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第27話 おでん
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癒庵(ゆあん)の店内では、
ふつふつと煮える鍋の音が静かに響いている。
大根を煮るときに広がるあの独特の甘い香り。
出汁に沈んだ昆布がうっすら揺れ、
その上でちくわや厚揚げがゆらゆらと漂っていた。
佐伯は、大根の皮を厚めにむいていた。
おでんの大根は、火が通りやすいように
輪切りにしてから隠し包丁を十字に入れる。
「大根は……優しいやつだな」
思わずそんな独り言をこぼす。
出汁が染みやすく、
煮込めばすぐに表情を変える。
人で言えば、“共感力が高いタイプ”だろうか。
こんにゃくはその逆だ。
煮ても、煮ても、なかなか味が染みない。
そのぶん、染み込んだ時の旨さは格別だ。
卵はさらに別で、
ゆっくり時間をかけなければ味が入らない。
同じ鍋で煮えているのに、
必要な時間も、変わる速度も、何もかもが違う。
佐伯は鍋を見つめながら思う。
(人も……こうやって違うんだよな)
恋人でも、家族でも、友達でも。
同じ場所にいればいいというものではなく、
“染み込み方”は人それぞれだ。
そんなことを考えていると、
暖簾がそっと揺れた。
「こんばんは……」
静かな声だった。
入ってきたのは20代後半の女性。
派手さはないが、落ち着いた服装。
ただし、その表情はどこか曇っていた。
「いらっしゃい。お好きな席をどうぞ」
女性は軽く会釈して、カウンターの端に座った。
「ビール……ください」
注文の声も弱々しい。
ビールが出されると、彼女は喉を鳴らし、
ひと口飲んでは深い息を吐く。
「……はぁ……」
その溜息には、
一日の疲れ以上のものが混ざっているようだった。
「……大将、相談って……できます?」
女性は両手でジョッキを包みながら言った。
佐伯はうなずく。
「ええ。話したくなければ、話さなくてもいい。
話したければ、聞きますよ」
その言葉に、女性は少しだけ肩の力を抜いた。
「……麻衣(まい)っていいます」
「麻衣さん。よろしく」
麻衣はすぐに本題へ入った。
「……彼氏と……ケンカしちゃって」
佐伯は相槌を打ち、続きを待つ。
「彼……すごく優しいんです。
仕事で疲れてるときも会いに来てくれて……
色々気にかけてくれて……
本当に、いい人なんですけど……」
言葉が詰まり、麻衣は唇を噛んだ。
「……でも、距離感が……合わないんです」
佐伯は小さくうなずいた。
麻衣は続ける。
「彼、毎日会いたがるんです。
仕事終わりでも、休みの日でも……
“会わないと不安だ”って」
「麻衣さんは?」
「私は……一人の時間もほしいんです。
ゆっくり考える時間とか……
一人で気分転換したい日もあって……
でもそれを言うと、
“冷たい”って言われて……」
麻衣の目に涙がにじんだ。
「好きなんです。
本当に、彼のこと……好きなんですけど……
好きなのに疲れるって……どうしたらいいんですかね……」
佐伯の胸に、
美咲の姿がふっと重なった。
美咲も、自分のペースを守る子だった。
寄り添ってほしい時もあれば、
一人になりたい時もある。
その“揺れる間隔”を理解しきれずに、
自分は距離を間違えた。
(あいつ……苦しかっただろうな)
切なさが胸を締め付けた。
佐伯は立ち上がり、鍋の前へ向かった。
おでんの鍋では、
大根がすっかり色を変えていた。
透明感のある琥珀色。
見ただけで中まで味が染み込んでいる。
その横で、こんにゃくはまだ少し薄いままだ。
卵は静かに沈み、じっくり味を吸っている。
佐伯は、器に大根、卵、こんにゃくをそっと盛りつけ、
麻衣の前に置いた。
