【R18】碧色社長の溺愛はイチョウの下で

紫堂あねや

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01話*愚か者

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 不運とは重なるものだ。否、大厄を甘くみて、御祓に行かなかった自分のせいだと思わなければ耐えられなかった。

 吹石 葵、三十三歳。
 激しい就職活動の波を乗り越え、安月給のなか必死に働いてきた会社が倒産。同時に敬愛する祖母の訃報が届いたのだ。

 悲しむ暇もなく朝一の飛行機で東京から故郷熊本に降り立つと、梅雨明けもしていない蒸し暑さのなか今年最初の蝉声を聞きながらレンタカーを走らせる。ナビを頼りに熊本市方面へ進めば道路脇に『吹石家』の看板が目に入り、小綺麗な三階建ての斎場に到着した。係の案内のもとエレベーターで三階に上がると、控室の戸を開ける。

「あら、葵ちゃん! 久し振りね~、元気だった?」
「うん。あ、お父さんとお母さんは夕方くるって。これ、お土産」
「兄さんはいらないけど、お土産は嬉しいわ」

 まだ九時過ぎなのもあってか、十畳ほどの和室には一六十センチの葵と背丈の変わらない叔母=千恵ひとりだった。笑顔で迎えてくれた彼女は仮通夜で昨日から旦那と泊まり、連絡する場所や準備が多すぎててんやわんやだと祖母に似たお喋りをはじめるが、明るい声とは反対に瞼は真っ赤に腫れている。
 葵もまた肩下まであるストレートの茶髪を一纏めに結い、持参した喪服へ着替えると、別室で美しい死に化粧を施され眠る祖母を前に堪えていた涙が溢れ泣き崩れた。

 お喋りとお節介が好きで、初孫の自分を誰よりも可愛がってくれた優しい祖母。だが、小学一年の秋に親の転勤で東京へ引っ越し、住所も電話番号も知らなかったばかりに疎遠になっていた。大好きなんておこがましいと胸に仕舞い込んだ葵は控室の戸を開くと声をかける。

「私、『天空そら』に行ってくるね」
「いいけど、喪服で行くの? 手入れしてないからボロボロよ」
「外から見るだけだから」

 お茶を淹れる手を止めた千恵は洗顔しても泣き腫らしたのがわかる葵を心配するが、隣で新聞を読んでいた旦那は無言で鍵を差し出す。古びているがよく知る鍵に目頭が熱くなった葵は一礼すると斎場を後にした。

 車を走らせること、一時間半。
 移り変わる景色と記憶を照らし合わせながら阿蘇五岳こと阿蘇山へ向かう急勾配の道を登るとペンション村の案内板に導かれ木々と砂利道を進む。次第に西洋式の家々が現れ、奥まった高台に記憶と同じ煙突を見つけた。

「あった……!」

 車を止めると下ろした髪が長風で舞う。手で抑えながら見上げるのは雑草と蔦が蔓延る二階建てのカントリー調の家。青色の外壁は色褪せ、煙突も崩れているが、見間違うはずがない。祖母の家であり仕事場でもあった──ペンション『天空の休憩所』。

 十数軒ほどのペンションが集まるこの地域はひとつの村として観光ガイドにも掲載され、祖母も娘の千恵夫婦と英国モチーフの料理や雑貨をメインに経営していたが、高齢と震災が重なり閉業せざるを得なくなった。最後に『天空』と祖母を訪ねたのもその頃で、既に寝たきりとなっていた祖母とは会話もままならず今日に至る。
 
「もっとたくさん遊びにくればよかったな……」

 割れた窓ガラスから埃被った室内が見えるだけで涙が滲み、鍵を持っているのに足がすくむ。
 お洒落で美味しい料理、日本では見ない雑貨、近くの湯元から引いた温泉。手頃な料金で旅の疲れを癒し、楽しい一時を与える『天空』には多くの客が泊まり、手伝う葵を褒めてくれる人もいれば友達になった子もいた。

