29 / 48
モブ令嬢イェーレ
05. そうしてやってきた運命の日
しおりを挟む
どうも、イェーレ・ライズバーグです。
ただいまお母様に連行されて、応接室にいます。
ニコニコのお母様の隣には困惑した様子のお父様、私の隣には「何やらかしたんだ」って顔の兄様。
ちなみに室内は人払いされており、他に誰もいません。
「フィーネ、エレンがどうかしたのかい?」
「そうねぇ。まずはエレンちゃん」
「……はい」
「いつから?」
手に汗がじわっと広がった。
お母様はおっとりしているが、不在がちなお父様に代わってライズバーグ領を守る女主人だ。
あと、何万回も聞かされたけど、お母様は結婚申込みのときにお父様と決闘して、お父様に勝ってお父様と結婚している。当時学生の身分だったとはいえ、第一種資格を所有していた正規の竜騎士が、負けた。精霊魔法も使わないお母様に。
元ヴェラリオン第一皇女のお母様の実力は計り知れないのである。
そんなお母様に嘘を吐き続けられるかというと、否だ。
「……真名を、もらった日に」
「まぁ、どういう前世だったの?」
「「前世!?」」
「ここよりは科学技術が発達していて、精霊も魔法も想像上にしか存在しない世界で。この世界は乙女ゲームっていう恋愛シミュレーションゲーム…まあ、本の中に自己投影して疑似恋愛するみたいな感じ?の舞台になっていて…前世の私は、そのゲームをプレイしたことがある」
お父様と兄様がぽかんと口を開けている。
お母様は「そうなの~」といつものおっとりした感じだ。
ひとつため息を吐いて「ノートを持ってきても?」と聞けば、お母様はにっこり笑って頷いた。
この世界で前世持ちは過去に事例はあるものの、異端扱いされる国も多い。
ここプレヴェド王国もそのうちのひとつだ。だから私は家族にも黙っていた。
ただ、うちはお母様の祖国ヴェラリオン皇国の風習や見方が強いので受け入れやすかったのだと思う。ヴェラリオン皇国には、前世持ちを異端扱いする風習はない。
こういう、異世界転生したときって、大抵前世の記憶は薄れていくものだ。
私も例に漏れず、あれほどやり込んだゲームの内容はほとんど覚えていない。
だから私は、記憶が戻ってから分かる範囲ですべてノートにまとめた。精霊言語と呼ばれる特種な言語で記述したので、誰かに見られても内容を読み取られる可能性は非常に低い。
ここではヴェラリオンの血を引くお母様、兄様、私以外は誰も読めないのだ。
部屋に戻って、隠してあったノートを持って応接室に戻る。
それをお母様に手渡せば、お母様はパラパラとノートをめくって速読した。
「…なるほど~、王太子殿下も攻略対象者だったのねぇ。もしかしてエレンちゃんが王太子殿下との婚約を断ったのも、それもあるのかしら?」
「半分は。でも、お父様みたいな立派な竜騎士になりたいのに、王太子妃教育と並行してやったら達成できないからっていう理由も本当」
「エレン…!そんな立派になって…!」
「そうよねぇ、シュートさんはカッコいいものねぇ。ということは、エレンちゃんはそのシナリオが崩壊して、王太子妃の教育さえなんとかなれば別に王太子殿下と婚約しても問題はないのね?」
「うん…?まあ、たぶん…」
正直あんまり勉強は好きじゃない。体を動かす方が好きだ。
確かに殿下のことは好きだ。かといって殿下のために何でもできるかと言われると微妙。
私の濁した答えでも、お母様には良い返答だったようだ。
嬉しそうな表情を浮かべたあと、静かにソファから立ち上がる。
「エレンちゃん、対策を立てたいからこのノート借りてもいいかしら?」
「あ、うん。いいよ」
「シュートさん、ちょっと付き合ってくださる?」
「もちろん、いいとも」
お父様にエスコートされて、ふたりとも応接室から出ていく。
私もそろそろ戻るか…と立ち上がろうとしたとき、不意に兄様が呟いた。
「お前のその口調、前世由来だったのか」
「そうだね」
「はー…どおりで直らないと」
