【完結】淋しいなら側に

サイ

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5暗雲たちこめる

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 会合は国境付近にある地方領主の館で行われた。
 緋王は千を傍らから一時も離さなかった。会合においても、そのへやに千と共に入った。
 久しぶりに、千は黒王を見た。以前と少しも変わっていない。漆黒の髪を垂らし、全身を黒い衣装に身を包んでいる。冷たい瞳がひたと千を見据えた。その瞬間、金縛りにあったように千の身体は固まった。呪縛をかけられたように、身を引きそうになる。黒王はそんな千をみていつもの軽い笑みを浮かべていた。
「千」
 小さな緋王の声にはっとして席に着いた。護衛は壁まで下がらせる。ただし、両者とも帯刀したままである。
 黒王はあまり供を連れてはいなかった。自分の身の安全など意に介さないような数である。大臣に一通り挨拶をすませる間もじっと千を見ていた。千はもう既に手は汗ばみ濡れていた。
「さて、では早速本題に移らせていただきます。緋王におかれましては、何故不破家嫡男をお返しいただけないのか、その理由についてまずおたずねしたい」
「お言葉ではございますが」
 すぐに史朗が穏やかな声を上げた。さわやかな物言いは千を少しをほっとさせる。
「稀千君は先の同盟の折に黒王より同盟の証として贈られた方。締結された契約解消には両者の同意が必要であるのは当然でしょう。その検討もせぬまま、ただ返せと申されましても」
「ですから、理由については申し上げましたはず。同盟の証とおっしゃるのですから、すぐ代わりを贈りましょう」
「いいえ、それは———」
「この話は」
 突然黒王が割って入った。大臣はさっと下がる。史朗は怪訝な顔をした。
「長くなりそうだが……結果は同じだ。———千、分かっているんだろう」
 びくりとからだが固くなる。
「どういう意味か」
 緋王がすかさず訪ねる。
「姉を見捨て国を戦に導き、やがてはその身も灼かれる道など、選べまい?」
「卑劣な物言いは控えられよ。一国の王ともあろう者が」
「若輩者に王たるを意見されるとは、笑えないな」
 黒王は冷たい目を緋王に向けた。
「まだわかっていないようだな。千の腕にある呪は、私が植えたものだ。私が解かぬ限り誰にも破れぬ黒国の秘術。私が一言唱えるだけで、千の身体は周囲を巻き込む業火に変わろう。ここで皆で心中するか?」
「何、だと?———その腕に……呪が?」
言って、緋王は千の腕をつかんだ。慌てて隠そうとするが、力で敵うはずもなく、袖を上げられる。
銀にきらめく腕輪が、きらりと光る。どうして今まで気づかなかったのか。惑わされていた。言われてみて初めて気づく、こんなにも目立つ腕の枷に。
 千は小さく緋王の名を呼んだ。かすれた声で、身を縮めて。千の悲痛な声を遮って毅旺の笑い声が聞こえる。緋王は唇を噛んだ。
「おのれ黒王!人を人とも思わぬ卑怯者!」
 黒王は立ち上がり二人を見下ろした。勝利を確信した目。
「何とでも言うがいい。そうよ、その顔よ。私が見たかったのは」
 緋王も立ち上がり強く千を抱きしめた。
「千はどうであった?緋王よ。十分に仕えたか?私の仕込みに、感謝してもらおうか」
 身体を固くする千を見て、緋王はますます怒りを顕わにした。
「貴様……生きてここを出られると思うな」
「それはどうかな?———千、来い」
「……………!」
 それは、絶対の命令だった。長い間それに慣らされた千に、拒絶することは出来ないような。それでも、緋王は千を離さなかった。後ろから千を抱きしめたまま、千の目の前で剣を抜いた。
 周囲に緊張が走る。護衛の者達がすべて、腰の刀に手をかけた。毅旺はそれを片手で押さえた。まだ、手を出すなと。
「緋王陛下……!」
 史朗の諫める声も、今の緋王には届いていなかった。
「千は、渡さぬ」
 剣を抜き毅旺を睨み付ける緋王には、目の前の人間を下がらせるほどの凄みがあった。しかし、毅旺には効かない。
 突然、火がついたように毅旺は笑い出した。
「何がおかしい!」
「おかしいとも。こうも筋書き通りに事が運ぶとは。まったく、私は本当に良い拾い物をしたものだ」
 毅旺は余裕の笑みを浮かべたまま、千の腕を指した。
「その腕の呪を、私はいつでも解放できる。私の望むときに、千は死ぬ。朱国の主よ。私を殺し千をも殺すか?」
「くっ……」
「千、来い」
 千はすがるように緋王のたくましい腕にしがみついた。
「時暁様……お離し下さい」
「ならぬ。お前だけは……渡せぬ!」
「俺の命と、王の命、比べるまでもございません。どうか……!」
 その気持ちだけで十分なのだ。もう、その思いだけを抱えて、これからずっと、あの部屋でも生きていける。
 本当は、覚悟していた。いつから、と聞かれても初めからと言うしかないけれど。こうなることは、分かっていた。必死で考えないようにしていた。あの楽しい時間がずっと続くと思っていた。思い込もうとしていた。
 ここを出て、もう一生毅旺の手から自分は離れないのだ。だけど、心はここにおいていける。
「幸せでした。俺は、一生忘れません」
「馬鹿なことを言うな!俺が手放すと思うのか!」
 まるでだだをこねる子供のように、緋王の腕は動かなかった。決して離さないと言っている。
 千は緋王の腕の中で回り、緋王に向き直った。
「生きてください。ここで二人燃えて死ぬより、生きた方がいい」
「お前を失うなら、灼かれてもかまわない……!」
「王はお一人ではありません。その御身は、王お一人のものではありません。俺のものでもない」
 千は敢えて王と呼んだ。はっと、緋王の手が力を失う。我に返る、目の色だった。彼の肩に掛かっているのは、それだけ重い。
 涙で前がかすむ。千はそれを必死でこらえた。
 緋王の顔が間近に迫ってくる。千はじっとそれを受け入れた。最後の口づけは、ほんの一瞬だった。
 緋王の顔は見れなかった。振り切るようにして黒王のもとへ行く。すぐに、黒王の冷たい手が伸びてきて腰をつかんだ。久しぶりに触れる、白く無感情な肌。
 朱国の誰の顔も見れなかった。黒王に促されるまま、その部屋を後にした。
 廊下を歩いている時、背後から激しく物の壊れる音がした。黒王の上機嫌な顔を目の端に映しながら、千は今はもう流れなくなった涙を今日限り封じようと決意した。
 心は置き所を得た。もう、自分は人形になれる。
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