あやかしが漫画家を目指すのはおかしいですか?

雪月花

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36 暁の龍

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「……ただいま」

 その日、刑部姫は二日振りの帰宅となる。
 最初にこの部屋を飛び出したのは南雲と会うために居酒屋に行った佳祐を追うため。
 そして、そこで聞いた会話にショックを受けた刑部姫はそのままぬらりひょんがいる屋敷へと向かう。
 そこで一日を過ごし、その翌日には今後の『戦国千国』における漫画の打ち合わせのために一度外に出て、喫茶店にて話した。
 そうして、ぬらりひょんから今後、漫画を描くのなら自分の屋敷へ来いと招待を受け、マンションに戻った。
 全てはこのマンションから引き払うため。
 そして、もう一つはそのことを同居人である佳祐に教え、彼に別れを告げなくてはならない。
 重い空気を背負い、部屋に帰宅した彼女を待っていたのは、これまでにない真剣な表情を浮かべた佳祐の姿であった。

「……遅かったな、刑部姫」

「佳祐……」

 彼のこれまでにない表情に、二日も無断で居なくなっていたことに怒っているのかと刑部姫は申し訳なくなる。

「……すまぬ。二日も黙って出て行ってしまって。……しかし、どうしてもお主に伝えなければならないことがあるんじゃ」

「そうか」

「実は――」

「その前に刑部姫。君に見てもらいたいものがあるんだ」

「え?」

 こちらが話を切り出すよりも早く、佳祐は彼女のセリフを遮り、背中に隠していた何かを突き出す。

「これは……ネームか?」

「ああ、そうだ」

 そこにあったのはたくさんの白い紙に描かれたたくさんのコマとセリフ、そして落書きのような人物像。
 いわゆる漫画における最初の構成段階。全体の物語をこうしてラフとして描いて形とするネームである。

「……そ、そうか。ようやく出来たのか、ネーム」

「ああ、待たせてすまなかったな」

 そのネームを受け取る刑部姫であったが、その表情は重く苦しいものであった。
 今、手に取るこれをどうするべきか。
 いや、どう説明してこれを返すべきかと刑部姫は悩んでいた。
 すでに彼女はぬらりひょんと組んでここを出て行く身。
 そんな自分がこのネームを読んだとしても無駄になる。
 そう思い、佳祐に全てを話しネームを突き返そうとした瞬間、

「刑部姫。まずはいいから、そのネームを見てくれないか」

「え? じ、じゃが、その、わらわはもう……」

「いいから頼む、見てくれ。そのあとなら君はもうどこに行っても構わない」

「え?」

 その佳祐のセリフと彼のこれまで見たことのないような表情に刑部姫は一瞬、自分の心を見透かされたような気がした。

「佳祐……お主、まさか知っておるのか……?」

「…………」

 思わず口にする刑部姫であったが佳祐からの返事はない。
 ただ目の前のネームを見てくれという彼の意思のみが伝わる。
 それを理解した刑部姫はただ静かに頷き、ネームを受け取る。

(……まあ、これが最後になるんじゃ……餞別代わりにこやつがわらわのために描いた最後のネームを見てやるとしよう……)

 そう思いながらネームを開く刑部姫。

(タイトルは……『暁の龍』)

 それはいわゆる日本ファンタジーと呼ばれる作品であった。
 舞台となるのは戦国時代。だが、普通の戦国時代とは異なり、そこでは魔法と呼ばれる力があり、戦を左右するのは魔法の力を有する武士や侍達。
 中でもその魔法の力を使い天下の高みに立つ存在が魔王・信長。
 主人公はそんな信長に故郷を滅ぼされた少年であり、彼の中に宿ったのは特殊の魔法。
 『暁の龍』と呼ばれるもの。

 最初の始まり方はシンプルであり、言ってしまえば王道。
 だが、それゆえに奇をてらった展開ではなく、入りやすい世界観でなおかつ、話の展開も王道と言いながらもそれを踏破するような目まぐるしい展開であった。
 そして、それは刑部姫のそれまでの思考を吹き飛ばすような内容であった。

「―――――」

 思わず息を呑む刑部姫。次いで浮かんだ感情は一つ。

(なんじゃ……これは……?)

 そこにあったのは驚愕。そして、訪れたのは胸が高鳴る興奮と高揚。沸き立つような刺激心であった。

(――面白い)

 ただ一言。そう呟く。それ以上はない。
 いや、それだけで十分であった。

 それまで彼女の中で渦巻いていた様々な感情。
 後悔や懺悔、悲しさや憎しみ、苦しさや切なさ、憤りや逡巡など、様々な想いや感情が渦巻いていたにも関わらず、それら全ての感情が剥がされ、消失した。
 あとに残ったのはただ一つ。
 純粋な面白さ。
 楽しいと感じる気持ちだけであった。

(面白い。面白い。面白い。面白い――!)

