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悪役令嬢エリザベス
07. 舞踏会 1
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エリザベスは困惑していた。
「…え、あの…ミミィ?これは一体…」
いま、エリザベスは今夜開催される舞踏会に向けて準備を進めており、侍女のミミィにドレスを着せられていた。だが、このドレスは当初着る予定だったものではない。
淡い水色のこのドレスは一見派手ではない。だが、よくよく観察すれば随所に見られる金糸の刺繍や使われているレースは繊細で優美なもので、明らかに一流の職人の手によるものだった。こんな美しいドレスはいくら公爵家の令嬢と言えどここまでのドレスは作らせたことがなかった。
ミミィはテキパキとドレスを着付けながら、答える。
「はい。お嬢様への贈り物だそうで」
「贈り物?どなたから?」
「旦那様からは、エル様からだと言えばお嬢様は分かる、と仰っておりましたが…とてもよくお似合いです」
え、とエリザベスは思わず声を出した。
エル ―― イェルクから、ドレスが贈られた。サイズなんかは今夜着ていく予定だった最近仕立てたドレスから情報を得たのだろう。
こちらのアクセサリーもですよ、と続けてミミィから見せられたイヤリングとネックレスにエリザベスは目眩がした。
イヤリングは小ぶりな青緑色の宝石がはめ込まれており、一見するとイーリスの瞳の色に近かった。ネックレスはやや大ぶりのルビーを中心に周りに青緑色の宝石があしらわれており、チェーンはプラチナだ。デコルテに綺麗に映えるだろう。
ルビーはイェルクの瞳の色。つまり、察しのいい誰かが見ればこの装飾品はイーリスが贈ったものではないと分かるものだ。
今夜の舞踏会は、ヴェラリオン皇国からの留学生であるイェルク第一皇子を歓迎するためのものである。
「…大丈夫かしら」
「大丈夫ですよ。アクセサリーだけであれば、一般的な贈り物ですから。ヴェラリオン皇国の第一皇子様からともなれば公爵家としてもお断りすることはできませんし」
「そう…そうよね。ドレスは、誤魔化せばいいのだし…」
表面上はイーリスの婚約者のままなのだ。まだ、下手な噂を立てるわけにもいかない。
まだイーリスに伝えられていない状況のようだが、こういった夜会前にいつも贈られてくるドレス等の贈り物は一切こなかった。もう、心はレアーヌにだけあるのだろう。
エリザベスは小さくため息をつくと、ミミィに髪を結ってもらっている間に届けられた手紙に目を通すことにした。
会場である王城に向かう時間が迫る。
本来であれば(書類上はすでに婚約破棄しているとはいえ)イーリスがエスコートのために迎えにくるはずだが、先触れの手紙は来ていない。だが、ひとりだけエスコートなしに入場するのはよろしくない。エリザベスの兄にはすでに婚約者がおり、エスコートを頼むわけにもいかなかった。
どうしたものかと考えていたそのとき、部屋の呼び鈴の音がエリザベスの私室に届いた。
「ミミィ」
「はい」
ミミィが応対しに向かう。
エリザベスは読んでいた手紙をしまうと、目の前にある鏡を見つめた。ミミィの手腕はとても良い。ドレスやアクセサリーに合った化粧と髪型。最大限、自分の魅力を引き出してくれている。だが鏡の中に映るエリザベスの表情はやや曇っていた。
「お嬢様。ライズバーグ様より一緒に向かわないか、とお誘いが」
「…そうね。一緒に行くわ」
「お帰りになられた際は、お嬢様がお好きなダージリンティーをお淹れいたします」
「お願いね」
立ち上がり、扇を手に持って部屋の入り口に向かう。
キッチンダイニングを抜け、ミミィがさっとドアを開ければそこにはダークブルーの詰襟上衣に右肩から胸にかけて金糸の飾緒、白の下衣といった騎士の礼装を身に着けているイェソンが立っていた。
