらいなの?」
泣きじゃくる四歳の私に、母は首を横に振った。
「いいえ、そんなことありません。ルーシーはとってもいい子だもの。そうではなくて、視られることが嫌なの。そういう人は他にもたくさんいるのよ。だからルーシー、勝手に視てはいけないし、もし視えてしまっても、それを口にしてはいけません」
「言わない、絶対に言わないから。お母様はどこかへ行ってしまわないで!」
「あら、お母様は視られてもちっとも嫌じゃないから、大丈夫よ。それにもちろん、ルーシーをとてもとても愛しているわ。だから、ふたりで楽しく暮らしましょうね」
――いくらいい子にしていても、この力を嫌がる人がいる。
父と別れる理由を母が正直に教えてくれたおかげで、以来私は秘密を守れるようになった。そして、母が家庭教師の仕事をしながら女手ひとつで私を育ててくれたからこそ、大人になれたのだ。
その母が病気になって家庭教師を続けられなくなったのは、私が十四歳の時だ。
今度は私が頑張る番だと、仕事を探したけれど、母の世話をしたいので住み込みの仕事はできない。
そこで、通いや単発の仕事をバンバンやった。日本風に言うと、フリーターだろうか。
メインでやっている仕事は、通いのメイド。大きなお屋敷で大勢のお客様を迎えてのパーティがある際など、人手が必要な時に呼ばれ、洗濯や皿洗い、料理でもなんでもやる。
そしてその合間にやる単発の仕事のひとつが占いだ。占いをやっているあの中流階級向けアパートメントは、高いお金を払って部屋を借りているのではない。不動産屋に雇われて、あのアパートメントの掃除をしているのもまた、私なのである。
平民の企業家や高給取りなど、中流階級の人々が暮らすオシャレな建物は、結構ひんぱんに入退去があった。私は住人が退去すると掃除に入り、次の住人が気持ち良く住めるように綺麗にする仕事もしているのだ。
つまり、鍵を預かっている上にどこの部屋が空室かわかっちゃうので、こっそり拝借……ってわけ。ちなみに水晶玉は、質流れ品で安く手に入れたものだ。
もちろん、私が変な占いをやっているなんて知ったら、気味悪がる人もいるだろうから、仕事仲間や雇い主には秘密にしている。
自分的には特に不満のない生活を送っているのだけど――
「あなたのことを理解してくれる男性が、いないものかしらね」
最近、母がそんなことをポツリと言った。
自分亡き後、娘がひとりぼっちになってしまうことを心配しているのだ。
この国の女性は、だいたい二十歳までには結婚する。
でも、特殊能力持ちの娘を気味悪がらない男性を探すのは簡単ではない。さらに病気の自分が足手まといになっているせいで娘の結婚が難しいのでは……と、母は考えているのだろう。
私はというと、結婚願望がないわけじゃなかった。能力のことは、旦那様に隠しとおしたっていい。
でも、結婚相手の絶対条件は、母を大事にしてくれる人だ。
私がもっと器量良しだったら、うまいこと玉の輿に乗って、母に十分な治療を受けさせてあげられるかもしれないのにな。
まあ、結婚はともかくとして……
私は前世が視える仲間、もしくは私が前世で生きていた世界にいたことがある仲間を待ち望んでいる。友達になれたらいいな、って。
いつか母が旅立つ時に、私はひとりじゃないと安心させてあげたい。
そこへ、とうとう現れたのが、あの少女だったのだ。
――私はテーブルの上に水晶玉を出すと、両手を組んだ。
(全能神様、神獣様。今日は『仲間』に出会わせてくださって、ありがとうございました!)
この国の人々は、唯一の全能神様を信じてるんだけど、その神様の言葉――つまり神託とか預言とかそういったものを人々に伝える神獣が、いつも私たちのそばにいると言われている。
ギルゼロッグと呼ばれるその神獣は、宗教画には竜に似た姿で描かれていた。身体は蛇ほどは長くなくて、三本の角を頭に生やし、長いたてがみをなびかせている。
日本で竜といえば、手に珠を持っている。水晶玉を商売道具としている私はそんな珠繋がりで、神獣ギルゼロッグを占いの神様だということにしていた。それにギルゼロッグは預言の神獣だから占いと通じるところがある。
(商売繁盛のために、神頼みはしないとね!)
