【R18】碧色社長の溺愛はイチョウの下で

紫堂あねや

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04話*衝動と想像

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 時刻は夜の十時を過ぎる。
 ノアに連れられ、斎場から麦野が運転する車で訪れたのは『蒼穹』の裏に建つ平屋の日本家屋。覚えのあるフローリングと壁から旅館と繋がっているのが想像できるが赤絨毯はなく、靴を脱ぐ仕様のようだ。

「お帰りなさい。まあまあ、この子がお話くださったアオイちゃん?」

 スリッパに履き替えていると薄紫の着物に割烹着。白髪を頭の上でひとつの団子にして簪を挿している小柄な老婦人に迎えられる。『ただいま』と返すノアの横で麦野が女性に手を向けた。

「家内の“マユ美”です。この家の食事や掃除、たまに旅館の手伝いもしていただいています」
「へ、あ、はじめまして。吹石 葵です」
「はい、はじめまして。主人と坊っちゃんがお世話かけました」

 床に座り、一礼するマユ美に葵も慌てて座ると深々と頭を下げる。くすくす笑う麦野に上着を手渡したノアは溜め息をつきながらネクタイを外した。

「マユ婆、後を任せるが余計なことは言うなよ」
「まあまあ、婆にはどれが余計なことか検討がつきませんわね」

 ほっほほと楽し気に笑うマユ美に二度目の溜め息をついたノアは諦めたように麦野と去っていく。遠退く背中に寂しさを覚える葵の肩に皺々の手が乗った。

「大丈夫。またすぐ会えますよ」
「へっ!? あ、そ、そういうわけじゃ……」
「まあまあ。お顔を真っ赤にされてお可愛いらしい」

 虚を衝かれ慌てふためくが、祖母に似たからかい方に熱が引く。微笑むマユ美は葵の背中に手を置くと優しく撫でた。

「喪服は婆が整えておきますから今夜はゆっくりお風呂に入って寝て、明日笑顔でお見送りなさいな。ね?」
「……はい」

 事情を聞いていたのかマユ美の目にも涙が浮かび、小さな身体で葵を抱きしめる。その暖かさを憶えている身体が何度目かわからない涙を落とさせた。

 0時を過ぎ、聞こえてくるのは小川のせせらぎと虫の音。
 東京のような高層マンションや店がなくとも曇のない月と星空だけで充分明るいが、巨木で覆われた縁側では半減する。それでも葵は電気を点けず、茶の間の柱に背を預けたまま巨木を見上げていた。

「アオ、起きてたのか」

 かけられた声に扇いでいた団扇を止めると鼠色の着物に着替えたノアに目を向けた。明かりがなくとも美しいのに眼鏡のまま、足元も雪駄。旅館と繋がっている赤絨毯部分だけ土足可能だと聞いた葵は身体を起こすと苦笑する。

「今日だけで色々あったから……ノアは仕事してたの?」
「予定をキャンセルしても量が減るわけじゃないからな。それより、浴衣……似合ってるぞ」
「あ、ありがと……」

 頬を赤めた葵は団扇で口元を隠す。
 薄ピンクにダリアが描かれた浴衣は『蒼穹』で選べる一着で、マユ美に着付けてもらったかいあって着心地抜群だ。

「お風呂も温泉だし、阿蘇牛乳のアイスも食べれたし、木も見れるし……ノアまできてくれて贅沢だよ」

 ご機嫌に話す最後は独り言に近い。すると、通り過ぎたノアが奥の部屋に入り、何かを持って戻ってきた。雪駄を脱いだ彼は畳に上がるとひと息つく。

「アオとチヨ婆のおかげと言ったろ……ほら」
「へ……きゃっ!」

 話を聞いていたことよりも頭に被さった物に視界を塞がれた葵は少しだけ小さいソレを手に取ると目を凝らす。月夜に照らされるのは色褪せ、くたびれている麦わら帽子。どこにでもある帽子だが、くすんだピンクのリボンと裏に油性ペンでカクカクに書かれた“あお”に驚き入る。

