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第3章 寝るという行為=悪

人件費という重荷とルーティンの消失 ①

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 事件から数ヶ月も立つと、すっかり会社の雰囲気は変わってしまっていた。
 会社や寮に連日のように押しかけてきていたマスコミの姿は消えた。
 そもそも、ここで事故が起きたわけではない。
 あたしたち寮生を張っていても「何も知らない」としか答えないので手を引いたのだろう。

 しかし、工場では今でも毎日毎日、自分たちの作った製品が何十万本、多い時は百万本単位で返品されてくる。

 これは、事故があった翌日から何も変わっていない。

 作れば作っただけ廃棄に追われる毎日。

 業界No. 1のブランドは脆くも地に落ちていた。

 気づけば、子会社であるウチの会社は、毎月1億円の赤字を垂れ流す会社へとなり果てていた。

 愛社精神の高い50代以上の社員達は、自ら作った製品を自らの手で廃棄する毎日に泣いていた。

 会社のブランド名を背負い、誇りを持って仕事をしてきた世代にとって、こんな悔しい事は無いんだろう。

 そもそも自分達の起こした不祥事ではない。

 親会社の起こした不祥事を同じブランド名を持つ子会社という事で巻き添えを食っているだけの風評被害なのだ。



「サキ~、ご飯いこ~」

 部屋の外から聞こえてくる呼び声。
 純奈さんだ。

「は~い!」

 あたしはいつもの用意を持って一緒に夜の食堂へと向かう。

 田んぼに住む合唱団は、鈴虫やコオロギ達といった演奏者と交代した。
 湿気を感じる暑苦しい歌声から、涼しさを感じる演奏に変わり、随分と過ごしやすい。

 スーッと深呼吸すると、ほどよく乾いた空気が鼻腔を冷やす。
 ほんのり秋を感じさせる香りを引き連れて。

 ここで生活するようになってからというもの、視覚以外で四季を感じることがかなり増えたと思う。


「ねぇ。聞いた?噂はあんたも聞いてると思うけど、ついにホントにやるみたいだよ。バイト切りに、派遣切り」

「えっ?ホントです?いつからですか?」

「⋯⋯来月の10日で切るって」

「はっ?来月の10日って⋯⋯あと20日ぐらいしかないじゃないですか!そんな、急に⋯⋯」

「派遣は、ちょうど更新月なんだって。それで、更新しないらしいよ。あと、バイトはねぇ。もう、会社都合⋯⋯なのかなぁ」


(そんな⋯⋯)

 派遣社員の方たちにだって、生活がある。
 家族がある。
 アルバイトだってそうだ。
 いくらそういうルールだ、契約だっていったって⋯⋯。

 これが、会社のやり方。
 社会ってものなのだろうか⋯⋯。


 噂はたしかに聞いていた。

 派遣社員の方たちの会話の中で、「こんな状態じゃ、次の更新はないんじゃないか?」等、似たような内容があちこちから耳に入ってきてはいた。

 それでもあたしは、どこかで信じていた。
 派遣社員もアルバイトも雇用形態こそ違えど同じ場所で同じように、毎日毎日一緒に仕事してきた仲間。
 本人達に責任がない以上きっと守ってくれる⋯⋯って。

 大手企業なんだから。
 一流企業なんだから。

 非のない従業員は、守ってくれるはずだって。

「私たち社員が切られる事は、組合がバックにある以上まずないんだけど⋯⋯なんだかね⋯⋯なんか、現実突きつけられたな~ってさ」

 とはいえ、切られる事は無かったとしても先が見通せないのは正社員だって同じだ。
 すでにボーナスはカットどころかゼロ。
 給与もすでにカットされている。

『嫌なら辞めろ!』

 そう言う事なんだろう。
 就職氷河期の今の時代、正社員だって皆しがみつくのに必死だ。

「⋯⋯⋯⋯」

 あたしは、何も言葉にできなかった。

 と、同時に酷く痛感した。

 世の中は厳しい。
 会社に血なんか通ってない。

 あたしの認識がいかに甘ちゃんだったのか。
 自分達が生き残る為なら、弱者は切り捨てる。

 これが現実なんだ、常識なんだと。
 会社も、社会もそういうもんなんだって。


「はぁ~。ごちそうさまでした」

 あたし達は、特に何も味を感じる事もできず夕食を終えた。


シュボッ!

「フゥ~~~。はぁ~ぁ」

 2つの紫煙がゆらゆらと登っていく。

 植木を囲うコンクリートに腰掛けたあたし達は、ただただ煙の行く末を追っていた。

 秋も深まりかけた10月の夜空は、星に手が届くのではないかと思うほど澄んでいた。

 そんな空を汚していく煙は、まるであたし達の今の気持ちを表しているようだった。



〈翌朝  10月21日 AM7:28〉

「おはよ~ございま~す~」

 半分寝ぼけた状態で食堂のドアを開けるあたし。

「おうっ!サキちゃん、おはよーーーっ!!」

 厨房の奥から相変わらず元気のいい声が返ってくる。

「今日は、朝ごはん何食いたい?」

 そう言いながら、あたしの座るテーブルへとやってきた。

(ほえっ?)

「選べるんですか?」

「朝ごはん食べに来るのもサキちゃんだけだからね。一人分くらい、昼の食材やらを拝借すれば大概はいけるよ!言ってみな!」

 どうしたのだろうか?

