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第3章 脱 出
5. 惨劇の声
しおりを挟む再び歩きだした一行。湧き水を見つけて、昼休憩をとることにした。ぬかるみを避けて通り、倒れた木の幹に並んで腰を下ろしたそこで、空腹を満たして疲れを癒した。
アベルは、目を閉じて耳に手を当てる。声はとてもかすかで少ないけれども、風は、今知りたいそのことも、ちゃんと伝えてくれていた。不意に脱線するものの、なんとかたどって行けそうだ。
やがて一行は、体力を回復して出発した。
しばらく進むと、木立の間隔が広がりだして、道は少し歩きやすくなった。
「あれ・・・。」
アベルが立ち止った。
「なんだろ・・・なんか・・・え・・・。」
また脱線か。今度は何だと、仲間たちはとりあえず黙って待つ。
ところが、これまでとは明らかに違った。様子がみるみるおかしくなっていく。仲間たちは、アベルのその異様さに釘付けになった。突然うろたえだしたかと思うと、眉をひそめて、ひどく不安そうな顔をしている。
「アベル?」
リマールが心配になって、そっと声をかけた。
「怖い・・・。」
アベルが息苦しそうに言った。
「え・・・?」
「何を聞いてる?」と、レイサー。
「・・・指揮官は・・・。」
「は・・・?」
レイサーは顔をしかめた。
「指揮官は・・・どいつだって・・・すごく嫌な感じの声が・・・。」
レイサーは辺りを見回した。自分たちのほかには、やはり人の気配はない。そもそも、アベルが聞いているのは、普通に聞こえるものではない。どこか遠くの声や音、それに気配だ。
しかしこのことから、アベルには、まだほかにも聞けるものがあるのではないか・・・と、レイサーは感じた。
そのアベルは、地面に視線を向けていた顔を上げて、右手の方を見ると停止した。
今気づいたが、そちらの遠くには、木が生えていない場所があるようだった。
「向こう、明るくなってる。」
ラキアが言った。
「行ってみるか。」
ルートの確認に必要だと思ったレイサーは、一人でさきさき歩いて行った。自然とほかの者たちもついていく。
目の前がパッと開けた。彼らは、空が見渡せる沼のほとりに来ていた。
完全にではないが、あぜ道のような足場で、沼はいくつかに仕切られているように見える。ハスの葉が大部分を覆い、ほかにも水中や沼のふちに水草が生えている。水は暗くて深そうだった。丈高い植物と、沼に浸かるまで伸びている、木の葉をつけた枝と木々に取り囲まれている。
一行が出て来た場所には、足元の雑草を大勢が踏み倒した跡があった。
「待って・・・レイサー・・・ここ・・・。」
「どうした?」
レイサーが振り返る。そして眉根を寄せた。
アベルが腰を引いて体を縮め、足をすくませている。
「聞こえる・・・ちょっと、これ・・・な !?」
アベルは目を固くつむり、耳を塞いでうつむいた。だがすぐにハッと顔を上げたかと思うと、いきなり涙を流しながら、右に左に首を向け始めたのである。そうして周りの茂みや地面を、木の幹を、まるで何か怖いものであるかのように見ている。怯えきった迷子のような目をしてだ。
仲間たちはいよいよ驚いた。
「え、なんで !?」
「アベル !?」
「おい、どうしたっ。」
ラキア、リマール、そしてレイサーが焦って声をかけた。
「この声・・・これ・・・。」
異常に震える声で、アベルは何かぶつぶつつぶやいている。
今、風が伝えてくるのは、この瞬間にどこかで起こっていることではなく、きっと、過去にここで起こった・・・惨劇の記憶。か細い悲鳴があがり、痛みと苦しみのあまり漏らす苦悶の声が続き、そしてまた一瞬あがる、とうとう殺されていく人の悲鳴。それは弱々しく響く、悔しそうな声。どうにもならない無念さを滲ませて、とても悲しく消えていく。いくつもの声が、全て同じように。
それが頭の中を繰り返し反響する。
これは、彼らが訴えているのだろうか。恨みをはらして欲しいと。でも、風よ、これ以上は耐えられない。だからお願い、止めてくれ・・・!
声が消えた。
アベルは、急に力が抜けた顔で茫然となったが、それからゆっくりと沼の方を向いて、その上に見える空を見上げた。
彼は、祈りを捧げた。
あなた方のかたきは、きっと討ちます。この国の強い騎士たち、それに兵士たちが戦いに勝利して。
どうか安らかに・・・。
「レイサー・・・。」と、アベルはそのままで、とても静かに呼びかけた。
「ああ・・・なんだ。」
アベルに何が起こったのか、今になって、レイサーも何となく分かった気がしていた。
「ここが・・・たぶん・・・現場。」
「そうか・・・。」
その卑怯な襲撃が行われた日から、長い日数が経っている。そのあいだに、天気は様々に変わった。荒れた日もあった。木々に囲まれた場所でも、ここは沼のほとりのわりと開けたところだ。きっと大量の血痕は豪雨に洗い流され、変色し、周りの茶色い植物や地面と同化して、森の自然の一部になった。だが、アベルの目には想像で見えたのだろう。
ラルティス兄貴はそれを実際に目の当たりにし、これ以上ない辛い体験をした・・・その心境を思うと、レイサーはしばらく言葉を失った。
「もしかしたらだけど・・・その沼の中に、彼らがいるかもしれません。」
アベルは涙をぬぐい、水辺の方を向いた。
「でも・・・ここにはいないよ。」
そう教えたラキアに、ほかの三人は注目。
「その人たちの霊。」
「ああ・・・。」と、レイサーも思い出した。
初めて会った時、この少女は確か霊と話しができると言っていた。
「昇天した・・・ってこと?」
リマールがきいた。
「それか、違う場所を彷彷徨ってるかも。」
レイサーは沼のきわまで近づき、恐る恐る水中に目を凝らした。だが、漂う水草や濁りで、中の様子はよく分からなかった。
「そうだとしても、今、この森は危険だ。亡くなった隊員たちの遺体は、落ち着いてから探してもらおう。とにかく、生き残った者たちを探そう。」
彼らは沼のほとりに並んで立つと、姿勢を正して(レイサーやアベルは敬礼を加えた)、長い黙祷を捧げた。
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