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大雨 08 凍土壁アケローンで交差する運命

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    取調室は、3帖ほどの狭い部屋に机が置いてあり、容疑者が奥、刑事が手前に机を挟んで座るようになっている。
    刑事課のすぐ横に並んで配置されており、窓がある部屋に当たると多少でも外の様子が伺えて気分が晴れた。
     聴取は朝5時から夜10時までの1日8時間以内という制限があるが、最長8時間をやられると俺みたいな人間でも相当応える。

    第一、俺は後藤田による無理心中の第一通報者であって、この取り調べが無理筋の警察側の陰謀である事は目に見えている。
    問題は警察側が、この聴取で一体何を目論んでいるのかがさっぱり判らないと云う事だった。

    任意の取り調べの場合、朝から取り調べを始めて夜になって解放した後、翌朝にまた任意の取り調べを求めて連行するという嫌がらせに近い形で取り調べが行われる事がある。
  今俺はそれをやられている。

  しかしこの場合、警察が確保している客観的証拠を武器に、対象者に「圧」をかけたり懐柔したり、揺さぶりながら精神的に追い詰めていき、自白等を引き出すものだ。

    その揺さぶりは経験則に基づいた絶妙なバランスの上に成り立っていて、実際に多くの犯罪者が耐えきれずに罪を告白する結果となる。
    相手は海千山千のプロだ。何を言っても、うまく丸め込まれて、警察の思うように自動操作される状態になっているはずだ。人生で味わったことの無いような威圧感を感じる事だろう。

    まあ俺の場合、相手の出方や取り調べの行われ方を理解しているから慣れているし、それに俺が死んだ二人にどう関われると云うのか?
   でっち上げ自体が無理の筈で、第一、担当の刑事が要領を得ず困惑しているように見えた。

   その男の「ご苦労様でした。これからは私が」の声掛けで、何時もの刑事と記録係が部屋から出て行った。
    奴らの背中は、何処か嬉しそうに見えた。

『くそ、俺を足止めしてたのは、この為だったのか!?』
    入室して来た長身の男を睨みあげてやりたかったが我慢した。
  初見から相手のペースに嵌っていては、どうにもならない。

「初めまして旭一輝さん。私、科学特捜課のイデ・ミツヒロ(井手光博)と申します。」
   刑事というより何処かの営業マンのような滑らかな口運びと共にその男は先程まで刑事が座っていた椅子に腰を下ろす。

「科学特捜課なんてのが警察にあったかな?」
    その男・井手は少し眉を顰めた。
    俺の一言が彼のプライドを刺激したのか?結構感情が表に出る人間のようだった。

「事前に貴男のプロフィールを読ませて貰いましたが、警察内部の色々な事情にお詳しいようで、なかなかしたたかなお人のようですね。けれど私に対してはそんな無駄口のアプローチは時間の無駄ですよ。私も時間の無駄はしたくない。」

『なんだこいつ公安でもなさそうだし』
    そう考えながら井手を改めて観察する。
    面長な顔はやや長めの顎で終わり上質な生地で仕上げられた暗い灰色のスーツの襟には流星の形をしたピンが留めてあった。

    井手は俺が見たことがないような新型のスマホを机の上に差し出した。
   その画面には、外界の雨に濡れそぼった黒い大きなゴム製のコオロギ男が映し出されていた。
   …言うまでもない。そいつは重ゴムのフル装備で探偵家業に勤しんでいる俺の姿だった。
    しかもヘルメットを展開して、一般人には禁止されている情報収集ゴーグルまで使っている。
   そう、この仕事は違法合法すれすれ、いや実際、ヤバい領域に踏み込んでいたのだ。
   でも何故、この男がその場面を切り取った映像を持っているのか?
    この時点で、この初手における大体の勝負はツイていた。


「私がお聞きしたいのは、諸星純一氏についてだ。」
    諸星純一!?あの気象予報士の?
    俺は虚を突かれ、あ然とした。
   全然、後藤田とは関係がないのか?
   ただそれだけの為に警察はでっち上げまがいの事をして、俺に足止めを食らわしたのか?

