【R18】碧色社長の溺愛はイチョウの下で

紫堂あねや

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02話*I can't believe it

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 思い出の巨木を前に、二十七年振りの再会。
 季節もシチュエーションも差違はない。まるで運命のように思えるだろうが、美丈夫台無しの仏頂面に睨まれては思い出にシャッターが落ちる。

「うん、人は顔じゃないヨネー」
「申し訳ございません。時間が性格をねじ曲げてしまい、優しさが隠れてしまいました」
「台詞は同じなので、むしろ変わってなくて安心しましたヨー」
「おい、貶しながらフォローするのやめろ。女にしては片言じゃないか」

 遠い目をする葵と御辞儀をする老紳士=麦野に、ノアと呼ばれた青年は顔を顰める。それだけで彼が思い出の少年だと確信した葵は肩を竦めた。

「……今日の体調はどうですか?」
「? 特に問題ない」

 会話が成立している麦野とは違い意図が見えていないノアに葵は安堵半分、落莫な気になる。だが、顔色が良いことに胸を撫で下ろすと背を向けた。

「よかった。もうキスはしませんからね」

 まるで気付いてもらいたいような言い方をしてしまい頬が熱くなる。彼がどんな顔をしているか気になりながらも、憂色を見せる麦野に一礼した葵はその場から去っていった。
 切れ込みが入った一枚の扇葉を、そっと手に包んで。


* * *


 先ほどまで立っていた跡を消すように、風で運ばれた葉が縁側に散る。手慣れた様子で落ち葉を箒で集める麦野は主人を一瞥すると床に視線を戻した。

「追い駆けなくてよろしかったのですかな? 彼女がどなたか、もうおわかりになったでしょうに」

 問いかけに答えはない。だが、ノアの碧い瞳は長年仕える麦野でさえ見たことないほど開かれ、口元を手で覆っていた。

「っ……I can't believe it信じられない
「私もでございますよ」

 母国語が出るほどの動揺に、集めた葉をゴミ袋に入れる麦野は悪戯が成功したように笑う。

「アオイ様と仰るそうです。フキイシ アオイ様」
「フキイシ アオイ……アオイ……アオっ……!?」

 何度か呟く名前と踵を返した背中。そして、髪の流れが幼き記憶と重なった瞬間ノアの頬どころか耳まで真っ赤になる。そのまま俯く様子に、はっと気付いた麦野はゴミ袋を捨て駆け寄るが、制止をかけたノアは何度も息を吐いては胸を押さえる。額からは汗も滲むが口元は柔らかい。麦野は安堵する一方、沈痛な面持ちで続けた。

「大変喜ばしいことですが、残念なことに彼女のお祖母さま……『天空の休憩所』のオーナー様が昨日亡くなられたそうです」
「チヨ婆が……?」

 吉報からの凶報にノアの表情が曇る。その目が映すのは巨木。そして、葉の隙間から僅かに見える崩れた煙突に瞼を閉じると、思い出が吹き荒れる風のように脳裏を過ぎった。

「…………麦野」
「はい」
「斎場を調べろ。あと、今夜と明日の予定はすべてキャンセルだ」
「かしこまりました。喪服も御用意いたします」

 一礼した麦野は背を向けるとゴミ袋を片付けながら片耳に着けたインカムで各所に連絡を取りはじめた。一息ついたノアは握りしめていた扇葉を見下ろす。

「そうか……“アオイ”と言うのか……アオイ……アオ……」

 呼ぶ度に熱くさせるのは陽射しか別の力か。くしゃくしゃになった葉にそっと口付けると、迷いのない足を進めた。


* * *


 衝撃の再会に浸る暇もなく熊本空港に到着した両親を連れ斎場に戻った葵は受付を担当し、通夜に訪れる人たちに挨拶する。久々に会う親族はもちろん、馴染みのペンションオーナーも駆けつけ、祖母を悼みながらも成長した葵に驚嘆した。

「本当、あんなに小さかったアオちゃんがね~」
「千代子さん、いっつも可愛い可愛いって自慢してたわよ」
「東京に行った時は寂しがってたけど、いつ来てもいいようにって必ず屋根裏部屋を空けてたっけ」

 知り得なかった話に葵は涙を浮かべるが、次の弔問に追われては段取りの確認を補佐し、座れたのは式がはじまる前だった。最前列の一席でひと息ついていると、隣に座る千恵が申し訳なさそうに声をかける。

「悪いわね、いろいろ手伝わせて」
「ううん。動いてる方が気が紛れるから……あ。叔父さん、鍵」
「…………入ったのか?」

 千恵の後ろに座る旦那であり叔父=誠太郎に鍵を出すと腕を組んだままチラ見され、頭を横に振れば『やる』と、そっけなく返される。有名ホテルで培ったシェフとしての腕は『天空』でも発揮され多くのファンを増やしたが、いかせん無口無愛想。それが人見知りだと知っている葵は一礼だけすると鞄に戻し、思い出したことを千恵に訊ねた。

