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第2話 水の少年と花の少女
しおりを挟む「……なに? このお屋敷は?」
一人の少女が、何の前触れもなく急に現れた謎の建物を見て呆然と立ちつくす。
その少女は、十代前半ほどの年齢で美しい容姿をしていた。椿の花の模様がある着物を着ていて、艶がある長い黒髪と深い漆黒のような瞳が印象的な少女だった。
人里から離れた森の奥に薬草を摘みに来ており、一緒にいた父とはぐれて深夜の真っ暗な森を一人さまよい歩いていた。
そして上空に突然、キーンコーンカーンコーンと大きな音を鳴り響かせながら不思議な建物が姿を現したため固まっていたところだった。
急な出来事に、どうすればよいのか分からず困惑して建物を見つめていると、一番上の場所から優しげな声が聞こえた。自分に向かって女性が手招きして呼んでいるようだった。顔がぼやけて見えないが、なぜか懐かしい感じがした。
「そこの娘さん。あなたよ、あなた。真っ暗な道に迷って怖かったでしょう。さあ、いらっしゃい」
「……え、でも」
「さあ、はやく中へ。この建物は、すぐ消えてしまうの」
「…………」
少女は、迷いながらも不思議な建物につながる階段を上り始める。恐怖や警戒心より、自分を呼ぶ女性の正体をどうしても知りたいという強い想いに突き動かされていた。
建物の前の門に足を踏み入れると、そこには広い庭があり、人間と同じ大きさの二足歩行の動物や魚、昆虫や花などが楽しそうに遊んでいた。
「よ、妖怪!?」
少女が怯えて腰をぬかしそうになっていると、背後から厚底メガネをかけたボサボサ頭で無精ヒゲを生やした中年の男がぬっと現れた。
「むむっ! 転校生か!」
「ひいっ! 鬼!? 人さらい!? だ、だれかぁー!!」
「落ち着きたまえ! 私は、鬼でも人さらいでもない。まぼろし学校の校長の遠野だ」
「まぼろし学校? 校長? そんな言葉は聞いたこともないです。このお屋敷の名前ですか?」
「ふーむ。どうやら学校という概念できる前の時代か……」
「えっと、あの……。時代?」
少女が、わけが分からず混乱して泣きそうになっていると、学校の生徒である動物や魚、花や昆虫などが心配そうに集まってきた。
「どうしたの? 遠野先生が気持ち悪かったの? ……分かるよ。でも、泣かないで」
「だいじょうぶ? たしかに遠野先生は怪しい変な人だけど悪い人じゃないよ」
「しょ、諸君……。私も傷ついて泣きたくなったぞ。泣くぞ? いいのかね?」
不気味な生き物たちに囲まれて、少女がますます怯え慄いた時だった。校門から、二人の少年が慌てた様子で走ってきた。
「遅刻だ! 遅刻だ! お前がモタモタしてるからだぞ。ミヅハ」
十代前半ほどの藍色の長い髪と橙色の瞳の少年が言った。
「遅刻だ! 遅刻だ! モタモタしてたのは、お前の方だぞ。イソラ」
十代前半ほどの銀色の長い髪と金色の瞳の少年が言った。
二人は、髪と瞳の色は違うものの、双子のようにそっくりな見た目をしていた。
「なんだろう? おびえている子がいる。人間の娘だ。めずらしいね。ミヅハ」
「本当だ。人間の娘だ。めずらしいね。イソラ」
他と比べて二人の少年が比較的、人間に近い姿をしていたため、少女が助けを求めるようにして問いかける。
「ここはどこ? もしかして、あの世なの?」
「ちがうよ。夢の中みたいな場所だよ。そうだよね。ミヅハ」
「うん。もしかしたら夢を見ているのかもしれない。そうだよね。イソラ」
「……夢? 私は夢を見ているの?」
そんな三人のやりとりをよそに、遠野先生がシクシク泣いていて生徒たちに慰められていた。しばらくして、ようやく泣きやむと生徒にメガホンを渡され背中をトントンされた後に力なく言葉を放つ。
「ぐすっ。生徒諸君、授業を始めるぞ。教室に入りたまえ。あと私は怪しい者ではないから安心してくれ」
それを聞いた生徒たちが、喜んで教室に向かって走っていく。
少女がどうしていいのか分からずにいると、遠野先生がイソラとミヅハを呼び止めて言った。
