聖娼王女の結婚

渡波みずき

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 父王が崩御したのは、ひと月前のことだ。

 その日、ライラは自室のテラスに出て、刺繍をしていた。針に糸を幾重にも巻き付けて花びらを刺し、繰り返すことで、薔薇を形作る。側室だった母が愛したと聞く花弁の丸い一重咲きのバラと、父の好む剣のように尖った花弁の重なる気高いバラをぐるりに交互にあしらい、蔓を這わせる。

 次に会うとき、父に贈ろうと思っていたが、その『次』がいつになるのか、ライラは知らなかった。毎度、父は唐突にライラの住まう離宮に足を向ける。予定が早くわかるときでも前日の夜などに報せが来るので、心構えは絶えずしておかなければならない。

 だから、離宮にやってきた人影を見たとき、ライラは、父の先触れかと針を置き、腰を上げた。いつもどおり、礼を取り、頭を下げると、先触れのはずの男は、慇懃に父の死を伝えた。

 思いがけない宣告は、世界の終焉を告げるという笛の音のように高らかに部屋に響いて、ライラは、茫然とさしかけの刺繍に目を落とした。身の振り方を考える間もなく、喪服に着替えさせられ、父の寝所に連行されながら、刺繍の続きを刺して、棺に入れられたらよいのにと思った。それを思うだけに留めたのは、ライラ自身、よく身の程をわきまえていたからだ。

 ライラは側室が産んだ第三王女で、五人いる王子王女のなかで四番目に生まれ、ただひとり、母が違う。その母は産後の肥立が悪く、ライラを産んで一年と経たずに亡くなっているし、正妃のような由緒正しい家柄の出でもない。後ろ盾など無きに等しい。父王に特別に目をかけてもらえていたから生き延びられたが、そうでなければ、とっくに神殿入りしてしていただろう。

 父王の亡骸は血の気がなく、固く、冷たそうだった。寝台の周囲にはもう、王族はおらず、たったひとりの見張りしかいなかった。ライラと入れ違いに退室したからだ。新王となった異母兄や、連れ合いを亡くした王妃の視線に平伏し、やり過ごしたあとで、ようやく叶った入室だった。

 ライラは寝台の傍らに跪いた。寝台は広く、身を乗り出しても父王のからだには触れられそうにない。ひとしきり死後の安寧を祈り、立ち上がると、いつのまにかひとりの青年が部屋に入ってきていた。

 やわらかそうな金髪と、深みのある青い瞳。見覚えはない。当年十八のライラより歳上かもしれないが、どこか幼なげな表情をした彼に、場所を譲るべきか迷う。表舞台に顔を出さないライラが見知っている貴族は少ない。それは、ライラを知る者も数少ないということだ。だが、ただの貴族に弔問をさせるものではないだろう。きっと、王家の血を引く者だ。

 正式な場であれば、王女であるライラのほうが身分が高いことにはなっているが、嫡出でないことを快く思わない者にとっては、この半身に流れる王家の血も意味をなさないらしい。当然だ。彼らが戯れに手を付けた下女の産んだ子までいちいち貴族と数えていては、貴族の人口が増えすぎる。

 敢えて相対する必要もないかと、部屋を退出しようとしたライラと真正面から向き合って、青年は目を見張った。深い青の瞳はまっすぐにライラを見つめ、離れようとしない。それは、あと一歩の距離に近づいても同じだった。不躾なまでの視線を浴びて、困惑する。この国には珍しい黒髪が目を引いたのか。それとも、母譲りの異国風の顔立ちが気になったのか。とにもかくにも、青年が退いてくれなければ、立ち去ることもできない。正式に挨拶しろということか?