 いつもは、おっちゃんが軽い朝食をすでに作って待っていてくれているのだが。

(ん?おっちゃん、今日は作るの間に合わなかったんかな?それとも、メニュー考えるのが面倒くなった?)

 フッと壁に目をやると時計は7:30を指している。
 あたしとしては、普段より10分は来るのが早い。

「え~っと⋯⋯今日、まだ時間ありそうだから、例えばあったかいうどんとか?」

「いいよ!あとは?」

「えっ?あ⋯⋯あと⋯⋯あとはねぇ⋯⋯。あっ!玉子焼き!味付けは、砂糖じゃなくて塩で!」

「ん?なんだ?甘い玉子焼きより、塩の方が好きだったのか?言ってくれりゃよかったのに」

「いや~、出されたものは有り難く頂くというか⋯⋯」

「わかったよ!じゃ、ちょっと待ってな」

 そう言うと、サッと厨房へ戻っていく。





「⋯⋯⋯⋯ちゃん。
   さ⋯⋯ゃん。  ⋯⋯きて。
  さきち⋯⋯、起きて!」


 スーッと目を開ける。
 何も見えない。
 目をキョロキョロ動かしてみるも、辺り一面薄暗くも真っ白な世界に覆われている。

 ゾッと背筋に寒いものを感じた。
 ここはどこ?
 いったい、なにしてるの?

 慌てて飛び起きるあたし。

「ほれっ。うどんできたよ!熱いうちに食べな。玉子焼きは、ここ置いとくでね」

 そう言うと、真っ白なテーブルに諸々が並ぶ。


(えっと⋯⋯あれ?ここは⋯⋯食堂⋯⋯?)

 壁に掛けられた時計を確認すると、長針は37分を指している。

 ズルズルと這いずるように、蘇る記憶達。
 
(そっか⋯⋯。あたし、朝ごはん食べに来て⋯⋯それから、なぜかうどん頼んで⋯⋯それから⋯⋯え~っと⋯⋯あぁ、それで今か)

ズズズッ

 今にも止まりそうな脳みそに喝を入れるかの如く汁を啜る。

「あっつ!!」

 力加減すらバカになっている今のあたし。

 想定以上に入った汁が口の中で暴れ回る。

 お陰で目は覚めたのは良かったが⋯⋯。

 悶絶するあたしを横目に、スッと手が伸びてくる。

「おいおい!ほれ、これ、水飲みな!あと、おしぼり置いとくから、口周り拭きなよ」

「ありがとう!あちちち」

 グビッとキンキンに冷えた水を含むと、ふと最後の一言だけが脳裏に残った。

(口周り?)

 汚すようなものはまだ食べていない。
 慌てて、口元に手を当てる。
 妙にベタベタする。
 そして、なんか臭い。

「よ・だ・れ!」

 おっちゃんのその言葉を理解するよりも早く手で口を覆い隠すあたし。

(まさか⋯⋯)

 そして、そ~っと視線を下ろす先にあるテーブルの小さな水溜まり。


 慌ててそれらを拭き取ると再びおっちゃんの口が開く。


「なんかさっき、ゴンッ!って、すっごい音がしてね。見に来たらサキちゃんがおでこテーブルに叩きつけて動かなくなってんだよ!一瞬、倒れたんかと思ってビックリしたけど、なんか寝息たたてるからよ~。まぁ、安心はしたけど」

「⋯⋯?」

 あたしは、反射的に横に置いてある電子レンジに目をやる。

 レンジのガラスの扉には、おでこと鼻先を丸く、そして赤く染めた自分が映っていた。

「しかし、ものの1~2分で寝落ちちゃうとか大丈夫?なんか疲れ溜まってない?」

「えっ?いや~、疲れ溜まるほど仕事無いので⋯⋯大丈夫だとは思いますが」


「あはは。まぁ、今は確かにそうだな!」


(いや、もう説明はいいから、とりあえず早くあたしの前からいなくなって!恥ずかし過ぎるっ!)


 どうやら聞くところ、おっちゃんが厨房に戻るとすぐ、両腕を床にだらりと垂らし顔面をテーブルにくっつけるようにして眠っていたらしい。

(ほんと、朝弱いよな~。はぁ~)

 あたしは、ササっと平らげると出口へと駆け出す。

 相変わらず朝の早食いだけは誰にも負けないと自負できる。

「ごちそうさま!いってきまーーーすっ!汚してごめんなさいっ!」

「おうっ!いってらっしゃい!」

 一筋の乾いた風が頬を撫でる。

 ふと、空を見上げると、一面のうろこ雲が広がっていた。

 朝日に照らされたそれらは、真っ白にキラキラと輝く。

(は~。なんか、気持ちいいねぇ!火傷もしたし、恥ずかしい思いもしたけど何か良い一日を切れそうな予感がするっ!)

 昨夜の気分を払拭させるには充分過ぎる光景。

 おっちゃんには、正直感謝しても感謝しきれない。

 この朝の時間、このやりとりがあたしのしつこい眠気を吹き飛ばしてくれる。

 おかげで、あたしは遅刻することなく日々を過ごさせてもらっている。

 とは言え、たとえ相手は仕事であったとしても、あたしたった一人の為に毎朝7時に出てきてもらっているというのは、なんだか後ろ髪引かれる思いはあるのだが⋯⋯。
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