「私の帽子! ノアが持ってたの!?」

 “あの日”着用し、少年だったノアに被せた帽子。だが、以降の記憶を思い出せなかった葵にとっては驚きしかない。座り込んだノアは眼鏡を外すと目をこする。

「俺というか、麦野が拾ってたんだ」
「麦野さん?」
「憶えてないのか? あの日、俺たちを迎えにきたのは麦野だ」
「ウソっ!?」

 衝撃の事実に時間も忘れ大声が出てしまった葵は口を押さえると必死に思い返す。麦野がきてくれたかは定かではないが、幼いノアの携帯が発信していた名前は覚えている。

「“じいや”って、麦野さんだったの?」
「三十路になった今は小っ恥ずかしくて呼べないがな」
「へ、ウソ。ノア、年下だったんだ」

 さらなる衝撃に目を瞬かせる葵に対して眼鏡をテーブルに置いたノアは眉を吊り上げた。

「年下で悪いか?」
「へ、あ……悪くはないんだけど、あまりにも偉そうだったから……まさか三つも下だったなんて」
「くっ……意外と上だったか」
「あー! そっちこそ意外ってなによ」
「べーつにー」

 そっぽを向くノアに葵は頬を膨らませるが、徐々に笑いが込み上げてくる。つられるようにノアも口元を綻ばすと巨木を見上げた。ざわざわと揺れる葉音がなんとも心地良い。

「ニ十七年……長いな」
「うん……でも、この木にとっては短いんだろうね。おばあちゃんが生まれた前からあったっていうし……すごいな」
「イチョウだからな。俺たちよりも長生きするかもしれない」
「へー。これ、イチョウだったんだ」

 確かに色を黄にしたらイチョウだと、縁側に落ちていた扇葉を手に取った葵は合点がいく。が、ノアが呆れているように見えて慌てて夏にしかきたことがないと弁明した。

「アオは熊本の生まれじゃないのか?」
「そうだけど、天草だから距離があるの。お父さんしか運転できなかったし、連れて行ってもくれなかったから、叔母さんが迎えにきてくれる熊本市までひとりで電車とバスを乗り継いできてたんだ」

 母親も特に止めなかったため、お金だけ貰って四歳の頃から夏休み限定で泊まりにきていた。何事もなかったのは駅員や周囲のおかげだろうが、二時間半以上もかけてよく行ったものだと今さらながらに感心する。

「子供の行動力ってすごいよね。この木を見つけた道も近道目当てだったし」
「俺も異世界に行けるんじゃないかとワクワクしたな。実際は違ったが、ト○ロがいそうだと感動した」
「そうそう、私も登ったけど穴がなくて落ち込んだなあ。くすの木じゃないなら仕方ないよね」

 苦笑が静寂のなかに二つ重なる。
 幼い故の衝動と想像。それがどれだけ掛け替えのないものになるか幼心では理解できず、大人になる頃には忘れている。いまだ薄れるどころか憶えているのは二人だけの記憶だからか、ほくそ笑んだ葵は緩く結んでいた髪を解くと麦わら帽子を被った。瞬いていたノアの瞳が大きく見開かれる。

「『大丈夫? どこか痛いの?』。なーんて……」

 “あの日”を再現する葵だったが、頭に収まらない上、呆けた様子のノアに恥ずかしくなる。沈黙がいっそう煽ったのか、ついにはノアに勢いよく帽子を被せた。

Oopsおっと!」
「なにが“Oops”よ。私がバカみたい」
「勝手にはじめたのはそっちだろ……愚か者」

 葵以上に入らない麦わら帽子の縁を握ったまま顔を伏せたノアの一言に“あの日”が重なる。酷い言葉なのに今は満足していると腕を引っ張られた。

「きゃっ……!」

 声を上げた時には身体が傾き、ノアの腕どころか胸板に抱きしめられていた。夜も深まり、和らいでいるはずの暑さを覚える葵は戸惑いながら顔を上げると、口元を綻ばせたノアの碧い瞳が自身だけを映し、ゆっくりと近付く。

