【R18】碧色社長の溺愛はイチョウの下で

紫堂あねや

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03話*ニ十七年

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 大広間がざわつくのは小競合いはもちろん、突如現れた青年の存在が大きい。特に戸惑っているのが、ペンションオーナーたちだ。

「あれは『蒼穹』んとこの……」
「なんでここに……」

 関係者だとは思っていたが、認知されているほどの有名人だったことに驚く葵に視線を移したノアは一瞬ぎょっとしたが、すぐ苛立った様子で声を上げた。

「アオっ、こっちこい!」
「は、はいっ!」

 咄嗟のことに涙も引っ込み、返事をしてしまう。自分のことでいいのか悩んでしまうが、ノアは真っ直ぐ葵を捉え、周囲も自身を見ていることに羞恥が勝ると小走りした。

「おい、ちょっと待ててめー!」
「兄さんは黙って!」

 父の怒鳴り声に強張った身体が動かなくなる。背後で千恵たちが制止してくれるのが聞こえるが、幼い頃から根付いているトラウマに嫌な汗と震えが止まらないでいると、白く長い手に引っ張られた。

「あ……」
「焼香がしたい。案内しろ」

 根から引き離すような柔らかい声と優しい手。なにより碧い瞳に動悸が違う音を鳴らす。それこそ暴言を掻き消すほど大きいのに心地良い葵は首肯を返した。

 大広間がある二階からエレベーターで一階に降りると式場に入室する。薄暗いスポットライトが祭壇を照らし、静寂と香が漂うなか棺に入った千代子の顔窓を開くと蝋燭を点けた。
 亡くなっているとは思えないほど安らかな表情に涙を堪える葵の横で、ノアと麦野が順に焼香を上げる。合掌時はもちろん、顔を覗かせる今も悲痛な表情をしていることに戸惑いながらも訊ねた。

「えっと……祖母とは知り合いだったの?」
「知り合い……というよりは恩人だな。アオとチヨ婆に会っていなければ俺は今、日本にさえいないだろう。まあ、戻った時には『天空の休憩所』も閉業していて残念な再会となったがな」

 眼鏡のブリッジを上げながら淡々と答える隣で麦野はハンカチで目元を拭っている。千代子を知っているのは間違いないだろうが『恩人』の意味も自身の名前が上げられるのも理解できない。
 ただひとつ『アオ』と呼ばれている。忘れていると思っていたのに、碧の瞳に囚われると幼き日と重なり、葵の身体は熱くなった。

「そ、そっか……わ、わざわざありがと……さ……さっきも……お父さんがごめんね」
「what!?」

 記憶と同じ発音の一驚に心臓が跳ねる。逸らしていた視線も戻ると、ノアどころか麦野さえ絶句していた。

「あの愚か者はアオの父親なのか? 義理とか親戚ではなく?」
「へ? あ、うん……残念ながら」
「なんともまあ、奇異なお父上ですな」
It's a nightmare悪夢だ……」

 眼鏡の上から手で目元を覆ったノアは大きな溜め息を吐く。
 信じがたいと思われるのは仕方ない。葵は母似で、父だと知った人の殆どは驚愕し同情する。葵自身、何度も嘘であってほしいと願ったが、変えられない現実にもはや渇いた笑いしか出ないため話を続けた。

「それより」
「それよりで終わっていい話か?」
「うん。どうでもいいし」
「潔いですな」
「慣れてるので。それで、あなたは「ノア」

 言い切る前に遮ぎられる。唐突すぎて口を結んだ葵に一息ついたノアはゆっくりと発した。

神楽坂かぐらざか ノア。俺の名前だ」
「へ……あ、うん。えっと、神楽坂さ……ノ、ノア」

 名字で呼ぼうとしたが威圧感に慌てて言い直す。が、まだ不服そうで、口篭りながらも再び葵は声にした。

「っ……ノア?」

 小声だったが閑散とした式場では充分響く。なにより、ノアの口元が綻んだことに熱が頬に集まる葵は間接照明だけでよかったと心から思いながら改めて問うた。

「そ、それで……ノ、ノアは……ハーフなの?」
「ああ。父がイギリス人で母が日本人だ」
「そうなんだ……髪は染めてるの? 前は全部栗色だったでしょ? 綺麗だったのに……あ」

 質問攻めな上に思い出したかも確証がない葵は咄嗟に手で口元を押さえる。怒られるか呆れられる覚悟でチラ見すると、予想に反してノアは自身の栗毛を触りながら視線を落としていた。

「日本だと色々言われるから染めてる……アオこそ、茶髪も似合うが俺は黒髪も好きだったぞ」
「へ……あ、ありがとう……わ、私も就職とかで子供っぽく見られたくなくて……」

 褒められるとは思わずつい視線を落とした葵は結っていた髪に触れる。互いに照れているのがわかる麦野は微笑ましそうに見守るが、荒々しい靴音と怒声が甘い空気をぶち壊した。

「おいごらっ、さっきはよくも恥をかかせてくれたな!」
「兄さん、もうやめなさい!」

 怒り心頭の道雄が現れると、疲弊した千恵夫婦と数人の親戚が追って入ってくる。葵たちもげんなりだ。

「チヨ婆の代わりにヤツが三途の川を渡ればよかったのに」
「いやはや、強欲な者ほどしぶとく生きるといいますか」
「おばあちゃん、もう少し欲を見せたほうが長生きできたのかな……宿泊代、八千八百円じゃなくて九千円とか」
「いや、せめて万を取れ。あのサービスと料理で八千とかおかしいぞ」
「無視すんじゃねー!」

 誰ひとりとして否定しないなか、道雄だけは看過できなかったようで並列されたパイプ椅子を蹴り上げた。けたたましい音に場内は静まり、全員の目が集まったことに道雄は鼻で笑う。

