『青』の作り手 失恋女子と見習い藍師

渡波みずき

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二十一 藍の館と残りの一歩

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 夜、習慣となりつつある勉強会の場で、千草は藍の歴史の本を手に取った。課長や山田との話に出てきた数値に、間違いはなかった。

 昼間の話題が現実であることをかみしめると、どっと疲れが押し寄せてくる。ゆるゆると息を吐いた千草に、神田が声をかける。

「千草ちゃん、だいじょうぶ?」
「うん、平気。畑仕事に慣れてないだけ」

 目頭に手をあて、眠気を追いやる。神田はそのようすを頬杖をついて見ていたが、ふいにニヤッとして、まるで悪魔のように、優しくささやきかけてくる。

「もう、休んじゃえば? 根詰めると続かないよ?」

 こころが揺れる。じゃあ、五分だけ寝転がろうかな。そう、言いかけたところに、松葉が盆を携えて戻ってきた。

「神田は自分がサボりたいだけだから、耳を貸さないほうが良い」
「えー、そんなことないよ、信用ないなあ」

 いじける神田をよそに、松葉は片手で資料を退かし、盆を座卓に置いた。湯気の立つ湯飲みが三つ、並んでいる。

「お茶淹れてくれたんだ、ありがとう」

 香ばしいかおりに微笑みながら、口をつける。飲んだことのない味わいだが、ほうじ茶のようでもある。
 疑問が顔に出たのだろう。松葉は笑った。

「藍のお茶。技の館に行った日に、神田がおばさまがたに持たされた品なんだ」
「そうだっけ? おいしーね、これ」

 神田はぽやぽやとしながら首を傾げる。

「おまえはいちいち覚えていられないだけだろ。貢ぎ物に慣れやがって」

 口悪く言って、自分も座って茶を飲む松葉に、千草はそういえば、と顔をあげた。

「技の館、行ったんだ。見学?」
「役場のほうで連れていってもらって。あっちで仕事に就く予定もあるから、まあ、職場見学かな」
「建物がドーナツみたいなかたちしてたよね。典型的な地方の箱物かと思ったら、意外と楽しかった」

 きっと、神田は大歓迎されたことだろう。でも、アテが外れた。彼らといっしょに行こうと思ったのに。ちびちびと熱いお茶を飲みすすめながら、ひとりごとのようにつぶやく。

「わたし、行ったことないんだよね」
「東京生まれが東京タワーやスカイツリーにのぼったことがない、みたいなヤツだよね。やっぱ、どこの地域にもある、観光あるあるネタなんだねー! 僕の友達に、鎌倉のコがいたけど、そいつも江ノ電には乗ったことがない、大仏も見たことがないって言ってたよ。鶴岡八幡宮には、初詣に行くらしいけど」

 まるで酒でも飲むように、三人で熱い茶をすすりながら雑談していると、松葉が思い立ったように千草をふりむいた。

「藍の館は? 千草さん、行ったことは?」

 話題が戻った。面食らって、むせる。

「ない、けど。どこにあるの?」

 松葉が参考書を手繰った。記述をそのまま読み上げる。

「徳島県板野郡藍住町あいずみちょう

 藍住町は、上板町に隣接した町だ。きっと、そう遠くはないだろう。千草はスマホに『藍住町 藍の館』と打ち込んだ。

 出てきたウェブサイトの説明書きには、藍商の屋敷が博物館になっていると書かれていた。アクセスを記したページには、概ねの場所が地図で示されている。

「すぐそこじゃん。車で行けば十五分もかからないと思う」
「それなら、次の休みに行こうか」
「良いね! ふたりで行っておいでよ!」
「ダメだよ、サボっちゃ。神田さんも行こう? 仲間外れもアレだし、須原さんにも声かけてみよう。連絡先、知ってるんだよね?」

