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悪役令嬢エリザベス

02. エルの姿

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 次の日、エリザベスが登校すると周囲からヒソヒソと話す声が増えた。
 おそらく、廊下を駆け抜けたときのことだろう。それに、漏れ聞こえてくる会話の中に「第二王子殿下とダンフォール嬢がキスをしたらしい」という話題もあるから、それのこともあるのだろう。
 クラスメイトも腫れ物を扱うようにエリザベスを遠巻きに見てくる。


(ああ、あのガゼボにいきたい。エルは、エレンはいるでしょうか)


 授業を受けて、合間の休み時間は読書で時間を潰すことにした。
 昨日までは誰かがエリザベスに話しかけてきたりしたが、さすがに昨日の件のこともあって誰も勇気がでないらしい。エリザベス自身も、誰かと談笑する気にはなれなかった。

 昼休みになって、寮から配られた弁当を持って立ち上がる。クラスメイトの視線を無視して早足であの中庭に向かった。道中の視線なんて、気にしない。

 相変わらず、人気のない西棟の中庭に入り、ガゼボに向かう。
 設置されているベンチに座って、エリザベスはおそるおそる声を出した。


「…エル、エレン、いる?」
『こんにちは、エリザベス』


 返ってきたテノールにエリザベスはほっと安堵の息をついた。よかった、いてくれた。


『エレンはちょっと遅れてくるみたい』
「そうなんですね」
『今日、大丈夫だった?噂すごいから、ちょっと心配で…』
「…遠巻きにされていますが、大丈夫ですわ」


 夜会やサロンに出ればもっと陰湿な陰口を受けたり、表面上笑みを浮かべながら皮肉を交えた談笑をしなければならない。腹の探り合いは社交界を生き抜くには必須ではあるけれど、疲れるものだ。
 その点、学内では遠巻きに見られるだけ。心理的負担が違う。


『そう…また何かあったら僕らに言うんだよ。力になるからね』
「ありがとうございます」
『あ、時間なくなっちゃうから、食べて食べて』


 そうだった。お昼休み時間は1時間ほどしかない。教室から西棟まで移動にちょっと時間がかかる。
 エリザベスが弁当を広げると、わあ、とエルの感嘆の声が聞こえた。


『おいしそう。いいなぁ』
「えっと…エルはご飯も食べるの?」
『うん?こういうご飯も食べられるよ』


 精霊は基本的に魔力のみを糧にして生きていると言われているので、エリザベスは少し不思議に思う。だが、精霊は幾星霜といるのだ。ご飯も食べる精霊もいるのだろう、とエリザベスは納得した。

 エルと他愛もない話をしながら弁当を食べていると、あ、とエルが何かに気づいたかのように呟く。


『お帰りエレン』
『…ただいま』


 エレンが入ってきたようだが、返ってきた声が弱々しい。どうしたのだろう、とエリザベスは首を傾げた。


「エレン?どうしたの?」
『ちょっと…会いたくない人に会っただけで…だいじょうぶです』
『エレン、なんて顔してるんだ…というか誰に会ったんだい?』
『……わたくしが嫌がるのなんて、この世にただひとりよ』
『…ああ…あいつ…しつこいねぇ』


 続いた盛大なため息は、エレンのものだろう。
 そういえば、とエルは思い出したかのように声をあげた。


『王太子は知ってるの?第二王子が浮気してること』
「…はい。ご存知です」


 イーリスの兄であるレオナルド・ウィリアム・プレヴェド第一王子は王太子であった。

 イーリスの最近の言動に心を痛め、度々エリザベスに声をかけている。もちろん、レオナルドの側近候補と称されている者たちやエリザベスと一緒に行動していた友人たちもいたから、ふたりきりになることは一度もない。レオナルドもエリザベスもその点は弁えていた。


(ああ…そういえば、その友人たちからも、遠巻きにされていたわね)


『エリザベス』


 いつの間にか食べる手も止めて手元の弁当を見つめていたエリザベスの両頬に手が添えられ、そっと顔をあげられる。
 位置的に目の前にエルがいるのだろうが、エリザベスの目に映るのは中庭の木々だけ。