 戸口からいっこうに動かない彼に困っていると、続き間から寝所へ入ってこようとした人物とも目が合った。こちらは知っている。王弟のアーク公ヘンドリックだ。王位争いを厭い、結婚とともにアーク公爵家を興して、臣籍に降りた人物である。

 ライラは、この叔父が嫌いではない。アーク公はさっぱりとした性格で、自分よりも兄王の目を信じていた。兄の可愛がっているライラのことは、自分も可愛がると決めていた節がある。

 無礼な青年はそっちのけで、叔父と挨拶することにして、ライラは深めに膝を折り、淑女の礼をした。

「ご無沙汰しております、アーク公」
「……陛下をおひとりにしないように守っていてくれたのだな。あとは任せなさい」

 アーク公がニッと笑みかけてくれる。その笑顔に父王の面影を見て、目が潤んだ。それを見て、慌てたように、アーク公はライラの肩に手を置いた。

「王族が人前で泣くものではない。さあ、離宮へお戻り。あとで、語らおうではないか。とっておきの茶でも用意しておいておくれ」

 うなずいて、ライラは寝所を辞し、乗ってきた馬車のもとにむかった。廊下で、女官たちの横を通ったあとで、ひそひそと交わされる会話に足を止める。わざとらしくゆっくりと振りかえると、かしましい小鳥は黙ったが、背を向ければすぐにまたさえずりが聞こえた。

 馬車の席に腰を下ろして、ようやく一息つく。

『あれが例の売春婦の娘?』
『ええ、親子揃って寵愛を受けてたって話よ』
『寵愛って、まさか』
『そのまさからしいわ』

 女官らのいやしい噂話が耳によみがえり、ライラは眉を寄せ、目を閉ざす。

 ごく幼いころから、王宮に味方は無く、唯一の例外が父王だったが、その父王も今日崩御した。それゆえの言いたい放題なのだろうが、亡くなっているとはいえ前王の名誉を汚せば、どんな報いを受けるか思い知らせてやりたかった。

 父王は確かに、母に生き写しのライラをことのほか可愛がってくれた。だがそれは、我が子に対する愛か、もしくは人形や絵姿に対する情のようなもので、決して、ひとりの女に対する感情ではなかった。

 母のドレスと同じデザインを小さく仕立てて着たり、母の好んだという菓子や茶をともに味わったり、母の口ずさんだという歌を披露したり。声も知らない『母』の断片と見比べられ、懐かしまれ、しばし、激務と責務に疲れた王の御心を慰める。それがライラに与えられた使命で、逆に言えば、それ以外の何も求められてはいなかった。

 離宮の自室に入ると、大きな鏡が目に入った。壁一面の高価な一枚鏡は、ライラのこれまでの人生を象徴する品だ。

 この鏡の前で、何度、所作を練習したことだろう。表情をつくり、姿勢を正し、服の裾が乱れぬように気を配る。礼をするときの足の引きかた、腰の落としかた、膝の曲げかた、背筋の角度。指の先まで神経を張り巡らせ、月に数度の父王とのお茶や会食を待ちわびた。

 見苦しくないように姿を整えられ、一流の教師たちから礼儀作法や教養を叩き込まれた。訪れた王が少しでも心安らぐようにと、部屋の設えは細心の注意を払って調えられていたし、身につけるものにも、口にするものにも困ったことはない。でも、離宮には何ひとつとして、ライラ自身のためを思って揃えられたものなどなかった。

 ライラは、庭園で囀るために尾羽を切られた小鳥そのものだった。調度品のひとつと言い換えてもいい。だから、自分が思いのほか、父王の死を悼んでいることに、だれより驚いたのはライラ自身だ。

 喪服から着替えもせずに長椅子に腰掛け、刺繍枠を手に取る。指が震えて、何度も刺し間違えながら、残りの薔薇をちょうど刺し終えたころ、アーク公は現れた。

「陛下に差し上げる品か?」
「ええ、そのつもりでしたが、わたくしには葬儀の参列も認められるかどうかわかりません。許されれば、墓前に備えようと思います」
「では、私が預かろう。私が供えれば、横槍は入らぬだろう」

 礼とともにハンカチを預け、ライラは叔父に茶と菓子を勧め、ふと、庭園に目を向けた。アーク公も茶杯を手に同じ方向を見て、すっとこちらに視線を戻した。
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