【完結】淋しいなら側に

サイ

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5暗雲たちこめる

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 次の日、緋王は千の居室から出ようとしなかった。その翌日になっても出たがらなかったが、それはさすがに史郎と全宇によって連れ出された。
 とにかく、緋王は幸せの頂点にいた。食事も風呂ももちろん寝るときも、片時も千を離そうとはしなかった。
 緋王は千を抱いた後必ず全身を風呂で洗ってくれるのだが、そんなに大事にされたことのない千にとってこれは非常に気恥ずかしいものだった。しかも緋王は千の中に放たれた自分のものを掻き出す事までやって、おまけに耐えられなくなってまた二度目三度目……というのも珍しくはなかった。
 千には幸せな日々だった。
 愛していると言われたのも、もう手放せないと何度も愛撫されるのも初めてのことだ。行為の後、温かく抱きしめられながら眠るのも。
 千は緋王に愛されているのだと実感できた。それがこの上ない幸せだった。
 しかし、幸せは長く続かないのだ。
 蜜月の時から約一月、黒国からの使者がやってきたのだった。



 使者が来るという先触れの三日後、豪華絢爛な輿に乗って使者はやってきた。
 緋王が謁見の間で使者と会っている間中、千は落ち着かなかった。
 いや、数日前に使者が来ると知ってからというもの、千はずっと緋王が心配するほどに上の空だった。
 考えたくなかった。
 この幸せの日々に終わりがあるなど。
 ———いや、本当は分かっていたのだ。分かっていても、それを考えるのが恐ろしくてならなかった。
 毅旺は言っていた。緋王を零落させることができれば、千に自由を与えると。その言葉を信じたわけではないが、緋王と関係を持つようになってから、計ったような時期に使者の来訪。毅旺には分かっているに違いなかった。
 朝のうちに始まった謁見は、もうとうに終了しているだろう。陽は傾きかけていた。
 突然、千の部屋に瑤夏がやってきた。にこりと笑って、礼をする。いつも身の回りの世話をしてくれるこの侍女はいつも千に笑顔を絶やさない。
「若君。お使者の方がいらっしゃいます。よろしいですか?」
「え、ここに?」
 自然声がうわずったような気がする。幸い瑤夏はそれが特例である故の驚きと取ってくれたらしい。
「きっと驚きになられますよ。陛下と共にもうすぐいらっしゃいます。お元気なお姿をお見せすれば、きっとお使者もお喜びになられるでしょう」
「———うん……」
 内心、どんな通告がされるのかと気が気ではなかった。だが千のそんな心配をよそに、緋王と使者はすぐに現れた。
「———千!」
 使者は部屋に入るなり千の名を呼んだ。いや、使者ではない。
「佳姉さん?」
 驚く千に、佳はすがり縋りつくように抱きついた。肌触りの良い、豪華な絹の着物。抱きつかれてふわりと漂ってくる香りは伽羅香だろうか。一昔前からは想像もできない、姉の美しい姿に千は戸惑うばかりだった。
「姉さん、どうして……」
「使者としておいでだ」
「時暁さま」
 佳の後ろから共に現れた時暁が、瑤夏に合図する。瑤夏が心得たように頷いて退室するのを見て、千に笑いかけた。
「流石はお前の姉君、噂に違わぬ美しさと聡明さだな。———積もる話しもあるだろう、私は席を外す」
「あ……ありがとうございます」
 緋王が退室しても、佳は千を離そうとしなかった。久しぶりに会った佳は、以前ほどやせ細ってはいないように思う。少しほっとした。
「やっと会えたわ。千。もう、この子はなんて子なの」
「ごめんなさい……」
 佳は涙を流しながら、まじまじと千の姿を見る。
「緋王に感謝申し上げなくては。貴方をこんな立派な若君にしてくれて」
「うん。本当に、よくしてもらってるんだ」
「血色も良いし、ああ、本当に、幸せそうでよかった」
「姉さんは?静姉さんと一緒?暮らしはどうなの?」
 千の問いに、佳は複雑に切なげな笑みを浮かべた。その思いを察することができず、千は伺うように佳を見た。以前は見上げていた佳の顔も、今ではもうすぐ近くにある。
 佳は回答に困っている様だった。その時、そっと襖を開けて瑤夏が入ってくる。二人分のお茶を用意してくれた。
「若君、お座りになってはいかがですか?お使者の方も、今日はお疲れでしょうし」
「ありがとうございます。弟がいつもお世話になっております」
「いいえ。若君がお城に来られたおかげで、新しい風が入ったようで皆喜んでおります。お礼を申し上げるのは私どもの方です」
 一通りそんな会話を交わしてから、瑤夏は退室した。
 向かってお互い座ってから、佳が口を開いた。
「驚いたわ」
「え?」
「この国の豊かさに、ね。———千がお城へ行ってから、私たちもすぐに下賜金を賜り、定期的に金銭を渡されるようになったの。新しい住まい、新しい家臣を迎えて以前の生活に戻ったわ。飢えることはもうなくなった———でも、そんな生活ができるのはやっぱりほんの一部。朱国は違うのね。飢えた浮浪のたぐいは、国に入ってから一人として見ることはなかった。———これが国の違い、王の違いなのね」
「……………」
「はじめはね、静姉さんも私も、連れ戻して、どうにか千と交代しようと思ってたの。静姉さんは特に、貴方には嫡男として家を継いでほしいって思っていたしね。でも、こうしてあなたの顔を見たら……」
 佳は穏やかな、いつも見ていた優しい笑みを見せた。
「千、よく聞いてちょうだい」
 真剣な佳の顔に、千は居住まいを正した。