「……あれ? 私……頼んでないのに……」
佐伯はいつもの柔らかい笑みを浮かべた。
「ええ。サービスです。」
麻衣は驚いた顔でおでんを見つめる。
佐伯はゆっくり語り始めた。
「おでんって……
同じ鍋にいても、染み込み方がまるで違うんです」
麻衣のまつ毛がピクリと揺れる。
「大根はすぐ染みる。
こんにゃくはなかなか染みない。
卵はゆっくり、ゆっくり味が入る」
ひとつひとつ、別々の時間が必要。
どれが良い悪いではない。
「人も同じですよ。
同じ気持ちでいても、
“距離の詰め方”は違うんです」
麻衣は静かに涙を落とした。
「……私……
彼と、同じペースにならなきゃって……
合わせなきゃって……
ずっと無理してたのかも……」
佐伯は優しく言葉を添えた。
「無理に合わせる必要はありません。
大事なのは、同じ鍋にいること。
ペースが違っても、
“同じ温度”でいれば、関係は壊れません」
麻衣は嗚咽をこらえながら、
おでんの大根をひと口食べた。
じゅわっと出汁が溢れ、
体の奥まで沁み込んでいく。
卵は優しく、
こんにゃくはさっぱりしているのに味わい深い。
「……全部違うのに……
どれも美味しい……」
「ええ。違いがあっても、調和できるんです」
涙が溢れ、麻衣は声を震わせた。
「……帰ったら……
ちゃんと話してみます。
“私は私のペースで好き”って……
そう言ってみます」
佐伯は静かに頷いた。
「きっと、伝わりますよ」
会計を済ませ、
帰り際に麻衣は微笑んだ。
「大将……
今日のおでん、忘れません。
私たちも、同じ鍋にいればいいんですよね」
暖簾が揺れ、
彼女の姿が夜へと消えていく。
店内が静まり返ると、
佐伯はもう一度、おでんの鍋を見つめた。
大根も、卵も、こんにゃくも、
違う時間で、違う形で、
それぞれの味を受け止めていた。
「美咲……
お前も、ペースの違う子だったな……」
鍋から立つ湯気が、
まるで美咲の面影のように
ぼんやりと揺れていた。
ふつふつと煮える鍋の音が静かに響いている。
大根を煮るときに広がるあの独特の甘い香り。
出汁に沈んだ昆布がうっすら揺れ、
その上でちくわや厚揚げがゆらゆらと漂っていた。
佐伯は、大根の皮を厚めにむいていた。
おでんの大根は、火が通りやすいように
輪切りにしてから隠し包丁を十字に入れる。
「大根は……優しいやつだな」
思わずそんな独り言をこぼす。
出汁が染みやすく、
煮込めばすぐに表情を変える。
人で言えば、“共感力が高いタイプ”だろうか。
こんにゃくはその逆だ。
煮ても、煮ても、なかなか味が染みない。
そのぶん、染み込んだ時の旨さは格別だ。
卵はさらに別で、
ゆっくり時間をかけなければ味が入らない。
同じ鍋で煮えているのに、
必要な時間も、変わる速度も、何もかもが違う。
佐伯は鍋を見つめながら思う。
(人も……こうやって違うんだよな)
恋人でも、家族でも、友達でも。
同じ場所にいればいいというものではなく、
“染み込み方”は人それぞれだ。
そんなことを考えていると、
暖簾がそっと揺れた。
「こんばんは……」
静かな声だった。
入ってきたのは20代後半の女性。
派手さはないが、落ち着いた服装。
ただし、その表情はどこか曇っていた。
「いらっしゃい。お好きな席をどうぞ」
女性は軽く会釈して、カウンターの端に座った。
「ビール……ください」
注文の声も弱々しい。
ビールが出されると、彼女は喉を鳴らし、
ひと口飲んでは深い息を吐く。
「……はぁ……」
その溜息には、
一日の疲れ以上のものが混ざっているようだった。
「……大将、相談って……できます?」
女性は両手でジョッキを包みながら言った。
佐伯はうなずく。
「ええ。話したくなければ、話さなくてもいい。
話したければ、聞きますよ」