「どちらかが、彼女を教室までエスコートしてくれないか?」
『分かった!』
二人が同時に返事をして、少女に手を差し出す。
「僕はイソラだよ。海の方が好きなら僕の手をとって」
「僕はミヅハだよ。泉の方が好きなら僕の手をとって」
「えっ!?」
少女が戸惑いながら、二人の少年を見る。どちらも穏やかな笑顔で自分を見ている。
(……泉は、思い出したくない嫌な記憶がある。海を選びたい)
昔の嫌な記憶から逃げるようにイソラの手をとろうとした瞬間だった。少女の脳裏に、とある少年の記憶が浮かび上がった。
少女は手を止め、ゆっくりとミヅハの瞳を見つめた。ミヅハは、そんな少女の視線から何かに気づいた様子で、逃げるように目を逸らして差し出した手を下げようとした時だった。
「離れたくない。お願い……」
泣きそうな声で、そう話した少女は、両手でミヅハの手を強くつかんでいた。
「あれ、何で私? 急に変なこと言ってごめんなさい」
少女が、恥ずかしそうにしながら手を離そうとすると、今度はミヅハが少女の手を強く握って離さなかった。
二人が、しばらくの間お互いに目を逸らしたまま手を握りあっている状態で動かないので、しびれをきらしたイソラがミヅハの肩をポンとたたく。
「お前、何やってるんだ? ちゃんと教室まで案内しろよ。僕は、先に教室で待ってるよ」
イソラは、そう話すと校舎の方へ駆けて行った。複雑そうな顔でイソラを見送ったミヅハは、何かを考え直した様子で少女に笑顔で語りかけた。
「僕らも行こう! 大丈夫だよ。ちゃんと側にいるから……」
「う、うん……」
ミヅハに教室まで案内され、少女がドアを開けてみると、そこには花畑が広がっていた。
さまざまな花が咲き誇っている様子を見て、少女の瞳から涙がこぼれ落ちた。それを見たミヅハが心配そうに少女の顔を覗き込む。
「どうしたの? 悲しい?」
「……ちがうの。あまりにも美しくて。それに何だか、お母さんを思い出してしまって」
「お母さん?」
「私のお母さん、花が好きだったの。やっぱり、このお屋敷の上で私を呼んでいたのは、死んだお母さんだった気がして」
「……そっか。きっと、そうだよ。この場所は、美しくて楽しい場所なんだ。お母さんも君に喜んでほしくて呼んだんだ」
そう話して、自分に微笑みかけてくれるミヅハの顔を見つめた少女の瞳から、また涙があふれ出した。そして、痛いくらいに高鳴っている鼓動を抑えるように片手を自分の胸にそえて話す。
「お母さんは、私の願いを叶えるために私を呼んでくれたのかもしれない。だって、私は……」
少女が、ミヅハに何かを伝えようとした時、花冠をかぶった遠野先生がぬっと現れた。
「ひいっ!」
少女が怯えて、ミヅハの後ろに隠れた。
「そ、そんなに怯えなくても。花冠で可愛さをアップさせてみてもダメか。……こほん。授業の前に、転校生の自己紹介をお願いしたいのだが、いいかね?」
「……先生。逆に不気味さがアップしてます。娘さんが、もっと怯えてしまうよ」
ミヅハは、遠野先生に冷ややかな視線を送りながら、少女に優しく語りかける。
「みんな、君の名前が知りたいんだって」
少女が、昔だれかに聞いた妖に名前を教えると魂を取られるという話を思い出して答えられずにいるとミヅハが小さな声でこっそり言った。
「椿って名前はどうかな?着物が椿柄だから。別に、本当の名前じゃなくてもいいんだよ」
「……椿。うん。えっと、私の名前は椿です。よろしくお願いします」
少女の自己紹介を聞いて、生徒たちがワーと喜んで歓迎の拍手をする。
遠野先生が少女と、そしてミヅハの顔を見て何かを考え込んだ後にボソッと言った。
「……椿か。たしかに君からは、生命力の強さを感じる。まるで、厳しい冬に咲く雪椿のような。花言葉は、変わらぬ愛。ふーむ……」
「先生? どうしたの?」
「早く、授業をしようよ」
「おおっと、すまない。では諸君、授業を始めよう。二人でペアになり、自分をイメージした絵を描いて相手と交換したまえ」
生徒たちが、それぞれペアを組んで絵を描き始めるなか、イソラがミヅハを誘いにきた。
