『召喚ニートの異世界草原記』

KAORUwithAI

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第139章囁く声と、閉ざされた記憶

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診療所の扉が開き、少女を発見した門番が息を切らしながら入ってきた。

「お呼びと聞いて、参りました!」

医師はすぐに立ち上がり、真剣な表情で問いかけた。

「君が彼女を見つけたんだな。──この子は“アスナ”という名前らしい。見つけたとき、何か変わった様子はなかったか?」

門番はしばらく思い出すように目を閉じたあと、ぽつりと答えた。

「……ああ、そういえば。あの時……うわ言のように、“やめて”“殴らないで”って、何度も繰り返していました」

その言葉に、医師の表情が険しくなる。

次の瞬間、彼の拳が音を立てて握られた。

「……っ!」

助手が慌てて駆け寄る。

「先生、手が……血が滲んでいます!」

だが医師はその手を開こうとはしなかった。目を伏せ、低く呟く。

「そんなこと……どうでもいい……この子は、ひどい暴力を受けていたんだ。──そして、おそらく、何らかの実験をされていた可能性が高い」

「実験……ですか?」

門番が信じられないという表情で問う。

医師は無言でアスナの右腕の袖をめくった。

そこには、数え切れないほどの注射痕が、赤黒い点となって刻まれていた。

「これは……!」

誰もが言葉を失った。
注射の跡は、まるで彼女が“何か”に変えられようとしていた痕跡のようだった。

「……薬物か、魔道具による干渉かは分からん。だが、こんなものを何十本も……。これは、人体実験だ」

重い沈黙が診療所に降りる。

その時──

「失礼しますっ!」

新たな門番が扉を開けて声をあげた。

「ハーモンド邸に知らせたところ、二郎様とその御一行が向かっておられるとのことです!」

その言葉通り、間もなくして診療所の外が騒がしくなり、扉が再び開いた。

先頭に立っていたのは、いつも通りの落ち着いた表情の青年──二郎。
そのすぐ後ろにはレン、そしてクレアとミーナも続いていた。

「……来てくれてありがとう、二郎さん」

医師が立ち上がって深く頭を下げる。

「話は聞いていると思いますが、この子が門の前に倒れていたんです。名前は“アスナ”だといいます」

レンがアスナのそばに歩み寄り、優しく声をかけた。

「こんにちは、アスナちゃん」

アスナは怯えながらも、そっと頭を下げた。

レンは微笑みながら、静かに自己紹介をする。

「私はレン。よろしくね」

続いて二郎も名乗った。

「俺は二郎だ。よろしくな、アスナ」

アスナは言葉を発することなく、紙に筆をとり、“よろしく”と丁寧に書いた。

その小さな文字に、彼女の精一杯の思いがにじんでいた。

そんなやりとりを見届けた医師が、二郎の方へ向き直る。

「二郎さん……もしこの子の容態が落ち着いたら、ハーモンド邸で預かってもらえませんか? 私のところには、同年代の子もいないし、彼女の心を癒やすには、少しでも安心できる環境が必要だと思うんです」

二郎は少し考えた後、力強く頷いた。

「……おそらく問題ないと思います。ハーモンド様にも伝えておきます」

「ありがとうございます」

「それまで、治療を頼む」

「任せてください。絶対に、良くしてみせますよ」

そう言って医師は、そっとアスナの肩に毛布をかけた。

「行こうか、レン」

「うん。また来るね、アスナちゃん」

アスナは、再び小さく頷いた。

こうして二郎たちは診療所を後にし、静かにハーモンド邸へと戻っていった。


翌日。
朝の陽光がまだ柔らかい時間、二郎・レン・クレア・ミーナの四人は、再び診療所を訪れた。

「失礼しまーす」

レンが小さく声をかけて扉を開けると、部屋の奥、ベッドに腰掛けていたアスナがこちらを振り向いた。

その姿はまだ少し怯えたようで、表情は硬いままだったが──昨日よりも、ほんのわずかに目が和らいでいるようにも見えた。

「こんにちは、アスナちゃん」

レンがやわらかく声をかけながら、そっとアスナの前にしゃがんだ。

アスナは少し戸惑いながらも、手元の紙に「こんにちは」と書き、差し出した。

ミーナがその様子をじっと見つめていたが、おずおずと手に持っていた包みを差し出す。

「これ……おやつ。干し果実のお菓子、わたし好きだから……アスナちゃんも、よかったら……」

紙に書く前に、差し出された包みにアスナは目を見開いた。
一瞬の間のあと、ゆっくりと両手を伸ばしてそれを受け取る。

そして、小さく……ほんの少しだけ、口元をゆるめた。

その微笑みに、ミーナの瞳もぱっと輝いた。

「やった……笑ってくれた」

「……うん、ちょっとだけど、笑ってたね」

レンも嬉しそうに言い、そっとアスナの手を取るように触れた。アスナは一瞬びくりと肩を震わせたが──今度はすぐに逃げなかった。

少しずつ、彼女の心に何かが届き始めている。それを、レンたちは確かに感じていた。



その様子を、診療所の片隅から静かに見守っていた二郎は、安堵の息をついた。

(……この子も、少しずつでいい。レンやミーナ、クレアたちと一緒に……いつか、笑顔を取り戻せたら)

ふと視線を感じて振り返ると、助手がそっと頷き返してくる。

「昨日とは、まるで違う顔をしていますね。あの子」

「……ああ。あいつらのおかげだよ」

小さな絆が、確かに生まれ始めていた。



そしてその後。
レンはアスナの髪に手を伸ばし、髪の毛をやさしくとかしながら話しかけた。

「アスナちゃんの髪、すごく綺麗……今度、リボンとかつけてみない?」

アスナは紙に「いいの?」と書いた。

「もちろん! ミーナとおそろいにしようよ」

ミーナが照れくさそうに頷き、アスナもまた、ほんのわずかに、けれど確かに──笑った。



診療所を後にする頃には、アスナの手には干し果実のお菓子と、ミーナと色違いの小さなリボンが握られていた。

その表情は、ほんの昨日までの彼女とはまるで違う。

心の扉は、まだ半分閉ざされたままかもしれない。
けれど、差し込んだ光は確かにあった。

それが──人と人とのぬくもりだと、アスナはきっと、少しずつ思い出していくのだろう。
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