「ノ、ア……んっ」

 大きな手が葵の頬を撫でると唇が重なる。
 眼鏡が当たっていた斎場とは違い、葵の唇を覆うほど深く、離れたかと思えば角度を変えて何度も口付けられる。

「んっ、はあ……ノア、ちょ、ンンっ!」
「アオ……んっ、もっと……」
「ぁん……」

 寝転がった畳には影で黒にも見える艶やかな葵の髪が広がり、麦わら帽子が落ちる。甘い吐息とリップ音が徐々に大きくなった。

「んふ、ん、はあ……んんン!?」

 止まないキスの嵐に息も絶え絶えな葵に対しノアはさらに歯列を割って挿し込んだ舌で口内を掻き回す。はじめての感覚に葵の身体は小刻みに跳ね、お腹の奥から沸き上がる何かに恐怖を覚えるが、不思議と両手は彼の首に回り、覚束ない舌を絡ませた。

「ん……可愛い舌だな」
「ひんっ!?」

 くすりと笑う声に恥ずかしくなる舌を吸われる。その吸引力と胸の膨らみに触れる手に、葵は大きくのけ反った。

「……ん? アオ、もしかしてイったか?」

 何かを感じ取ったノアが白糸を繋いだ唇を離す。
 見下ろした先には呼吸だけで身体が上下に動き、乱れた浴衣から見える肌に汗を滲ませる葵。その口元からは白糸の半分を垂らし、虚ろな目でノアを映していた。

「っ……アオ、ヤらしいな」

 ごくりと唾を呑み込んだノアの一言に葵は顔から火が出る思いになり、咄嗟に掴んだ麦わら帽子で顔を隠した。

「~~っバカあぁ……なにするのよおぉぉ……別に今は苦しくも辛くもないでしょおぉ……」
「……いや、苦しい」
「へ……!?」

 苦痛に似た声色に葵は帽子をズラす。
 月光と巨木の影が射すノアもまた着物がはだけ、汗を滲ませながら息を切らしているが、苦の字も見当たらないほど美しい微笑を浮かべていた。息を呑む葵の手を取った彼は肌着を見せる自身の胸元に置く。

心臓ここが……すごく」
「っ……!」

 手の平に伝わってくるのは葵と同等に速い鼓動。
 火照っていくのを感じたのか、心臓にあった手を持ち上げたノアは甲にキスを落とした。小さなリップ音に、ノアは“あの日”の葵のように満足気に笑う。

「汗をかいたろ。タオルを持ってくるから待っ「だだだ大丈夫! ひひひとりでできるから!! お、おやすみー!!!」

 羞恥から捲くし立てた葵は起き上がると、用意してもらった寝室に向かって駆けた。熱も四散する勢いにノアは呆けるが、次第に苦笑を零すと再び置き去りにされた麦わら帽子と団扇を手に取った。

「ひとりでできるって……俺が拭くと思われたのか? それはさすがに我慢できないだろ」

 団扇で煽ぐのは膨れ上がった下腹部。身体のどこよりも痛みと熱を発するものに笑みを浮かべると麦わら帽子を抱え込んだ。真っ青な顔と震えを隠すように。

「っ……はあ、はあ…………ほんと……っ、まじないとはすごいな……っ」

 大量の汗を落としながら浅い呼吸を繰り返すノアは少しの間を置くとその場に寝転がる。虚ろな瞳で捉えるのは扇葉を散らす巨木だ。

「まあ……おかげでアオと会えたんだから……感謝はしよう……」

 自嘲気味に笑うと麦わら帽子で瞼を覆う。
 吹き抜ける風の心地良さと馴染みのある帽子。そして、唇に残る感触と異なる味にノアは一筋の涙を落とした──。



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