『悲しい顔をしないでくれ。僕まで悲しくなってしまう』
「…わたくし、そんな顔していましたか?」
『うん』


 頬から手が離れ、エルに頭を撫でられる。


(頭を撫でられるのなんて何年ぶりしょう…エルの手は、心地よくて、安心するわ)


 目を閉じて撫でられていると、撫でる手が止まってしまった。
 そのことが少し残念に思い、エリザベスはゆっくりと目を開ける。

―― 目の前に、黒髪とルビーのような紅い瞳を持つ、穏やかな笑みを浮かべた美しい青年がいた

 青年はエリザベスと目が合うと顔を真っ赤にして、やがて両手で自分の顔を覆う。
 その光景に思わずエリザベスが目を瞬かせると、青年の姿は見えなくなっていた。


「…いまのは」


 幻?とエリザベスが首を傾げると、盛大なため息が聞こえてきた。


『エル…』
『う…だって…』
「いま、一瞬男性が見えたのですが…エルなのですか?」


 やや沈黙ののち、小さい声でエルがうん、と答えた。


『はずかしい』
『気を抜くから…』
「あの、どうして姿を見せていただけないのでしょうか?」


 姿を取れるのであれば、虚空を見ながら喋るよりは見て喋りたい。
 それに何より、エリザベスはあの紅い瞳をもう一度見たいと思った。太陽の光を受けて宝石のようにキラキラと輝いていたような、あの瞳を。


『…いや…気分を悪くするかと、思って』
「え?」
『エリザベス、許してあげてくださいませ。エルの色合いは、こちらの国では不吉な組み合わせなのです』


 そういえば、とエリザベスはふと昔呼んだ絵本を思い出す。
 ここプレヴェド国の建国神話に出てくる邪神のことを言っているのだろう。


 建国する以前、人々の安寧を脅かす邪神がいたとされている。それの象徴が、漆黒のように黒い髪と赤い瞳。
 この世界の創世神エレヴェドの加護を受けた勇者と聖女によって邪神は倒され、勇者が王、聖女がその王妃となって邪神が倒れた地にプレヴェド国が建国された ―― と、神話は締めくくられている。

 だからか、この国では黒髪と赤い瞳を持つ人はほとんどいない。もしかしたらいるのかもしれないが、エリザベスは見たことも聞いたこともなかった。
 絵本に描かれていた邪神の挿絵は子どもながらにも怖かった記憶がエリザベスにはある。


(ああ、けれど)


「わたくし、エルの目をちゃんと見てお話したいわ」


 キラキラとしたあの瞳を見て、話をしたい。
 エリザベスの言葉のあと、しばらくして分かった、とエルが答えた。

 ふ、と唐突に桃色の花びらが舞い始める。

 その花吹雪にエリザベスが思わず目を閉じて、次に開いたときにはそこに先ほどの青年―― エルがうつむき加減で跪いていた。生成りのシャツに黒のズボン。
 ゆっくりと、エルの顔が上がり、エリザベスと目が合う。


(ああ。やはり、綺麗だわ)


「あなたの瞳は宝石のようね。わたくしが見たことがあるどの宝石よりも綺麗だわ」


 エルは大きく目を見開いて、ぽかんとした表情を浮かべた。
 それから少し遅れてじわじわと頬に赤みがさして、参ったな、と照れ笑いを浮かべる。


「そんな風に褒められたのは初めてだよ」
「ふふふ」
「というか、エレン。君は?」
『…わたくしに事情があるの知ってるでしょう?エル』
「事情があるのね。でも、エレンが嫌ならいいのよ」
『…ありがとうございます。解消したら、必ず』


 エレンの姿も見てみたかったが、エレンに事情があるなら仕方ないだろう。

 そこまで話して、ふと時計を見ると昼休みがもう少しで終わることに気づき、エリザベスは慌てて弁当を食べ、教室に戻った。
 あまり人に見られたくないとのことだったので、エルが姿を見せるのはあの中庭の周囲に人がいない間だけだという。ただでさえ姿を見せるのが嫌だろうに、エリザベスの我儘を聞いてくれた。


(ああ、明日からのお昼休みも楽しみだわ)


 ここしばらくは鬱々とした気分だったが、今はもうない。
 エリザベスは久々に晴れやかな気持ちで午後の授業を受け始めた。
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