Schwarzrose -囚われの黒い薔薇-

蒼桜月薔薇

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序章 堕ちた赤い月

05話◆悪夢の再来

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 唐突に意識が覚醒する。
 夜中に目が覚めるのはそう珍しいことではなかった。
 悪夢にうなされたこともあるし、そもそも寝付けない夜もきるほどある。
 だが今日は何かが違った。

 華夜はベッドから起き上がり、窓から夜空を眺める。
 血飛沫でも浴びたかのようにあけに染まった月が自分を見下ろしていた。

 冷たい窓ガラスに手を重ね、食い入るようにその月を見つめる。
 赤は不吉な色だと最初に教わったのは、ずいぶん昔のこと。

 この世界は混沌に包まれようとしている、父と母はそう言った。
 人々が色々な国を行き交うようになり、蔓延はびこる魔物達も同じくして入り乱れるようになった。

 怨霊に十字架が効かないように、西洋の魔物に陰陽術はさして効かない。
 だからこそ、あの魔物に対して、一族の者誰一人して歯が立たなかったのだ。
 弱めることや傷つけることはできても、止めを刺すには至らない。

 これからどうするべきか。
 いつまでもここにいるわけにはいかないし、かといって行く当てがあるわけでもない。

 八尋の家の〝護り〟はどれも西洋の魔に向けたものではなく、それらには何の効力ももたらさない。
 頼れる者もいないし、この世のどこにも逃げ場所などなかった。

 大人しく殺されるなど真っ平だが、自分の力ではその結末しか向かえられそうにない。
 それを考えると、絶望と喪失感で心が冷えていくのが分かった。

「────っ!」

 ふいに心臓が大きな音を立て、華夜は身を震わすとその場に膝と手をつく。
 握りつぶされるかのような痛みに呼吸が詰まり、頭が真っ白になった。

 いつもの痛み、呪いがより一層その身体深くへと沈む時の痛みだ。
 そう思っていた華夜は、窓から差し込む光を遮る影に目を見開く。
 急激に嫌な汗が吹き出し、震えが止まらなくなった。

 見てはいけない、恐怖に捕らわれれば動くことが敵わなくなる。
 それが分かっているのに、顔は正体を確かめようと上向く。
 そして、それを目にした華夜は唇を戦慄わななかせた。

 鍵がかかっているはずの窓の内側に、黒髪の青年が立っている。
 黒い衣服は一見すると神父のようだが、その服に縫い付けられた十字架は下を向く逆さ十字。
 それは神を冒涜する意匠いしょうで、〝堕ちる者〟或いは〝堕とす者〟という意味を持っていた。

 生気の感じられない白い肌に、細長い指と黒い爪、背には蝙蝠こうもりのような大きな翼──。
 そして血のような濃い赤の瞳が、冷たく自分を射抜く。

「……何で……ここに……」
「何故ここに僕がいるのか、そんなに不思議かい? 確かにこの病院は護りが強すぎて、僕は立ち入ることができなかった。空に凶月が昇るまではね。だけど……それだけじゃない」

 固い靴音を響せ、彼は華夜の前に来ると身を屈める。
 彼の発するあまりに暗く、そして重たく冷たい空気に、指一本すら動かすことが出来なかった。

「何のために君に刻印を付けたと思うんだい? ここに刻み込んであげただろう、美しい黒薔薇を」

 青年の指が華夜の着物の合わせにかかり、僅かにその前をはだけさせる。
 左側の鎖骨下辺りにあるのは、禍々しい黒薔薇の刻印──。

「これは君が僕のものであるという証だ。この刻印がある限り、君は僕から逃れられない」

 ふっと青年が微笑む。
 優しい笑みと声音に惑わされそうになるが、言っていることはとても恐ろしく脅しのようだ。

「そんなに怯えないで。僕は君を殺す気なんてないよ。その美しさ、聡明さ、霊力、穢れなき魂……君は僕の妻に相応しい」
「な……」

 自分が何を言われたのか、一瞬分からなかった。
 青年は呆然とする華夜の耳元に口を寄せると、低く囁く。

「このことは、君が生まれた時から決まっていたんだよ。僕は八尋家当主に告げていたんだ。君が十六歳になったら迎えに行くとね」
「!? そんな……」

 それは華夜には知らされていない事実だった。
 あの日、一族が一堂にかいしていたのはそういうわけだったのか。

 自分は一族が生誕を祝うために集まったとしか聞かされていない。
 それにしては異様な緊張感が漂っていて不審に思っていた。
 誰に聞いても誤魔化されるばかりで、けして明確には答えてはくれなかったが──。

「愚かな人間達だ。僕を本当に殺したいなら聖水でも十字架でも使えばよかったのに……彼らは最後まで自分達が退魔師であるという誇りを捨てなかった」

 青年の口調は蔑むようで、どこか憂いを含んでいた。
 華夜は一瞬の迷いのあと、枕元に置いた十字架に目を向ける。
 すると、青年はおかしそうにクスクスと笑った。

「無理だよ、華夜。君には僕を殺せない。その刻印を付けたのはこの僕だ。主には逆らえない」

 彼の言葉通り、身体は強ばったように動かない。
 力を入れても軋みをあげるばかりで、徐々に焦りが募った。

「さぁ、血の盟約を……。この正式な契約を以て、君は僕の妻となる。僕は君を永遠に愛し続けることを誓おう」

 呪縛のような甘い言葉を囁くと、青年は華夜の髪をさらい、首筋に歯を立てた。
 華夜は恐怖と痛みに悲鳴をあげる。
 尖った鋭い牙が深く肌へと突き刺さり、激痛に苛まれた。
 悪魔が自分の血を啜る音に耳を塞ぎたくなる。

 これが悪夢だというならどんなに楽だろう。
 早く目を覚まして、現実に戻ることが出来たなら。

 悲しみと憎悪がごちゃ混ぜになって押し寄せる。
 どうしてこのような屈辱を味あわされなくてはならないのか。
 この世に神などいない。
 救いも、奇跡も、この世界には存在しない。

「誰か……たす……て」

 目尻から涙が溢れ落ちる。
 掠れた声で、華夜は誰でもいいからと助けを求めた。
 刹那、月の明かりが遮られたかと思うと、大きな音を立てて窓ガラスが砕け散る。
 急激に流れ込んだ風に、白いカーテンがはためき音をたてた。
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