私のこの特殊能力は形のないものだから、いつなくなってしまうかわからない。なくなってしまえば、この仕事では稼げないのだ。
ついでに家内安全、健康長寿もお願いしつつ、この力が私と母に幸せをもたらすように祈る。
そして……
ツインテールの女の子と、その子の前世――黒髪の女の子を思い浮かべた。
いつかあの子に、再会できますように!
それから数日が過ぎた。
日々は忙しく、あの男性とどこで会ったのかは相変わらず思い出せない。
その日は、あるお屋敷でパーティが開かれることになっていて、私は厨房の手伝いに行った。料理人が次々と料理をするそばで調理器具やお鍋を洗い、すぐ使えるようにする仕事だ。
料理がメインのパーティなので、予想どおり厨房は大忙しの大混乱。
立ちっぱなしで洗い物を続ける私は、手荒れがひどくなることを確信した。
(まあ、今は春だから冬よりはまだマシかな……)
夕方、ようやく洗い物から解放され、お屋敷を出る。
「こ、腰が痛い」
屈伸運動をすると、あちこちの骨がピキピキと鳴った。
でも、頑張ったかいがあってお給料は良かったし、食べる暇がなかったまかないのパンも持たせてもらえた。先日の占いの報酬もあるので今日の夕飯は豪華にできそうだ。
「今日は、お母さんの大好きな茶碗蒸し!」
茶碗蒸しはこの国にはない料理みたいだけれど、前世の記憶を頼りに作ってみたところ、母が大変喜んだのだ。
私の能力を気味悪がらずに理解してくれ、前世が別の世界であることを疑わず、受け入れてくれる母。
私はそんな母が大好きだ。
もっとも、私に勉強を教えていた時は、すごーく厳しかったけどね。
母の前世は学校の先生だったみたいだし、現世でも数年前までは家庭教師。そのせいか、教え方がとても上手で、天職なんだなぁと思う。
人でごった返す市場で、私は買い物をした。
紙に包んだ鶏肉と卵、きのこにハーブ……買い物かごがいっぱいだと、幸せな気分になる。
「チャッチャッチャッ、茶碗蒸しっ。プルプルプルプル、茶碗蒸しっ」
謎の歌を歌いながら歩いているうちに、テラスハウスが見えてきた。
私は歌うのをやめ、自宅の玄関扉に鍵を静かに差し込む。母が眠っているかもしれないので、そっと家に入るのが習慣になっていた。
(……あれ? 鍵が開いてる。女ふたりで不用心だから、いつもかけてるのに)
「ただいま」
小声で言いながら、後ろ手に玄関扉を閉めた。
寝室の扉は開いているものの、返事はない。覗いてみると、ベッドに母の姿はなかった。
「お母さん? ……トイレかな」
テラスハウスの住人が共同で使っているトイレが、外にある。そっちかもしれない。
待っていれば戻ってくるだろうと、ひとまず食材をテーブルに置いた時、私はそれに気づいた。
テーブルの上に、一枚の紙が置かれていたのだ。
『ルシエットへ』
紙に書かれていたのは、知らない文字。
背中がぞわりと冷たくなった。
私は急いで、続きを読む。
『ミルディリアが病気だと聞き、空気のいい場所へ移すことにした。まずは家に連れて帰る。お前も帰ってきなさい。リカード・グレンフェル』
ミルディリアは母ミルダの本名だ。
そして、リカード・グレンフェル……
(……誰? 聞き覚えのあるような気もするけど)
帰ってきなさいという文言もひっかかる。
しばらく考えて、私は息を呑んだ。
「……もしかして、お父様……!?」
父と一緒に暮らしていたのは、四歳のころまでだ。
彼については『家の恥』だと言われた時のことくらいしか覚えていなくて、顔さえおぼろげなので、懐かしいとか慕わしいとか、そういう気持ちは全くない。
ずっと母方の家名を名乗っていたこともあり、かつての家名も記憶の彼方だ。
「どういうこと!? 十六年間、一度も連絡なんて寄越さなかったのに。お母さんが連絡先を教えてた……?」
今になって母が病気だと知った父が、心配になって連れ戻しにきたのだろうか。
でも、おかしい。急すぎる。
もし父が迎えにきたとして、私が留守の間に父について行くことを、母が承諾したとも思えない。
今朝、仕事に出かける私に、「今夜はチャワンムシ作るんでしょ、楽しみだわ」って……そう言っていたんだから。
母は、父に強引に連れて行かれた?