「殿下には言わないでよ、私が前世持ちだってこと。ただでさえ笑えない、邪神と似たような色合い持ち、ヴェラリオン皇族の母親持ちってことで設定マシマシなんだから」
「言わねーよ。…で、俺にもそのシナリオってやつ聞かせてもらえるか?」
「いいよ」
家族に前世持ちだってことを暴露してから、数日後には私も兄様も学園に戻っていた。
殿下に魔道具について聞かれて思わず謝ったけど、殿下はふと微笑んで「無事で良かった」とだけ。その微笑みに心臓が高鳴った気がしたけど、ひとまずスルー。
兄様は殿下の護衛として傍に付き、私は相変わらずストーカーを引き連れて授業を受ける。
目に見えて変化が出始めたのは、雨月の下旬頃。
イーリス殿下が、昼休みにエリザベス様を昼食に誘うことがめっきり減った。代わりにクランク嬢と一緒に昼食をとっているようだ。
たまたま殿下から「エルとも話したい」と誘いがあって、食堂の個室に足を踏み入れ、目に入った光景に思わずその場で足を止めた。
ずぅん、と暗い雰囲気の殿下と兄様。エルも『…レオまでこんな状態ってマズい状況なんじゃないか?』と困惑した声で呟く。
エルの声で入ってきたことにようやく気づいたのだろう。顔を上げた殿下は苦笑いを浮かべた。
「座ってくれ。まあ、この雰囲気のことは…食べながら話そうか」
給仕担当のメイドや執事に手を上げると、席へ案内される。
私たちの到着に合わせて準備されたのだろう、手早く並べられた昼食は学食にあるちょっとお高いメニューだ。
必要最低限の準備をした給仕たちは、一礼して部屋の外に出ていく。用があるときはテーブルの上にあるベルを鳴らせばいい。
そうして、兄様も席について話された内容は。
「……横領ですか」
「そう。イーリスがな…エリザベス嬢用の予算を、とある令嬢に使っているらしい」
横領は王族でも重罪だ。
エリザベス様のお父君であるフェーマス公爵は外交を担当するお方で、その手腕は国内外で評価されているほどの敏腕。
後々、殿下を支えるために外交を任される予定だったイーリス殿下が横領なんて悪事に手を染めるだなんて…。
え、もしかしてゲームのあの贈り物のお金もここから?うわ、推しじゃないけどなんかショック。
せめて私費だったらまだしも、婚約者への贈答用予算からって。えぇ…。
「証拠は出揃ってるんですよね?ぶっ叩けば良いのでは?」
「エレン」
「……自室待機等、しかるべき処罰があるべきとは思いますが」
『そのクセ、直ってないんだな…』
「やかましいストーカー」
『おい!』
「ふふ…うん、まあそうなんだけど。ちょっと泳がそうと思ってて」
殿下曰く。
この横領を始めたのがついこの間のようで、まだ回数が少ないらしい。このままだと厳重注意で終わってしまいそうなので、しばらく泳がせるとのことだ。
……あれ、殿下って第二王子とそんなに仲が悪かったっけ?
「可もなく不可もなく、といったところだよ」
「えっ」
『声に出てたぞ』
「マジか」
「エレン」
「うぐ……気をつけマス」
兄様が盛大にため息を吐く。
殿下はくすくすと笑うと「大丈夫」と告げた。
「ヒントは十分に与えているから、後はイーリス次第だよ。一時の愚者となるか、犯罪者となるかは」
……わぁ。
声が出てしまったのには気づいたけど、仕方ない。
だって殿下、とってもいい笑顔だから。
『…レオは敵に回したくないな』
「…うん」
それから、更に月日は流れて。
運命の秋月の24日。
もうこの頃には、バカ王子――イーリス殿下なんてバカ王子でいい――とヒロインであるダンフォール嬢の仲は学園中が知っている。
我がクラスでも表立って噂はしないものの、エリザベス様を気にかけているクラスメイトは多い。
エリザベス様はなんでもない風に振る舞っているけど、時折物憂げな表情を浮かべたりしている。
ゲームでは悪役令嬢として苛烈な性格が目立つエリザベス様だけど、あのイベントが起こるまでは皆の手本になる淑女だったんだよ。絶対。今だってそうだもの。
よくよく考えたら、ヒロインヤバくない?人様の婚約者寝取ってるんだよ?ヤバくない??