「あ……」

 ひとりだけ、名前を知らない男の子を思い出す。小学校に上がった年、今日のように暑く、秘密の場所で出会った碧い瞳の──。

「あー……うん。本当、なんであんなことしたんだろ……私のバカ」

 忘れたままでいたかったのに忘れられない思い出。
 “おまじない”とはいえ、初対面の男の子とキスをするなど今となっては顔から火が出る思いだ。

「でも……カッコよかったな。あの外国の子」

 沸騰している頬を両手で覆うと視線を上げる。
 憶えのある綺麗な碧色の瞳。染めた自分とは違う栗色の髪も合わされば外国からの観光客かハーフだったのだろう。

「『whatなんだって』……だもんね」

 祖母や宿泊客からも聞いた言葉。今では本場の発音だとわかるが、耳まで真っ赤になっていたのを考えると言動とは裏腹にシャイだったのかもしれない。推測に笑いが込み上がるが余計に首を傾げる。

「なんで名前聞かなかったんだろ? というか、帽子どうしたっけ?」

 無性に気になってしまうのは忘れていた影響か必死に思い出そうとすればするほど記憶は開かず、両腕を組んだまま傾けていた首を戻す。

「うん、行けば思い出すで……へ?」

 笑顔で振り向いて固まる。
 本来なら絶景の下に秘密の場所──巨木が見えるはずが、ない。否、それらしき木はあるが、塀に囲われていて確実とはいえない。なにしろ木々しかなかった土地に広大な建物ができているからだ。

「へ、ウソ? ちょ、待って待って! どういうこと!?」

 最後に訪れた時にはあった木となかった建物に涙も引っ込むと慌てて車に乗り込みエンジンをかける。行きは『天空』を探すのに精一杯で見落としていたが、数分下るだけで目当ての場所に着いた。

「『蒼穹そうきゅう』……?」

 駐車場に止めた車から降りると真新しい檜に彫られた字を読む。
 二階建ての青色屋根に木材と鉄骨が合わさった現代的な建物は出発する専用バスを見るに旅館のようだが、玄関へ向かう途中に掛かるアーチ状の橋下を流れる清らかな小川には覚えがあった。

「秘密基地を暴かれる気持ちってこんなのかー……」
「お嬢様、いかがなされましたかな?」

 橋で渇いた笑いを出していると柔らかな声がかかる。
 オールバックの白髪に白い口髭。背筋もピンッとし、黒の燕尾服も優雅に着こなした七十代ほどの老紳士は慌てる葵から駐車場に目を移した。

「もしやバスに乗り遅れましたかな? でしたらわたくしがお送りいたしますよ」
「へ!? あ、すみません……私、お客さんじゃなくて……」

 従業員だったようで不法侵入に近い葵は顔を青褪めるが、少しだけ目を瞬かせた老紳士は微笑むと礼を取った。

「それは失礼しました。お外はお暑いので、どうぞ中でお飲み物を飲みながら見学なさってください」
「へ……で、でも」
「もちろん無理強いはいたしません。大切なお見送りもございますでしょうし」

 喪服に察したのか、老紳士の目元が少しだけ落ちる。申し訳なくなる一方、中が気になるのは本当で、通夜は夜からだと伝えると有難く案内してもらうことにした。

 橋を渡り、玄関の自動ドアが開くと大理石の床にシャンデリア。壁は巧みな木組みに幻想的な絵画が飾られ、季節の花々が咲く中庭をガラス張りの窓から臨める。パンフレットを読むに、十数ほどの個室しかない高級旅館のようだ。

(入っちゃいけないとこに来ちゃったー……)
「どうぞ、麦茶です」

 ラウンジソファに腰掛けていた葵は逃げ出したくなるが、ソファの柔らかさと冷えた麦茶の美味しさに緊張が解れる。時間的にチェックアウト後なのか従業員しかおらず、ゆったりとした音楽を聴きながら再びパンフレットに目を通すと創業年を指でなぞった。

「五年前……どうりで知らないはずだ」
「おや、この辺にお住まいだったので?」
「へ? あ、私ではなく祖母があそこで昔ペンションしていて、夏休みに遊びにきてたんです。今日はその祖母の通夜で……」