だが、ここは女子寮である。男子禁制となっており、よっぽどの理由がない限りは寮内に立ち入ることは許されないはずだった。
戸惑うエリザベスだったが、はたと気づく。目の前のイェソンは無表情でメガネをかけており、紺色の長い髪は後ろにひとつにまとめられている。そして身長がエリザベスと同じぐらい。
イェソンは、エリザベスがヒールを履いていることを差し引いてもエリザベスより頭ひとつ分は背が高いはずだった。
「…エレン?!」
「はい。お迎えに上がりました、エリザベス」
似ている兄妹だとは思っていたが、イェーレが男装するとここまで似るものなのかとエリザベスが驚愕している中、イェーレは胸に手を添えて、エリザベスに向けて白手袋をつけた手を差し出した。
「あの、エレン?」
「本日は私がエスコートいたします」
「え?え?」
「詳細は馬車でお話します。どうか、手を取っていただけないでしょうか」
どうしてイェーレが男装しているのか、とか、どうしてイェーレがエスコートの誘いをしてきたのか、とか色々と聞きたいことは多い。
だがイェーレ自身が馬車で理由を話すと言っているのだ。それに、ミミィがエリザベスに通したということはミミィは事前に知らされていた可能性が高い。
ちょっと疎外感を感じてしまったが、エリザベスはひとつため息をつくとそっと差し出されていたその手に自身の右手を乗せた。
「きちんとお話していただきますわよ」
「もちろん」
ずいぶんと手慣れた様子でイェーレはエリザベスを馬車までエスコートしていく。
すれ違う令嬢たちは「まあ、フェーマス様とても美しいわ」「ここ女子寮よね?どうして殿方が…」「エスコートしているあの殿方はライズバーグ様じゃない?」「あれ?でもあのメガネって…」とざわついている。変に注目されている気がしたが、それも目的なのかもしれないとエリザベスは淑女の仮面を被った。
ライズバーグ家の家紋が施された馬車に、イェーレに手を引かれて乗り込む。
小窓から御者に短く指示を出したイェーレに、さて、とエリザベスは眉根を寄せた。
「どういうことですの?」
「かんたんに言ってしまえば、あの王子にエリザベスをエスコートさせないためです」
「…え?」
「エスコートのために迎えに行こうとしていたんですよ。その先触れの手紙に気づいたミミィ殿が私の侍女に知らせてくださいまして。ああ、手紙は王太子殿下とお父上のフェーマス卿が立ち会いのもと、開封して不要だと返信済みです。最近、あの王子がエリザベスのことを婚約者として扱おうとしだしていまして。よっぽどお誘いを振られまくったのが堪えたみたいですね。はっ、ざまぁ」
無表情のまま鼻で笑ったイェーレにエリザベスは思わず苦笑いを浮かべた。
実は、エリザベスはイーリスから昼食やら茶会やら果ては人気カフェへの誘いを受けていたが、それを尽く断っている。
2週間前に初めてイーリスからの昼食からの誘いを振ってから、それはもうアプローチが凄かった。毎日のように現れては、あれはどうだ、これはどうだと聞いてくるのだ。
婚約者でなくなったことがバレたのか、と当初は考えていたが、どうも違うらしい。イェーレ曰く「男って逃げる獲物は追いかけたくなるみたいですよ」とのことだ。つまりは、あんなに尽くしてくれたエリザベスが素っ気なくなり始めたのに慌てているのだ。
「エリザベス宛にドレスとアクセサリーを贈っていました。でも同時にレアーヌにも贈ってるみたいで、バカの極みですよね」
「そうだったの?ミミィったら、エルからの贈り物しか言っていなかったから…」
「いまエリザベスが身につけているものすべてエルからのなのでご安心ください。ああ、そうそう。私がエリザベスをエスコートすることになった表向きの経緯ですが、エリザベスの護衛です。現時点では表向き、エリザベスは第二王子の婚約者ですから警護対象になるんですよ」