「今回は黒王の使者としてここへ来たわ。用件はもう緋王にお伝えしたけれど」
「その……用件って?」
「———それは、言わない方が良いと思うの。初めは言うつもりだったわ。貴方にこうして会ったら。でも、今の貴方は本当に幸せそうなんだもの。私と一緒に黒国へ帰るより、ここで暮らす方がずっと幸せのはず」
「一緒に……?じゃあ、やっぱり佳姉さんはここに、俺を迎えに来たの?」
「……………。千、何も聞かずに私を見送ってちょうだい」
「お願い、用件を教えて」
「でも」
「姉さん。俺はもう子供じゃないんだ。ただ守られてるばかりの子供でなんて、いられない。お願い。俺のためを思うなら、教えて」
 あまりに必死な千の様子に、佳は諦めたように一つ息を吐いた。
「———用件というなら、確かに貴方を連れ戻しに来たのよ。名目としては、貴方が不破家を継がなくてはいけないから別の側室と交換を望む、と。———そんなのは大嘘よ。緋王も分かっておられるわ。黒王の側室として正式に贈られてきた貴方を、今さら不破の当主になんて」
「それで、佳姉さんと帰れって?」
 自然声が震える。
「もしくは、再度話し合いが必要なら国境で会談をもうけようと。緋王は即答されたわ」
「そんな……危険だ」
 佳は顔を曇らせた。
「そうね。だから千———姉さんからの伝言があるの」
「静姉さんの?姉さんは、今回一緒じゃないの?」
「姉さんは、今黒王のお城にいるわ。私が役目を全うするまでね」
「そんな……」
「あの王はそういう男よ。———姉さんは、私に貴方を見てきてと言っていたわ。そして、貴方が幸せそうなら、そのまま二人で暮らしなさい、と」
「そんな!」
「ごめんね、千。私は帰るわ」
「俺……俺も、帰る」
「駄目よ」
「どうして!だって、俺が帰らないと静姉さんの命が危ないって事でしょ?残ったとしても、時暁様と毅旺様を会わせるなんてそんな危険なことできない」
「千……」
 佳は立ち上がり、千の側に来た。
「姉さん達の、一生のお願いよ。自分のために生きてちょうだい」
「それ……どういう意味?」
「貴方が私たちの身代わりとしてお城へ上がった日から、私も姉さんも、一日だって貴方を思わない日はなかったわ。貴方が幸せじゃないと、私たちも不幸せなの。自分の不遇は耐えられる。でも、貴方のつらい姿だけは見られない」
「そんなの、俺だって」
 佳は首を振った。
「千は私たちのためにお城へ上がったでしょう?今度は貴方のために私たちが働く番。———ここに残りなさい。ここに残って、そして幸せになりなさい」
「そんな!佳姉さん、分かってるの?毅旺様が姉さんをここによこしたのは、帰ってこなければその命を危険にさらすと俺に言っているからじゃないか」
「分かっているわ。でももう、再び貴方を黒王に差し出すのだけは、嫌なの」
「どうしてそんなこと言うの?たった三人の姉弟じゃなか」
 一呼吸置いて、佳はかすかに俯いた。
「千。だって緋王は、私に頭を下げられたのよ」
「———え?」
「私が名を名乗った途端すぐに、玉座から降りて。貴方を愛している、と」
 千は胸が熱くなるのを感じた。時暁さま……。
「緋王なら貴方を幸せにしてくれる。今の貴方を見て確信したの。———だから、再び私たちが足枷になって貴方から自由を奪うようなこと、したくないの。黒国で、王からあなたを逃がすのは難しいもの」
「でも……」
「とにかく、今回貴方を連れ帰ることはできないわ。明日、私は一人で帰ります。付いてくることは許しません」
「姉さん!」
 佳はふわりと千を抱きしめた。
「会えてよかったわ、千。こんな立派な姿になって、父上もきっとお喜びよ。生きていてよかったと思えたのは、今日が初めて」
 言葉が見つからなくて、千はただ頭を振るばかりだった。
 緋王とは別れたくない。だが、姉を人質として黒王に差し出すことなどできない。
「安心して。今回貴方が同行しなくても、黒王は私と姉さんを咎めることはないわ。あの王の目的は、会談にあるのだから。———千、気をつけてね」
「やっぱり無理だよ。姉さん、俺も帰る」
「戦うことを懼れては駄目よ。千、父上のように勇敢に」
 それ以上佳が語ることはなかった。何を言っても一人で帰ると言い切り、とうとう次の日の朝早く、佳は急いで去っていってしまった。その姿を見送ることもできず、千はただ自分の部屋で考え込んでいるしかなかった。
 佳の言ったことを、何度も考えてみた。それでもやっぱり答えは出なかった。
 二重にも、三重にも千の周りには檻が巡らされている。もう千は毅旺から逃れることなどできないのだ。気にしないようにしていた手首の腕輪が、ずしりと重い。分かっていた事だった。
 佳と静を人質に取られていると印象づけてきたと言うことは、毅旺は千に会談に来いと言っているのだ。会談に行けば、きっと千は毅旺の元へ帰ることになる。何しろ、千の腕にはまだ呪具がはまっているのだから。
 会談自体を中止にすれば、あるいはもう少し緋王といられるかもしれない。———だが、緋王が会談を反故にするとは考えにくい。
 戦争を避けるために、苦渋の決断として自分を迎え入れた緋王だ。わざわざ戦争を引き起こすような返答はしないだろう。千も、父を亡くし、緋王の家族を奪った戦争を再び起こしたいなどとは絶対に思わない。
 千は頭を抱えた。
 できることなら、緋王とこのままどこかへ行ってしまいたい。それができればどんなに楽だろう。ただ二人、幸せに暮らすことができたら。
 そんな夢は、ただの夢でしかなかった。
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