ていうかバカ王子もあり得ないでしょ??
お昼休みに入って、エリザベス様はクランク嬢を待たずに席を立ってどこかに向かった。
私の傍にいる分体のエルは、心配そうにうろついていた。「僕だったら彼女のことをこんなに悲しませないのに…」とほざいているが、このストーカーっぷりを考えると恐らくよそ見せずにエリザベス様のことを溺愛し続けるだろう。
何も知らないクランク嬢が教室に顔を出し、エリザベス様がいないことに困惑している。
時計を見る。エリザベス様が出ていった時間と、イーリスとレアーヌが真名を呼び合いながらキスをするイベントが発生する教室への移動時間。
そこから考えると、目撃したエリザベス様が、ショックを受けて誰もいない西棟の中庭へ逃げ出したのは今頃だろう。
「彼女、今頃あの西棟の中庭で泣いてるのかしら」
食べかけの弁当をぼんやりと眺めながら、ぽつりと呟いた声は、教室内のざわめきに紛れて誰にも聞こえない。
はずだった。
『どういうこと?いや、それは後ででいい。エレン、そこへ行こう。今すぐに!』
考えに没頭してエルの存在をすっかり忘れていた。エルは普段、声を発しない。姿と違って周囲に聞こえるからだ。
私の腕を引っ張って立ち上がらせようとするエルに小声で「ちょっと待て」と宥める。あんたが何かに触って動かすと、ポルターガイストになるから止めなさい。
幸いにも、エルの声に気づいた人はいないようだ。
弁当を片付けてから教室を飛び出す。何人かのクラスメイトは、普段の私らしからぬ様子にちょっと驚いた様子だった。
私自身も、ゲームをプレイしていたときからずっと気になっていたのだ。
ヒロインのイベントとは別に、幕間という形で流れるこの悪役令嬢側のストーリー。もちろん、エリザベス様だけじゃなくて王太子ルートの場合はクランク嬢のもあった。
クランク嬢の場合は悪役というよりは「あなたが王太子妃になるの?ならその資格があるか、見定めてあげる」という試練役。でも、エリザベス嬢は本当にヒロインに危害を加えようとする悪役だ。
きっかけが政略とはいえ、婚約者として恋心を抱いた相手が、自分を蔑ろにしてヒロインに心変わりするんだよ。その時点でちゃんと、「心変わりしてしまった」とエリザベス様に相談していたらきっと、エリザベス様もあそこまで狂わなかったと思う。
エリザベス様に私は感情移入してしまったのだろう、私はゲームでもイーリス第二王子は好きじゃなかった。他のルートと違ってただ淡々と、スチルを集めるためにプレイしていたと思う。
西棟の中庭についた。
エルはするすると、ガゼボのところへ進んでいく。私もその後ろについて、こっそり覗き込んだ。
「う…うぅ…」
ボロボロと涙をこぼしながらも、声をあげまいと唇を噛んでいるエリザベス様の姿がそこにあった。
まさにそれは、ゲームで見たあのスチルで。
このままでは、エリザベス様はきっとゲームと同じように、嫉妬に狂ってヒロインを攻撃してしまう。それはダメだと、思わず足を踏み込んだそのときだった。
『ねえ』
エルが、エリザベス様の前に立っている。
その様子はエリザベス様には見えないようで、突然聞こえた声に驚いて顔を上げ、キョロキョロと辺りを見回していた。
『大丈夫?』
「え、あ…」
『ああ、だいぶ目元がはれてるね。しばらくココにいたほうがいいかも』
「そ、そんなに、ひどいですか…?」
『うん』
すごく、愛おしそうにエリザベス様を見つめている。
ずっとエリザベス様に話しかけたかったから、念願かなったという感じだろう。
「あなたは…」
『僕?僕は…まあ、精霊みたいなものかな』
「精霊…!?」
『そう。まあ、気軽にエルって呼んでよ』