「ミヅハ、一緒にやろう」
「イソラ、ごめん。僕は椿と組みたい」
「えー、まあ、しょうがないか。遠野先生、僕とペアになって」
「もちろん、オーケーだ!私の汗と情熱がこもった絵をやろう。うおおぉぉおおぉぉおぉ゙ぉ゙!オレはぁぁぁ゙、この絵に全ての力と魂をこめて渾身の1枚を!」
「……先生、なんか重たくて嫌だ。あと汗も嫌だ」
やる気満々の遠野先生とげんなりしているイソラから少し離れた場所で、ミヅハと少女も絵を描き始める。
「自分を表した絵って難しいね。椿って名乗ったから、椿の花の絵にしようかな……」
「いいと思う。僕は、やっぱり泉かな……」
ミヅハは、いつの間にか用意されていた画用紙に絵の具で泉を描いていく。少女も初めて見る道具に戸惑いながらもミヅハに教わりながら椿の花を描いた。
「できた!」
「私も!」
二人は、完成した絵を交換した。
「この椿の花、銀色?」
「うん、なぜか銀色に塗りたくて。あなたの髪と同じ銀色に……。嫌だったかな?」
「ううん。何だかうれしい。おそろいだね」
自分の髪をつまんで、うれしそうな笑顔を向けてくれるミヅハから思わず視線を逸らした少女は交換した絵を眺める。そこには、満月を水面に映す泉の絵が描かれていた。
「……私、この泉を知っている」
ミヅハは、何も言わず少女を見つめている。
「私は、泉に住む水神様に捧げられるはずの生贄だったの。手足を縛られて重しをつけられて泉に沈められて……。でも、紐が切れて助かって」
ミヅハは、やはり何も答えず悲しげな表情で少女を見つめている。
「村の人たちに見つからないように家にもどると、両親は泣いて喜んでくれた。二人とも私を助けようと抵抗してボロボロだった。そして、新しい居場所を探して村から家族で逃げ出したの。でも途中でお母さんが弱って死んじゃった。私が生贄の立場から逃げたから水神様が怒ったせいかもしれない」
そう話して、泣き出す少女の頭を優しくなでながらミヅハが諭すような口調で語りかけた。
「大丈夫、水神は怒っていない。水神は、生贄なんて求めていない。君の他にも、たくさんの人が生贄にされてきた。だから助けた。でも村の人たちが許さなくて、その人たちに、もっと酷いことをして殺すんだ。災害がある度に繰り返された。水神が嘆き悲しんで神さまをやめたいと思うほど」
「……あの時、私の体を縛っていた紐が切れたのも、やっぱり水神様が……」
「……でも愚かな水神は間違えたんだ。助けたことで、みんなをもっと苦しめてしまった」
ミヅハは、しばらく悲しげに項垂れた後、少女の肩をつかんで真剣な表情で言った。
「けれども、やっぱり君は生きなければいけない。君のお母さんは、君に生きてほしくて助けようとして村の人たちに必死に抵抗した。お母さんの死は、その時のケガが原因で……。だけど、後悔はなかったみたいだ。君が生きているから」
それを聞いた少女が、ミヅハの胸にもたれかかり大粒の涙を流した。
「助けてくれてありがとうございました。ミヅハさん。……いえ、水神様」
そう静かな声で呟やいた後、少女はミヅハの体をつかんで、しぼり出すように声を震わせて言った。
「じゃあ、どうして!? 私は必死で生きたいと泉から出ようとしました。でも、あなたが現れたんです。私を抱きしめて水の底に連れて行こうとするあなたが……」
「……………」
悲しげな目をして何も語らないミヅハに構わず、少女は言葉を続けた。
「生きてほしいと言ったくせに矛盾してるわ! だから、逃げ出した生贄の私に呪いをかけたのですか? 水の中で見た姿が忘れられない。抱きしめられた感覚が忘れられない。あなたを思い出すと胸が切なくて苦しいのです」
「……呪いか。ごめん。君を苦しめるつもりもなかったし生きてほしかったのも本当だった。でも、あの時、なぜだか離れたくないと思ってしまったんだ」
「なら、どうして私を離したんですか? できるものなら、あの瞬間に時を戻したい。そうすれば、ケガを隠して無理な旅路に出なかったお母さんも生きていたかもしれない。そして私は、あなたの生贄としてでも側にいられるなら……」