「…え?護衛?」
驚いて目を瞬かせると、イェーレはこくりと頷いた。
「これでも私、兄様と同じで正規の竜騎士ですので要人警護の資格は有しています。まだ学園を卒業していないので正式に竜騎士団に入団していませんが」
言いながら、イェーレは上衣の左胸につけられた徽章に触れた。第二王子妃としての教育で、団員の徽章と上衣の袖章が表す階級はひととおりエリザベスの頭の中に入っている。
これはプレヴェド王国が保有するすべての師団に共通することで、騎士、魔術師によって差異はない。階級は実力で判定されており、見習い、第三種、第二種、第一種、特種の5段階に分かれている。王室の身辺を警護する資格を保有できるのは第一種以上とされていた。
イェーレが身につけている徽章が表す階級は第二種だが、高位貴族の身辺警護ができる階級だ。エリザベスと同じ17歳の身でありながら、イェーレは戦場を駆ける資格も有しているのである。
(こんなに若いのになぜこの階級にいるのかだなんて、エレン自身の実力も高いのだろうけれども彼女がライズバーグの人間だからで説明がつくわね)
ライズバーグ辺境伯は代々、竜騎士団のトップに君臨する家系だ。
竜騎士団は建国当初から連綿と続いている歴史ある騎士団である。そしてライズバーグ家の人間は翼竜の扱いに長けており、翼竜の扱いと彼らを用いた戦術においては右に出る者はいないとされている。
きっと、イェーレも幼少の頃からその力の片鱗を見せて、磨き続けてきたのだろう。もちろん、母方の血筋の影響もあるかもしれないが。
「頼りにしているわ」
「お任せください」
それからまもなく馬車は王城に到着し、イェーレのエスコートを受けながら会場へと進む。入場直前、扉の前で待機している間にエリザベスは深呼吸を繰り返した。
デビュタントは10歳。夜会に参加できるのは16歳からで、エリザベスは17歳のため夜会等はまだ1年程度しか経験していない。昼間のお茶会もだが、夜会はより一層魔窟だ言う母の言葉通り、様々な年代が参加する夜会はいかに相手の腹を探るか、いかにして相手を出し抜くかが水面下で行われている。
正直、イェーレと共に会場入りすることもいらぬ憶測を呼ぶとは思っている。
けれどイェーレは背筋を伸ばし、まっすぐ扉を見つめていた。凛としたその姿は正しく騎士のそれだ。
別に、やましいものなぞない。イェーレは友人で、今は護衛騎士の立場だ。堂々とすればいい。
「エリザベス・フェーマス様、ならびにイェーレ・ライズバーグ様、ご入場!」
事情を知っているのだろう。すらりと出た衛兵のアナウンスと同時に扉が開かれ、イェーレが一歩、前に出るのに合わせてエリザベスも足を踏み出した。
しん、と静まり返った場内を堂々とふたりは歩く。案の定、ヒソヒソと珍獣を見るような目でこちらを見てくる者たちが多いがイェーレはいつもどおり無表情で、エリザベスは淑女の微笑みを浮かべたまま進むだけだ。
稀に、イェーレの胸元につけられている徽章と上衣の袖章に気づいて頬を引きつらせる貴人もいた。ライズバーグの名は伊達ではないのだ、となぜかエリザベスは自分のことのように誇らしく思う。
徐々に喧騒が戻りつつある中、壁際にほど近い場所で立ち止まった。
近くで給仕していたメイドはこちらを見て一瞬ギョッとしたものの、すぐに表情を取り繕った。年若いメイドだったので、まだ動じないように律することができなかったのだろう。
「エルのことですが…」
「分かっているわ」
イェルクとは公式の場では初対面だ。親しげに話すのはよろしくないだろうということは、エリザベスも分かっている。
エリザベスの返答に言いたいことを理解してもらっている、と分かったようでイェーレはこくりと頷いた。
