『青』の作り手 失恋女子と見習い藍師

渡波みずき

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二十 伝統と現実

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 染料に用いられる藍植物は、日本のみならず、世界各地に存在する。蓼藍たであい大青、琉球藍、印度藍、藤藍など、青色を出すために使われる植物は豊富にある。気候風土や、その土地で主流となる加工方法に適した植物がそれぞれに栽培されているが、徳島で植えられる藍草は、そのなかでも蓼藍と総称される類いのものだ。

 蓼藍にも種類はさまざまある。かつては、二十種以上の品種が栽培されていたと記録にあるが、藍師が減り、藍農家も減るなかで、県の農事試験場の研究によって優良品種が選ばれた。いまでは研究の成果を元に、収穫量が多く丈の低い小上粉こじょうこという品種を用いるのが一般的になった。

 小上粉は、明治三十年ごろに京都からやってきた品種で、水藍とも呼ばれる。赤花種と白花種があり、深見製藍所で扱うのは、白花種の小上粉だ。他の植物で言えば、バジルに似た葉をしている。小上粉は、這うように生育し、九月ごろには小花の穂がつく。小上粉だけの特徴は、千草にはわからない。他の品種と見比べたことがないからだ。

 朝五時半、日が出たばかりの畑に立って、千草はあたりをぐるりと見渡した。製藍所の本畑は、三ヘクタールある。『本』とつくのは、苗を育てる仮の畑が別にあるからだ。

 今日の植え付けは、午前と午後に四時間ずつ行うと、説明があった。祖父と父、職人がふたりに、地域おこし協力隊員が三名。もともとは、日にひとりあたま約二アールで二十日の計算だ。だが、協力隊員には役場での役割もあるらしく、毎日同じだけ進むわけではないらしい。

 そうした変則的な状況に、さらに千草が加わる。千草とて、全日は参加できない。役場に通う日は一、二時間しかいられない。せめて、邪魔にはならないようにしたいと思った。

 十五から二十センチメートルほどに育った小上粉の苗を苗床から四、五本ずつ引き抜いては藁で束ねる。これが株になる。株は、六十センチメートル間隔で作った畝に、三十センチメートル間隔で植え付けていく。株の根を隠すように土を盛り、水を撒く。

 文字化した工程はかんたんに思えるが、まず、株を作るのが大変だったし、植え付けるのは重労働だった。

 はじめに音を上げたのは、腕だ。苗をわしづかみにしているうちに、スナップが利かなくなった。それをカバーしようと、肩や背中に力が入った。そのことに、痛みを生じてから気づいた。

 屈みこむせいで、腰も太ももの裏も辛い。こんな筋トレがあったなと、思い出す。作業中は、名前がすぐ出てこない。ルーマニアンデッドリフト。答えに行き着いたころには、頭の重みを支えきれなかった首までが痛みだしていた。

 どうしても、各人の作業地が離れるせいで、会話はない。祖父が指示をとばす声がするくらいだ。みな、黙々と没頭する。

 惜しくも参加初日は、役場に出勤する日だった。出勤時刻を考え、千草は八時半で自身の作業を切り上げた。みっちり三時間かけて植え付けた藍は、畝にずらりと並んでいる。よくできたほうだろうと考えるわきから、少し曲がった部分を祖父がひょいと直した。

「ええか。根はきちんと土で覆わな、いけん。乾燥すると、ええ藍は育たん」
「はい!」

 返事とともに、他に同じような失敗がないか点検してまわる。いくつか手直ししていると、隣の畝にいた須原が聞こえよがしに鼻で笑った。

「いやだ、ホントにド素人なのね。これまで実家の手伝いもしてこなかったのがバレバレなんだけど」
「そうなの! お恥ずかしい限りなんだけど、今日からは須原さんたちといっしょに、蒅づくりを学んでいくから、よろしくね!」

 こちらも大声で返したが、相手は無視を決め込む。千草は肩をすくめ、手直しを続けた。出勤までの時間は残り少ない。急がなければと、気ばかり焦る。

 ざっと確認を終えて、軍手を脱ぐ。その場で背筋を伸ばし、声を張る。

「ご挨拶が遅れましたが、今日からお世話になる深見千草です! 役場でアルバイト中なので、長時間はいられませんが、できるかぎり食らいついていこうと思います! よろしくお願いしますッ」

 顔なじみの職人が腰をあげ、こちらを見る。「おう」「あれえ、ちーちゃんやったかあ」と、返してくれる。神田がこぶしを振り上げ、笑顔で「がんばれ」とジェスチャーしている。祖父と松葉はほんのりと笑っていて、父は「早く行け」と言わんばかりに腕を横へ振るった。須原は、顔もあげなかった。

「お先に失礼します!」

 腹から声を出し、頭をさげる。ちらほら「おつかれ」と声があがる。受け入れられるかもしれないという感触に、胸が熱く沸き立つようなわくわくした心地になった。

 ──これから、しっかりとがんばろう。

 千草は笑顔でもう一度、深々と礼をすると、踵を返し、母屋の方角へ駆けだした。

 数日経つと、どのような経路かはわからないが、役場にも千草が製藍所で働きだしたことが伝わっていた。

「うちの志望理由が『製藍所で働くアテが外れたから』やったけん、課長が気にして、いごいごしとるんじょ」

 書類にハンコをつきながら言う山田は、完全に面白がる口ぶりだった。

「また、次の職員を探さなきゃって意味ですか?」

 笑いぶくみの千草に、山田も目を細める。

「辞めんでよ?」
「辞めませんよ。雇ってもらえたワケじゃないです。役場の採用試験も受けますよ、テキストもいただきましたし。製藍所の手伝いは、阿波藍のことをもっと知りたくなって始めたことです」
「へえ、それまた、なんで?」

 そう問われて、あっさりと内心や事情を明かすほど、千草は素直にできていない。あたりさわりのない回答は、いくつか用意してあった。

「だってわたし、地元民で藍師の孫ですもん。地域おこし協力隊のコたちに、わたしのほうが先輩なんだぞって、大きな顔したいじゃないですか」

 予想どおり、この返答は、山田のお気に召したようだった。

「大きな顔か。そりゃあ、ええね!」

 呵々と笑われ、こころのなかではにんまりしながら、千草は頬に手を当て、困ったふうにためいきをつく。

「でも、案外、前途多難なんです。祖父は口伝しかしてくれないし、自学しようにも藍の資料がなくて。どう、手をつけたらいいものか、見当がつかなくって」
「何言よるんだい。せっかく上板町におるんやけん、技の館に行ってみればええんでよ」

 ──その手があったか!

 目が覚めた思いだった。思い返せば、地域おこし協力隊の話のなかに、技の館の話は何度も出てきていたではないか。灯台もと暗しとは、まさにこのことだ。

 千草が何も言い返さないでいると、山田は首を捻った。

「あれ、知らん? みんな、小学校の授業で行くと思うとったんやけど」
「山田くん。最近でこそ、小学校で藍の電灯を教えるようになったけんどね、深見さんのころには、総合学習の時間もないだろう」
「課長、おことばですが、総合的な学習の時間はありましたよ。わたし、がっつり『ゆとり』世代なので」

 もっと年上に見えるということかと、ショックをうけていると、山田は端末を触り、町のホームページを開いた。

「技の館は平成十年にできとりますね」
「平成二年生まれなので、平成十年なら、小学校低学年ですね」
「やけんど、まだ、ゆとり教育ははじまっとらん。あれは、平成十四年ごろからだ。それに、藍が見直されはじめたのも、近年のことなんじょ。そうでなければ、これほど藍農家が減るはずがないんじゃけん」

 聞きとがめてふりむくと、課長は難しい顔をして、事務椅子に腰をおろした。

「わしゃね、前に教育委員会におったんや。ほなけん、深見さん、あんたのおじいさまとの面識があった。あのとき見た資料によれば、いまの藍畑の面積は、明治の末頃の作付け面積の一パーセント未満なんやよ」

 千草が目を剥き、息をのむ横で、山田はまた、ちゃちゃっとインターネットで情報を得ていく。

「ええと、明治三十六年の面積が約百五十平方キロメートル。平成に入ってからの面積は……県の調べには、約千八百アールってありますね。単位をそろえると」
「〇.一八平方キロメートル」

 課長のことばに、千草は手元の電卓を叩いた。出てきた数字は、一パーセント未満なんて生やさしい表現では足りないものだ。

「〇.一二パーセント」
「ですね。思うたよりも、ごっつい深刻じゃなあ」

 山田も千草と同様に電卓で答えを出して、驚きの声をあげている。千草は、ことばも出なかった。課長はペンを取り、くるりと手元で回す。

「まあ、現代では化学染料が主流になったけん、需要も落ち込んではいるだろうがね」

 そのセリフを合図に、会話は終わった。

 千草は、税金計算のための数字を次々に電卓に打ち込みながら、胸がざわつくのを感じていた。藍がそこまで衰退しているとは、思っていなかったのだ。数値だけを見れば、阿波藍は確実に、危機的状況下にあった。

 ──知らなかった。わたし、ほんとうに、何にも知らなかったんだ。

 ごくりと、喉が鳴った。

 これから学んで、間に合うのか。蒅づくりに後継者があるだけでは、ダメだ。積極的に藍農家も藍師も増やさなければならない。

 いつか途絶えてしまう文化であることが、目の前に数字を示されれば、こんなにもはっきりとわかる。だが、見なければ、ないのと同じなのだ。無知の罪深さに、からだの底から震えを覚えた。

 いつのまにか、千草の肩にも、藍の未来の一端は、のしかかってきていた。
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