『青』の作り手 失恋女子と見習い藍師

渡波みずき

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十八 祖父への直談判

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 阿波尾鶏は、美味しい鍬焼きに化けた。こんがりと焼き目のついた鶏肉を食卓に運んでいると、あさぎが玄関で脱いだ靴をそろえていた。

 千草が母と話し、鶏肉が料理されるあいだ、ずっとあさぎは、車のなかにいたのだろう。千草と目が合うと、いつものやわらかな表情が浮かぶ。そのようすに、気持ちが乱される。

 あさぎは千草の手元の料理を見て、大袈裟なくらいに喜んだあと、こちらの背中をぱしりと叩いた。

「がんばりなさい。ちーちゃんには、あたしのぶんまで蒅づくりを学んでもらわな! ゆくゆくは、製藍所を継ぐのもええね!」

 ごめんなさい。口をついて出そうな謝罪を飲みこむ。あさぎが求めているのは、そんなことばではないはずだ。だから、千草は、にっかりと笑った。

「──あとを継いで、叔母さんに蒅をお安く融通すればいいの?」
「よくわかってるじゃないの!」

 掛け合いをして、あさぎとは別れ、皿を乗せた盆を運ぶ。途中から、松葉と神田も配膳係に加わる。

 箸と箸置き、取り皿に大皿料理、個々に盛り付けられた中皿、ご飯茶碗に味噌汁椀、小鉢と湯飲み。てきぱきと並べていきながら、頭は完全に、どうやって祖父を攻略しようかと、そればかり考えていた。

 交渉は、話術だ。千草は、保険外交員として、ひとと話す技術は人一倍磨いてきたつもりでいる。交渉の成否を握るのは、下準備の精度だが、それ以上に、双方に利を得ることが後腐れなく交渉を終えるうえで、何よりも大事なことだと思う。

 ──じいやんの利益って、なんだろう。

 そこが最もアピールすべき点であるにも関わらず、まったくと言ってよいほど、千草が製藍所の仕事を手伝うことで得られる利益が思い浮かばない。跡継ぎは父がいるし、人手は足りている。特段、女手のいる仕事ではないし、女性が必要なら、今年は須原がいる。

 そこまで考え至って、千草はぴたりと手をとめた。

 ──そうだ、須原さんだ。

 手がかりを見つけ、千草は思考に沈んだ。須原のことを使うなら、ピークテクニックとフット・イン・ザ・ドアの組み合わせができる。ピークテクニックは、相手の意表をついて、話を聞いてもらうこと。フット・イン・ザ・ドアは、小さな肯定を積み重ねて、大きな目的にも頷かせるための技だ。

 うわのそらのまま、食事の席に着いた千草に、注意を払うひとはいない。それをよいことに、交渉の段取りを組み立てつづける娘のまえで、母が父に声をかけた。

「このお肉、あさぎさんが持ってきてくれたのよ。どう、阿波尾鶏のお味は」

 単純に、ただ『うまい』と答えた父は、そう思うだろう? と、質問の矛先を祖父に向ける。祖父は渋面のまま、箸を一度置き、少しばかりひねくれた回答をよこした。

「妙な名前の鶏じゃけんど、味は悪うない」
「あら! やっぱり、良いお肉は違いますね。お父さんのお気に召してよかったわ。近ごろ、めっきりお肉を召し上がらなくなったから、心配していたんですよ?」

 母はそう言って話題を引き取ると、祖父の健康を気遣いつつも、食卓についた面々を見渡す。

「お若いかたは、もっと食べられるでしょう? おかわりはいかが?」

 からだの大きな松葉や、背の高い神田は、こうしたときにターゲットになりやすいらしかった。ひたと見据えられた松葉は、やんわりとした拒否を述べる。

「おいしいものは、少しだけいただくほうが深く満足できる性質なものですから」

 その表現に、神田がくちびるを尖らせた。

「松っちゃん、カッコイイこというよね! 僕は、おかわりをいただいてもいいですか?」

 母に懐いている神田は、いつものきゅるんとしたあざとさを見せる。毎度の食事で餌付けでもされているのか。母のほうは、もうひとり息子が増えたくらいの感覚だろう。神田におかわりを用意してやっているようすは、兄たちの世話をする姿と、よく似ている。

