聖娼王女の結婚

渡波みずき

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 手渡されたのは、生成りの麻で作られた貫頭衣だった。織りのばらついたようすから、職人ではなく素人の手によるものだとわかる。

「ひとりで着られますか? 手伝いが必要なら、一度だけ着方を教えましょう」
「……お願いいたします」

 ライラはためらいなく後ろを向き、ドレスの背中の紐を緩めてもらった。ドレスを脱ぎ去ると、髪や耳につけられた飾りも外し、靴を脱いだ。コルセットもガーターベルトも外して、代わりの肌着を着ける。そのうえから、ごわつく貫頭衣を纏うと、締め付けがなくなったせいか、身ひとつで宙に放り出されたように不安になった。帯で腰のあたりを締めることで、不安は少し薄らいだが、貫頭衣の裾はふくらはぎまでで、神殿長の衣服とは違い、足首が露出する。この違和感はいかんともしがたかった。

 素足のライラに靴は与えられなかった。神殿長は書棚から一冊、本を手に取ると、そのまま部屋を出た。ライラは黙って彼女についていった。先ほど通ってきた廊下まで戻り、いちばん近い部屋の戸の前で、神殿長の足は止まった。木戸を開けて、中へ促されて、その狭さに尻込みする。

「見習いのお勤めについて、説明しましょう。そちらにかけてください」

 小部屋のなかには、寝台と灯り、木製の椅子があった。床のほとんどは寝台で占められている。神殿長はライラを寝台に座らせると、自分は背もたれのない椅子に腰かけた。そうして、持っていた本をライラの膝に手渡す。絵本だ。文字があるのは表紙だけらしく、膝のうえで固い表紙をめくると、一枚目には、空を仰ぎ見て、降り注ぐ雨を一身に受ける地母神の絵が描かれていた。

「御母の作りたもう世に命を栄えさせるには、気まぐれな天からの客人まれびとの助けが要ります」

 教義の説明かと、うなずいたライラは、次のページの見開きの絵に絶句した。そこには、男女の裸体がそれぞれ緻密に描かれている。絵を示し、男女のからだの違いについて事細かに教えられ、ライラは気恥ずかしさにいたたまれなくなった。だが、母も通った道だ、できる! と、意を決して次をめくる。

「きゃあ」

 声とともについ、ぱたん! と絵本を閉じてしまったライラに、神殿長は困った子を見るような顔になった。

「ララ、恥ずかしいと思うことこそが誤りですよ。私たちが生まれたのは、この交わりあってこそです。見習いのうちは、交わりによって、御母に降りてきていただくことを覚えます」

 神殿長が絵本をまた開く。先ほどは裸体が学術的に描かれているだけだったものが、互いに触れ合うようすに変わるだけで、こんなにも卑猥になるとは思わなかった。ふたりは向かいあい、男が女の乳房に触れ、女と見つめ合う。女は男の背や太ももを撫でている。男の陰茎が天を向いている。前のページでは垂れていたのにと、見入っていると、神殿長はそこを指差して、こともなげに言った。

「ここから子種が出るので、交わるときは、きちんとこれをからだにさしこんで注ぎなさい。孕めなくとも構いませんが、この儀式を三晩勤めなければ、巫女にはなれません」
「交わるって、どなたと」
客人まれびとです。神殿には女しかおりませんから、外の殿方に役目を任せます。神殿の床に座って客人を待ち、仮面をつけた客人が合図として、お布施をあなたの膝に投げます。中銀貨三枚が相場です。決まり文句がありますから、客人が『母なる神の御名みなのもとにお相手願いたい』と言ったら、黙ってこの部屋に連れてきます。交わったら、客人にはお帰りいただき、私を呼びなさい。お布施と子種を確認したら、一晩の儀式が終わります」
「それを三晩繰り返すのですか、創世神話のように」

