もう離さない……【もう一度抱きしめて……】スピンオフ作品

星河琉嘩

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第1章

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 輝は栞の手を離そうとしなかった。泣きそうになっている栞の手を、離したくなかった。
「先輩……」
 そう、栞を呼んだ。



「──…っ!栞っ!!」



 遠くで聞こえる声に、ハッとする。栞は、輝の手を振り解き走り出した。
「栞先輩っ!」
「輝くんっ、ごめんね…」
 一度振り返り、小さく言った栞はそのまま声のした方へと走り去っていった。


 輝はまた、栞の手を離してしまった。そのことに、酷く後悔した。……しないわけがなかった。


 それからまた栞とは連絡が取れなくなった。高校2年の夏休み。毎日、バイトとバンド練習。そして夏休みの課題をこなす。その間にもライブハウスに行って、他のバンドのライブを観たりもしていた。
(どこにいるんだ…)
 毎日そう思ってしまうが、輝の生活はそれだけではないのだ。
「……輝お兄ぃ?」
 恐る恐る、部屋に入ってくる妹の沙樹。
「おいで」
 輝や、上の兄ふたりに慣れるまで時間がかかった。そんな沙樹が、こうして輝の部屋にやってくる。ずっと末っ子で通っていた輝が、今や兄貴だ。そのことに、不思議な感覚を覚える。
「あのね…」
「ん?」
 教科書とノートを手にした沙樹は、輝の隣にちょこんと座った。
「ここ…、分からないの」
 上目使いで輝を見る。
(そんな目、どこで覚えてきたんだ)
 沙樹の頭を撫でると、沙樹から教科書を受け取った。
 これが輝の日常。家ではこうして妹の面倒を見て、ふたりの兄貴たちとケンカをする。だから栞と練習が取れないことを気にしていても、気が紛れてしまう。
「分かった。ありがとう。お兄ちゃん」
 沙樹はそう言って部屋から出て行った。その後ろ姿を見ては、輝は微笑んだ。
(いつからだろうな)
 沙樹が来たばかりの時は、輝たち3人は戸惑ってばかりだった。だが今は3人の兄たちは、沙樹が可愛くて仕方ない。
「沙樹ー!」
 部屋の外で3つ上の兄、柊の声が響いた。ドタバタと、階段を駆け上がる音が聞こえる。続けて隣の部屋のドアが開く音が聞こえてきた。
「また柊兄は…」
 なにかを買って来ては、沙樹に渡しに部屋に入ったのだろうと、輝は感じた。でもそれは輝も一番上の兄のただしも、沙樹に対して甘い。そんな3人に、沙樹は溺愛されている。その状況に、初めは戸惑っていた沙樹だが、3人のことが大好きになっていったのか、家では笑顔が増えていった。それが何よりも嬉しかった。


「さて…と。俺も宿題片付けようかな」
 スクールバッグから、宿題を取り出してローテーブルに広げた。



     ❏ ❏ ❏ ❏ ❏



 夜遅く、輝のスマホが音を立てて鳴った。もうみんな、寝静まっていたから、その音に慌ててスマホを掴み音を消した。
(誰だよ、こんな時間に)
 スマホ画面を開くと、不在着信の表示が出ていた。
「……?」
 その相手を確認すると、滝沢栞の文字が目に入る。ベッドに横になっていた輝は、慌てて起き上がる。そして着信履歴から、栞に電話をかけた。
 栞はその電話になかなか出なかった。だが輝はそのまま栞が出るのを待っていた。


「……あき…ら…くん……」
 消えてしまいそうな声が聞こえると、輝は胸が苦しくなっていた。
「先輩…。大丈夫?」
 何かがあったと、咄嗟に感じ取った輝はそう声をかけていた。
「……っ、……っ!」
 声にならない声が聞こえてくる。
「今、どこ?」
「……っ」
「教えて。先輩」
 優しく声をかける輝に、栞は小さな声で言った。
「土手…の、公園……」
「今行く」
 スマホと鍵を持って、そっと部屋のドアを開けた。そして目の前の柊の部屋のドアを開ける。柊はまだ寝ていなかったのか、ベッドの上でダラダラとしていた。
「やっぱり起きてた」
「なんだ、輝」
「ちょっと出てくる」
「こんな時間から?」
「先輩が、困ってる」
「先輩?」
「滝沢栞先輩」
「滝沢?文芸部の?」
 柊の2コ下の栞を、柊は覚えていた。
 輝は黙って頷くと、静かに家を出ていく。


 外に出ると、熱風が肌に焼き付いた。夜になったといえ、涼しくなることはなく、その暑さが不快に感じた。
 玄関口の脇に置いてある自転車に鍵を差し込むと、ゆっくりと道路まで押していく。1階の奥の部屋には両親が寝ていて、バレてしまわないかドキドキした。
 時刻は深夜0時。交差点を曲がると、土手に続く道がある。輝はその道を一直線に、自転車を漕いでいった。




 第1章   終
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