クスクスとエルが笑う。エリザベス様が「エル様」と小さな声で呟けば「なぁに?」とでろっでろに甘い声で返した。
いやまあ…うん、精霊…そうだけどさぁ…。
出るに出れず、様子見をしているとエルの手がエリザベス様の目元に触れる。
あんにゃろう。
『泣いている君も美しかったけれど、やっぱり泣き止んでいる方がいいね。笑ってくれるとなお嬉しいけど。なにか悲しいことでもあったの?もしよければ、僕が聞くよ』
「エル様にそんな…」
あ、ダメだこれ。
私は小さくため息を吐いて、自分の体を周囲に溶け込ませる。
私も一応、精霊族の末裔だ。こういったことも訓練してできるようになっている。
『いきなり話してごらんなんて言われても話せないでしょうよ』
そうして私は、精霊エレンとしてエリザベス様の前に姿を現したのだ。
ただいまお母様に連行されて、応接室にいます。
ニコニコのお母様の隣には困惑した様子のお父様、私の隣には「何やらかしたんだ」って顔の兄様。
ちなみに室内は人払いされており、他に誰もいません。
「フィーネ、エレンがどうかしたのかい?」
「そうねぇ。まずはエレンちゃん」
「……はい」
「いつから?」
手に汗がじわっと広がった。
お母様はおっとりしているが、不在がちなお父様に代わってライズバーグ領を守る女主人だ。
あと、何万回も聞かされたけど、お母様は結婚申込みのときにお父様と決闘して、お父様に勝ってお父様と結婚している。当時学生の身分だったとはいえ、第一種資格を所有していた正規の竜騎士が、負けた。精霊魔法も使わないお母様に。
元ヴェラリオン第一皇女のお母様の実力は計り知れないのである。
そんなお母様に嘘を吐き続けられるかというと、否だ。
「……真名を、もらった日に」
「まぁ、どういう前世だったの?」
「「前世!?」」
「ここよりは科学技術が発達していて、精霊も魔法も想像上にしか存在しない世界で。この世界は乙女ゲームっていう恋愛シミュレーションゲーム…まあ、本の中に自己投影して疑似恋愛するみたいな感じ?の舞台になっていて…前世の私は、そのゲームをプレイしたことがある」
お父様と兄様がぽかんと口を開けている。
お母様は「そうなの~」といつものおっとりした感じだ。
ひとつため息を吐いて「ノートを持ってきても?」と聞けば、お母様はにっこり笑って頷いた。
この世界で前世持ちは過去に事例はあるものの、異端扱いされる国も多い。
ここプレヴェド王国もそのうちのひとつだ。だから私は家族にも黙っていた。
ただ、うちはお母様の祖国ヴェラリオン皇国の風習や見方が強いので受け入れやすかったのだと思う。ヴェラリオン皇国には、前世持ちを異端扱いする風習はない。
こういう、異世界転生したときって、大抵前世の記憶は薄れていくものだ。
私も例に漏れず、あれほどやり込んだゲームの内容はほとんど覚えていない。
だから私は、記憶が戻ってから分かる範囲ですべてノートにまとめた。精霊言語と呼ばれる特種な言語で記述したので、誰かに見られても内容を読み取られる可能性は非常に低い。
ここではヴェラリオンの血を引くお母様、兄様、私以外は誰も読めないのだ。
部屋に戻って、隠してあったノートを持って応接室に戻る。
それをお母様に手渡せば、お母様はパラパラとノートをめくって速読した。
「…なるほど~、王太子殿下も攻略対象者だったのねぇ。もしかしてエレンちゃんが王太子殿下との婚約を断ったのも、それもあるのかしら?」
「半分は。でも、お父様みたいな立派な竜騎士になりたいのに、王太子妃教育と並行してやったら達成できないからっていう理由も本当」
「エレン…!そんな立派になって…!」
「そうよねぇ、シュートさんはカッコいいものねぇ。ということは、エレンちゃんはそのシナリオが崩壊して、王太子妃の教育さえなんとかなれば別に王太子殿下と婚約しても問題はないのね?」