「それから、この夜会の後に国王陛下よりお呼び出しがかかっています。頃合いを見てお連れします」
「ええ」
会場内にファンファーレが鳴り響く。どうやら、王族が登場するようだ。
エリザベスとイェーレは王族が現れる壇上へと向き直り佇まいを正すと、ゆっくりと頭を下げた。これは、場内にいるすべての貴人や給仕が行っている。
高らかに、衛兵が声をあげる。
「両陛下、レオナルド王太子殿下、イーリス殿下、メリーベル殿下、ならびに国賓ヴェラリオン皇国第一皇子イェルク殿下のご入場!!」
数人が歩く音が場内に響く。
やがて、国王の「面をあげよ」という声に応じてエリザベスたちは頭を上げて壇上を見上げた。
「皆の者、よく集まってくれた。本日より我が国が誇る学園に、交流のため留学してくれることとなったイェルク殿だ」
「ご紹介にあずかりました、イェルク・ヴェラリオンです。かの有名なクルーゼ学園で学べる機会をいただけたこと、とても嬉しく思います。短い期間ではありますが、どうぞよろしく」
あの中庭にいたイェルクだった。
衣装こそヴェラリオン皇国の伝統衣装だが、声も、あのきらきらとしたルビーのような瞳も変わりない。
いつもと違う様子のイェルクに、なぜかエリザベスの胸が高鳴った。どうしてかしら、とエリザベスは手に持っていた扇を握りしめる。
壇上にはイーリスもいるはずなのに、エリザベスの視界には入らない。
場内から万雷の拍手が鳴り響く。
エリザベスも合わせて拍手をしていると、場内に片手を上げて拍手に応えていたイェルクの視線がふとエリザベス付近で止まった。一瞬だけ、イェルクは眩しそうに目を細めて視線を逸らす。
(ああ…遠いわ)
いつものように、その瞳にわたくしを映してほしい、そばにいてほしいと、愚かにも願ってしまう。
「…え、あの…ミミィ?これは一体…」
いま、エリザベスは今夜開催される舞踏会に向けて準備を進めており、侍女のミミィにドレスを着せられていた。だが、このドレスは当初着る予定だったものではない。
淡い水色のこのドレスは一見派手ではない。だが、よくよく観察すれば随所に見られる金糸の刺繍や使われているレースは繊細で優美なもので、明らかに一流の職人の手によるものだった。こんな美しいドレスはいくら公爵家の令嬢と言えどここまでのドレスは作らせたことがなかった。
ミミィはテキパキとドレスを着付けながら、答える。
「はい。お嬢様への贈り物だそうで」
「贈り物?どなたから?」
「旦那様からは、エル様からだと言えばお嬢様は分かる、と仰っておりましたが…とてもよくお似合いです」
え、とエリザベスは思わず声を出した。
エル ―― イェルクから、ドレスが贈られた。サイズなんかは今夜着ていく予定だった最近仕立てたドレスから情報を得たのだろう。
こちらのアクセサリーもですよ、と続けてミミィから見せられたイヤリングとネックレスにエリザベスは目眩がした。
イヤリングは小ぶりな青緑色の宝石がはめ込まれており、一見するとイーリスの瞳の色に近かった。ネックレスはやや大ぶりのルビーを中心に周りに青緑色の宝石があしらわれており、チェーンはプラチナだ。デコルテに綺麗に映えるだろう。
ルビーはイェルクの瞳の色。つまり、察しのいい誰かが見ればこの装飾品はイーリスが贈ったものではないと分かるものだ。
今夜の舞踏会は、ヴェラリオン皇国からの留学生であるイェルク第一皇子を歓迎するためのものである。
「…大丈夫かしら」
「大丈夫ですよ。アクセサリーだけであれば、一般的な贈り物ですから。ヴェラリオン皇国の第一皇子様からともなれば公爵家としてもお断りすることはできませんし」
「そう…そうよね。ドレスは、誤魔化せばいいのだし…」
表面上はイーリスの婚約者のままなのだ。まだ、下手な噂を立てるわけにもいかない。