 心の中で何度もその言葉を叫ぶ。
 これまで漫画や物語に触れた回数やわずかであった。
 それでもその中には彼女なりの優劣があり、どれにも面白さと一緒に欠点もあった。
 だから、彼女の中ではどの作品が一番とは言えなかった。
 それは佳祐が描いた作品にしてもそうであり、彼女の処女作から最新の『巫女っ娘探偵カグヤちゃん』まで。更には連載会議用に出した漫画にしろ、どれにも良さがあり、魅力があり一番は決めきれなかった。
 だが、そんな彼女でも今目にしているこのネームはそれらを超えて間違いなく一番だと断言できる。

 これまで彼女が見てきた、魅了されてきたどんな漫画、物語よりも。
 南雲周一郎が描く『あやかしロマンス』よりも、白縫雪芽が描く『スノーアイドルフェアリー』よりも、道山明光が書く『戦国千国』よりも。
 目の前のこの佳祐が描いたネームが一番面白いと刑部姫は心で理解していた。

 気づくと、目の前の物語を追うのに夢中になり刑部姫はネームを読み尽くしていた。
 最後まで読んだあと、彼女は余韻に浸ることを忘れ、もう一度頭から読み返した。
 そうして二度、三度とネームを読み返し、その物語を胸に詰め込んで、彼女はようやく一息を吐き、告げた。

「――面白かった」

 それは嘘偽りない刑部姫の本心。
 他には何もない。何も考えられない。今、彼女の中で渦巻いている全ての感情そのものである。
 まるで放心したまま手に持ったネームを握る刑部姫を見ながら佳祐は告げる。

「刑部姫。君がオレの元から去るのなら、オレはそれを追わない。いや、追う資格はないよ」

「え?」

 佳祐のその一言に刑部姫は思わず佳祐の顔を見る。
 だが、その顔は不思議と怒りにも悲しみにも満ちておらず、むしろ目の前の彼女に感謝するように佳祐は優しく微笑んでいた。

「君がどうしてオレの元から去ろうとしているのか。理由は……なんとなく察しがつく。だから、君はあれほどオレに早く原作を書いてくれとせがんでいたんだね。なのにオレは自分で色々と言い訳して先に進みたい君に合わせようとしなかった。すまなかった、刑部姫」

「佳祐……お主、いつから気づいて……?」

 佳祐のその謝罪に刑部姫は動揺する。
 だが、そんな彼女とは対照的に佳祐は落ち着き払った様子で告げる。

「もともと君を利用していたのは本当だ。オレには絵の才能がなかった。そこに絵の上手い君が現れた。オレはそんな君を利用して新連載を勝ち取ろうとしていた。そんなオレを見限って、君が別の原作者……同じあやかしに頼るのは当然だよ。むしろ非はオレにある。原作と漫画。二人の漫画家が協力する際、そこに嘘偽りやどちらかがどちらかを利用しようと打算があったらうまくいかない。オレはその大前提を分かっていなかったんだ。本当にすまない」

 そう言って頭を下げる佳祐に刑部姫は慌てた様子で首を振る。

「な、何を言う! そ、そんなことはない! むしろ、わらわの方こそ、お主に黙って勝手な行動をして……あ、あまつさえ、お主を裏切り、別の者と組もうとして……わ、わらわは……わらわの方こそ……!」

「いいや、言ったようにこれはオレが悪いんだ。君は悪くない。ここで君が去るのなら、それは当然の権利だ。これから先、オレは一人で漫画を描いていく。もともとオレはそうして一人で描いてきたんだ、問題はない。むしろ君の方こそあのベストセラー作家の原作を漫画に出来るんだ。こんなチャンスなんて中々ない。オレだって、そういう誘いがあれば間違いなく受けてたさ」

 そう笑顔を浮かべ笑う佳祐であったが、その顔に僅かな悲しみの感情があったのを刑部姫は見逃さなかった。

「――ただ、そうだな」

 呟き。佳祐は刑部姫が握るネームを見る。

「そのネームは君に……刑部姫のために描いたオレの最高傑作だった。君と連載を目指して、書き上げたネーム。それは中途半端なものではなく、確実に君と一緒に連載を狙えるものにしたかった。だから、妥協とかせずずっとこれまで練り直していたけれど……よく考えればそれもオレの勝手なエゴだったな。本当にすまない。もう少し早くオレが仕上げていればちょっとは違ったかな……」

「佳祐……」

 そう自虐的に笑う佳祐に対し、刑部姫はどう声をかけるべきか分からなかった。
 二人の間にしばしの沈黙が流れ、やがて佳祐の方から先に立ち上がり、告げる。

「それじゃあ、元気で刑部姫。次に会う時はオレも君も一緒に『月間アルファ』で連載しよう」

 そう言って最後にと握手を求める佳祐。
 そんな彼の笑顔を見つめながら、刑部姫は手に握るネームをもう一度よく見る。
 そこには走り書きで『原作:田村佳祐 漫画:刑部姫』の文字が書かれていた。

「――ああ。そうじゃな、共に『月間アルファ』で漫画を連載しよう」

 そう告げて、佳祐が差し出した手にネームを渡す刑部姫。

「ただしそれは――この漫画でわらわとお主、共にじゃ」

「え?」

 刑部姫が告げたその一言に佳祐は呆気に取られる。
 だが、そんな彼のことなどお構いなしに刑部姫は告げる。

「なんじゃ? 言ったはずじゃぞ。わらわはお主の原作を漫画にして、それで漫画家となり連載を勝ち取ると」

「え、だ、だけどお前、道山ってやつを組むんじゃ……」

「あー、それな。確かにあやつの小説もなかなか面白かった。あれはぜひ漫画にして描いてみたいと思った」

「それじゃあ――」

「じゃが」

 すっと人差し指を佳祐の唇に当て、刑部姫は告げる。

「ここにそれを越えるもっと面白い原作がある。ならば、漫画家を目指す者としてどちらでデビューをするのが華々しい初陣となるか語る必要もあるまい」

「刑部姫……」

 ネームを片手に刑部姫は笑う。
 それは最初に佳祐と会い、彼の漫画を見て、それに見惚れ、漫画家を目指すと誓った時の彼女と同じ笑顔。

「なるぞ。佳祐! このネームで、今度こそ! わらわとお主の漫画家のデビューじゃ!」

「――ああ! 必ず!」

 ここに失った二人の漫画家は再び手を取り合い、あやかしと人間の漫画家は再結成を果たすのであった。
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