「はっ。ババアの葬式で男か、葵? 俺にも紹介してくれや」
「違う! この人は」

 反論する前にノアの手に制止される。前に出た彼の目は鋭かった。

「アオとチヨ婆を愚弄する愚か者に答える気はない。貴様こそ紹介してやろうか? 精神科とアルコール依存施設と警察署」

 毅然とした態度で意地の悪い笑みを浮かべるノアに思わず親戚が噴き出すが慌てて口を押さえる。が、既に道雄の顔は怒りかアルコールかわからないほど真っ赤になり、ノアではなく葵に目を向けた。

「葵っ! てっめー、役立たねーくせして、一丁前に男をたぶらかしてんじゃねーぞ!!」
「た、誑かしてなんか」
「ああ? じゃなきゃてめーに男なんかできるわけねーだろ? それとも金か? クビ切られて金ねーって言ってたのはそいつに貢いだからか?」

 嘲弄に唇を噛み締めた葵は両手を握る。
 こう見えて父は大手旅行会社に在籍し、会社では愛想良く仕事ができる人だ。実態は気に食わないことがあれば葵と妻に罵声を浴びせ、下げずんでは口答えできない二人を見て愉悦に浸る下道。何度も母に離婚を勧めても頑なに拒否し、大学に入ると同時に家を出たが、今までの養育費と称して金を請求される始末。会社が倒産し、実家に戻るしかなかった今も続いているばかりか、笑いのネタにまでされている。
 それを身内だけでなくノアにも聞かれ、悔しさと羞恥で出したくない涙が浮かぶと道雄の口元が弧を描いた。

「なんだ、アオ。仕事を探しているのか?」

 割り込んだ声に、はっと我に返った葵の目前には道雄を隠すように佇むノア。軽蔑でも同情でもない、ただ自身を映す碧の瞳に自然と頷くと、彼の口元が綻んだ。

「なら、俺のところで働けばいい」
「……へ?」

 突然のことに涙が引っ込んだ葵は千恵や親戚同様呆ける。対してノアは麦野に目を向けた。

「そろそろ新しいヤツを付けようと思っていたんだ。繁忙期に入るし、いいだろ?」
「名案ですな。お恥ずかしながら私も歳のせいか力及ばないことも増えましたし、アオイ様は運転されるそうなので助かります」
「へ、ちょ、待っ……」
「はっ、つまり奴隷にしようってことか? いいねいいね、惨めっだ!」

 ノアが投げた紙が面白可笑しく笑う道雄の頬をかする。それは名刺で、舌打ちしながら拾うと真っ赤だった顔が徐々に青くなった。

「文句があるならアオではなく俺に言え、愚か者。俺は貴様より地位も金もあるから、いつでも遊んでやる。麦野、そいつの名刺を受け取ったら車を回せ。帰っとと」

 冷えきった言葉は刃物よりも鋭かったが、葵に腕を掴まれると目を丸くする。引っ張られるように別扉から退出し、誰もいないことを確認した葵は顔面蒼白でノアを見上げた。

「ちょちょちょちょと待っ、待って、ノアっ!」
「待ってるから落ち着け。ほら、深呼吸」

 冷静な声に深呼吸した葵は胸元で両手を握るも、目は右往左往している。

「し、仕事って『蒼穹』よね? な、なんで私に……」
「探していたんだろ? 衣食住付きだから安心しろ。それとも、熊本に住むのは嫌か?」
「そ、そうじゃないけど……」

 熊本は好きだし、仕事が見つかるのも、『天空』と巨木の傍で働けるのもありがたい。だが、好条件すぎて不安が大きい葵を察したのか、ノアは溜め息をついた。

「……まあ、一番はあの父親愚か者から離したいからだ」
「へ……」

 視線を上げれば苛立ちのような悲壮のようなノアと目があった。それだけで涙が滲むと、細長い両手に頬を包まれ、碧い瞳が近付く。

「嫌なんだろ? アイツといるのは」
「そ、それは……」
「アオ?」
「っ……!」

 穏和な声に含まれた熱に気付いた時、互いの唇が重なっていた。眼鏡が当たることよりも柔らかな感触と唇の隙間を舐める舌先に葵の身体が震える。

「あん……んっ、ノ、ア……っ」
「ん……アオ」

 艶やかな声と共に伸ばされた片腕が葵の背中に回る。離れようと思えば容易にできるが、気持ち良さに身体が動かない。時間にすれば一分足らず。体感では長く感じた唇が白い糸を伸ばしながら離れると、息を切らす葵は既に蕩け、指先で掬った白糸を舐め取ったノアは満足気に笑った。

「二十七年振りか……」
「っ、ば、バカ! なにするの!! 変態!!!」

 “あの日”が蘇った葵は顔を真っ赤にしてノアの胸板を叩く。対して彼はなんでもないように視線を他所に向けた。

「別にいいだろ、二度目なんだし」
「に、二度目でも小さい頃とは違うでしょ! そもそも、もうしないって」
「苦しい時や辛い時は半分こ、だろ?」
「っ……!」

 反論が止まる。まさに自分が教えた祖母の“おまじない”。幾人にも教えたが、唇にキスし、半分こと伝えたのはただひとり。紛れもない巨木の前で出会った少年が目の前にいること、さっきまで苦しみ辛かった心が和らいでいることに涙が伝う葵は勢いよく抱きついた。

「アオ、あんな愚か者のところなんかいなくて大丈夫だ……俺の傍にいろ」

 出会った日と立場が逆になったノアは咽び泣く身体を抱きしめると優しく髪を撫でた。あの日よりも大きくなった手で──。




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