まだイーリスに伝えられていない状況のようだが、こういった夜会前にいつも贈られてくるドレス等の贈り物は一切こなかった。もう、心はレアーヌにだけあるのだろう。
エリザベスは小さくため息をつくと、ミミィに髪を結ってもらっている間に届けられた手紙に目を通すことにした。
会場である王城に向かう時間が迫る。
本来であれば(書類上はすでに婚約破棄しているとはいえ)イーリスがエスコートのために迎えにくるはずだが、先触れの手紙は来ていない。だが、ひとりだけエスコートなしに入場するのはよろしくない。エリザベスの兄にはすでに婚約者がおり、エスコートを頼むわけにもいかなかった。
どうしたものかと考えていたそのとき、部屋の呼び鈴の音がエリザベスの私室に届いた。
「ミミィ」
「はい」
ミミィが応対しに向かう。
エリザベスは読んでいた手紙をしまうと、目の前にある鏡を見つめた。ミミィの手腕はとても良い。ドレスやアクセサリーに合った化粧と髪型。最大限、自分の魅力を引き出してくれている。だが鏡の中に映るエリザベスの表情はやや曇っていた。
「お嬢様。ライズバーグ様より一緒に向かわないか、とお誘いが」
「…そうね。一緒に行くわ」
「お帰りになられた際は、お嬢様がお好きなダージリンティーをお淹れいたします」
「お願いね」
立ち上がり、扇を手に持って部屋の入り口に向かう。
キッチンダイニングを抜け、ミミィがさっとドアを開ければそこにはダークブルーの詰襟上衣に右肩から胸にかけて金糸の飾緒、白の下衣といった騎士の礼装を身に着けているイェソンが立っていた。
だが、ここは女子寮である。男子禁制となっており、よっぽどの理由がない限りは寮内に立ち入ることは許されないはずだった。
戸惑うエリザベスだったが、はたと気づく。目の前のイェソンは無表情でメガネをかけており、紺色の長い髪は後ろにひとつにまとめられている。そして身長がエリザベスと同じぐらい。
イェソンは、エリザベスがヒールを履いていることを差し引いてもエリザベスより頭ひとつ分は背が高いはずだった。
「…エレン?!」
「はい。お迎えに上がりました、エリザベス」
似ている兄妹だとは思っていたが、イェーレが男装するとここまで似るものなのかとエリザベスが驚愕している中、イェーレは胸に手を添えて、エリザベスに向けて白手袋をつけた手を差し出した。
「あの、エレン?」
「本日は私がエスコートいたします」
「え?え?」
「詳細は馬車でお話します。どうか、手を取っていただけないでしょうか」
どうしてイェーレが男装しているのか、とか、どうしてイェーレがエスコートの誘いをしてきたのか、とか色々と聞きたいことは多い。
だがイェーレ自身が馬車で理由を話すと言っているのだ。それに、ミミィがエリザベスに通したということはミミィは事前に知らされていた可能性が高い。
ちょっと疎外感を感じてしまったが、エリザベスはひとつため息をつくとそっと差し出されていたその手に自身の右手を乗せた。
「きちんとお話していただきますわよ」
「もちろん」
ずいぶんと手慣れた様子でイェーレはエリザベスを馬車までエスコートしていく。
すれ違う令嬢たちは「まあ、フェーマス様とても美しいわ」「ここ女子寮よね?どうして殿方が…」「エスコートしているあの殿方はライズバーグ様じゃない?」「あれ?でもあのメガネって…」とざわついている。変に注目されている気がしたが、それも目的なのかもしれないとエリザベスは淑女の仮面を被った。
ライズバーグ家の家紋が施された馬車に、イェーレに手を引かれて乗り込む。
小窓から御者に短く指示を出したイェーレに、さて、とエリザベスは眉根を寄せた。
「どういうことですの?」
「かんたんに言ってしまえば、あの王子にエリザベスをエスコートさせないためです」
「…え?」
