『青』の作り手 失恋女子と見習い藍師

渡波みずき

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十九 縁側の打ち明け話

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 入浴を終え、千草は縁側から庭に下りた。深見家の広い前庭は、摘んだ藍草を広げて天日で乾かすためにある。いまでも、夏になると、庭は一面、藍の葉で埋まる。

 幼い日の千草は、都会の小さな公園ほどもあるこの庭で、兄や姉、近所の子らとボール遊びをしたり、レジャーシートを広げてままごとやおはじき、かるたなどに興じることもあった。兄弟が小学校へあがると、なかなか相手をしてはくれなくなったけれど、千草にはあさぎや製藍所の職人たちがいた。彼らが休憩のたびに構ってくれたのは、よい思い出だ。

 そんなささいな日常の場面は覚えているのに、火傷をした当日のことや、病院に通った日々のことが記憶にないというのは、とても不可思議な感覚だった。

 生乾きの髪を縫うように、夜風が首筋を通り過ぎていく。明日から、畑で藍を植える。その次はどうだろう。地域おこし協力隊の面々に行われるような研修は、千草にはない。夏の葉藍の収穫時期まで、どうにかして藍について学ぶ機会を得なければ。

 考えて、適任者に思い至る。ごくごく身近に、ひとりいるではないか。

 あさぎに藍染めを習うというのは、どうだろうか。彼女なら、ふだんから体験教室を開くくらいだから、気安く教えてくれるのではないだろうか。叔母と姪として接すると馴れ合いになってしまうだろうから、きちんと講習料を支払って、生徒になるのがいい。

 勝手な考えを巡らせていたところに、足音がした。電灯の消えた離れのほうからだ。建物の影から、だれかが歩いてくる。

 千草は警戒して、縁側にあがった。戸も閉めようかというとき、相手の顔が見えて、肩の力を緩める。

「松葉さん。まだ、寝てなかったの」

 離れが暗いから、てっきりふたりとも寝入ったのだと思っていた。松葉はふ、と微笑み、母屋の灯りの届く範囲に近づいてくる。

「さすがに、九時に寝るほど優等生じゃないな。神田は寝てるけど」

 寝る間際でくつろいではいたのだろう。松葉は薄手の半袖Tシャツにスウェットのズボンというラフな格好だった。Tシャツに透ける筋肉のかたちに、つい目が吸い寄せられそうになって、千草は庭の土に目を落とす。だが、松葉はこちらの動揺に気づかないのか、千草のたたずむ縁側まで歩み寄り、腰をおろしてしまった。

 ふたりで同じ風景を見ながらも、なかなか話し出せなかった。会話の糸口を見つけられないというのもあったが、存外、話さないでいるこの空間が心地よかった。

 沈黙を破ったのは、松葉のほうだった。

「須原さんと親交を深めたいっていうのは、本心から?」

 からかうような声音に、小さく笑う。

「ピークテクニックって言って、相手の意表をつくのが目的なの。話を聞いてもらうハードルが高いときに使うんだ」

 自分の要求だけを述べると、当然「なぜ、そうしたいのか」に話が及ぶし、場合によっては、即座に断られてしまう。これを防ぐために、相手の疑問や反論の矛先をそらす目的で用いる手法が、ピークテクニックだ。

 ただ、「待っていてくれ」と頼むのではなく、「一秒だけ待ってくれ」と言うほうが印象的だし、反論しにくい。「なぜ待たなければならないのか」よりも、「なぜ一秒なのか」と問いたくなるし、「ぜったいに待ち時間は一秒じゃ足りないはずだ」と指摘したくなる。待ってもらうのが主目的なら、その質問、反論を引き出せただけで成功なのだ。

 千草も、飛び込み営業のときに使ったことがある。「五十五秒だけ、お時間いただけませんか?」と声をかけ、ほんとうに五十五秒きっかりで概要を説明し終えたときには、気に入られてその後の話が弾んだ。契約まで取れたこともある。

 実例や思い出話を交えて説明すると、松葉は感心したふうだった。ふだんとは逆に見上げられて、落ち着かなくなる。

「食事中ではなくて、食後に話をしたのも、何か意味がある?」
「食事は関係ないよ。今回大事だったのは、メンツだけ。わたしひとりでどうにもならなかったら、母が助け船を出してくれる予定だったから」

 すとんと、自分も縁側に腰掛ける。松葉から距離だけはとってみたが、ほんの一メートルほど。いつになく距離が近いはずだ。案の定、千草のふるまいに松葉は片眉をあげた。

「話しはじめたら、神田さんが盛大にむせかえって、さすがに場所の選択はミスったかなって思ったけどね。ピークテクニックがじいやんじゃなくて、神田さんに効いちゃった」
「須原さんとは、相容れないと思ったんじゃないか」
「そう? 神田さんは来る者拒まずって感じで、気にしないかと思ってた」
「須原さんと神田、じゃなくて、千草さんが」

 思い違いを訂正されて、千草は松葉を見返った。彼はまっすぐすぎるまなざしをこちらにむけている。

「神田は、須原さんには淡々と接してるけど、千草さんには素直に好意を寄せてる。もしかして、フリじゃなく、気づいてないんだな」
「……気づいてない。いつから?」
「たぶん、いつかホテルのレストランで会ったときから」

