Schwarzrose -囚われの黒い薔薇-

蒼桜月薔薇

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第一章 決意

10話◆迎えの車

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 夜風が辺りを包む中、一台の黒いセダンが静かに停車した。
 車のドアが開くと長身の男が降り立ち、華夜の前に歩み寄った。
 男は静かに一礼し、後部座席の扉を開ける。

「こんな夜遅くに呼び出してごめんなさい」
「お気になさらず。お嬢様のためであれば、いつ何時でも駆けつけるのがこの榊の務めです」
「ありがとう、榊」

 男は気分を害したような様子もなく、穏やかに微笑む。
 華夜はメフィストフェレスとともに車内へと身を沈めた。
 榊は車の扉を静かに閉めると無駄のない動きで運転席に戻り、視線を前に向けたまま穏やかな声で問うた。

「お嬢様、どちらまでお送り致しましょうか?」

 その声にはどこか無駄な探りを避けるような慎ましさがあった。

 華夜は黙り込んだ後、ほんの少し困ったような表情を浮かべながら口を開いた。

「……ごめんなさい。まだどこへ向かうべきか決め兼ねていて……」

 八尋は表向きには荘厳な屋敷でに暮らしていたが、その実、各地にいくつもの隠れ家を持っている。
 それらはどれも、誰にも知られぬよう静かに佇む場所だ。

 だが、今から向かう隠れ家は時間を考えるとそう遠くない場所が最適だろう。
 自分自身が、どこか静かな場所で少しだけ休息できる時間を必要としていることに華夜は気付いていた。

「……洋館はあるのか?」

 黙っていたメフィストフェレスはぶっきらぼうに榊に問いかけた。
 男はルームミラー越しに、メフィストフェレスと目を合わせる。
 華夜を迎えに来た男の年は二十代後半だろうか。

 聡慧な顔立ちで、すらりとした高い背と違和感ひとつなく着こなした高級スーツ。
 鷹のように鋭い目付きはすべてを見透かすかのように、メフィストフェレスに注がれていた。

「……お嬢様」

 はなからメフィストフェレスの意見など聞く気はないらしい。
 彼はただ忠実に、華夜の指示を待ち続けている。
 だが、メフィストフェレスがそのことに対して気分を害したような様子はない。
 華夜はしばらく思案すると、榊に返答した。

「確か、山奥に洋館が一件あったわよね? そこに行ってもらえるかしら」
「かしこまりました」

 榊はエンジンを掛けると、ゆっくりと車を発信させる。

「院長は県外へ行かれているということでしたので、明日の朝、こちらの都合でお迎えに上がったと直接お伝えさせて頂きます。それから、お嬢様の居場所は〝私達〟しか存じ上げませんので」
「そう……」

 二人のやり取りを見ながら、メフィストフェレスは思う。
 この人物は華夜と面識が深く信頼を置いているのだろう、と。
 だが、八尋の人間ではない。
 恐らく退魔師としてではなく、表世界の八尋家に縁ある者か。

「お嬢様。失礼ながら、お隣の方はどちら様でいらっしゃいますか」
「あ……彼は……」
「ボディーガードだ。もちろん、〝こちら側の世界〟のな」

 メフィストフェレスの言葉を聞いた榊は僅かに眉を潜めた。
 驚きと、半信半疑に違いない。どこからどう見てもただの一般人。
 華夜の横にいる男が異能者だとは普通ならば思わないだろう。

 何よりメフィストフェレスの赤い瞳は、今は隠されて茶色になっている。
 華夜には彼の瞳は赤く映ったままだが、それは契約という繋がりがあるからだ。

「それは失礼致しました」

 口では詫びながらも、榊の警戒心が解かれることはない。
 なるほど、とメフィストフェレスは感嘆の息を吐いた。

 八尋が飼っている忠犬は、私利私欲がないばかりか他人の言葉に惑わされず、お役目一筋らしい。
 それこそが八尋グループが今も存続している何よりの証拠だ。
 榊が深く追及してくることはなく、車内には沈黙が降りる。

 窓から見える夜景は色鮮やかで、つい先ほどあんな事があったとは思えない。
 物憂げな顔で外を眺めていた華夜は独り言のように呟いた。

「……もうどこを探しても、どこにも私の家族だった人達はいないのね」

 今さら、いや今だからか。
 手に余るほどの悲しみと苦悩をずっと一人きりで抱えてきたのだ。
 かといって悪魔であるメフィストフェレスにとって、その心情は察すれど共感できるものでなく、ただ聞き流すしかなかった。

「……お嬢様」
「ごめんなさい、つまらない独り言よ。気にしないで」

 言ってもどうにもならない。
 何も変わらないし、失われたものが戻ることはない。
 それは華夜自身も痛いくらいに分かっていた。

 車はやがて街の明かりから離れ、山の方へと入っていった。
 道は補整され、回りの木々も邪魔にならぬよう剪定してある。

「ここも八尋の土地か?」

 外を眺めていたメフィストフェレスは訝しがるように、華夜へと問い掛けた。

「いいえ、元々は違う方のものだったわ」
「何故そのようなことをお聞きになるのですか」
「別に、元の持ち主が誰か知っておくのは悪いことじゃねえだろ」
「榊、構わないわ。世間でも話題になったし、隠すようなことでもないでしょう?」

 榊はしばらく押し黙っていたが、口を開く。

「ここは政治家の方が別荘として使われていたものですが、それをお譲り頂いたのです」
「誘拐事件としてニュースでも取り上げられたからあなたも知っていると思うわ。三年前の『神隠し事件』」
「……ああ」

 思い当たったようにメフィストフェレスは頷いた。
 当然知っている、大物政治家の孫誘拐事件として世間を騒がせたのだから。
 
「実家に帰ってきた娘夫婦の子供が家ん中で消えたって奴だろ?」
 
人間達はそれが人の犯行によるものだと考えていたようだが、実際のところそれは人間の仕業ではなかった。

「敷地には先祖代々祀ってきた祠があったのだけど、その方は何の祓いも無しに取壊して小さな離れを建てたの。そして神の怒りに触れた」

 突如として居場所を奪われぞんざいな扱いを受けた土地の守り神は怒って家主の最も大切なものを取り上げた。
 すべては自らの行為が仇となって帰ってきたのだ。

 その後、八尋がきちんと儀式と清めを行い、程無くして子供は敷地内の一角に倒れているのを発見された。

「仕事の対価は頂いたんだけど、彼がこのお屋敷も八尋家に寄贈したいと仰って……」
「なるほどな」

 それほどこの土地に根付く守り神の怒りに触れたことと、孫を失いかけたことに恐れおののいたのだろう。
 そのまま住まうには躊躇ためらわれたに違いない。

 榊は駐車スペースへと止めると扉を開けて華夜をエスコートする。
 三階建ての洋館はレンガ作りで中央にはバルコニーがあった。
 西洋にありそうな、日本ではそう見られない凝った造りだ。

「お嬢様、鍵を」
「ありがとう」
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