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第1章 暗 躍
5. 王国の危機
しおりを挟む辺りをうかがいながら近づいたリマールは、傷を診るためにランタンを掲げた。それから、そっと男のフードを上げた。
リマールを連れてきたアベルは、ここで初めて男の容貌を知った。血の気が引いている顔に汗が滲んでいる。実際には痩せて骨ばった顔の、五十代くらいの中年男性だった。痩せて見えるのは、ここへ来るまで苦労したせいかもしれないが。
リマールは男を横に寝かせて、救急箱とランタンを傷口の近くに置いた。そして彼の汗をぬぐい、傷を診た。
「抜ける?」と、アベルが心配そうにきいた。
「うん、基本だし、必要な器具と薬を持ってきたから。それに、まだ練習でだけど何度もやったことがある。」
「じゃあ、僕はエドリック騎士を呼んでくるよ。」
アベルは、今度は王宮へ向かって馬を走らせた。
到着すると、まずはいつもの詰所へ。休んでいた当番の衛兵に、適当な理由をつけてエドリック騎士を呼んできてもらった。
そして、やがてやってきた彼にだけそっと事情を話した。
エドリック騎士はすぐに話を受け入れ、動いてくれた。彼は主宮殿へ戻り、もう眠っているはずのアレンディル王のもとへ走ってくれたのである。
それから待つこと、さらに数十分。
アベルが、あの人の手当てはうまくいっただろうかと気にしていると、エドリック騎士が馬車を用意して一人で戻ってきた。
「陛下に話はしました。ですが、今すぐ密かに連れ出すのは無理です。私がまた戻ってきてうまくやるので、まずはその彼のもとへ案内してください。」
アベルは、衛兵所の横につないでいた自分の馬に再びまたがり、エドリック騎士が操る馬車を誘導した。
戻ってみると、もと側近の男の傷口から矢は上手く抜かれて、彼はリマールが用意していた上着に着替えていた。ずっと辛そうにしかめていた表情も、少し和らいでいた。血のついた服の方は丸めて、リマールが手提げ袋に入れてある。リマールが、それを誰にも不審がられず処分するのは簡単なことだ。兵士たちは実戦を想定した訓練を常に行い、生傷が絶えない。時には大きな怪我だってする。
ちなみに、軍医を目指しているリマールだが、彼も少しは、剣術や武器を扱う訓練も受けている。一人前になれば、戦闘員として戦いの渦中に放り込まれることはなくても、時には、その間近までついていくこともあるからだ。
エドリック騎士は、ベルニア国の君主のもと側近と対面した。先にアベルから話を聞いていたため、彼が傷ついた異常な姿でいるところ見ても、顔色を変えなかった。そして、彼もやはり男のことを知っていた。
地面に膝をついたエドリックは、背中から男の肩に腕を回して抱き起こした。
「話は聞きました。さあ馬車へ。今から、あなたを城の一室へ運びます。あとで陛下も密かにお見えになりますから。しかし、その話によっては会議が必要になる。」
「会議はいつでも必要だ。内容さえ外へ漏れないようにしていただければ。」
「まずは、さあ行きましょう。」
エドリック騎士に支えられて、もと側近はゆっくりと起き上がった。そして馬車の座席に下ろしてもらい、隣にはリマールも一緒に座った。リマールは、御者のエドリックに行き先の提案をしていた。また一人、先に事情を知ることになるが、アベルもエドリックもすぐに同意した。彼の意に沿うようにするのに、そこは最も適した場所だ。
リマールが提案した場所、もと側近という男が運ばれたそこは、城の敷地内にある隠れ家のような建物だった。昔は倉庫だったんじゃないかと思う、平屋の木造住宅である。大手門をくぐって城壁の角を曲がり、アーチの石の門を抜けたところにある、ちょっとした林の中に建っている。
ここを住処としている者が、一人いる。リマールが先生と呼ぶ人物だ。兵士たちから、最高の軍医と崇められているおじいさん名医。その彼の住処には台所があって、食堂があって、居間や寝室がある。住居としての役割を果たせるように改装されて、そうなった。
「城塞は肌に合わん。余生を温かい木の家で過ごしたい。」
と、何かにつけてぶつぶつ言う、わがままな彼のために。彼には、その余生に、リマールのような若者を、立派な軍医に育ててもらわなくてはならないから。
その彼は、リマールの処置が適切か確認すると、あとのことはリマールに任せてまた眠りについた。寝室は負傷者に譲ってあげたので、今夜のところは居間のソファーで。
アベルの方は、建物の周囲の林の中を、何周か歩き回った。周辺の警戒は緩く、外に人気は全くなかった。
そして兄、つまり王アレンディルがようやく姿を見せて、建物に戻った。だが寝室までは一緒に入らず、すぐ前の板張りの廊下に立って待っていた。
長くはかからなかった。
王アレンディルとエドリック騎士が、二十分かそれくらいで部屋から出て来た。
二人とも青ざめているようにも見える、異常に深刻な顔をしている。
「兄上、彼はなぜ・・・。」
・・・裏切ったのか。彼が殺されかけたのは、きっと口封じのためだ。
アレンディルもエドリックも、いちおう辺りをうかがった。窓の外を。暗いが、見て感じる限り人の気配はない。窓が閉まっていることも確認した。
アレンディルは、兵士の恰好でいるアベルに向き直った。
「南の国境警備隊が戻らない理由が分かった。」
そう告げると、アレンディルは一つ重いため息をついて、続けた。
「まだ不可解な点はあるが・・・。とにかく、もっと厄介な敵が、これまで特に警戒していた国が、いよいよ大きく動きだしたのだ。」
もっと厄介な敵? ベルニア国でなく、それ以上とすれば・・・。
「南の王国。」
アレンディルは小さくうなずいた。
「謀略を重ねて進撃してくるという話だった。すでに、我らは最初の罠にはまってしまった。ラルティス総司令官の部隊が犠牲になって。」
「な・・・亡くなったのですか。」
アベル自身、口にするのはかなり抵抗があったが、それを聞いたエドリックの顔は悲痛に歪んだ。ラルティス総司令官は、エドリック騎士の兄だ。
「分からぬ・・・。国境沿いのその森については、まだ謎が多い。」
「兄上、彼はこの国が滅ぼされると。」
「心配するな。我々が何も知らずに過ごしていたら・・・だ。おかげで、我らにも対策がとれるようになった。しかし、国境警備隊は急を要する事態。すぐに手をうとう。」
「兄上・・・あの・・・」
アレンディルは、不安で仕方がない様子の弟の肩に手を置いた。
「危険を知ることはできたが、残念ながら彼から得られた情報は乏しい。それをもとに推測して備えなければならない。本来、この場でできる話ではない。」
それからアレンディルは表情を緩め、弟の方へ少し屈んだ。
「ところで・・・そなた、一つ忘れてはいないか、その恰好。」
アベルは自分の服装を見下ろして、あっと口を開ける。
「今さらですが、早く、任務へ戻られた方が。」と、苦笑しながらエドリックが言った。
とっくに交代の時間は過ぎているが、ヴォルトがうまくやり過ごせたとは思えない。
「どうしよう、怒られるっ。」
「それは、私にも助けてやれぬ。」と、半ば面白そうにアレンディルも言った。
「ここは潔く叱られるのが賢明かと。」と、エドリック。
アベルは慌ただしく背中を返し、廊下を小走りで戻りながら必死で言い訳を考えた。
ほんとのことは言えないし・・・うーん・・・貧血で休んでたら、そのまま寝ちゃったことにしよう。信じてもらえないだろうな・・・姿を消してたんだから。
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