「うん…?まあ、たぶん…」
正直あんまり勉強は好きじゃない。体を動かす方が好きだ。
確かに殿下のことは好きだ。かといって殿下のために何でもできるかと言われると微妙。
私の濁した答えでも、お母様には良い返答だったようだ。
嬉しそうな表情を浮かべたあと、静かにソファから立ち上がる。
「エレンちゃん、対策を立てたいからこのノート借りてもいいかしら?」
「あ、うん。いいよ」
「シュートさん、ちょっと付き合ってくださる?」
「もちろん、いいとも」
お父様にエスコートされて、ふたりとも応接室から出ていく。
私もそろそろ戻るか…と立ち上がろうとしたとき、不意に兄様が呟いた。
「お前のその口調、前世由来だったのか」
「そうだね」
「はー…どおりで直らないと」
「殿下には言わないでよ、私が前世持ちだってこと。ただでさえ笑えない、邪神と似たような色合い持ち、ヴェラリオン皇族の母親持ちってことで設定マシマシなんだから」
「言わねーよ。…で、俺にもそのシナリオってやつ聞かせてもらえるか?」
「いいよ」
家族に前世持ちだってことを暴露してから、数日後には私も兄様も学園に戻っていた。
殿下に魔道具について聞かれて思わず謝ったけど、殿下はふと微笑んで「無事で良かった」とだけ。その微笑みに心臓が高鳴った気がしたけど、ひとまずスルー。
兄様は殿下の護衛として傍に付き、私は相変わらずストーカーを引き連れて授業を受ける。
目に見えて変化が出始めたのは、雨月の下旬頃。
イーリス殿下が、昼休みにエリザベス様を昼食に誘うことがめっきり減った。代わりにクランク嬢と一緒に昼食をとっているようだ。
たまたま殿下から「エルとも話したい」と誘いがあって、食堂の個室に足を踏み入れ、目に入った光景に思わずその場で足を止めた。
ずぅん、と暗い雰囲気の殿下と兄様。エルも『…レオまでこんな状態ってマズい状況なんじゃないか?』と困惑した声で呟く。
エルの声で入ってきたことにようやく気づいたのだろう。顔を上げた殿下は苦笑いを浮かべた。
「座ってくれ。まあ、この雰囲気のことは…食べながら話そうか」
給仕担当のメイドや執事に手を上げると、席へ案内される。
私たちの到着に合わせて準備されたのだろう、手早く並べられた昼食は学食にあるちょっとお高いメニューだ。
必要最低限の準備をした給仕たちは、一礼して部屋の外に出ていく。用があるときはテーブルの上にあるベルを鳴らせばいい。
そうして、兄様も席について話された内容は。
「……横領ですか」
「そう。イーリスがな…エリザベス嬢用の予算を、とある令嬢に使っているらしい」
横領は王族でも重罪だ。
エリザベス様のお父君であるフェーマス公爵は外交を担当するお方で、その手腕は国内外で評価されているほどの敏腕。
後々、殿下を支えるために外交を任される予定だったイーリス殿下が横領なんて悪事に手を染めるだなんて…。
え、もしかしてゲームのあの贈り物のお金もここから?うわ、推しじゃないけどなんかショック。
せめて私費だったらまだしも、婚約者への贈答用予算からって。えぇ…。
「証拠は出揃ってるんですよね?ぶっ叩けば良いのでは?」
「エレン」
「……自室待機等、しかるべき処罰があるべきとは思いますが」
『そのクセ、直ってないんだな…』
「やかましいストーカー」
『おい!』
「ふふ…うん、まあそうなんだけど。ちょっと泳がそうと思ってて」
殿下曰く。
この横領を始めたのがついこの間のようで、まだ回数が少ないらしい。このままだと厳重注意で終わってしまいそうなので、しばらく泳がせるとのことだ。
……あれ、殿下って第二王子とそんなに仲が悪かったっけ?