「ただこの聴取があった事は、くれぐれもご内密に。理由も分からず貴男に下手な動きをされると我々も困りますのでね。」
「あんたらは市警を顎で動かせる実力があるんだろ?諸星は只の気象予報士だ。なんで俺なんかに聞く?俺だって諸星と特に親しいってわけじゃないぜ。」

「ここまで来て色々と細かく聞く人だな…。まあ職業が探偵さんなら仕方がないか…。でも探偵さんなら自分が今、どういう厄介な事に巻き込まれかけているか、鼻を利かせても良いと思うんですがね。雰囲気で、わかららないですかね?」

    無茶苦茶だったが、井手の云う"雰囲気"だけはヒシヒシと伝わって来た。
     こいつが所属してる組織は公安、いや場合によってはそれ以上の国家ポジションにあるのだろう。
   俺達裏稼業の人間の間にだって、都市伝説みたいな話はある…その類に登場する住人か?

「我々は下手にアケローンに近づけない。あそこでは余計なニアミスを犯す可能性が高いんですよ。アケローンで最後に諸星純一の情報を掴んだのは貴男だ。我々はその詳しい中身が知りたい。」

「確かに、あそこは無法者共の巣窟だが、、あそこの芯は政府の管轄だろう?」
「国の力が及ぶのは凍土壁までだ。逆にいえば、アケローンではステュクス凍土壁自体が不逞の輩どもの人質になっている。貴方は私に、そんな事まで言わせたいのですか?」

   ステュクスは凍土壁とその機能を支える機構及び場所の総称だ。
   そこに従事する者や居場所を構えた人々の事を地上の人間はあまり口にしない。 
    ステュクスは色々な意味でのアンタッチャブルな存在なのだ。

    因みに凍土壁は、殺しの雨が濃縮された地下水を、天蓋都市の地下に新湧させないように造られた地中に打ち込まれた凍結管群に、零下30度の冷却液を循環させて周辺の土を凍らせたものだ。
    これが停止すると俗に云う"瘴気"が地面から立ち昇って来て人々の生活が立ち行かなくなる。
   にも関わらず、地上ではそれを意識しない。
   それは冷淡無関心と云うより、眼の前の殺しの雨に地上人の関心の全てがもぎ取られていると考えた方がいいかも知れない。

    ともかく井手は、俺が過去において、そのアケローンに関わった事まで知っていた。
   この件に、ついてもうあれこれと策を練る必要も価値もなかった。

   それに申し訳ないが、諸星純一とは特に昵懇の仲と云うわけでもないのだ。
    更に欲をかけば、この事から、彼の消息が判明したら、もう一度彼の気象予報の才能を買い戻せないとも限らなかった。

     ………………………………………………………………

    諸星純一を探し出す為にアケローンで俺は『数年前に行方不明になった義理の弟がいる。』と云う設定を使っていた。
    諸星との釣り合いで、年格好とか関係性に違和感を持たせない為の設定だったが、俺が"弟"と云うのには、又、別の意味がある。…だがそれは後の話だ。

    飽き性の俺としては結構な月日を諸星の捜索に費やしていた。
   俺はそれほど、彼の予報士としての実力を高くかっていたのだ。
   諸星を抱き込めば、本業で充分元はとれる。
  そして、ようやく彼の行方の手がかりを掴んだ。

   以前、諸星と交遊のあった男が、彼に似た男とある場所で出会ったというのだ。
    もっとも俺に、この情報をもたらした男は数日後、行方を眩ませてしまったのだが、、。
   とにかく、俺は諸星がいるかも知れない場所に出向こうと思い立ったのだ。
    勿論、その場所、アケローン自体にも魅力を感じていたのもたしかだが。

