【完結】淋しいなら側に

サイ

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 数週が経ち、千は歩くほどに回復した。
 医者のお墨付きをもらって、千は晴れて自由に動けるようになる。
 城は焼け落ち、朱国の軍は城下の貴族の屋敷に分かれて居を構えていた。千は不破家の屋敷で生活を始めていた。姉との再会も果たし、混乱の中でも次第に状況を理解していった。
 今回の反乱で、朱国と黒国は統一を果たしたようだ。課題は山積しているが、形としては不破家が筆頭となって国を倒し、緋王に禅譲したという形になったらしい。
 政尚と貞興が度々見舞いの品と共に挨拶に訪れた。体調が優れずあまり会えなかったが、二人とも随分心配してくれていた。彼らが主だって働いたからこそ、不破家の名が出たのだろう。
「今でも、分かりません。己のしたことが正しかったのかどうか」
 貞興は相変わらずの難しい顔で言った。千の無くなった腕から、できるだけ視線を外そうとしているようだった。
 千は力なく笑った。
「それは誰にも分からないよ。———でも貞興は自分で考えて、よかれと思って行動したんだろう?それで救われた者達もあったと思うよ。それはそれで、いいんじゃないか」
 千は二人に向き直り、上座から、二人と同じ場所まで下がった。
 床にゆっくりと手をついた。片手では着物の裾もうまく捌けないが、何とか膝をつく。
「二人には、なんと礼を言ったらいいのか分からない。俺は何もしていないのに。ただ、父に仕えていたという一つの為に俺にまで尽くしてくれた」
「若!」
 二人の慌てた声が重なった。
「どうか、お顔をお上げください。私は主の遺言に従ったのみではありません。若ご自身をお慕い申し、従ったのです」
「政尚……」
「私は、ただ償いがしたかったのです。主に背いた償いを。遅すぎ申したが……」
「貞興……貴方には謝らなければ。己の未熟のせいで、貴方にきつく当たってしまった。ただの八つ当たりなのに」
「わ……稀千様」
「若で良いよ。まだ、呼んでくれる気があればだけど。もっとも、もう当主だから若でも無いんだけどね」
 千は力なく笑った。自分で言って、むなしさがこみ上げてくる。
 二人は遠慮してそれからすぐ帰ったが、二人が帰ってまた腕を抱え込んだ。時折、激しく無くなったはずの腕が痛む。
 そうすると必ず、毅旺の肌や声、感触を鮮明に思い出すのだった。
 自分は置いていかれたのだと、空虚な感覚に襲われる。