「可もなく不可もなく、といったところだよ」
「えっ」
『声に出てたぞ』
「マジか」
「エレン」
「うぐ……気をつけマス」
兄様が盛大にため息を吐く。
殿下はくすくすと笑うと「大丈夫」と告げた。
「ヒントは十分に与えているから、後はイーリス次第だよ。一時の愚者となるか、犯罪者となるかは」
……わぁ。
声が出てしまったのには気づいたけど、仕方ない。
だって殿下、とってもいい笑顔だから。
『…レオは敵に回したくないな』
「…うん」
それから、更に月日は流れて。
運命の秋月の24日。
もうこの頃には、バカ王子――イーリス殿下なんてバカ王子でいい――とヒロインであるダンフォール嬢の仲は学園中が知っている。
我がクラスでも表立って噂はしないものの、エリザベス様を気にかけているクラスメイトは多い。
エリザベス様はなんでもない風に振る舞っているけど、時折物憂げな表情を浮かべたりしている。
ゲームでは悪役令嬢として苛烈な性格が目立つエリザベス様だけど、あのイベントが起こるまでは皆の手本になる淑女だったんだよ。絶対。今だってそうだもの。
よくよく考えたら、ヒロインヤバくない?人様の婚約者寝取ってるんだよ?ヤバくない??
ていうかバカ王子もあり得ないでしょ??
お昼休みに入って、エリザベス様はクランク嬢を待たずに席を立ってどこかに向かった。
私の傍にいる分体のエルは、心配そうにうろついていた。「僕だったら彼女のことをこんなに悲しませないのに…」とほざいているが、このストーカーっぷりを考えると恐らくよそ見せずにエリザベス様のことを溺愛し続けるだろう。
何も知らないクランク嬢が教室に顔を出し、エリザベス様がいないことに困惑している。
時計を見る。エリザベス様が出ていった時間と、イーリスとレアーヌが真名を呼び合いながらキスをするイベントが発生する教室への移動時間。
そこから考えると、目撃したエリザベス様が、ショックを受けて誰もいない西棟の中庭へ逃げ出したのは今頃だろう。
「彼女、今頃あの西棟の中庭で泣いてるのかしら」
食べかけの弁当をぼんやりと眺めながら、ぽつりと呟いた声は、教室内のざわめきに紛れて誰にも聞こえない。
はずだった。
『どういうこと?いや、それは後ででいい。エレン、そこへ行こう。今すぐに!』
考えに没頭してエルの存在をすっかり忘れていた。エルは普段、声を発しない。姿と違って周囲に聞こえるからだ。
私の腕を引っ張って立ち上がらせようとするエルに小声で「ちょっと待て」と宥める。あんたが何かに触って動かすと、ポルターガイストになるから止めなさい。
幸いにも、エルの声に気づいた人はいないようだ。
弁当を片付けてから教室を飛び出す。何人かのクラスメイトは、普段の私らしからぬ様子にちょっと驚いた様子だった。
私自身も、ゲームをプレイしていたときからずっと気になっていたのだ。
ヒロインのイベントとは別に、幕間という形で流れるこの悪役令嬢側のストーリー。もちろん、エリザベス様だけじゃなくて王太子ルートの場合はクランク嬢のもあった。
クランク嬢の場合は悪役というよりは「あなたが王太子妃になるの?ならその資格があるか、見定めてあげる」という試練役。でも、エリザベス嬢は本当にヒロインに危害を加えようとする悪役だ。
きっかけが政略とはいえ、婚約者として恋心を抱いた相手が、自分を蔑ろにしてヒロインに心変わりするんだよ。その時点でちゃんと、「心変わりしてしまった」とエリザベス様に相談していたらきっと、エリザベス様もあそこまで狂わなかったと思う。