「エスコートのために迎えに行こうとしていたんですよ。その先触れの手紙に気づいたミミィ殿が私の侍女に知らせてくださいまして。ああ、手紙は王太子殿下とお父上のフェーマス卿が立ち会いのもと、開封して不要だと返信済みです。最近、あの王子がエリザベスのことを婚約者として扱おうとしだしていまして。よっぽどお誘いを振られまくったのが堪えたみたいですね。はっ、ざまぁ」
無表情のまま鼻で笑ったイェーレにエリザベスは思わず苦笑いを浮かべた。
実は、エリザベスはイーリスから昼食やら茶会やら果ては人気カフェへの誘いを受けていたが、それを尽く断っている。
2週間前に初めてイーリスからの昼食からの誘いを振ってから、それはもうアプローチが凄かった。毎日のように現れては、あれはどうだ、これはどうだと聞いてくるのだ。
婚約者でなくなったことがバレたのか、と当初は考えていたが、どうも違うらしい。イェーレ曰く「男って逃げる獲物は追いかけたくなるみたいですよ」とのことだ。つまりは、あんなに尽くしてくれたエリザベスが素っ気なくなり始めたのに慌てているのだ。
「エリザベス宛にドレスとアクセサリーを贈っていました。でも同時にレアーヌにも贈ってるみたいで、バカの極みですよね」
「そうだったの?ミミィったら、エルからの贈り物しか言っていなかったから…」
「いまエリザベスが身につけているものすべてエルからのなのでご安心ください。ああ、そうそう。私がエリザベスをエスコートすることになった表向きの経緯ですが、エリザベスの護衛です。現時点では表向き、エリザベスは第二王子の婚約者ですから警護対象になるんですよ」
「…え?護衛?」
驚いて目を瞬かせると、イェーレはこくりと頷いた。
「これでも私、兄様と同じで正規の竜騎士ですので要人警護の資格は有しています。まだ学園を卒業していないので正式に竜騎士団に入団していませんが」
言いながら、イェーレは上衣の左胸につけられた徽章に触れた。第二王子妃としての教育で、団員の徽章と上衣の袖章が表す階級はひととおりエリザベスの頭の中に入っている。
これはプレヴェド王国が保有するすべての師団に共通することで、騎士、魔術師によって差異はない。階級は実力で判定されており、見習い、第三種、第二種、第一種、特種の5段階に分かれている。王室の身辺を警護する資格を保有できるのは第一種以上とされていた。
イェーレが身につけている徽章が表す階級は第二種だが、高位貴族の身辺警護ができる階級だ。エリザベスと同じ17歳の身でありながら、イェーレは戦場を駆ける資格も有しているのである。
(こんなに若いのになぜこの階級にいるのかだなんて、エレン自身の実力も高いのだろうけれども彼女がライズバーグの人間だからで説明がつくわね)
ライズバーグ辺境伯は代々、竜騎士団のトップに君臨する家系だ。
竜騎士団は建国当初から連綿と続いている歴史ある騎士団である。そしてライズバーグ家の人間は翼竜の扱いに長けており、翼竜の扱いと彼らを用いた戦術においては右に出る者はいないとされている。
きっと、イェーレも幼少の頃からその力の片鱗を見せて、磨き続けてきたのだろう。もちろん、母方の血筋の影響もあるかもしれないが。
「頼りにしているわ」
「お任せください」
それからまもなく馬車は王城に到着し、イェーレのエスコートを受けながら会場へと進む。入場直前、扉の前で待機している間にエリザベスは深呼吸を繰り返した。
デビュタントは10歳。夜会に参加できるのは16歳からで、エリザベスは17歳のため夜会等はまだ1年程度しか経験していない。昼間のお茶会もだが、夜会はより一層魔窟だ言う母の言葉通り、様々な年代が参加する夜会はいかに相手の腹を探るか、いかにして相手を出し抜くかが水面下で行われている。
正直、イェーレと共に会場入りすることもいらぬ憶測を呼ぶとは思っている。
けれどイェーレは背筋を伸ばし、まっすぐ扉を見つめていた。凛としたその姿は正しく騎士のそれだ。
