『召喚ニートの異世界草原記』

KAORUwithAI

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第138章逃亡者

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二郎たちが久しぶりの平穏な日々を過ごしていたその頃──

ルーノ聖国では、ユリウスによる人体実験が第二段階に進んでいた。
その目的は、人間の構造そのものを書き換え、身体能力を常人の百倍に引き上げるという狂気の改造だった。

「……成功、か。だが──」

実験体の動作試験が始まるや否や、改造された者は暴走し、命令を無視して破壊行動に走った。
ユリウスは冷たく呟いた。

「……また失敗か」

肩をすくめると、彼は淡々と部下に命じた。

「処分しろ。地下へ」

部下は床の鉄扉を開ける。
その奥には、餌を待ちわびるように唸りを上げる魔物たちが蠢いていた。
暴れ続ける実験体は、やがて彼らの餌食となり、地下に引きずり込まれていった。



そんな非人道的な実験が繰り返される中、一人の少女がその施設から逃げ出していた。
擦り傷だらけの足で山を越え、野を走り、執拗な追手から命懸けで逃げ続けて──
夜明け前、ついに力尽き、ハーモンド辺境伯領の城門前に倒れ込んだ。



東の空が白み始めた頃。
門番の一人がいつものように門の見回りにやって来た。

「……ん? あれは──!?」

少女を見つけた門番は驚愕し、急いで駆け寄る。
息はある。しかし、目は閉じたままで、いくら呼びかけても反応がない。

「おい、しっかりしろ……!」

慌てた門番は少女を抱きかかえ、最寄りの診療所へと駆け込んだ。
夜明け前の街に響くような勢いでドアを叩き、医師を呼び起こす。

「……誰だ、朝っぱらから騒がしいぞ……!」

寝起きの顔をしかめながら出てきた医師に、門番は少女を見せた。

「見てくれ、この子が門の前で倒れていた。息はあるが、目が覚めないんだ」

医師は一瞬にして顔色を変えた。

「診察室へ、急げ!」

診察台に寝かされた少女の身体を、医師は丁寧に診察する。
足の裏は血と泥で覆われ、無数の傷が刻まれていた。
腕や背中、太腿には打撲痕が点在し、時に腫れも見られた。

「……いったい、誰が……誰がこんな……」

静かに、しかし確かに怒りを滲ませる医師。
門番は、彼女が門の前で発見されたこと、逃げてきた可能性があることを説明する。

「……何かから、命懸けで逃げてきたんだろうな」

医師はしばし黙った後、ゆっくりと首を振った。

「とにかく、この子が目を覚ますまで、ここで
怪我の手当てをして預かろう。危害を加える者はいない。安心して眠っていい」

少女の胸が、かすかに上下していた。


診療所の窓からは、朝の陽が静かに差し込んでいた。

その光を受けるように、診察台の上で横たわっていた少女が、小さくまぶたを震わせる。
長いまつげが揺れ、乾いた唇がかすかに動く。

やがて、少女はゆっくりと目を開いた。

「……目を覚ましたか」

医師がそっと声をかけ、椅子から立ち上がる。
静かに歩み寄りながら、穏やかな声で問いかけた。

「ここが、どこか分かるかい?」

少女は首を、ゆっくりと横に振った。

「そうか。ここはメザイア公国、ハーモンド辺境伯領の診療所だよ。安心していい。君は、もう安全な場所にいる」

その言葉に、少女の目がわずかに見開かれた。
「公国」という言葉に反応したのか、信じられないという表情を浮かべ、身じろぎした。

「君は……どこから来たんだ?」

少女は、再び首を傾げた。答えに困っているようだった。

「じゃあ、名前は? 君の名前を教えてくれないか」

そう促すと、少女は口を開こうとするが──

「……っ……」

声が出ない。喉が枯れているわけでも、舌が回らないわけでもない。
まるで“言葉を失ってしまった”かのようだった。

医師は静かに頷き、机の引き出しから紙とペンを取り出すと、少女に差し出した。

「いいよ、声じゃなくても。ここに書いてくれ」

少女は震える指先でペンを握り、紙に一文字ずつ慎重に記す。

――「アスナ」

それが、彼女の名だった。

「アスナ……。良い名前だ。ありがとう。じゃあ、アスナ。君はどこから来たのかな?」

医師がそう尋ねると、アスナは再び紙に書く。

――「怖い所」

短い、しかしあまりにも重たい言葉。

医師は眉をひそめ、「どんな風に怖いの?」と続けたが──
アスナの手は震え、ペンが進まなかった。紙の上に滲んだインクが、答えの重さを物語っていた。

「すまない、つらいことを思い出させたね……」

医師は、そっと少女の肩に手を置こうと手を伸ばした──その時。

「……っ!」

アスナが身を縮め、両手で頭を庇うように防御姿勢を取った。
小さな身体が、まるで過去の恐怖をなぞるように震えている。

医師はその様子を見て、すぐに手を止めた。

「……大丈夫、もう誰も君を傷つけない。私はただの医者だよ。ごめんね」

彼は立ち上がると、傍にいた助手に振り返った。

「彼女を連れてきた門番を、すぐ呼んできてくれ。あと、ハーモンド公にも報告の準備を」

「かしこまりました!」

助手は即座に動き出し、扉の向こうへと走っていった。

診察台の上、アスナは警戒を解けないまま、再び震える両腕に顔を埋めた。
心の奥にこびりついた恐怖は、そう簡単に拭えるものではなかった。
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