エリザベス様に私は感情移入してしまったのだろう、私はゲームでもイーリス第二王子は好きじゃなかった。他のルートと違ってただ淡々と、スチルを集めるためにプレイしていたと思う。
西棟の中庭についた。
エルはするすると、ガゼボのところへ進んでいく。私もその後ろについて、こっそり覗き込んだ。
「う…うぅ…」
ボロボロと涙をこぼしながらも、声をあげまいと唇を噛んでいるエリザベス様の姿がそこにあった。
まさにそれは、ゲームで見たあのスチルで。
このままでは、エリザベス様はきっとゲームと同じように、嫉妬に狂ってヒロインを攻撃してしまう。それはダメだと、思わず足を踏み込んだそのときだった。
『ねえ』
エルが、エリザベス様の前に立っている。
その様子はエリザベス様には見えないようで、突然聞こえた声に驚いて顔を上げ、キョロキョロと辺りを見回していた。
『大丈夫?』
「え、あ…」
『ああ、だいぶ目元がはれてるね。しばらくココにいたほうがいいかも』
「そ、そんなに、ひどいですか…?」
『うん』
すごく、愛おしそうにエリザベス様を見つめている。
ずっとエリザベス様に話しかけたかったから、念願かなったという感じだろう。
「あなたは…」
『僕?僕は…まあ、精霊みたいなものかな』
「精霊…!?」
『そう。まあ、気軽にエルって呼んでよ』
クスクスとエルが笑う。エリザベス様が「エル様」と小さな声で呟けば「なぁに?」とでろっでろに甘い声で返した。
いやまあ…うん、精霊…そうだけどさぁ…。
出るに出れず、様子見をしているとエルの手がエリザベス様の目元に触れる。
あんにゃろう。
『泣いている君も美しかったけれど、やっぱり泣き止んでいる方がいいね。笑ってくれるとなお嬉しいけど。なにか悲しいことでもあったの?もしよければ、僕が聞くよ』
「エル様にそんな…」
あ、ダメだこれ。
私は小さくため息を吐いて、自分の体を周囲に溶け込ませる。
私も一応、精霊族の末裔だ。こういったことも訓練してできるようになっている。
『いきなり話してごらんなんて言われても話せないでしょうよ』
そうして私は、精霊エレンとしてエリザベス様の前に姿を現したのだ。
162
あなたにおすすめの小説
【完結】悪役令嬢だったみたいなので婚約から回避してみた
22時完結
恋愛
春風に彩られた王国で、名門貴族ロゼリア家の娘ナタリアは、ある日見た悪夢によって人生が一変する。夢の中、彼女は「悪役令嬢」として婚約を破棄され、王国から追放される未来を目撃する。それを避けるため、彼女は最愛の王太子アレクサンダーから距離を置き、自らを守ろうとするが、彼の深い愛と執着が彼女の運命を変えていく。
シナリオ通り追放されて早死にしましたが幸せでした
黒姫
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました。神様によると、婚約者の王太子に断罪されて極北の修道院に幽閉され、30歳を前にして死んでしまう設定は変えられないそうです。さて、それでも幸せになるにはどうしたら良いでしょうか?(2/16 完結。カテゴリーを恋愛に変更しました。)
【完結】ヒロインに転生しましたが、モブのイケオジが好きなので、悪役令嬢の婚約破棄を回避させたつもりが、やっぱり婚約破棄されている。
樹結理(きゆり)
恋愛
「アイリーン、貴女との婚約は破棄させてもらう」
大勢が集まるパーティの場で、この国の第一王子セルディ殿下がそう宣言した。
はぁぁあ!? なんでどうしてそうなった!!