 部屋で休んでいると、時暁が訪れた。
 時暁は不破家に滞在するのを何度も辞退したが、姉の押しに押されて結局一緒の屋敷に泊まっている。不破家は今、俄政庁のようになっていた。
 床に臥せている間、時暁は毎日千の枕元に通った。それこそ熱に苦しみ体も起こせない頃はずっとそばにいてくれたようだ。悪夢にうなされる合間に、抱きしめてくれた腕を感じた。
 意識が次第にはっきりしてからは、徐々に触れ合うことは減っていた。
 薬を飲ませてくれたり、着替えさせてくれたりと何かと世話を焼いてくれてはいたが、会話はほとんどなかった。起きられるようになってからは、遠くから姿を見ては、また去っていく。それを繰り返していた。
 こうして改まった様子で尋ねてきたのは初めてだ。
「今、大丈夫か」
「あ、はい。すみません、こんな格好で」
 寝衣のままだったため、急いで上衣を羽織る。席を立とうとして、時暁に慌てて止められる。
「まだ病人だ、そのままでいろ」
「すみません」
 お茶を入れようとしてそれも止められた。完全な病人扱いである。もっとも、片手ではかなり時間がかかる。
 千の部屋には机といすがある。千は座って時暁がお茶を入れるのを待った。
 慣れた手つきでお茶を入れると、時暁は右手の前に湯呑を置いた。
「———腕が痛むか」
「時々は。でも、薬を飲んでますから大丈夫です」
「そうか」
 少し沈黙が流れる。再会してから、久しぶりの会話だ。なんだか時暁は怒っているようだったし、会話を避けているようだったから。
「———俺、死んだと思ってました」
「ああ、俺も気が気じゃなかった」
 深い溜息と共に、時暁は宙を見つめた。どうやら、一連のことを教えてくれるらしい。
「本丸から火の手が上がった時には、間に合わなかったかと本気で頭が真っ白になった。ただお前だけを助けるために国を挙げて軍を起こしたというのに」
「時暁さま……」
「お前の姉を通じて、由井家のものからつなぎがあってな。戦準備をしているところだったから罠かとも思ったが、姉君は命をかけても真実だと訴えられたし、我らも賭に出た。うまく城まで攻め入ったは良いが、やはり黒王の城はそう容易く進入できない。そうこうしているうちに、黒王が火をつけたらしい」
「黒王が?」
「委細は、由井の者に聞いた話だ。数カ所は反乱軍の放火だが、本丸は黒王だ。———奴は滅びたがっていたらしいな」
「……………」
「お前が殉じようとしていたことも聞いた」
「———はい」
「だが、黒王はお前を連れて行かなかった。お前の腕を灼き、由井に言ったそうだ」
 ———腕は呪と共に私がもらっていく———早く千をつれて行け。
「毅旺さまが?」
「最期に残っていた良心か、ただの気まぐれか。今となっては分からないがな」
 千は表情を暗くして、俯いた。
 覚悟をしたのに。
 この世に分かれる、覚悟を。
 ———供はいらぬ。
 夢で言っていた毅旺の言葉が胸に突き刺さる。
「何故そんな顔をする」
「え?」
 気がつけば時暁は腕を組み、じっと千を見ていた。
「俺は、お前は嫌々黒王の元へ行ったものと思っていた。———黒王と共に死にたかったのか」
「それは、違います」
 望んだのかと言われると、それはきっぱり否定できる。
「では何故そんな顔をしている」
「———分かりません。なんだか胸に、大きな何かが残っているような気がするのです」
 時暁は黙って、千を見ていた。その視線に気づいて、千も時暁を見つめる。
 時暁は憮然として千を見ていた。
「あの……聞いても良いですか」
「なんだ」
「何か怒ってますか?」
「怒ってますか、だと?」
 時暁は急に椅子を蹴って立ち上がり、机をどん、とたたいた。急なことに千は驚いてびくりと肩を上下させた。
「分からないのか!」
 怒りを顕わにされるのは初めてではない。しかし久しぶりの再会で怒鳴られると、身に響く。千は時暁の目を見ることもできなくなった。
 時暁が怖い。
「千。俺は、お前の何なんだ」
 答えることもできない千を見て、時暁は自分が感情的になりすぎたことを悟った。だが激情は抑えられず荒々しく椅子に腰掛ける。
「俺は、お前を愛していると言った。守るつもりでいた。だがお前はあっさりと黒王の元へ帰った。お前を失って、俺がどれほど苦しんだか、分かっているのか?それなのにお前は、聞けば俺が城下まで来ているというのに黒王と殉死しようとまでしていた。その上黒王の死を知って、悼む始末。俺の心はどうなる」
 時暁の苦しそうな顔を見て、千は心臓を鷲づかみにされたような気がした。
 ああ、しまった。
 自分のことばかりで、時暁の気持ちを考えていなかった。毅旺のことばかりに気を取られて、灼熱の衝撃に惑わされていたかのように。
 時暁はただ自分のために、馬を駆け、軍を率いて、国一つ滅ぼしてくれたというのに。妹姫が殺されたときでさえ自分を律した時暁が、千が奪われたとなると、軍を率いて来てくれたのだ。
「ごめんなさい」
 口から自然に出た言葉は、時暁に首を振って否定された。
「そんな言葉を聞きたいんじゃない」
 千は黙って、目を閉じた。そしてゆっくりと目を開ける。
「愛しています、時暁さま。誰よりも深く」
 突然の告白に、時暁は言葉を失ったようだった。千の目を見つめて、黙ってしまう。急に愛を告げられたら、なかなか怒れなくなった。
 千は椅子を立って時暁の側まで行った。ゆっくりと、片方の手を重ねる。この暖かみ。満たされる思い。紛れもない、心の底から熱望した時暁の存在。
 どうすれば怒りが収まるのか。正直な思いを伝えるしかできない。
「もう一度会えるとは思ってなかったから、俺、混乱してしまって。———けれど、俺の心は時暁さまの側に置いてきたと思っていたから。ようやく今、心を取り戻せた思いです」
「愛しているか、俺を」
「はい」
「誰よりも?黒王より?」
「毅旺さまに忠義の気持ちはありますが、愛しているのは時暁様だけです」
 そっと、千は時暁の肩に触れる。懐かしい筋肉質な肌。
「時暁様は、まだ俺のこと、好きでいてくれていますか」
「当たり前だ!」
 時暁は立ち上がって千を抱いた。
 懐かしい、時暁の匂い。絹の感触。心から安堵して、千は頬を時暁の首筋に寄せた。
「時暁様……本当に、本物なんですね」
「ああ。もう誰にも邪魔されない。もう、絶対に離さない」
「俺も。一生時暁様にお仕えします」
「本当だな。その言葉、忘れないぞ」
「はい」
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