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序章 堕ちた赤い月
03話◆胸中
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待合室は人で溢れざざわめきが広がっている。
この病院はいつもこのような感じで、人の出入りが多い。
腕の立つ医師達と整った設備、清潔感や安らぎを感じさせる内装、何より職員の献身的な姿が、この病院に人を集める大きな理由だろう。
事実、この病院では年々着実に収益を伸ばし、今では人手不足が懸念されるほどだ。
そのためいずれ迎えるであろう時期のためにも、新人教育などにも余念がない。
彼女はごった返す受付を抜け、入院病棟の方へと歩いていった。
その途中で顔見知りの看護師の姿を見つける。
看護師は和やかに車椅子の老婦と話していたが、華夜の姿を見つけると適当に話を切り上げてやってきた。
「八尋さん、どちらに行かれてたんですか? あまり外出はされない方がいいですよ。いつ発作が起きるか分からないし……」
言葉からは端々に焦燥が見え隠れしている。
心優しい看護師は心から彼女のことを気にかけていた。
「近くの桜を見に行っていました。今日は体調が良かったので。院長からは外出禁止とは言われていませんが、いけませんでしたか?」
感情の読めない表情で淡々と答えると、華夜は看護師の横をすり抜け病室へと戻っていった。
振り返ってその背中を見送る看護師は眉を潜める。
すると、ナースステーションの受付席にいた看護師が不思議そうに声をかけてきた。
「先輩、どうかしたんですか? そういえば……あの子、ずっと入院してますね。八尋財閥のお嬢さん。名前、何て言いましたっけ」
「八尋華夜さんよ」
「あっ……あの子が例の……」
八尋財閥と言えば、その名を知らない者はいない。
ファッション、宝飾品、インテリアなど多方面に事業を手掛ける大企業だ。
そして、世間を震撼させたあの事件の被害者も〝八尋一族〟だった。
メディアは連日こぞってその事件を取り上げ、至上最悪の凶悪事件として世に馳せることになった。
事件が起こったのは今から二年前の四月。
今年のように美しい桜が咲き乱れる頃だった。
駆けつけた警察官達は凄惨な光景を前に言葉を失い戦慄した。
噎せ返るような血の臭い、広い座敷を染め上げる一面の赤。
部屋中に横たわる目を反らさずにはいられない苦悶に歪んだ表情を浮かべた遺体。
八尋一族、本家当主の娘はその中央で呆然と座り込んでいた。
呼び掛ける声にも応答せず、心神喪失状態に陥っていた。
一夜の内に八尋一族はたった一人の少女を残し、すべての人間が殺されたのだ。
「確か事件ってまだ解決してないんですよね?」
「怨恨、金銭目的の集団強盗、あらゆる可能性を探ったものの、犯人に繋がる重要な手がかりはなかったみたいよ」
その後、容疑者と思われる男を警察が追っていたが、彼は車中で自らの喉を裂き命を絶った状態で見つかった。
事件前後の記憶を失っていた少女からは何の情報も得られず、たった一夜でどうやって全員の命を奪ったのか、動機は何なのか、真実は永遠に闇に葬られたのだ。
「でも変ですよね。それだけの大企業のトップがいなくなっちゃったら経済界にも、会社にも大きな影響を及ぼしそうなのに……」
「そうね」
八尋一族は壊滅に追いやられたにも関わらず、会社としての機能が失われることはなかった。
八尋財閥はそれぞれの会社に自らが最も信用のおける、なおかつ辣腕の部下を擁しており、その人物達が後を引き継いだからだ。
それも、八尋系列すべての会社において──。
それはまるで初めからそのことを想定して、予め後釜を用意していたかのように思えてならない。
──なんて、サスペンス映画や推理小説の読みすぎだ。
「もうこの話は終わりよ。彼女も私達がこんな話をしてると知ったら嫌な思いをするでしょうし。早く仕事に戻りなさい」
そう言って諭すと後輩は少し話しすぎたことに気付いたのか、一礼して慌てて仕事に戻っていく。
看護婦はため息をついた後、華夜の病室の入り口を眺めた。
八尋一族のご当主と院長が懇意にしていたこともあり、心のケアを兼ねてここで彼女のお世話をし始めて随分と経つ。
そのお陰か今は随分と落ち着き、彼女が何かの拍子にフラッシュバックを起こすことは少なくなった。
しかし、彼女は体がそんなに丈夫ではないようで、原因の分からない発作も抱えている。
だから、目の届かないところに行かれると不安になるのだ。
「……お節介かしらね」
自分と華夜とはさほど年も離れておらず、妹でもおかしくない。
そんな少女が身に受けた辛い出来事を思えば、必要以上に過保護になってしまう。
だが、結局は血の繋がらない他人同士──。