 ライラの問いに、神殿長はぱあっと明るい表情となった。

「よくおわかりね、ララ。そうです。創世神話になぞらえた儀式なの。客人と契りを交わして、繁栄の祈りを捧げるのよ」
「客人は、特定の方なのですか?」
「いいえ。その日、日の入りごろに神殿の入り口においでの方に手順を踏んで身を清めていただいて、仮面をお渡しします。客人の身元はだれも知りませんし、巫女についても同様です。身元や名を明かすことを禁じてはいませんが、儀式への参加はどうやら外聞のよいことと捉えられていないようです。その昔は、みんな行っていたそうなのにね」

 肩をすくめるようすに昔を問いかけてみると、神殿長は目を閉じ、記憶の糸をたぐるようにした。

「この儀式が始まった1500年ほど前には、巫女になるための儀式ではなくて、成年儀礼として行われていたそうよ。お互いに仮面を身につけて、三日のあいだ神を降ろす儀式で、このときに身籠った子は共同体で育てられ、多くの実りを約束する子として尊ばれたの。歴史が下ると、王族や貴族の家から血統を重要視する文化が広まって、女だけに貞操観念が必要になったのね。いまでは、庶民だって婚前交渉を厭うありさまですもの。神殿の豊穣の祈りと俗世とが徐々に離れていき、こんなにも隔たってしまったとは嘆かわしいことですよ。巫女を娼婦と呼ぶ者まであっては、世も末です」

 憤慨する神殿長をなだめるつもりはなかったが、ライラは微笑んで、やんわりと言った。

「それでもまだ、王家は神殿や地母神を重要視しておいでなのでは? 巫女と王が交わる儀式はいまも続いていますでしょう?」
「ええ、続いていますとも。毎年一度、豊穣祭の夜に行っていますが、それだって、ずいぶんと形骸化してしまったのです。亡くなった方を悪く言うつもりはありませんが、前王陛下は巫女を巫女とも思わず、儀式で子を授かったと聞いたあとすぐに、当の巫女をお側に召し上げてしまって。そのせいで、生まれた子は王女になってしまいました。そんな陛下も昨年などは体調不良だと言って、儀式の日にも巫女と同じ部屋で過ごすばかりだったとか」

 神殿長の愚痴を聞いた途端に、ライラは頭が働かなくなった。王宮に居場所がなくとも、神殿にならば、受け入れてもらえるのではないかと思っていた。だが、それは誤りだったのではないか。神殿にも、ライラの居場所はない。神殿で行われた儀式によって生まれた巫女の子だということと、自分が王女だということは、何にも矛盾することのない事実なのに、なぜ、こんなにも皆が悪し様に言うのだろう。

 ──わたくしは、『多くの実りを約束する子』では? 王女にとは、どういうこと?

 一度、世俗に出れば、いくら儀式で授かった子であろうとも、取り返しがつかないということなのだろうと、ライラは察した。地面が崩れるような感覚に、手が震えた。神殿の外に出れば娼婦の子と呼ばれ、神殿のなかでは王女と呼ばれて、どちらからも仲間ではないとされるなんて、思いもよらなかった。

 乾いた笑いが、口から自然と漏れた。

「──客人と交わるには、どうすれば?」

 幸いにして、身分は明かしていない。ここにいるのは第三王女のライラではなく、ただのララだ。ただのララとして、神殿での地位を一から築けばよいのだ。この身を地母神に委ね、客人に捧げて。

 自暴自棄になったのを、ようやく腹が据わったと思ったのだろう。神殿長は喜ばしそうに手を打って、絵本をもとにいろいろと手ほどきをしてくれた。最後に、帯の間から取り出した小瓶は、やる気を見せた若人わこうどへのほんの少しのいたわりの気持ちだったのだろう。

 小指ほどの大きさの小瓶には、透明なとろりとした液体が入っている。神殿長は、ライラのてのひらに小瓶を押し込んで握らせると、勇気づけるように言った。

「だいじょうぶ、多くの女が一生のうち一度は望む儀式です。けれど、怪我をしてはいけないから、取っておきなさい。使いかたは──」

 神殿長は、忠告を終えると、絵本を携えて小部屋を出ていった。あとには、ライラひとりが残された。
 
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