 千草は食事を終え、皿を盆のうえにさげると、祖父をうかがった。よほど、鍬焼きが気に入ったのか、祖父は空の皿を前に食後の茶を口にしながら、表情をゆるめている。

 頼みごとをするのならば、相手の機嫌のよいときを狙うのが人付き合いの鉄則だ。千草は腰を浮かせ、祖父の近くに寄った。

「じいやん、話があるんだけど」

 千草の呼びかけに相好を崩し、祖父は茶もなかばに自室へ行こうかと言いだした。そこへ来たのは、母だった。

 母は祖父の食事の皿を片付け、かわりにいちごを盛ったガラス鉢を置いた。

「千草のぶんのデザートも、こっちに置くわね」
「わあ、ありがとう!」

 タイミングを逃した祖父は、黙って湯飲みをまた手に取ると、話をうながすように千草を見た。千草は段取りを思い出しながら、ゆっくりと慎重に口を開いた。

「──あのね、じいやん。わたし、須原さんと仲良くなりたいの」

 ちょっと甘ったれた子どもっぽい声を出しながら話しはじめると、あちらでゲホッと盛大に噎せた音がした。

 祖父につられて視線をやると、咳き込む神田の背中を松葉がさすってやっていた。神田の涙目が、こちらを窺っている。

 そうか、そちらにも聞こえていますか。きっと、松葉も聞いているのだろう。あさぎは知らんぷりだが、きっと内心楽しんでいるに違いない。千草はやりにくさと恥ずかしさを覚えながらも、祖父に向き直った。

「実はね、空港へお迎えに行ったときに、気に障ることをしてしまったみたいなの。それから、あんまりよく思われていないみたいで、そっけないんだ。須原さんは、他のおふたりみたいに下宿していないし、食事もいっしょにできないじゃない? 交流が持てるとうれしいんだけど」
「製藍所で会えばええ」

 もじもじした態度を祖父に一刀両断されて、千草はややもするとガッツポーズを取りそうな自分を抑え、ことばを選んだ。

「うん、わたしもそうしたい。だからね、共通の話題が持てるように、わたしにも藍のことを教えてほしいの」
「……それは、千草も蒅を作りたいという意味か?」

 だんまりをしている祖父のかわりに、父が口を開く。千草はからだを祖父にむけたまま、首を巡らせ、はっきりとうなずいた。

「藍の寝床での火傷のこと、あさぎ叔母さんから聞きました」

 そのひとことを投下したとたんに、ぴんと空気が張りつめたのを肌で感じる。父も祖父も、知りたいとねだったところで「よし、教えてやろう」と言いだすような相手ではない。千草は居住まいを正し、前屈みになり、床に手をついた。頭を下げる支度をしながら、祖父を見据える。

「もう、あのころのように不注意で怪我をする年ではありません。どうか、わたしにも、藍に関わらせてください」

 目線を落とした千草の両肩を押さえたのは、しわのよった祖父の手だった。

「女が、軽々しゅう頭をさげるもんじゃない」
「役場でもどこでも、わたしは深見製藍所のお孫さんって呼ばれるのよ。わたしは藍から離れられないのに、藍がどんなものかも上っ面しか知らない。須原さんにも言われたよ、藍師の孫娘なのにって」

 使えるカードは、余さずすべて場に出した。千草はじっと祖父を見つめ、祖父は千草を見つめ返していた。だが、やがて目をそらし、ゆるゆるとためいきをついた。

「明日から、五時半に畑にいや」
「はいっ」

 顔がほころぶ。千草は思わず、祖父の首っ玉に抱きついた。

「ありがとう! ありがとう、じいやん」
「まったく、父さんはいつまでも千草に甘いんじゃけん」

 父が呆れたように笑う。あさぎは、親指で目尻をそっと拭っていた。神田はぽかんとして、そして、松葉は興味深そうにこちらをみていた。

「みなさん、お手々がお留守ですよ。せっかくのいちご、召し上がってくださる?」

 母のほがらかな声が響く。みんながそれぞれにガラス鉢を手に取るのを眺めながら、千草は何度か手を結んでは開いた。

 勝ち取ったものは、確かにてのひらにあるような気がしていた。
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