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序章 堕ちた赤い月
04話◆交差する思惑
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窓際の椅子に腰掛けた華夜は、ぼんやりと外を眺める。
色鮮やかなチューリップが咲く中庭には、散歩をする入院患者達の姿が見られた。
この暖かさだ、外に出ると気分も和むのだろう。
しかし、それとは対照的に自分の心はひどく沈んでいた。
窓ガラスに触れた手が小さく震えている。
何かを堪えるように目を閉じると、詰めていた息を吐き出した。
先ほど会った青年の姿がありありと思い出される。
彼は人ではなかった──。
桜を見上げる青年の、モデルのように高い背とすらりとした体型。
立ち姿が美しいと思える男性を見たのは初めてだった。
髪は癖のない柔らかなブロンドで、顔立ちも整っている。
切れ長の目は優しいというより、幾分か厳しさを感じさせ、その眼差しには覚えがあった。
戦いの中に身を置く者。
厳しかった父が何度も見せた、あの双眸と同じ──。
だが、その瞳の色をはっきりと認識した瞬間、全身が冷水を浴びせられたかのように冷えきっていくのを感じた。
燃えるような赤い瞳は咲き初めの薔薇か、或いは亡くなった一族が流した血の色と同じか。
目が合った時、自分の身に起こった変化は戸惑いと恐怖に満ちていた。
まるで、失くしていた宝物を見つけたような歓び。
そして相反する、それが自分に危害を与える者と同族であると判断した時の正常な反応──。
あの瞳は、自分の血縁を一夜にして絶やした者と同じ色。
アレとは別の者でも、同種のものであるのは疑う余地もない。
華夜には最初からすべての記憶があった。
事件に関する記憶が抜け落ちているなど嘘であり、言わなかったのは告げても信じてもらえないことが分かっていたからだ。
この病院がカトリック教会の病院で良かった。
ここならば邪悪なものは入ってこれない。
(でも……もう限界ね)
優しくされるのも心配されるのも、とても苦痛だった。
誰とも関わらずただ一人で過ごせればそれでいい。
だが人と接する機会がある限り、それは不可能に近かった。
自分のためを思って言ってくれているのだと分かっていても、奥底から不快感がわき上がる。
傷を癒したい、痛みを共有したいなんて、そんなこと出来るはずがない。
何も知らずに幸せに暮らす者達が、いったいどれだけ自分達のことを理解できるというのか。
警察はあの事件を、怨恨による計画的な犯行だと告げた。
だが、実際はたった一人の手によって瞬きを数回するかしないかの、僅かな時間によって行われたのだ。
彼が自分に接触できなかったのはお守りがあったからだ。
そっと着物の袂から取り出したのは、手のひらに収まるサイズのロザリオ。
金色のロザリオの中央には、赤い薔薇の花を閉じ込めたクリスタルガラスが嵌め込まれている。
動かせば光を反射して輝いた。
(皮肉ね。退魔師が西洋のお守りに守られるなんて)
そう、それこそが八尋一族が狙われた本当の理由だ。
表向きは様々な事業を展開する大企業だが、自分達には裏の顔がある。
〝闇に蔓延る魔を祓う退魔師〟
八尋一族はこの国で最も優れ、最もその数が多いとされていた。
幾つか同じような仕事を担う者達は存在するものの、血が薄れて能力は弱まったり、そのせいで命を落としたり、お務めを降りる者が多く、今は数えるほどにしか残っていない。
この時代で、自分達の仕事が理解されるとは思っていない。
偏見の目を向けられるだけなら未だしも、謂われない中傷を受け、虐げられることも少なくないだろう。
もちろん、政府から認可を得た正式な団体ではあるものの、それは隠密としてだった。
あの事件以降、自分はお務めから身を引き無為に過ごしている。
あれに太刀打ちできる者など、果たしてこの世に存在するのか。
この国で最も優れていると御墨付きだった仲間達。
それがあの夜、赤子の手でも捻るかのようにいともたやすく殺されたことは、けして忘れられない。
「………………っ!」
鈍く心臓の辺りが痛み、華夜は顔を歪める。
父は自分のことを稀代の陰陽師の再来だと繰り返し告げた。
どうして父がそんなことを言ったのか、理由は今でも分からない。
父だけではない、母も、一族の者達皆がそう信じて止まなかった。
だが、実際はどうだったか。
自分は退魔師としての任を担う当主の娘であるというのに、その能力は一族の誰よりも弱い。
一族の者が殺されるのを、ただ見ていることしかできなくて。
そればかりか、じわりじわりと蝕む烙印をこの体に刻まれた。
華夜は悔しさに唇を噛み締め、手を白くなるほど握りしめる。
それから自分と外を隔てる透明なガラスに背を向けた。
「…………匂うな」
鼻先をかすめた僅かな匂いに、青年は顔を上げる。
すぐ横には大きな病院が建っており、そこからヤツの匂いが感じ取れた。
カトリック系の病院らしく、清浄な土地と空気に肌がぴりぴりと痛む。
ここまで完膚なく清められた土地は珍しい。
これならば小物ならば近付くだけで消滅し、大物でも侵入することは難しいだろう。
だが、それでは何故ここからヤツの匂いがしているのか。
「贄……か」
ヤツに目印を決まれた獲物が、ここに身を潜めている。
青年はすぐにそう判断し、口角を上げて嘲笑った。
皮肉なことだ。
獲物がここに留まり続ける限り、ヤツは手を出せないだろう。
(だが──)
空を見上げ、青年は端正な顔を歪ませた。
朱に染まる空の片隅には白い月の姿がある。
だが、それも束の間のこと。
今夜は緋の満月が空に架かる。魔の力が満ち、最大となる夜だ。