私の必死の努力を返してー!!
乙女ゲーム『ラベルシアの乙女』の世界に転生してしまった日本人のアラサー女子。
気付けば物語が始まる学園への入学式の日。
私ってヒロインなの!?攻略対象のイケメンたちに囲まれる日々。でも!私が好きなのは攻略対象たちじゃないのよー!!
私が好きなのは攻略対象でもなんでもない、物語にたった二回しか出てこないイケオジ!
所謂モブと言っても過言ではないほど、関わることが少ないイケオジ。
でもでも!せっかくこの世界に転生出来たのなら何度も見たイケメンたちよりも、レアなイケオジを!!
攻略対象たちや悪役令嬢と友好的な関係を築きつつ、悪役令嬢の婚約破棄を回避しつつ、イケオジを狙う十六歳、侯爵令嬢!
必死に悪役令嬢の婚約破棄イベントを回避してきたつもりが、なんでどうしてそうなった!!
やっぱり婚約破棄されてるじゃないのー!!
必死に努力したのは無駄足だったのか!?ヒロインは一体誰と結ばれるのか……。
※この物語は作者の世界観から成り立っております。正式な貴族社会をお望みの方はご遠慮ください。
※この作品は小説家になろう、カクヨムで完結済み。
婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた
夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。
そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。
婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。
【完結】私ですか?ただの令嬢です。
凛 伊緒
恋愛
死んで転生したら、大好きな乙女ゲーの世界の悪役令嬢だった!?
バッドエンドだらけの悪役令嬢。
しかし、
「悪さをしなければ、最悪な結末は回避出来るのでは!?」
そう考え、ただの令嬢として生きていくことを決意する。
運命を変えたい主人公の、バッドエンド回避の物語!
※完結済です。
※作者がシステムに不慣れかつ創作初心者な時に書いたものなので、温かく見守っていだければ幸いです……(。_。///)
※ご感想・ご指摘につきましては、近況ボードをお読みくださいませ。
《皆様のご愛読に、心からの感謝を申し上げますm(*_ _)m》
『二流』と言われて婚約破棄されたので、ざまぁしてやります!
志熊みゅう
恋愛
「どうして君は何をやらせても『二流』なんだ!」
皇太子レイモン殿下に、公衆の面前で婚約破棄された侯爵令嬢ソフィ。皇妃の命で地味な装いに徹し、妃教育にすべてを捧げた五年間は、あっさり否定された。それでも、ソフィはくじけない。婚約破棄をきっかけに、学生生活を楽しむと決めた彼女は、一気にイメチェン、大好きだったヴァイオリンを再開し、成績も急上昇!気づけばファンクラブまでできて、学生たちの注目の的に。
そして、音楽を通して親しくなった隣国の留学生・ジョルジュの正体は、なんと……?
『二流』と蔑まれた令嬢が、“恋”と“努力”で見返す爽快逆転ストーリー!
悪役令嬢はモブ化した
F.conoe
ファンタジー
乙女ゲーム? なにそれ食べ物? な悪役令嬢、普通にシナリオ負けして退場しました。
しかし貴族令嬢としてダメの烙印をおされた卒業パーティーで、彼女は本当の自分を取り戻す!
領地改革にいそしむ充実した日々のその裏で、乙女ゲームは着々と進行していくのである。
「……なんなのこれは。意味がわからないわ」
乙女ゲームのシナリオはこわい。
*注*誰にも前世の記憶はありません。
ざまぁが地味だと思っていましたが、オーバーキルだという意見もあるので、優しい結末を期待してる人は読まない方が良さげ。
性格悪いけど自覚がなくて自分を優しいと思っている乙女ゲームヒロインの心理描写と因果応報がメインテーマ(番外編で登場)なので、叩かれようがざまぁ改変して救う気はない。
作者の趣味100%でダンジョンが出ました。
婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?
こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。
「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」
そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。
【毒を検知しました】
「え?」
私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。
※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる