『青』の作り手 失恋女子と見習い藍師

渡波みずき

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十五 藍より出でて

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「さっきから聞いてれば、東京にいたみたいじゃない。何しに戻ってきたの? あたしなら、本場の天然灰汁あく発酵てを覚えるためでもなきゃ、こんなド田舎、ぜったいに来ない」

 彼女はわざと千草を突き刺すためのことばを選んでいるとしか思えなかった。千草は戸惑いながらも、どうにか会話を続けようと、キャッチボールできる球をさがす。

「不勉強でごめんなさい。天然発酵って、なんですか?」
「あんた、まさか知らないの? 藍師の孫娘なのに?」

 糾弾するように、須原すばるの語尾がきつくあがる。徐々に嫌な気分になってきたが、それでも、ミラーに映る目元は無理やり笑ませる。

「藍師は、すくもづくりまでが仕事だから。うちでは藍染めはやっていないので、須原さんが習いたいとおっしゃる染めの方法は、技の館のほうで教えてもらえるといいんだけど」

 できるだけ取り除いたつもりだったのに、わずかにトゲが残った。だが、口にした内容は事実だ。あさぎなら、何か知っているかもしれないとは考えたが、傲慢で自分勝手に見える須原を叔母に紹介したいとは、まったく思わない。

 会話が途切れたところで、製藍所の入口が見えてきた。道路をうろつく老人の姿がちらちらしている。祖父だ。特別遅くなったとは思わないが、千草の運転を心配したのかもしれない。

 敷地に入った車を追うようにやってきた祖父を、千草は三人に紹介する。

「深見製藍所の深見弥吉、わたしの祖父です」

 百六十センチメートルそこそこの背の低い祖父を囲むように三人が並び、口々に挨拶する。さすがの須原も、これから半年以上世話になる相手に対しては、千草にとったような不遜な態度は見せなかった。極端に愛想がいい顔をする彼女に辟易して、千草はひとりさっさと家に入った。裏表が激しい人間は、正直好かない。

「さあ、昼を用意しとるけん、荷物はここへ置いて、奥へ入ってくれんか」

 三人を追い立てる祖父をよそに、千草は台所へむかい、母を手伝うことにした。

 昼食後に離れを案内することになり、千草は祖父に命じられ、内心いやいやながらも、隊員三人を先導して歩いた。

 深見の家の離れは、昭和初期ごろ、従業員や女中の住居だったものだ。いまは祖父、父と数人の職人だけで行われている蒅づくりだが、過去には丁稚を大勢抱え、大規模に作業がなされていた。経済的にも当時はもっと余裕があったと聞いている。そうしたころの建物だから、当然古びてはいるものの、物置にもせず手入れを続けてきたので、住むには何の支障も無い。

 畳は少々古くてクズが出るとか、風呂は母屋にしかないとか、難点をあげつらうことはできるが、過去にも親類が住んだことがある建物だ。割に新しい水洗トイレと小さなキッチンもあるし、設定すれば母屋のWi-Fiが使える。歪んだガラスも味があるし、悪くないと、千草は思う。

 だが、こうした説明を聞いた須原は、案の定、鼻にぎゅうっとしわを寄せて嫌がった。

「冗談でしょ? 部屋の戸にも鍵がないし!」
「まあ、このあたりじゃ、家に鍵をかけること自体が少ないですから」

 道理でと納得した顔でうなずく神田は、完全に状況を面白がっている。助けてくれるようすはなかった。

「格安物件にしてはきれいだと思うよ」
「住居手当が一万円で、用意する家の家賃と同額だと、そもそも役場のウェブサイトにも書いてあったし、な。いわゆる下宿だな」

 松葉のソース付きの発言に、千草はふりかえり、そのとおり! と、補足した。

「さっき、母に聞いたんだけど、基本的には三食とも食事はウチで用意するって。衣食住の細々としたことには囚われずに藍づくりを学んでもらえればって、じいやんも」
「あたしはこんな汚いところ、住めないから」

 千草のセールストークを遮って、須原はスマホを取り出し、踵を返す。

「ホテル探す」
「えっ、でも、明日は早朝から畑で藍草の植え付けをするって話だし……」

 昼食時に祖父から聞いたままのことばを口にして、引き止めようとした千草を、須原は鼻で笑った。眼鏡の奥の目は、完全にこちらをバカにしきっている。

「あのね? あたしたちの給料は、町から出るの。まだ、町役場での任命式も終わってないのに、あんたの家にこきつかわれるのはまっぴらよ。明日は一日好きにさせてもらうわ。まさくんも、こんなのにつきあう必要ないと思うよ。いっしょにホテル探さない?」

 声をかけられた神田はにへらっと笑い、「僕はここでいいかな」と、ひらひらと須原に手を振る。ふくれっつらになった彼女は、何も言わずに足音も高く立ち去っていった。

 千草はぽかんと彼女を見送って、説明を求めるように残ったふたりを見上げる。

「基本的なスタンスが違うんだ」
「あやかちゃん、面白いよね」

 松葉は肩をすくめ、神田はくっくっと喉で笑った。

「機内で話を聞かされたが、徹頭徹尾、藍染めで作品を仕上げて名声を得ることしか考えていない。ものすごい自信家だ」
「藍は流行るって信じる気持ちだけは、人一倍あるコだよ」

 フォローするようなことを言う神田も、表情から察するに、須原の味方というワケではなさそうだ。早くもトラブルメーカーの気配をにじませている須原の存在は気がかりだが、いま、千草がすべきは、愚痴の言い合いではない。

 我に返って、部屋割りや、離れを使ううえでの注意点を教え、備え付けられている古い建具の使いかたなどを実地で見せる。どれも経年で滑りが悪くなり、スムーズに動かすにはコツと力がいるのだ。

 座り込んで荷ほどきをはじめるふたりを横目に、千草は廊下や部屋の鎧戸を開け、窓を放ち、換気をしてまわった。いくつかの窓は、過去の台風で破れ、平らなガラスに入れ替えられているが、多くは昭和初期の古いガラスだ。ぴっちりとは止まっておらず、風に吹かれてはカタカタと揺れる。窓枠も木製で、隙間風は防げない。

 須原の言うように、確かにこの離れは、新しくきれいな建物とは言いがたい。だが、歴史ある建造物が新築同然にピカピカの状態を保っていることは、ほとんどないのではないだろうか。どれも住人が愛着を持って使いこんだ結果として、長い年月を経て存在するのだ。その使用感や生活感の名残を『汚い』と表現するのは、いかがなものか。

 窓から見えるのは、深見家の畑だ。家を取り巻くように広がる地面は、まだ土色だった。明日から十日ほどかけて、藍草あいそうの苗を植え付ければ、この家は、七月ごろまではずっと、草原のなかの一軒家のようになる。

 藍草は、ただの緑の草だ。藍色とは似ても似つかない。それなのに、昔のひとはどうして、あの草を染め物に使おうなどと思いついたのだろう。

「『青は、これを藍より取りて、藍より青し』」

 故事成語が口をつく。ほんとうに、そのとおりだ。藍という草も、阿波藍という染料も、決して青くない。

 だれに聞かせるでもない千草のつぶやきを、しかし、松葉は拾ったようだった。

「『氷は、水これを為して、水より寒し。学は以てむべからず』」

 似たような節回しで続けられて驚く。自分で口にしたことばの原典を千草は知らなかったが、松葉は知っていたのだろう。

「何それ、どういう意味?」

 神田が手を止め、ふりかえる。松葉は、タンスの抽斗ひきだしに服を詰めながら、声を張った。

「青は、藍草から取った染料の出す色なのに、藍草そのものよりも青い。氷は、水からできているのに、水そのものよりも冷たい。学び続け、研鑽を続ければ、より優れたものになれる。……荀子のことばだ。青も氷も、より優れたものの例示」

 千草は、松葉の低い声に聞き惚れて、その背を見つめた。神田は、よくわからないというようすで首を傾げる。

「藍って、染め物のための草なんだよね? もとから青い草じゃないんだ?」

 空いたスーツケースを押し入れの下段に入れるよう促して、千草はふふっと笑った。それは、ありがちな勘違いだ。

「青くないよ。藍草から作る蒅も、青くない。知らないひとが見たら、乾いた泥や土塊つちくれに見えるんじゃないかな。青色や藍色を出すのは、藍師の仕事じゃないの」

 色を出すのは、染め師の仕事だ。

 神田が素直に感心している脇で、松葉は驚きひとつ見せなかった。真面目そうな彼のことだから、移住前にひととおり予習してあるのかもしれない。

「わたし、日中は仕事でいない日もあるから、そのときは遠慮無く父や母に車を出してもらってね。こっちは運転が荒いひとも多いから、慣れないうちは自分で運転しないほうがいいと思う」
「──千草さんは、家業を手伝わないんですか?」

 意外そうな松葉に、千草は真実を隠して、笑顔で返す。

「役場に雇ってもらえたの。今日、その面接で出かけてたんだ」
「すごい! 千草ちゃん、公務員さんっ?」
「ただのアルバイトだよ。会計年度任用職員っていうんだって」

 松葉は、神田に割り当てた部屋とのあいだの襖に手をかけて立ち、黙ったまま、千草を見下ろしていた。視線の圧力に負けて、目を伏せる。

「俺たちが、来たからですか」
「別に、そういうワケじゃ……」
「ああ! そっか、そういうこと」

 神田も勘付いたようにこぶしで手を打つしぐさをする。

「僕たちで枠が埋まっちゃったんでしょ? 協力隊員の受け入れが決まったのって、たぶん、千草ちゃんが退職を決めるよりずっと前のことだし」

 そのとおりだ。だが、そこまでハッキリと口に出さないで欲しかった。そっとようすを窺った松葉は、苦い物でも飲みこんだような顔をしていた。

 千草は、場を取りつくろうように、慌てて胸の高さで両手を振った。

「あ、でも、ホントに気にしないでね! わたし、実は、畑仕事も蒅づくりも、傍で作業は見たことあるけど、手伝ったことないの。子どものころから、じいやんが『千草は来んといて』って言うんだ」

 自分で口にしたのに、目の前で不思議そうな表情になった男性ふたりを見たら、猛烈な疎外感にさいなまれた。

 千草の持つ藍の知識は、耳学問でしかない。これから実地で学ぶ彼ら三人はきっと、千草の知識量など、ひといきに追い抜いてしまう。数年後には、専門家や職人へと仕上がっていく。

 帰郷したとき、今度こそ藍師の仕事に携われるのではないかという内心の期待が、無かったとは言わない。断られてもなお、理由を頭では理解はできても、納得がいかない。だって、兄や姉は何かしらの作業を手伝ったことがあるのに、なぜ、自分だけが遠ざけられてしまうのだろう。

 ──わたしだけ、神奈川にいたことがあるから? 阿波弁が話せないから? まるで、わたしはこの家の子じゃないみたい。

 以前にも抱いたことのある居心地の悪さが蘇る。千草は不快感から目を背け、松葉たちに声をかけて離れを出る。

 ふるさとにいるはずなのに、なぜか、東京の繁華街にいるときのような感覚が身を襲う。身の置きどころのなさは、しばらく抜けなかった。
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