俺と犬

KAORUwithAI

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第84話 主人の失恋

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雨も風もない静かな夜だった。
けれど部屋の空気は重たく、いつものテレビの音もついていない。

ソファに座る主人は、まるで置き物のように動かない。
スマホを握りしめたまま、ぼんやりと宙を見つめていた。
何度も着信を確認しては、ため息をついている。

シバはその足元に座り、首をかしげた。
おかしい。今日はおやつの時間になっても反応がなかったし、
散歩の催促にも「後でな」と言ったまま、立ち上がってもくれない。

ソファに前足をかけて顔を近づけると、主人の目が赤くなっていた。
どうやら泣いたあとらしい。
人間の涙の意味は全部は分からないけれど、
これはただ事ではないと、シバにも分かった。

そこで、部屋の奥に走っていった。
お気に入りのぬいぐるみをくわえて戻ってくる。
“しかくいカエル”。普段なら取られると怒るやつだ。

ソファの前でぬいぐるみを置くと、主人の方をじっと見る。
それでも動かない。

今度は小さく「ワン」と鳴いて尻尾を振った。
主人はようやく目を上げた。
そして、少しだけ微笑んだ。

「……お前、慰めてくれてんのか?」

シバはしっぽをバタバタと大きく振った。
主人はぬいぐるみを手に取り、そのままシバを抱き上げた。
涙のにおいがした。でも、ほんの少しだけ甘い匂いもした。

「振られちゃったよ」
「俺の何がダメだったんだろなあ……」
そう呟きながらも、主人はシバの背を優しく撫でてくれた。

シバはその手に鼻をこすりつけた。
何があったか分からなくても、
誰かを想って苦しくなる気持ちは、
きっと犬だって分かる。

その晩、主人は久しぶりにシバと一緒に布団に入って寝た。
いつもはベッドの下で寝るシバも、
この夜だけはずっと主人の隣にいた。

夜が明ければ、また少しずつ元気になる。
そのために今は、そばにいるだけでいい。
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