 誘いを拒否した神田にも声をかけ、千草は松葉に問いかける。

 一瞬、沈黙が落ちた。何か対応を間違ったらしいが、原因がわからない。

「あっ、須原さん呼ぶと、神田さんがたいへん?」
「千草ちゃん、心配するなら僕のことじゃなくてね?」
「え、松葉さんが酷い目に遭うとか?」
「いや、そういうことはないが……、え?」

 松葉が手を振り、意外そうな顔で神田を見た。神田は机に頬杖をついたまま、ニヤニヤして松葉を見上げている。

「隠さなくてもいいよ、松っちゃん。わかってるから」

 得意げな笑みに、松葉がピシっと動きを止める。神田は笑顔のまま、千草を見た。

「ねえ、千草ちゃん。みんなで行くのは良いけどさ、藍の勉強だけだとつまんないから、藍の館のあと、どっか行こうよ。オススメの場所って、ある?」
「観光ってこと? うーん、難しいなあ」
「千草ちゃんのお気に入りの場所でもいいから、つれてってほしいんだけどな」

 気に入りの場所。そう言われてすぐに思い浮かんだのは、神山森林公園だった。だが、いくら景勝地であっても、大人四人で連れ立っていくべき場所かというと、違う気がする。

 どうせなら、あさぎの工房はどうだろうか。松葉たちも、あさぎとは面識がある。他の場所に行くよりも、千草も気安い。

 神田は勉強を嫌がるかもしれないが、藍染め教室を申し込んでおこう。技の館や藍の館でも体験できるが、染色作家のもとで指導を受ける経験というのも得がたいはずだ。千草だって、染め物は初体験だ。

「……わかった。考えておくね」

 あさぎの都合もある。行き先を決めるのは、先方のスケジュールを押さえてからだ。

 ぬるくなってきた藍の茶を飲み干すと、かえって眠気が押し寄せる。からだが暖まったせいだろう。それでも勉強に戻ろうとした千草の手元で、ぱたんと資料が閉じられる。

「千草さん、今日はもう、お開きにしよう」

 松葉に言われて、立ち上がろうとしたが、からだはひどく重く、動くのはおっくうだった。松葉が先んじて部屋の戸を開け、千草を迎えに戻ってくる。さしのべられた手を取り、腰をあげると、思ったよりもふらふらだった。

「おやすみなさーい」

 神田がひらひら手を振る。それに応えて会釈だけして、千草は先を行く松葉を追って、階段をおりた。よほどふらついているのだろう。松葉は半身ふりかえり、腕を広げて、いつでも受けとめられるような体勢をとっている。それをありがたく思いながら、壁を探る。

 ──そうか、離れには手すりがなかったか。

 両手を突っ張るように壁につく。そろそろと下りていくと、先に一階についた松葉は、両手を千草に伸ばしていた。思わずそれを掴んで、数段をぴょんと飛ぶ。着地の勢い余って、松葉の胸に飛びこむと、遅れて抱きしめられた。

 温かい胸に顔をうずめるかたちになって、その存外の心地よさに動けなくなる。

「千草さん、変わってるって言われないか?」
「それ、前も聞かれた」
「なんで飛ぶんだ。危ないのに」

 後半はひとりごとのようだった。

「ありがとう、もうだいじょうぶだよ」

 離してくれと言外に含ませたが、松葉は腕を解いてはくれなかった。

「一目惚れだって言ったら、どうする?」

 頭が真っ白になった。耳を疑って、顔をあげようとした。その頭を、髪の毛に手を差し入れるようにして、軽く胸に引きよせられる。

「そうやって、無防備なこと、しないでくれ。我慢できなくなる」

 こちらを見ないようにと、松葉は思いっきり顔を背けている。その耳や首筋まで赤いのが、千草からもわかった。

「……一目惚れなのに、神田さんとくっつけようとしたってこと?」
「それは」
「だれもかれもが面食いってワケじゃないし、第一、松葉さん、自己評価低すぎる!」

 腕を伸ばす。松葉の両頬を捉えて、背伸びする。あと一歩届かない距離を詰めたのは、彼のほうだった。
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