「……そうか。だから君は僕の手をとった時、離れたくないと言ったのか」
「私も愚かなんです。一目見た時から、あなたに心奪われて、お母さんの想いを踏みにじっているのも分かっているのに……」
少女とミヅハが何も言わず、お互いに見つめ合っていると、少し離れた場所から遠野先生の大きな声が聞こえてきた。
「できた! 見たまえ、イソラ君。私の渾身の1枚を……」
遠野先生から渡された絵を見て、イソラが顔をしかめた。
「何これ? 先生の姿そのまんまの絵なんだけど? しかも美化されてるし、サインまで入ってる。イメージじゃなくて自画像じゃん。うっ、それに何か汗臭い」
「我ながら傑作だ! うれしいだろ、イソラ君!」
「…………先生、話を聞いてます?」
「ふむ、みんな描きおわったようだな。次の授業をするか。せっかくペアを組んでいるから、二人一組の組み体操をしよう!」
それを聞いたイソラが、顔を引きつらせて言った。
「先生! 僕も椿と仲良くなりたいから、ミヅハとペアを交換したいです」
「ふむ、許可しよう!」
「すまないミヅハ。遠野先生の汗臭さに耐えられない。いつも通り、二人で協力して乗り切りたいんだ。……よろしくね、椿」
イソラが少女の手に触れようとした時だった。ミヅハが誰にも聞こえないように、少女の本当の名前をささやいた。
「え? …ど…う…し…て……」
少女の姿が、ゆっくりと消えていった。
イソラが驚いてミヅハを見て、あきれたような口調で話す。
「お前だったのか。この場所に彼女を呼んだのは……」
「……ああ、どうしても会いたかった。そして、彼女も。だから引き寄せられた。彼女の母も娘ともう一度会いたいという願いから力を貸してくれた」
「あの人間の娘に恋をしたのか? なぜだ?」
「生贄たちは皆、水神を呪いながら苦しんで死んでいった。だが、あの娘だけは……」
「……ミヅハ、お前は多くの人間の血を浴びて穢れに触れすぎてしまったんだ。だから、まるで人間のような感情を……。あの娘を忘れろ。どちらも不幸になる。分かっているだろう?」
「分かっているよ、イソラ。なのに、僕は自分を止められない。他の誰かの手をとる姿を見たくなかった」
「僕らは人間になれない。お前がしなければならないことは彼女の幸せを願うこと。愛しているなら、尚更そうするんだ。そうだろ、ミヅハ?」
「その通りだ、イソラ。でも、一緒にいられないことが一番の不幸だと、お互いに思ってしまったんだ。だから帰らせたんだ。この場所から……」
「……いっそのこと、やり直すか。僕らの力で」
「……………」
「少女は海を選び、僕の手を取り、楽しく過ごして水神を忘れて現実にもどる。これが最良の選択だよねミヅハ」
「少女は泉を選ばず、僕の手を取らず、水神を忘れて……。イソラの言う通り、確かに最良の選択だ」
イソラは頷いて言葉を続けようとしたが、ミヅハの表情を見て、思わず押し黙った。
二人の話を聞いていた遠野先生が静かに呟く。
「愛する気持ちは、祝福にも呪いにもなる」
「先生? どういう意味?」
いつもと違う遠野先生の様子に生徒たちが、心配そうにしている。
「おおっと、すまない。椿君が帰ってさびしいが、授業をつづけよう。イソラ君とミヅハ君は、私と三人で組み体操だ」
それを聞いたイソラが、ガクッと肩を落として言った。
「ううっ、逃げられなかったか。がんばって耐えようミヅハ!」
「…………」
ミヅハは、だまったまま残された椿の絵を眺めていた。
少女の意識がゆっくり覚醒して目を開けると父の背中におぶさっている状態だった。
「……お父さん?」
「目が覚めたかい? もうすぐ家だよ。だいぶ長い夢を見てたようだね」
「……夢」
ぼんやりした頭で夢でのことを思い出そうとした時、ふと、着物の懐にある紙に気付く。
「……水神様」
紙には、満月の夜に泉に浮かぶ銀色の椿の絵が描かれていた。
(水神と生贄の少女)
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