それだけならまだしも、気味悪がっていた私まで呼ぶなんて、父はどういうつもり?
とにかく、母が気になる。
(行くしかない!)
私は顔を上げた。
悪い想像をしていても仕方ない。生まれた家に、帰ろう。
何が起こっているのか、私は確かめる決意をした。
私はそれからすぐに近所のフリーター仲間の家に飛び込んだ。母が入院することになったと嘘をついて食材を押しつけ、しばらくの留守を頼む。
次に、寝室のチェストの引き出しをひとつ引っ張り出し、背板にピンでとめつけてあった封筒を取り出す。
大事な貯金、今こそ使う時だ。いつ必要になるかわからないのだから、持ち歩こう。
身の回りのものを布カバンにまとめ、戸締りをすると、私はベルコートの役所に飛んでいった。グレンフェルという家について、聞いてみる。
「グレンフェル家っていったら、アルスゴー伯爵のことだよ。隣の領主の」
役所のおじさんが、貴族年鑑をめくりながら言う。
「見せてください!」
「読めるのかい?」
おじさんは私の目の前に、年鑑を広げてくれた。下町暮らしの人々は文字が読めない人も多いんだけど、私は母から教え込まれている。
名前をたどっていったそこに記載されていたのは、『アルスゴー伯爵 リカード・グレンフェル』の文字。
「なんてこと……」
私は思わずつぶやく。
父がアルスゴー伯爵なら、つまり母は、かつてアルスゴー伯爵夫人だったのだ!
(……ん? てことは私、伯爵令嬢だったの、かな?)
間抜けな感想だけど、何しろ幼いころに家を出てそれっきりなのだ。
今よりはいい暮らしをしていた記憶がうっすらとあるものの、まさか貴族だったなんて想像したことすらない。母もそんなことは一言も言わなかった。
母子ふたり暮らしというだけで十分大変なのに、伯爵夫人などというれっきとした貴族が突然労働者階級になって働きながら子どもを育てるなんて、簡単にできることじゃなかっただろう。母の苦労は並大抵のものではなかったはずだ。
「どうして、言ってくれなかったの……」
いまいち実感が湧かないまま、私は馬車の駅に向かう。
夕方だったので、残念ながら乗合馬車はアルスゴーの手前までしか行かないとのことだ。
じっとしていられなかった私は、とにかくそれに乗り、途中の馬車の駅にある簡易宿で一夜を過ごす。
そしてついに、翌日の昼にはアルスゴー伯爵の屋敷に到着し――
そこで、真実を知ることになった。
アルスゴー伯爵邸は、灰色がかった白い石づくりの大きな屋敷だった。
洗練された直線的なデザインの窓、シンプルながら美しい装飾。まるで神殿のようで、貴族が雲の上の存在であることを思い知らされる。
正面の階段を上って玄関扉の前に立つと、私はひとつ深呼吸をして呼び鈴の紐を引いた。
「ルシエット様!」
扉を開けたのは、髭のおじさんだ。
「大きくなられて……! 私です、執事のライルズです!」
「は、はあ」
(ごめんなさい。覚えてません)
古着のコートの胸元を握りしめた私は、何やら興奮しているおじさんをなだめようと、とにかく聞く。
「あの、母が……ミルダ・ウォルナムが来ていませんか?」
「ミルディリア様は先におみえですよ。とにかく、まずはリカード様にご挨拶を」
「…………」
母がいると聞いて、多少なりとも安心した私は、先に伯爵に会うことにした。
ライルズに案内され、中に入る。
占いに使っていたベルコートのアパートメントもそれなりに素敵な内装だったけれど、やはり貴族のお屋敷は違う。ホールは天井が高く、繊細な天井画がこちらを見下ろしている。
(……見覚えが、あるような、ないような)
見事な赤い絨毯を踏んで階段を上がり、廊下の突き当たりにある書斎に通された。
厚みのあるカーテン、色鮮やかな油彩画に囲まれた書き物机と、やはりこの部屋も立派だ。そこで何か書き物をしていた固太りのおじ様が顔を上げた。
彼は私を見て、眉を上げる。
「ルシエットか」
「はい、私――」
挨拶をしようとした出端をくじくように、彼は呆れた声を出す。
「なんだ、そのみすぼらしい格好は!」
(カァッチーン)
取るものも取りあえず駆けつけたんだから、しょうがないでしょ! あなたがいきなりお母さんを連れてくのが悪いんでしょうが!