自分の心配は彼女にとって無用のものであり、疎ましいだけなのであろう。
振り切るように視線を外すと、看護師はナースステーションへと戻っていった。
この病院はいつもこのような感じで、人の出入りが多い。
腕の立つ医師達と整った設備、清潔感や安らぎを感じさせる内装、何より職員の献身的な姿が、この病院に人を集める大きな理由だろう。
事実、この病院では年々着実に収益を伸ばし、今では人手不足が懸念されるほどだ。
そのためいずれ迎えるであろう時期のためにも、新人教育などにも余念がない。
彼女はごった返す受付を抜け、入院病棟の方へと歩いていった。
その途中で顔見知りの看護師の姿を見つける。
看護師は和やかに車椅子の老婦と話していたが、華夜の姿を見つけると適当に話を切り上げてやってきた。
「八尋さん、どちらに行かれてたんですか? あまり外出はされない方がいいですよ。いつ発作が起きるか分からないし……」
言葉からは端々に焦燥が見え隠れしている。
心優しい看護師は心から彼女のことを気にかけていた。
「近くの桜を見に行っていました。今日は体調が良かったので。院長からは外出禁止とは言われていませんが、いけませんでしたか?」
感情の読めない表情で淡々と答えると、華夜は看護師の横をすり抜け病室へと戻っていった。
振り返ってその背中を見送る看護師は眉を潜める。
すると、ナースステーションの受付席にいた看護師が不思議そうに声をかけてきた。
「先輩、どうかしたんですか? そういえば……あの子、ずっと入院してますね。八尋財閥のお嬢さん。名前、何て言いましたっけ」
「八尋華夜さんよ」
「あっ……あの子が例の……」
八尋財閥と言えば、その名を知らない者はいない。
ファッション、宝飾品、インテリアなど多方面に事業を手掛ける大企業だ。
そして、世間を震撼させたあの事件の被害者も〝八尋一族〟だった。
メディアは連日こぞってその事件を取り上げ、至上最悪の凶悪事件として世に馳せることになった。
事件が起こったのは今から二年前の四月。
今年のように美しい桜が咲き乱れる頃だった。
駆けつけた警察官達は凄惨な光景を前に言葉を失い戦慄した。
噎せ返るような血の臭い、広い座敷を染め上げる一面の赤。
部屋中に横たわる目を反らさずにはいられない苦悶に歪んだ表情を浮かべた遺体。
八尋一族、本家当主の娘はその中央で呆然と座り込んでいた。
呼び掛ける声にも応答せず、心神喪失状態に陥っていた。
一夜の内に八尋一族はたった一人の少女を残し、すべての人間が殺されたのだ。
「確か事件ってまだ解決してないんですよね?」
「怨恨、金銭目的の集団強盗、あらゆる可能性を探ったものの、犯人に繋がる重要な手がかりはなかったみたいよ」
その後、容疑者と思われる男を警察が追っていたが、彼は車中で自らの喉を裂き命を絶った状態で見つかった。
事件前後の記憶を失っていた少女からは何の情報も得られず、たった一夜でどうやって全員の命を奪ったのか、動機は何なのか、真実は永遠に闇に葬られたのだ。
「でも変ですよね。それだけの大企業のトップがいなくなっちゃったら経済界にも、会社にも大きな影響を及ぼしそうなのに……」
「そうね」
八尋一族は壊滅に追いやられたにも関わらず、会社としての機能が失われることはなかった。
八尋財閥はそれぞれの会社に自らが最も信用のおける、なおかつ辣腕の部下を擁しており、その人物達が後を引き継いだからだ。
それも、八尋系列すべての会社において──。
それはまるで初めからそのことを想定して、予め後釜を用意していたかのように思えてならない。
──なんて、サスペンス映画や推理小説の読みすぎだ。
「もうこの話は終わりよ。彼女も私達がこんな話をしてると知ったら嫌な思いをするでしょうし。早く仕事に戻りなさい」
そう言って諭すと後輩は少し話しすぎたことに気付いたのか、一礼して慌てて仕事に戻っていく。
看護婦はため息をついた後、華夜の病室の入り口を眺めた。
八尋一族のご当主と院長が懇意にしていたこともあり、心のケアを兼ねてここで彼女のお世話をし始めて随分と経つ。
そのお陰か今は随分と落ち着き、彼女が何かの拍子にフラッシュバックを起こすことは少なくなった。
しかし、彼女は体がそんなに丈夫ではないようで、原因の分からない発作も抱えている。
だから、目の届かないところに行かれると不安になるのだ。
「……お節介かしらね」
自分と華夜とはさほど年も離れておらず、妹でもおかしくない。
そんな少女が身に受けた辛い出来事を思えば、必要以上に過保護になってしまう。
だが、結局は血の繋がらない他人同士──。
自分の心配は彼女にとって無用のものであり、疎ましいだけなのであろう。
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