【酒場での証言】

「確かにねぇ。あの子に似てると言えばにてるわ。でもこれはあたしだから判るんじゃない?」
「それは、どういう意味だ?」
「聞かない方が良いと思うわよ。それにIt'sは危険よ。尻の毛までむしり取られる。」

「なぁーにあんたなんて、相手がいないから自分で抜いてるくせに。」
    横で話を聞いていた安いバイオ加工をしたトカゲ女が大声で笑う。パックリ空いた口から二つに割れた細い舌先をチロチロさせてやがる。
   、、、まったくとんでもない奴らだ。

   しかしこの女が、It'sで諸星を見かけたというなら、その話の信憑性は高い。
    俺とて、だてにこの数週間を捜索に費やしてきた訳ではない。
    人が「消えてしまう場所」としては、アケローンのIt'sほどお誂えの所はないだろう。
    俺が今までアケローンのIt'sに目がいかなかったのは、諸星の性格を考えたからだ。
    諸星は慎重な男だった。

    It'sは同じアケローンブロックでも超絶的な歓楽ブースだ。こんなチンケな夜の盛り場とはレベルが違う。
     そして極めて危険だ。
     It'sは快楽と引き替えに、人間から生活と人格を奪い取ってしまう。
    果たしてそんなブロックに、本当に失踪した諸星の足取りがあるのだろうか、、。

    いや、It'sだから、こそ彼はいるのかも知れない。
   俺には判っていた筈だ。
   諸星には、慎重さ以外にも、自分の身を滅ぼしてしまうような危険性と云うか、脆さ…そんな匂いがあった。


「It'sですか、成る程ね。」
    井手は釣人が思わぬデカ物の外道を釣り上げた様な表情を浮かべた。

    ギリシャ神話ではステュクスは、死後の世界の地下を流れているとされている川の総称だ。
    ステュクスにおける、人の住む凍土壁施設の有名どころは、プレゲドン・レテ・コーキュートス・アケローンになる。

    中でもアケローンは別格なのだが、その理由はIt'sなど、地上世界の人間質がお忍びでやって来るような快楽窟が多く存在するからだ。
    だが、いくらそうだからといって、あのアケローンに対して、権力を暴力装置としてある上級階層が、それほどおもねりを見せるのだろうか?と俺は思っている。

   まさかアレか?
    この星の何処に、来訪した異星人達が居住している場所があって、そこは一種の治外法権で保たれていると云う、あの都市伝説。
    いや、幾ら井手が科特課と名乗ったからってそれはないだろう…と、俺はこれまでの所そう考えていたのだが。

「話の先を続けて下さい。嘘偽りなくね。ソレがお互いの利益に繋がる。」
   "互いの利益?利益はおたくらにあっても俺にはないだろう。"と言いたかっが、このやり取りを止めれば、俺には損が残るだけだと思い出して、それを口にするのは止めた。

     ………………………………………

    俺は地上の物資支援ルートに紛れ混んでアケローンブロックに密入する事にしていた。
   正規のルートだと、本人との厳重な照合の上、IDを隅々まで調べられるからだ。
   もしアケローンが諸星を、意図的に「蒸発」させたのなら、アケローンは決して俺を彼に引き合わせはしないだろう。
    直接、ブロック入りして、後は偽のIDで身元を誤魔化せばいい。
    噂話ではアケローンが、IDを厳密に調べるのは「入ブロック者」が支払能力を持っているかどうかだけの目的であり、身元の詐称などは、なんら関係がないらしい。
    もっとも、一般人にとってID上、身元と支払い能力は切り離せないが、、。

   入ブロック者の中には、この卑わいな快楽窟に入窟する為に、身分を隠さなければならい人間たちもいるという事だ。
    俺は彼らに習って、融通の利く闇金にだけ、つながった偽のIDを使用することにしたのだ。
    




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