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伯爵家の書斎は広々としていて、コルネリアは書名も聞いたことのない本がたくさんあった。目を引いた重厚な装丁の一冊を出してもらい、書見台で開く。文字を追いはじめると、時は矢のように過ぎ去る。
「奥様、そろそろ休憩なさいませんか?」
コルネリアのそばで刺繍をしていたはずの侍女に声をかけられて、顔を上げる。
「食事のご用意もできますが、いかがいたしましょう」
「……できれば、軽いものとお茶をいただける?」
熱中しているうちに、日は高くのぼっていた。侍女もほんとうは、昼食を勧めたかったのかもしれないが、あいにくコルネリアは食欲と無縁だった。
乾いた大地に水が吸い込まれていくように、文章と新しい知識はからだに染み渡る。叔父一家に女中をさせられていた期間に抑圧されていたものが、一気に弾けたのだろう。それに、本に夢中になるあいだは、嫌なことも忘れられる。
陽気がよいからとテラスに出て軽食を摂り、書斎に舞い戻る。時間を忘れて没頭し、またもや侍女に促されるように着替えさせられ、夕食をひとりで食べる。
そうして丸一日好きに過ごして、気が済んだらしい。翌朝目覚めると、書物への強い欲求はなくなっていた。
──遊んでばかりはいられないわ。女主人の仕事をしなければ。
使用人の管理から、食事の献立の指示まで、貴族の妻がすべきことは多岐に渡る。代理を務めていたグイドや侍女頭から徐々に引き継ぎを受けつつ、書斎に短時間通う。そんな過ごしかたにコルネリアが慣れたころ、夫は戻った。
先触れを聞いて身支度をして、屋敷の玄関へ出る。フェリクスを乗せた馬車は、出迎えたコルネリアたちの前で止まった。御者の世話を待ちきれないようすで、フェリクスは車を飛びおりてくると、満面の笑みでこちらに向かってきた。
「ただいま戻ったよ、ディアナ!」
両手を取られ、返答をと考えた瞬間に、隣からグイドの声がさえぎった。
「旦那様。お話がございます」
妻の発言の機会を奪った執事に、フェリクスが不機嫌そうに眉を寄せる。だが、グイドは一切引く気がないらしく、硬い表情のまま、もう一度、同じ内容を繰り返した。
「それは、いまでなければダメか? それほど急を要することが起きたのか」
「ええ、たったいま、起きました」
「──何?」
問いかえすフェリクスに、ここからいちばん近い応接間へと場所を移すことを提案し、グイドは屋内に戻っていく。コルネリアはどうしたものかと、手を繋いだままの夫を見上げたが、彼は納得のいかない顔つきで執事の背を睨み、それから、ため息をついた。
「急ぎのようすでしたわ、わたくしには構わず、どうぞおいでください」
「ずっとあなたが恋しかったんだ。いまは離れたくない。それに、たとえ仕事の話でも、あなたなら退屈はしないのではないかな」
「……! よろしいんですの?」
手を繋ぎなおし、フェリクスはエスコートするように歩き出す。ついていくコルネリアの足取りは、不思議と軽かった。
「奥様、そろそろ休憩なさいませんか?」
コルネリアのそばで刺繍をしていたはずの侍女に声をかけられて、顔を上げる。
「食事のご用意もできますが、いかがいたしましょう」
「……できれば、軽いものとお茶をいただける?」
熱中しているうちに、日は高くのぼっていた。侍女もほんとうは、昼食を勧めたかったのかもしれないが、あいにくコルネリアは食欲と無縁だった。
乾いた大地に水が吸い込まれていくように、文章と新しい知識はからだに染み渡る。叔父一家に女中をさせられていた期間に抑圧されていたものが、一気に弾けたのだろう。それに、本に夢中になるあいだは、嫌なことも忘れられる。
陽気がよいからとテラスに出て軽食を摂り、書斎に舞い戻る。時間を忘れて没頭し、またもや侍女に促されるように着替えさせられ、夕食をひとりで食べる。
そうして丸一日好きに過ごして、気が済んだらしい。翌朝目覚めると、書物への強い欲求はなくなっていた。
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先触れを聞いて身支度をして、屋敷の玄関へ出る。フェリクスを乗せた馬車は、出迎えたコルネリアたちの前で止まった。御者の世話を待ちきれないようすで、フェリクスは車を飛びおりてくると、満面の笑みでこちらに向かってきた。
「ただいま戻ったよ、ディアナ!」
両手を取られ、返答をと考えた瞬間に、隣からグイドの声がさえぎった。
「旦那様。お話がございます」
妻の発言の機会を奪った執事に、フェリクスが不機嫌そうに眉を寄せる。だが、グイドは一切引く気がないらしく、硬い表情のまま、もう一度、同じ内容を繰り返した。
「それは、いまでなければダメか? それほど急を要することが起きたのか」
「ええ、たったいま、起きました」
「──何?」
問いかえすフェリクスに、ここからいちばん近い応接間へと場所を移すことを提案し、グイドは屋内に戻っていく。コルネリアはどうしたものかと、手を繋いだままの夫を見上げたが、彼は納得のいかない顔つきで執事の背を睨み、それから、ため息をついた。
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「ずっとあなたが恋しかったんだ。いまは離れたくない。それに、たとえ仕事の話でも、あなたなら退屈はしないのではないかな」
「……! よろしいんですの?」
手を繋ぎなおし、フェリクスはエスコートするように歩き出す。ついていくコルネリアの足取りは、不思議と軽かった。
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