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ホットケーキ③
しおりを挟む思いに目を瞑り、はっと目を開ける。
すると、映ったのは、あの不思議な喫茶店だった。
ホットケーキをゆっくりと口に運ぶ。
甘ったるい黄金の液体を温かいミルクで流す。
涙が、頬を伝ったのがわかった。
「お客様、なにか思い出せましたか」
しゃらん、とウェイトレスの髪飾りが不思議な音を立てた。
「ええ、大事な……大事な思い出を」
「それは良いことです」
くつくつと笑うウェイトレス。そのたび、髪飾りがしゃらしゃらと鳴る。
そういえば、この蜜、なんなんだろう。
家でホットケーキを作ったこともあったが、こんな味にはならない。
「あの、この蜜ってなんですか?」
「ああ、蜂蜜ですよ。ホットケーキにはメープルシロップをかけることが多いのですがこっちの方がなんだか体に沁みますよね」
「ええ……本当に。そっか、蜂蜜かあ」
私はばくばくとホットケーキを平らげた。
まるで栄養補給をするように。
いや、実際栄養補給なのだろう。
だって、ここ数日、食事すら適当だったのだから。
小麦粉の優しい甘味、バターの風味、蜂蜜の滋養のある味わい。
これを作った人たちや、自然に感謝しながら食べる食事なんて、いつぶりだろう。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末さまでした」
笑顔のウェイトレスにつられて、私も笑顔になる。
なんだか、猛烈にやる気が湧いてきた。
帰って勉強しよう。
もっとエコで環境にやさしい機器を開発したい。
今すぐにはできなくても、先人に追いつけるように。
「すいません。急ぎ足で失礼ですがもう行きます」
「ええ、ええ。お気になさらずに」
「お会計を……」
「今日の分はサービスということで……ねえ?マスター、いいですよね?」
悪戯っぽく言うウェイトレスに、カウンターにその存在があるかないかでいたマスターはこくりと頷いた。
「いや! でも!」
「お客様、入ってらっしゃったときは今にも死にそうな顔をしてらしたんですよ?
それがこんなに生き生きとしてらっしゃる。
わたしはそれが嬉しいのです」
そう言われ、私はなんだか恥ずかしくなって縮こまってしまった。
「次からはお代を頂戴しますから、気持ちと思って受け取ってください」
「それじゃあ……ありがとうございます」
カランコロンと音を立てて扉を出る。
路地裏を歩き、商店街に戻った。
とっぷりと夜の帷が街を包み、その辺をお酒が入って陽気なお兄さんたちが歩いていた。
「よし、がんばるぞ」
そう気合いを入れなおして、私は家路についた。
――数日後。
そこには充実感に満ち溢れた顔の私がいた。
人が変わったように仕事のやる気は溢れてくるし、毎日が発見の連続で楽しい。
なんでこんなに見落としていたんだろうと不思議に思うくらいだった。
その様子を見た同僚や上司から褒められに褒められ、自分がいかに期待されていて待たれていたのかが痛いほど伝ってきた。
先週末は久しぶりに祖母と電話もしたし、次の大きな連休にはそっちに行く約束もした。
今週末には植物園にでも行って、リフレッシュしようとも思っている。
そんな順調な日々。
私は、あの喫茶店にもう一度行こうと仕事帰りに商店街を歩いていた。
一言、お礼を言いたい。
「あれ……?」
あの時、ここを曲がったはずだ。
そう思って覗いた路地は、コンクリートの道でスナックや民家が立ち並ぶ普通の通りだった。
「確かに、ここだったはずなんだけど」
何度も行き来して確かめる。
道が違うのかと思って、周囲を散策する。
探せど探せど、その『喫茶 時間旅行』は見つからなかった。
あれだけ荒んだ日々を送っていたんだ。
自分が思っているよりもだいぶ酷い精神状態だったのかもしれない。
だって、こんなに探して見つからないんだもの。
とりあえず、今日はもうあまり時間がない。
「仕方ない。また今度探すかあ」
そう独り言を呟いて、私は駅に向かった。
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