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十七 叔母と傷痕
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庁舎前の駐車場に、見慣れたミニが停まっている。その窓が開いた。手を振る人物には、大いに見覚えがあった。
「どうしたの?」
近づいていくと、あさぎは窓に腕を乗せ、身を乗り出す。
「お迎え。家に寄ろうと思うて、俊子さんに連絡したら、ちーちゃんが役場に勤めとるって聞いたけん」
乗れと助手席を叩いて示され、千草はぐるりとそちらに回って、ドアを引いた。
「元気そうでよかった」
「……先日は、ご心配をおかけしました」
かけられたことばにあさぎと最後にあったときの自分のようすを思い出して、ぺこりと頭を下げる。
「車で通ったらええのに。なんでバスなの」
「地域おこし協力隊員のひとたちが来てるから。足がないと、いざというとき困るでしょ」
役場は交通費が支給されるのだからと、バスで通勤していたが、貯金がある程度たまったら、自分用の軽自動車でも中古で買ったほうが、いろいろと楽かもしれない。
「叔母さん、今日はどうしたの?」
「阿波尾鶏をいただいたけん、持ってきたのよ。俊子さんが料理したほうが、うまいものに化けるけんね」
「ああ、それ、食べてみたかったんだ!」
「体験教室のお得意さまがね、お裾分けって」
藍染めの体験教室にも、常連さんがいるものなのか。興味深い。千草が話を広げると、あさぎはかんたんに教えてくれた。
あさぎの本業は作家としての活動なので、展示会などに出す作品を集中して手がける期間や、染め物や染め直しの受注が主となる。体験教室は、そうした活動の副産物だ。地元の小学校に講師として招かれたこともあると言うから、あさぎの仕事は幅広いし、かなり柔軟性に富んでいる。
「そういえば、モデルさんしてもらう東京の展示会、時期と期間が決まったよ。九月十四日月曜日から二十日の日曜日までの一週間。前乗りと後泊で八泊九日ね。ビジネスホテルで悪いけんど、交通費、宿泊費、食事代も奢るけん」
「アルバイト代は?」
期待せずにふざけて問いかけると、あさぎは視線だけこちらによこした。千草の表情に意図を読みとったのだろう。目尻にしわをよせる。
「赤字覚悟の出展やけんね。当日着るワンピースで勘弁して」
「はーい。役場と仕事の調整はしておくね」
催事に出るのが赤字覚悟とは思わなかった。アトリエで見た作品は高価だったし、それなりに流行っている工房のはずだ。
「染め師で食べるのって、難しい?」
問いかけに、あさぎは少しだけ真剣な顔つきになった。ステアリングを握り、前をむいたままだったが、横顔に笑みはなかった。
「勤めに出るのも、起業するのも、同じじゃないかな。身を立てるんは難しいものよ。あたしは藍から離れとうなかったけん」
「藍から離れたくないなら、叔母さんも藍師になればよかったのに」
意外な返答に、本音が口をついた。あさぎは千草のことばに声を立てて笑った。だが、困ったような笑みでもあった。
「藍師は、選択肢になかったの。じいやんが『もう、おまえには蒅は作らせん』って怒ってしもうたけん。だれが取りなしても、聞いてくれなんだの」
あさぎも、千草と同じなのか。祖父が、彼女を藍から遠ざけようとしたのか。理由が知りたいと思った。だが、これは、好奇心だけで、うかつに触っていいものなのか。祖父と叔母の軋轢の理由そのものではないのか。
押し黙り、あさぎの横顔を見つめ続ける千草に、あさぎはちらっと一瞥をくれる。
「……まだ、聞いとらんのね」
つぶやきに、胸がざわめく。千草が知っておくべきことなのか、あさぎが藍師になれなかった事情というのは。
「何が、あったの」
尋ねかけるのには、勇気が要った。
「ちーちゃんが、小学校に上がったばっかりやったかなあ。火傷をさせてしもうたのよ。──いまも、残っとるでしょ、手首に痕が」
言われて、千草はバングルを外した。右手首に残る赤紫色の傷跡。これは、火傷のあとだったのか。