別に、やましいものなぞない。イェーレは友人で、今は護衛騎士の立場だ。堂々とすればいい。
「エリザベス・フェーマス様、ならびにイェーレ・ライズバーグ様、ご入場!」
事情を知っているのだろう。すらりと出た衛兵のアナウンスと同時に扉が開かれ、イェーレが一歩、前に出るのに合わせてエリザベスも足を踏み出した。
しん、と静まり返った場内を堂々とふたりは歩く。案の定、ヒソヒソと珍獣を見るような目でこちらを見てくる者たちが多いがイェーレはいつもどおり無表情で、エリザベスは淑女の微笑みを浮かべたまま進むだけだ。
稀に、イェーレの胸元につけられている徽章と上衣の袖章に気づいて頬を引きつらせる貴人もいた。ライズバーグの名は伊達ではないのだ、となぜかエリザベスは自分のことのように誇らしく思う。
徐々に喧騒が戻りつつある中、壁際にほど近い場所で立ち止まった。
近くで給仕していたメイドはこちらを見て一瞬ギョッとしたものの、すぐに表情を取り繕った。年若いメイドだったので、まだ動じないように律することができなかったのだろう。
「エルのことですが…」
「分かっているわ」
イェルクとは公式の場では初対面だ。親しげに話すのはよろしくないだろうということは、エリザベスも分かっている。
エリザベスの返答に言いたいことを理解してもらっている、と分かったようでイェーレはこくりと頷いた。
「それから、この夜会の後に国王陛下よりお呼び出しがかかっています。頃合いを見てお連れします」
「ええ」
会場内にファンファーレが鳴り響く。どうやら、王族が登場するようだ。
エリザベスとイェーレは王族が現れる壇上へと向き直り佇まいを正すと、ゆっくりと頭を下げた。これは、場内にいるすべての貴人や給仕が行っている。
高らかに、衛兵が声をあげる。
「両陛下、レオナルド王太子殿下、イーリス殿下、メリーベル殿下、ならびに国賓ヴェラリオン皇国第一皇子イェルク殿下のご入場!!」
数人が歩く音が場内に響く。
やがて、国王の「面をあげよ」という声に応じてエリザベスたちは頭を上げて壇上を見上げた。
「皆の者、よく集まってくれた。本日より我が国が誇る学園に、交流のため留学してくれることとなったイェルク殿だ」
「ご紹介にあずかりました、イェルク・ヴェラリオンです。かの有名なクルーゼ学園で学べる機会をいただけたこと、とても嬉しく思います。短い期間ではありますが、どうぞよろしく」
あの中庭にいたイェルクだった。
衣装こそヴェラリオン皇国の伝統衣装だが、声も、あのきらきらとしたルビーのような瞳も変わりない。
いつもと違う様子のイェルクに、なぜかエリザベスの胸が高鳴った。どうしてかしら、とエリザベスは手に持っていた扇を握りしめる。
壇上にはイーリスもいるはずなのに、エリザベスの視界には入らない。
場内から万雷の拍手が鳴り響く。
エリザベスも合わせて拍手をしていると、場内に片手を上げて拍手に応えていたイェルクの視線がふとエリザベス付近で止まった。一瞬だけ、イェルクは眩しそうに目を細めて視線を逸らす。
(ああ…遠いわ)
いつものように、その瞳にわたくしを映してほしい、そばにいてほしいと、愚かにも願ってしまう。
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乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました。神様によると、婚約者の王太子に断罪されて極北の修道院に幽閉され、30歳を前にして死んでしまう設定は変えられないそうです。さて、それでも幸せになるにはどうしたら良いでしょうか?(2/16 完結。カテゴリーを恋愛に変更しました。)
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