そう言いたい気持ちを抑え、私は母の教えどおり、スカートを摘んで淑女の挨拶をした。
「ルシエット・ウォルナムです。伯爵様にはご機嫌麗しく」
「ふん。ミルディリアに礼儀作法は仕込まれているのか。それなら話が早い」
伯爵はいったん視線を落とし、書いていた手紙か何かにサインをすると立ち上がる。
「お前に、結婚の話が来ている。お相手は、ウィンズロー辺境伯、ライファート・リンドン殿だ」
「……は?」
母について話し合おうと思っていた私は、ぽっかーん、と口を開けてしまった。
(いやいや、今は結婚の話なんてどうでもいいでしょうが!?)
私はとにかく母のことを聞く。
「あの、それより母は――」
「話の途中で口を挟むな」
しかし伯爵はぴしゃりと言い、自分の用件を続けた。
「ルシエットを妻に、という話がリンドン卿のほうからあった。お前、何をやったか知らんがうまくやったな。まあ、我がアルスゴー伯爵家にとっても有益な話だ。お前を私の娘ルシエット・グレンフェルに戻してやるから、この家からリンドン卿に嫁げ」
(……この人、本当に私のお父様なの?)
私は心の中で首を傾げた。
この伯爵様の態度、実の娘に対するものとは思えない。この人と母が一時でも夫婦だったなんて、想像ができなかった。
まあ、彼が本当のお父様だとして、その鐘が鳴ってるみたいな名前の辺境伯を私は知らない。こちらからアプローチなどしていないことは確かだ。
「申し訳ありませんが、人違いのようです」
私がそう言うと、伯爵は目を細めた。
「なんだと?」
「私、そのリンゴン卿? には、お会いしたことも連絡を取ったこともありませんが? 卿は、同じ名前の別の方をお望みなのでは?」
「私の娘で、ルシエットという名前の者はお前だけだ。黙って嫁げ」
「とにかく母に会わせてください。そもそも、私があなたの娘だということが、信じられません」
「ミルディリアによく似た顔をしておいて、よくも」
伯爵は声を荒らげかけて、不意に表情を変えた。そして鼻で笑う。
「まあ確かに、お前が私の娘かどうかは怪しいものだがな。私の親族で、お前のように気味の悪いことを言い散らかす者は、他にいないのだから……」
(……何?)