 そんなこと、ちらとも考えてみなかった。まさか、男性同士はわかるような態度なのか。だから、あのときの神田に、涼真が過剰に嫉妬したのだろうか。

「あの日はね、わたしの誕生日だったの。わたしね、あのときいっしょにいたひとと、おつきあいしてたんだ」
「ああ、やっぱりそうだったのか」
「松葉さんは、驚かないんだ。もう別れちゃったから、うちの家族には内緒ね」

 千草は縁側から下ろしていた膝下をぱたぱと遊ばせた。子どもじみた仕草でごまかして、ペディキュアのない爪先を目にして、声のトーンをやや落とす。

「二股されて、何年も気づかなかったの。でも、意外ね。相手への怒りって、あんまり湧かなかったんだ。わたしって、ドジだなあ、鈍感だったんだなあとは感じたのに」

 膝を曲げ、胸にだきよせる。膝のあたりのあのときの怪我は、まだ治りかけで痕が残っている。ピンク色にやわらかく盛り上がった傷跡を指でたどり、膝頭に顔をうずめる。

「だけどね、いまは思うの。わたしが涼真を大事にしてなかったから、大事にされなかったんだって。わたし、営業部のエースでイケメンで人気者の彼氏って、あのひとをアクセサリがわりにしてた。見せびらかしたり、都会にいるための理由のひとつにしたりした。涼真である必要がなかったの。だったら、相手にとっても、恋人がわたしである必要なんて、どこにもなかった」

 視界にあるのは、自分の足ばかりだ。松葉は何も言わない。じっと、千草のことばの続きを待っているようだった。

「空港にみんなを迎えにいくとき、まだ、来るのが松葉さんや神田さんだなんてわかってなかったし、ほんとうは複雑な気持ちだった。わたしは、都会に出たい一心で東京の短大を受験して、高い生活費を稼ぐためにアルバイトも就職活動も必死だった。そうしたいろいろを、あっさり捨てられるひとたちが来るんだって。でも、たとえば、須原さんから見たら、逆なのよね、きっと」

 千草は顔を上げ、松葉を見た。彼は、いつか地下鉄の駅で出会ったときのように、気遣わしげな表情で、こちらを見ていた。

「阿波藍って、すてきなものが身近にあったのに、学ぼうともしなかった。そりゃ、苛立つよね、須原さんだって」

 今日の今日まで、勝手に疎外感を覚えていた。だからきっと、高校生の千草は、幼い頃にいた関東に憧れた。あの世界なら、自分を受け入れてくれるはずだと信じた。才能溢れるあさぎのことを、蒅づくりをあえて選ばなかった恵まれた人物なのだと、事情を知ろうともしないで思いこんでいた。

 須原は、都会のほうが便利だとわかっていながら徳島に来たのだと、初日に明言した。藍染めを修得して都会へ戻るのだと、あんなにきっぱりと宣言していた。性格は相容れないかもしれない。でも、見習うべきところはある。

「俺はずっと、謝らなきゃいけないと思ってた。あのホテルで会ったとき、神田を止められるのは俺だけだった。直後の千草さんの顔をみたら、後悔しかなかった。また、俺が動かなかったせいで、不和が生まれたんだと思ったら、しこりがずっと残っていた」

 苦しそうな声音に、千草は微笑んで首を横にふる。はっきりと、否定を示す。

「必要なことだったんだと思うよ? 神様が、わたしに藍に関われって言ってたんだって、いまは、そう思いたいな」

 松葉は、虚を突かれたような表情をした。

「──千草さんは、そんなふうに割り切れる?」
「割り切れるよ。だって、わたしが選んだんだもの。松葉さんがわたしの人生の脇役じゃないように、わたしは別に松葉さんひとりのせいで彼氏と別れたり、仕事を辞めたりしたワケじゃない」

 あえて突き放すようなことばを選んで笑った千草に、松葉はゆるやかに笑みを取り戻す。そこへ、ふざけた仕草で右手をあげ、千草は選手宣誓よろしく宣言した。

「これから追っかけ、苗の植え付けをして、並行して藍の勉強をします! 須原さんとも仲良くします! 叔母さんのアトリエで、藍染めを習います!」

 松葉は、千草の配慮に応えるように思いっきり破顔した。ふたりで声を立てて大笑いして、あたりに響いた声に、彼だけが口を覆う。

「響くでしょ? うちのまわり、何ヘクタールもぜんぶ藍畑だからね。下手すると、むこうの山のほうまで聞こえてるかもよ?」

 おどかして、勢いをつけて立ち上がる。ぐいっと伸びをすると、濡れていたはずの髪はすっかりと乾いていた。完全な自然乾燥は美容の敵だが、話に夢中で気づかなかった。

「藍について勉強したいから、松葉さんが協力隊の活動で知った内容も横流ししてくれると、非常に助かるんだけどなー」
「オーケー。俺も、千草さんがふだんの生活で見聞きしてきたことが知りたい。夜の自由時間にでも、三人で話す時間を取ろう」

 松葉は請け合い、千草を真似するように腰を上げた。縁側に立つ千草と、庭に立つ彼の目線の高さが近い。これほど背が高いというのは、うらやましいかぎりだ。

「じゃあ、また、明日」

 挨拶は、勘違いしそうになるほど優しかった。離れに帰る彼を見送りながら、千草も同じことばを返す。

 松葉はもう、徳島でもう一度会いたいと思っていたひとには、会えたのだろうか。会えたら彼は、ここに来た目的を果たして、帰ってしまうのだろうか。

 そう考えると、少しさみしい気持ちが胸によぎった。
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