 高台に向ける指と語気が落ちる。だが『それは御愁傷様で』と深く御辞儀され、慌てて立ち上がると頭を下げた。

「あ、と……それで、子供の頃からあった木がここにあるみたいで……確かめに寄ったというか」
「木、ですか?」
「はい。あれです」

 頭を上げると高台の斜め下。屋根に遮られているが、はみ出している樹頭を指すと定かではないですがと付け加えようとして止まる。というのも、老紳士が大きく目を見開いているからだ。戸惑う葵に我に返ったのか、白手袋した手で口元を覆った老紳士はくぐもった声で問う。

「し、失礼ながら、お嬢様のお祖母様がされていたというペンションはもしや『天空の休憩所』ですかな?」
「へ? あ、はい。もしかして、お越しになったことあるんですか? はじめまして、孫の吹石 葵です」

 自分は記憶にないが、はっきりとペンションの名を知っているなら顔を出していない頃のお客さんだろうと頭を下げる。だが、老紳士の目はいっそう大きく開かれるばかりか涙を落としはじめた。

「ど、どうしました? お、お茶飲みます? とっても冷えてて美味しいですよ!」

 テンパるあまり自分の麦茶を差し出すとフロントマンも何事かと駆け寄るが、制止をかけた老紳士はハンカチで涙を拭った。

「申し訳こざいません……ああ、そうでしたか……貴女が……アオ様でしたか」

 歓喜に似た含みに葵は困惑するが、ハンカチを締まった老紳士は改めて礼を取る。

「何度も失礼しました。巨木に御案内いたしますので、こちらへどうぞ」
「へ? あ、ありがとうございます……」

 背を向ける老紳士の様子がおかしいのは明白だが、まだ求める木と決まったわけではない。なにより涙に理由を問うのは野暮な気がして静かに後を付いて行った。

 フロント近くにある『関係者以外立入禁止』と書かれた扉の自動ロックが解除され、無音となった廊下を進む。従業員用とも違う気がしてならないのは床が大理石から赤絨毯が敷かれたフローリング、壁も組木から木目と、明らかに住居へ変わったからだ。幸い『天空』も土足だったため脱ぎたい衝動には駆られないが、場違いすぎてまた逃げ出したくなる。

「あちらでございます」
「は、はいっ……!?」

 背筋を伸ばしてしまうが、頭を下げる老紳士が向ける手の先に目を瞠った。
 蝉とせせらぎの音、木漏れ日を映す地面。縁側さえ覆い隠す雄大な巨木は記憶よりも小さく見えるが、不要な枝を伐採したからだろう。でも、わかる。ここは──秘密の場所だと。

「っうぅ……よかった、残ってた……残ってたよぉ」
「もちろんでございます。ノア様とアオイ様を結んでくださった大切な木ですから……ノア様!」

 随喜の涙を浮かべながら両手で口元を覆う葵は巨木の下で背を向けている人に気付く。老紳士の声に振り向いたのは背丈が一七十後半、白藍の着物と花浅葱の羽織りを揺らす細身で中性的な顔立ちの男。センター分けされた髪は肩に掛かるかどうかで色は黒だが、耳下からは栗毛だ。

 二十年以上昔の記憶を思い起こさせる容姿に葵の動悸が速くなると上風が吹く。巨木が揺らす葉音と緑の扇葉が散るなかでも碧色の瞳と目が合った。

「あ、あなた……もしか「麦野。なんだ、そのバカ面した女は」

 震える声は冷ややかな声に遮られる。呆気に取られる顔がまさに指摘通りだったせいか、腕を組んだ男は綺麗な顔と瞳の輝きも半減する仏頂面で溜め息をついた。

「私有地に余所者を入れるな、愚か者」

 悪態が見事に過去を掘り起こす。
 眉間を押さえる老紳士を他所に渇いた笑いしか出ない葵は心底思った。

(永遠に忘れていたかったなあぁ~……)



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