「……張ってみるだけの価値はあるか」
青年はそう呟くと病院の敷地を囲う壁にもたれ、病院を眺めた。
色鮮やかなチューリップが咲く中庭には、散歩をする入院患者達の姿が見られた。
この暖かさだ、外に出ると気分も和むのだろう。
しかし、それとは対照的に自分の心はひどく沈んでいた。
窓ガラスに触れた手が小さく震えている。
何かを堪えるように目を閉じると、詰めていた息を吐き出した。
先ほど会った青年の姿がありありと思い出される。
彼は人ではなかった──。
桜を見上げる青年の、モデルのように高い背とすらりとした体型。
立ち姿が美しいと思える男性を見たのは初めてだった。
髪は癖のない柔らかなブロンドで、顔立ちも整っている。
切れ長の目は優しいというより、幾分か厳しさを感じさせ、その眼差しには覚えがあった。
戦いの中に身を置く者。
厳しかった父が何度も見せた、あの双眸と同じ──。
だが、その瞳の色をはっきりと認識した瞬間、全身が冷水を浴びせられたかのように冷えきっていくのを感じた。
燃えるような赤い瞳は咲き初めの薔薇か、或いは亡くなった一族が流した血の色と同じか。
目が合った時、自分の身に起こった変化は戸惑いと恐怖に満ちていた。
まるで、失くしていた宝物を見つけたような歓び。
そして相反する、それが自分に危害を与える者と同族であると判断した時の正常な反応──。
あの瞳は、自分の血縁を一夜にして絶やした者と同じ色。
アレとは別の者でも、同種のものであるのは疑う余地もない。
華夜には最初からすべての記憶があった。
事件に関する記憶が抜け落ちているなど嘘であり、言わなかったのは告げても信じてもらえないことが分かっていたからだ。
この病院がカトリック教会の病院で良かった。
ここならば邪悪なものは入ってこれない。
(でも……もう限界ね)
優しくされるのも心配されるのも、とても苦痛だった。
誰とも関わらずただ一人で過ごせればそれでいい。
だが人と接する機会がある限り、それは不可能に近かった。
自分のためを思って言ってくれているのだと分かっていても、奥底から不快感がわき上がる。
傷を癒したい、痛みを共有したいなんて、そんなこと出来るはずがない。
何も知らずに幸せに暮らす者達が、いったいどれだけ自分達のことを理解できるというのか。
警察はあの事件を、怨恨による計画的な犯行だと告げた。
だが、実際はたった一人の手によって瞬きを数回するかしないかの、僅かな時間によって行われたのだ。
彼が自分に接触できなかったのはお守りがあったからだ。
そっと着物の袂から取り出したのは、手のひらに収まるサイズのロザリオ。
金色のロザリオの中央には、赤い薔薇の花を閉じ込めたクリスタルガラスが嵌め込まれている。
動かせば光を反射して輝いた。
(皮肉ね。退魔師が西洋のお守りに守られるなんて)
そう、それこそが八尋一族が狙われた本当の理由だ。
表向きは様々な事業を展開する大企業だが、自分達には裏の顔がある。
〝闇に蔓延る魔を祓う退魔師〟
八尋一族はこの国で最も優れ、最もその数が多いとされていた。
幾つか同じような仕事を担う者達は存在するものの、血が薄れて能力は弱まったり、そのせいで命を落としたり、お務めを降りる者が多く、今は数えるほどにしか残っていない。
この時代で、自分達の仕事が理解されるとは思っていない。
偏見の目を向けられるだけなら未だしも、謂われない中傷を受け、虐げられることも少なくないだろう。
もちろん、政府から認可を得た正式な団体ではあるものの、それは隠密としてだった。
あの事件以降、自分はお務めから身を引き無為に過ごしている。
あれに太刀打ちできる者など、果たしてこの世に存在するのか。
この国で最も優れていると御墨付きだった仲間達。
それがあの夜、赤子の手でも捻るかのようにいともたやすく殺されたことは、けして忘れられない。
「………………っ!」
鈍く心臓の辺りが痛み、華夜は顔を歪める。
父は自分のことを稀代の陰陽師の再来だと繰り返し告げた。
どうして父がそんなことを言ったのか、理由は今でも分からない。
父だけではない、母も、一族の者達皆がそう信じて止まなかった。
だが、実際はどうだったか。
自分は退魔師としての任を担う当主の娘であるというのに、その能力は一族の誰よりも弱い。
一族の者が殺されるのを、ただ見ていることしかできなくて。
そればかりか、じわりじわりと蝕む烙印をこの体に刻まれた。
華夜は悔しさに唇を噛み締め、手を白くなるほど握りしめる。
それから自分と外を隔てる透明なガラスに背を向けた。
「…………匂うな」
鼻先をかすめた僅かな匂いに、青年は顔を上げる。
すぐ横には大きな病院が建っており、そこからヤツの匂いが感じ取れた。
カトリック系の病院らしく、清浄な土地と空気に肌がぴりぴりと痛む。
ここまで完膚なく清められた土地は珍しい。
これならば小物ならば近付くだけで消滅し、大物でも侵入することは難しいだろう。
だが、それでは何故ここからヤツの匂いがしているのか。
「贄……か」
ヤツに目印を決まれた獲物が、ここに身を潜めている。
青年はすぐにそう判断し、口角を上げて嘲笑った。
皮肉なことだ。
獲物がここに留まり続ける限り、ヤツは手を出せないだろう。
(だが──)
空を見上げ、青年は端正な顔を歪ませた。
朱に染まる空の片隅には白い月の姿がある。
だが、それも束の間のこと。
今夜は緋の満月が空に架かる。魔の力が満ち、最大となる夜だ。
「……張ってみるだけの価値はあるか」
青年はそう呟くと病院の敷地を囲う壁にもたれ、病院を眺めた。
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