「ちーちゃん、藍の寝床で遊んどったのよ、あたしが目ぇ離した隙に」
藍の寝床は、阿波藍の製造工程のひとつである『寝せ込み』という発酵を行う場所だ。発酵した葉藍は高温になり、アンモニア臭を発する。そのにおいは、母屋にいても感じられるほど、強烈なものだ。毎年、晩秋から冬にかけての深見家の風物詩とも言える。
「藍の寝床は、秋口の発酵が進む前は、そんなに臭いもせんし、熱うもならんでしょう。遊んで、寝入って、からだじゅう低温火傷になるところやった。実際、軽いやけどは腕にも背にも広範囲にあったわ。下手したら、脱水や火傷で死ぬところやった。間一髪で気づけたけんど、その日、ちーちゃんはあたしがあげたブレスレットをしとって、その金属の当たっとった場所だけは、深部までのひどい火傷になって、痕が残った」
千草は目を瞠った。あさぎは一度、口を閉じ、淡く笑んだ。二十年あまりの年月を経て、ようやく形作ることのできた表情なのだとわかるほど、深い感情がにじんでいた。
「父さんは、あたしを許さなんだ。これから育てていく大事な葉藍を不用意に子どもに触らせたことも、藍の寝床を遊び場にしてしもうたことも、不注意で孫を危険にさらしたことも。何もかもがぜんぶ、父さんの逆鱗にふれとった。ほなけん、あたしは藍師にはなれなんだし、家にもいられんようになった」
「……知らなかった」
「ちーちゃんにも、しばらくは会わせてもらえなんだ。父さんにも俊子さんにも兄さんにも、何度も土下座して謝ったけんど、父さんが会わせてくれいでね」
祖父と叔母は折り合いが悪いのだとは知っていた。それでも、食事をともにするくらいには交流がある。みんなが親しいのは千草にとっては当たり前の日常で、双方が断絶していた期間があるだなんて、当事者の一方から実際に耳にしても、にわかには信じられない。
「ちーちゃんのお父さんお母さんは、出来たひとなのよ。ふたりが許してくれたおかげで、また、深見の家の敷居をまたぐことができとるし、ちーちゃんとも、こうしてふたりきりで話ができとるんだもの」
千草は、膝のうえに置いたカバンを見つめながら、ふだんの母とあさぎとのやりとりを思い起こした。食事のときの一家の団欒にも、ふだんのどんな振る舞いにも、過去の経緯をかけらも匂わされたことはない。
「──だから、なのかな。わたしが製藍所の手伝いさせてもらえないのって」
「さあね。じいやんの考えなんて、わからんけんなあ」
カーラジオから、ラジオショッピングの音声が薄ら寒いテンションで流れてくる。その音のおかげで、千草は冷静になれた。もしも、祖父が千草を藍に近づけない理由が、あさぎの話してくれた一件のせいだとしたら、大人になったいまなら、多少の分があるのではないか。
「製藍所の仕事、手伝わせてもらいたいの。今日、じいやんに伝えようと思うんだ」
あさぎが運転そっちのけで、こちらを振り向いた。千草は目を剥いて叫ぶ。
「叔母さんっ! 前! 前見て!」
「おわわわっ」
センターラインを踏み越え、対向車にむかっていきかけたのを立て直し、ふたりで呼吸を整える。
「……本気なの?」
「うん。協力隊員のひとたちは、じいやんから、いろいろと教えてもらえるんだと思ったら、うらやましくって」
ミニは製藍所の敷地に入り、ぐるりと転回して、納屋の脇に停まった。エンジンを切ったあとも、ステアリングから手を離さずに、あさぎは長い息を吐いた。
「やっぱり、ちーちゃんは、深見の子だねえ」
「叔母さんも、説得、協力してくれる?」
「ううん、あたしが口出ししたら逆効果やけん、ひとつだけアドバイスしたる」
そう言って、あさぎは車の後部に置いていた手土産を取り、千草の膝に乗せた。さっき話題にのぼった阿波尾鶏だ。
「コレ持って、俊子さんに打ち明けといで。火傷の理由を聞いたことと、ちーちゃんの希望を伝えるの」
目が合ったあさぎの顔は、強ばっていた。
「あたしは、今日は、帰る」
「えっ、やだ! いっしょにいてよ! ごはんも、いっしょに食べようよ」
あさぎは奥歯を噛みしめ、くちびるを引き結ぶ。千草は彼女の腕をつかんだ。膝のうえの荷物に千草の体温が移るほどの時間をかけて悩み、あさぎはようやく首を縦にふった。
「──あとで行くけん。先、行って」
これが最大限の譲歩なのだとわかった。千草はうなずきを返して、言われたとおり、母を捕まえるため、ひとり母屋にむかった。
「どうしたの?」
近づいていくと、あさぎは窓に腕を乗せ、身を乗り出す。
「お迎え。家に寄ろうと思うて、俊子さんに連絡したら、ちーちゃんが役場に勤めとるって聞いたけん」
乗れと助手席を叩いて示され、千草はぐるりとそちらに回って、ドアを引いた。
「元気そうでよかった」
「……先日は、ご心配をおかけしました」
かけられたことばにあさぎと最後にあったときの自分のようすを思い出して、ぺこりと頭を下げる。
「車で通ったらええのに。なんでバスなの」
「地域おこし協力隊員のひとたちが来てるから。足がないと、いざというとき困るでしょ」
役場は交通費が支給されるのだからと、バスで通勤していたが、貯金がある程度たまったら、自分用の軽自動車でも中古で買ったほうが、いろいろと楽かもしれない。
「叔母さん、今日はどうしたの?」
「阿波尾鶏をいただいたけん、持ってきたのよ。俊子さんが料理したほうが、うまいものに化けるけんね」
「ああ、それ、食べてみたかったんだ!」
「体験教室のお得意さまがね、お裾分けって」
藍染めの体験教室にも、常連さんがいるものなのか。興味深い。千草が話を広げると、あさぎはかんたんに教えてくれた。
あさぎの本業は作家としての活動なので、展示会などに出す作品を集中して手がける期間や、染め物や染め直しの受注が主となる。体験教室は、そうした活動の副産物だ。地元の小学校に講師として招かれたこともあると言うから、あさぎの仕事は幅広いし、かなり柔軟性に富んでいる。
「そういえば、モデルさんしてもらう東京の展示会、時期と期間が決まったよ。九月十四日月曜日から二十日の日曜日までの一週間。前乗りと後泊で八泊九日ね。ビジネスホテルで悪いけんど、交通費、宿泊費、食事代も奢るけん」
「アルバイト代は?」
期待せずにふざけて問いかけると、あさぎは視線だけこちらによこした。千草の表情に意図を読みとったのだろう。目尻にしわをよせる。
「赤字覚悟の出展やけんね。当日着るワンピースで勘弁して」
「はーい。役場と仕事の調整はしておくね」
催事に出るのが赤字覚悟とは思わなかった。アトリエで見た作品は高価だったし、それなりに流行っている工房のはずだ。
「染め師で食べるのって、難しい?」
問いかけに、あさぎは少しだけ真剣な顔つきになった。ステアリングを握り、前をむいたままだったが、横顔に笑みはなかった。
「勤めに出るのも、起業するのも、同じじゃないかな。身を立てるんは難しいものよ。あたしは藍から離れとうなかったけん」
「藍から離れたくないなら、叔母さんも藍師になればよかったのに」
意外な返答に、本音が口をついた。あさぎは千草のことばに声を立てて笑った。だが、困ったような笑みでもあった。
「藍師は、選択肢になかったの。じいやんが『もう、おまえには蒅は作らせん』って怒ってしもうたけん。だれが取りなしても、聞いてくれなんだの」
あさぎも、千草と同じなのか。祖父が、彼女を藍から遠ざけようとしたのか。理由が知りたいと思った。だが、これは、好奇心だけで、うかつに触っていいものなのか。祖父と叔母の軋轢の理由そのものではないのか。
押し黙り、あさぎの横顔を見つめ続ける千草に、あさぎはちらっと一瞥をくれる。
「……まだ、聞いとらんのね」
つぶやきに、胸がざわめく。千草が知っておくべきことなのか、あさぎが藍師になれなかった事情というのは。
「何が、あったの」
尋ねかけるのには、勇気が要った。
「ちーちゃんが、小学校に上がったばっかりやったかなあ。火傷をさせてしもうたのよ。──いまも、残っとるでしょ、手首に痕が」
言われて、千草はバングルを外した。右手首に残る赤紫色の傷跡。これは、火傷のあとだったのか。
「ちーちゃん、藍の寝床で遊んどったのよ、あたしが目ぇ離した隙に」
藍の寝床は、阿波藍の製造工程のひとつである『寝せ込み』という発酵を行う場所だ。発酵した葉藍は高温になり、アンモニア臭を発する。そのにおいは、母屋にいても感じられるほど、強烈なものだ。毎年、晩秋から冬にかけての深見家の風物詩とも言える。
「藍の寝床は、秋口の発酵が進む前は、そんなに臭いもせんし、熱うもならんでしょう。遊んで、寝入って、からだじゅう低温火傷になるところやった。実際、軽いやけどは腕にも背にも広範囲にあったわ。下手したら、脱水や火傷で死ぬところやった。間一髪で気づけたけんど、その日、ちーちゃんはあたしがあげたブレスレットをしとって、その金属の当たっとった場所だけは、深部までのひどい火傷になって、痕が残った」
千草は目を瞠った。あさぎは一度、口を閉じ、淡く笑んだ。二十年あまりの年月を経て、ようやく形作ることのできた表情なのだとわかるほど、深い感情がにじんでいた。
「父さんは、あたしを許さなんだ。これから育てていく大事な葉藍を不用意に子どもに触らせたことも、藍の寝床を遊び場にしてしもうたことも、不注意で孫を危険にさらしたことも。何もかもがぜんぶ、父さんの逆鱗にふれとった。ほなけん、あたしは藍師にはなれなんだし、家にもいられんようになった」
「……知らなかった」
「ちーちゃんにも、しばらくは会わせてもらえなんだ。父さんにも俊子さんにも兄さんにも、何度も土下座して謝ったけんど、父さんが会わせてくれいでね」
祖父と叔母は折り合いが悪いのだとは知っていた。それでも、食事をともにするくらいには交流がある。みんなが親しいのは千草にとっては当たり前の日常で、双方が断絶していた期間があるだなんて、当事者の一方から実際に耳にしても、にわかには信じられない。
「ちーちゃんのお父さんお母さんは、出来たひとなのよ。ふたりが許してくれたおかげで、また、深見の家の敷居をまたぐことができとるし、ちーちゃんとも、こうしてふたりきりで話ができとるんだもの」
千草は、膝のうえに置いたカバンを見つめながら、ふだんの母とあさぎとのやりとりを思い起こした。食事のときの一家の団欒にも、ふだんのどんな振る舞いにも、過去の経緯をかけらも匂わされたことはない。
「──だから、なのかな。わたしが製藍所の手伝いさせてもらえないのって」
「さあね。じいやんの考えなんて、わからんけんなあ」
カーラジオから、ラジオショッピングの音声が薄ら寒いテンションで流れてくる。その音のおかげで、千草は冷静になれた。もしも、祖父が千草を藍に近づけない理由が、あさぎの話してくれた一件のせいだとしたら、大人になったいまなら、多少の分があるのではないか。
「製藍所の仕事、手伝わせてもらいたいの。今日、じいやんに伝えようと思うんだ」
あさぎが運転そっちのけで、こちらを振り向いた。千草は目を剥いて叫ぶ。
「叔母さんっ! 前! 前見て!」
「おわわわっ」
センターラインを踏み越え、対向車にむかっていきかけたのを立て直し、ふたりで呼吸を整える。
「……本気なの?」
「うん。協力隊員のひとたちは、じいやんから、いろいろと教えてもらえるんだと思ったら、うらやましくって」
ミニは製藍所の敷地に入り、ぐるりと転回して、納屋の脇に停まった。エンジンを切ったあとも、ステアリングから手を離さずに、あさぎは長い息を吐いた。
「やっぱり、ちーちゃんは、深見の子だねえ」
「叔母さんも、説得、協力してくれる?」
「ううん、あたしが口出ししたら逆効果やけん、ひとつだけアドバイスしたる」
そう言って、あさぎは車の後部に置いていた手土産を取り、千草の膝に乗せた。さっき話題にのぼった阿波尾鶏だ。
「コレ持って、俊子さんに打ち明けといで。火傷の理由を聞いたことと、ちーちゃんの希望を伝えるの」
目が合ったあさぎの顔は、強ばっていた。
「あたしは、今日は、帰る」
「えっ、やだ! いっしょにいてよ! ごはんも、いっしょに食べようよ」
あさぎは奥歯を噛みしめ、くちびるを引き結ぶ。千草は彼女の腕をつかんだ。膝のうえの荷物に千草の体温が移るほどの時間をかけて悩み、あさぎはようやく首を縦にふった。
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