言葉を返せないでいるうちに、伯爵は軽く手を振った。
「その辺はミルディリアから聞くがいい。あいつが一番よく知っているだろう。ライルズ!」
呼ばれた執事さんが現れると、伯爵は言う。
「ルシエットをミルディリアのところに案内しろ。――ルシエット」
再び私に視線を戻した彼は、ニヤリと笑った。
「ミルディリアのためにどうしたらいいか、よく考えることだな。自分の利用価値を知り、私と取り引きするのだ」
私は何がなんだかわからないまま、執事さんの後について書斎を出た。
「ミルディリア様はこちらです」
案内されたのは、二階の一室だ。
扉を開けると、この部屋もまた上品な柄の絨毯が敷かれ天蓋つきのベッドがあるという豪華さ。
そのベッドで、母が身を起こしていた。
「ルーシー!」
「お母さんっ」
私は母に駆け寄り、伸ばされた手を握る。
「ああ、ルーシー、ごめんなさい」
母は顔色が悪く、何か話そうとして、咳込んだ。
私は急いで、持ってきた荷物の中からハーブティの葉を出す。立ち去りかけていた執事さんを呼び止め、お茶を淹れてくれるよう頼んだ。
医学的にどんな作用があるのかは知らないけど、とにかく母の咳にはこれが効く。そのため、庭で育てては乾燥させて常備している。
しばらくして私は、ハーブティを飲んで少し落ち着いた母から、話を聞いた。
「急に私がいなくなって、驚いたでしょう。いきなり馬車に乗せられて、駅に連れていかれてしまって」
母は、積み上げた枕にもたれる。
「……けれどリカードは、本当にあなたのお父様よ。ここは、あなたの生まれた家なの」
「伯爵家だなんて、全然覚えてなかった。私たちが家を出た時のこと、ちゃんと教えて」
そう聞くと、母はうなだれた。
「そうね。今が、話す時なのでしょうね。……あなたの能力を気味悪がったリカードは、幼いあなたに辛く当たったわ。このままではいけないと思った私は、あなたと家を出た。そうしたらいつの間にか、あなたがリカードの娘ではないかもしれないと……つまり、私が不義をして産んだ子で、だから私とあなたは家を出たんだということにされてしまっていて」
(あっ。さっきお父様が、自分の娘かどうか怪しいって言ってたのは、そういう意味!?)
「何それ、ひどい! お父様は違うって言ってくれなかったの?」
「誰かに聞かれると、一応の否定はしていたようだけれど……そんな話が一度でも広まってしまえば、疑いは残るわ」
「そんな……。私たち、追い出されたようなものじゃない。それなのに……」
「それで、私の父、つまりあなたのおじい様が私の不義を信じてしまって、ひどく怒ったの。だから実家は頼れなかった。でも、おばあ様がこっそり手を回してくれて、私はベルコートの企業家のところで住み込みの家庭教師の職を得た。あなたがある程度手がかからなくなっていたから、雇い主はあなたも一緒に住んでいいと許してくれたわ」
そのあたりのことは、なんとなく覚えている。
母がその家の娘さんに勉強を教えている間、私は半地下の使用人区域でひとりで遊んだり、料理の下拵えを手伝ったり、靴を磨いたりしていた。そうして、様々な労働を学んだ。
今、私たちがふたりで暮らしている家は、その企業家が世話してくれたものだ。
母が病気で仕事が続けられなくなっても、今までよく働いてくれたからと、手配してくれた。
「お母さん、どうして話してくれなかったの?」
「証し立てができないもの……私が不義をしていないという証がない」
「やっていないことを証明なんて、難しいに決まってる。そんなこと証明しなくていい、私はお母さんを信じるから!」
はっきりとそう言うと、母は涙ぐんだ。
「ありがとう、ルーシー」
「当たり前のことなんだから、お礼なんて言わないで。それで、どうして今さら連れ戻されたの?」
私は話を戻す。
「役所で、貴族年鑑を見せてもらったわ。お父様、再婚して子どももいるじゃない。どうして今になってお母さんを? 連絡したの?」
「していないわ! リカードの目的は私ではない。あなたよ、ルーシー」
母は眉根を寄せた。
「私は、あなたに言うことを聞かせるための人質みたいなもの……だと思うわ」
「はあ!?」
私は思わず声を上げる。
母は、拳を握りながら続けた。
11
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
【完結】転生したら悪役継母でした
入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。
その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。
しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。
絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。
記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。
夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。
◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆
*旧題:転生したら悪妻でした
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。