「そういえばビックリしたよ。前に来た時はなかった旅館ができてるんだもん」
「ああ。あんな近くに建てられたらペンションが廃るって反対もあったけど、震災でそれどころじゃなかったからね」
「そう……なんだ」

 確かに価格帯や客層で差が出るとしても、地元民ペンションからすれば新しい旅館というだけで驚異だろう。無事だった巨木と関係者であるノアと会った葵としては複雑だが、式のはじまりを告げるアナウンスに数珠を取り出すと千恵に耳打ちされた。

「でもね、母さんは反対しなかったのよ。むしろ喜んでた」
「へ?」
「詳しくは聞いてないけど、特に旅館の名前を気に入っててね」
「『蒼穹そうきゅう』?」

 小声で続けている間に僧侶が入場する。視線を移す葵に千恵は手を横に振った。

「『蒼穹あお』って読むの。孫バカよね」
「………………へ?」

 くすくす笑う声と間抜けな声。そこに木魚を叩く音が重なると、微笑む祖母の遺影が意地悪く見えた。

(読み違い……うん、それだけ。それだけでいいのに……)

 言い聞かせても葵の動悸が激しいのは羞恥ではなく、ノアを思い出すからだ。読み方が似ているだけで自分ではない。わかっているのに期待してしまうのは自惚れか。式が終わった今も悶々とし、持ち返ってしまった扇葉を見つめてしまう。

「葵ちゃん、兄さんたちにお茶を運んでくれる?」
「へ? あ、うん」

 扇葉を手帳に挟んだ葵は千恵から茶器が乗った盆を受け取る。
 斎場にある大広間では四十人ほどの親戚や世話になった人で会食が行われていた。お酒が入っている人もいるが祖母の話で盛り上がっている。

「いやー、あん時の千代子さんカッコよかったよなあ」
「あんで俺ら、こん人に付いてごーってよえ」
「そうそう。もうウチらのボスだわ!」

 大笑いする人たちの目には涙が滲んでいる。お茶を置く葵ももらい泣きするが、ぐしゃりと何かを潰す音に振り向いた。

「なにがボスだ。ありゃただのお節介なクソババアだろ」
「お父さん……」

 葬式向けとは思えない跳ねた黒髪に無精髭。シャツがヨレヨレなのも構わず缶ビールを握り潰した実父=道雄に葵は顔を顰める。泥酔しているのがわかるほど真っ赤になっている道雄は新しい缶ビールを開けると勢いよく飲み干した。

「っかー! ホント、ペンションなんて金にならねーこと続けるとか偽善以外の何者でもねーよ。とっとと畳んで遺産遺しゃよかったのによー」
「お父さん、やめて。もう飲まないで」

 ペンション仲間がいる前で愚弄するなど耐えられず葵は缶ビールを取り上げる。その後ろから同じく青筋を立てる千恵が入ってきた。

「母さんを捨てて逃げた男が長男ぶらないでほしいね。離縁したんだから、遺産なんて一文もあげるわけないでしょ」
「ああ? 俺は離縁した覚えなんざミリもねーよ。てめーもボケたか? ならババアと一緒に墓入って金寄越せや」
「兄さん!」
「おい、やめろ……」

 苛烈する兄妹にさすがの誠太郎も周囲も止めに入る様に葵は眩暈を覚える。
 道雄は実母である祖母=千代子を嫌っている。実父が早くに亡くなり、女手ひとつで千恵と二人育ててもらった恩も無下にする横暴さで、体調を崩した千代子の見舞いどころか介護施設や葬儀費もすべて千恵に任せるほどだ。特に酒が入ってる時の暴言は酷く、重々知っている葵の母は式後にホテルへ戻ってしまった。
 缶ビールを持つ手が震える葵や険悪な空気に気付いていないのかワザとなのか道雄は捲くし立てる。

「ああ、うるせえな! おっんだヤツの話なんざするだけ無駄だ!! 悪口いわれたくなけりゃ、てめーらもとっとと死んじまえよ!!!」
「なんだと!」
「もう我慢ならねえ!」
「ちょっ、みん「おい、その愚か者はなんだ」

 堪忍袋の緒が切れた男たちが道雄の胸倉を掴むと同時に重く刺々しい声が割って入る。ざわついた周囲のように葵も振り向くと大きく目を見開いた。

 昼間とは打って変わり細身が際立つ反面、真っ直ぐな姿勢が優雅に魅せるブラックスーツにネクタイ。碧の瞳はオーバル眼鏡に覆われ知的に見えるが、この場の誰よりも不快感を露にしている青年が佇んでいた。

「麦野、あの愚か者を火葬してこい。吐き気がする」

 憎々しい声に、背後に控える麦野は困った様子で笑う。誰もが呆気に取られるなか、葵だけは睨みを利かすノアに感謝の涙を零した──。



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