その言葉に、女性は少しだけ肩の力を抜いた。
「……麻衣(まい)っていいます」
「麻衣さん。よろしく」
麻衣はすぐに本題へ入った。
「……彼氏と……ケンカしちゃって」
佐伯は相槌を打ち、続きを待つ。
「彼……すごく優しいんです。
仕事で疲れてるときも会いに来てくれて……
色々気にかけてくれて……
本当に、いい人なんですけど……」
言葉が詰まり、麻衣は唇を噛んだ。
「……でも、距離感が……合わないんです」
佐伯は小さくうなずいた。
麻衣は続ける。
「彼、毎日会いたがるんです。
仕事終わりでも、休みの日でも……
“会わないと不安だ”って」
「麻衣さんは?」
「私は……一人の時間もほしいんです。
ゆっくり考える時間とか……
一人で気分転換したい日もあって……
でもそれを言うと、
“冷たい”って言われて……」
麻衣の目に涙がにじんだ。
「好きなんです。
本当に、彼のこと……好きなんですけど……
好きなのに疲れるって……どうしたらいいんですかね……」
佐伯の胸に、
美咲の姿がふっと重なった。
美咲も、自分のペースを守る子だった。
寄り添ってほしい時もあれば、
一人になりたい時もある。
その“揺れる間隔”を理解しきれずに、
自分は距離を間違えた。
(あいつ……苦しかっただろうな)
切なさが胸を締め付けた。
佐伯は立ち上がり、鍋の前へ向かった。
おでんの鍋では、
大根がすっかり色を変えていた。
透明感のある琥珀色。
見ただけで中まで味が染み込んでいる。
その横で、こんにゃくはまだ少し薄いままだ。
卵は静かに沈み、じっくり味を吸っている。
佐伯は、器に大根、卵、こんにゃくをそっと盛りつけ、
麻衣の前に置いた。
「……あれ? 私……頼んでないのに……」
佐伯はいつもの柔らかい笑みを浮かべた。
「ええ。サービスです。」
麻衣は驚いた顔でおでんを見つめる。
佐伯はゆっくり語り始めた。
「おでんって……
同じ鍋にいても、染み込み方がまるで違うんです」
麻衣のまつ毛がピクリと揺れる。
「大根はすぐ染みる。
こんにゃくはなかなか染みない。
卵はゆっくり、ゆっくり味が入る」
ひとつひとつ、別々の時間が必要。
どれが良い悪いではない。
「人も同じですよ。
同じ気持ちでいても、
“距離の詰め方”は違うんです」
麻衣は静かに涙を落とした。
「……私……
彼と、同じペースにならなきゃって……
合わせなきゃって……
ずっと無理してたのかも……」
佐伯は優しく言葉を添えた。
「無理に合わせる必要はありません。
大事なのは、同じ鍋にいること。
ペースが違っても、
“同じ温度”でいれば、関係は壊れません」
麻衣は嗚咽をこらえながら、
おでんの大根をひと口食べた。
じゅわっと出汁が溢れ、
体の奥まで沁み込んでいく。
卵は優しく、
こんにゃくはさっぱりしているのに味わい深い。
「……全部違うのに……
どれも美味しい……」
「ええ。違いがあっても、調和できるんです」
涙が溢れ、麻衣は声を震わせた。
「……帰ったら……
ちゃんと話してみます。
“私は私のペースで好き”って……
そう言ってみます」
佐伯は静かに頷いた。
「きっと、伝わりますよ」
会計を済ませ、
帰り際に麻衣は微笑んだ。
「大将……
今日のおでん、忘れません。
私たちも、同じ鍋にいればいいんですよね」
暖簾が揺れ、
彼女の姿が夜へと消えていく。
店内が静まり返ると、
佐伯はもう一度、おでんの鍋を見つめた。
大根も、卵も、こんにゃくも、
違う時間で、違う形で、
それぞれの味を受け止めていた。
「美咲……
お前も、ペースの違う子だったな……」
鍋から立つ湯気が、
まるで美咲の面影のように
ぼんやりと揺れていた。
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