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第五章 未知
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しおりを挟む夏休み初日。
夏休みが始まったというのに、今まで通りの時間に目を覚まし、兄ちゃんと一緒に朝御飯を食べ、制服に着替えて兄ちゃんと一緒に家を出た俺は、今が夏休み中だという感覚がちっともなかった。
それでも
「ほんと、毎日あっちぃなぁ……。この暑さは何とかなんねぇのかぁ?」
シャツのボタンを豪快に開けて歩く兄ちゃんを見ていると、夏って感じはする。
「その格好のまま校舎に入んないでよ? 兄ちゃんの鎖骨がどうだとか、胸板がどうだとか騒ぐ女子がいっぱいいるんだから」
「わかってるって。学校着くまでの間だけだっての」
「ならいいけど……。ほんとは俺、今だってちょっと嫌なんだからな。兄ちゃんの素肌を他の人間に見られんの」
「別に誰も見ちゃいねぇって。気にし過ぎなんだよ、お前は」
教師という立場上、いくら夏休み中でも適当な格好で学校には行けない。家ではTシャツと半パンでうろちょろしていても、仕事に行く時はそれなりに小綺麗な格好をしないといけないから、兄ちゃんはそれが暑苦しいと思うみたいだった。
でもまあ、それは俺達生徒も同じって感じかな。俺達にも制服ってものがあるから。いくら夏仕様の夏服とはいえ、長ズボンに靴下、スニーカーという格好は暑かった。
っていうか、夏なんてそんなものだ。どんな格好をしていても暑いものは暑い。いくら暑くても全裸で歩くわけにはいかないし、たとえ全裸で歩いたところで外は暑い。それが夏ってものだ。
「んじゃな。しっかり励んでさっさと宿題終わらせなぁ」
「うん。兄ちゃんも頑張ってね」
「おう。任せろ」
そんな言葉を掛け合って兄ちゃんと別れた俺は、昇降口から校舎に入り、いつも過ごしている自分のクラスの教室に向かった。
どうやら俺達の教室は夏休み中の補習に使われないみたいだから、俺と日向は自分達の教室で夏休みの宿題をすることにした。
俺が教室に入ると、既に日向は登校していて
「おはよ、真弥」
爽やかな笑顔と声で俺を迎え入れてくれた。
与一の姿が見当たらないけれど、まだ学校に来ていないんだろうか。それとも、もう補習がある教室に行った後なのかな?
今朝は俺も兄ちゃんもちょっとだけのんびりしちゃって、学校に着くのが予鈴ギリギリになっちゃったから。
「おはよ、日向。与一は?」
「もう補習がある教室に行ったよ。散々〈嫌だ〉〈行きたくない〉って騒いでたから、説得するのが大変だったけど」
「あー……そりゃ朝からお疲れさん」
与一に会ったら真っ先に遠山先生に彼女がいるって誤解を解こうと思っていたのに。俺が学校に着いたのが遅過ぎたみたいだ。
でもいいか。どうせまた後で会うし。別に急ぐことでもないよな。
それよりも、補習に行きたくないと駄々を捏ねる与一を説得しなきゃいけなかった日向の方に同情しちゃうよ。
だって、簡単に想像がついちゃうもん。与一がどれだけ補習を嫌がり、「行きたくない!」って騒ぎ散らすかが。
それを一人で説得した日向は「朝からご苦労様」って感じだよな。
「ほんと、自分のせいだっていうのに我儘なんだから。もう高校生なんだから、もうちょっと落ち着いて欲しいものだよね」
子供の頃からの付き合いである与一のことを、日向は手の掛かる弟みたいに思っているところがある。
しかし、悩まし気な溜息を吐きながらそんなことを言う日向の姿は、兄ちゃんというより母親のように見えなくもない。
実際色々面倒見てやってるみたいだしな。家も近いし。
恋愛方面では日向の方が与一より未熟って感じだけど、それ以外は全部日向が上って感じだもん。与一も何だかんだと日向に甘えている部分があるから、面倒見のいい日向は、ついつい与一の面倒を見てあげちゃうんだろうな。
そういうところはさすが兄ちゃんって感じである。
「与一も補習に行ったことだし、俺達は俺達で勉強しよっか」
「そうだな」
いつも通り学校に来てみたものの、さすが夏休みというか、教室の中に俺達以外の生徒の姿はなかった。
だけど、俺達の他にも学校に来ている生徒は沢山いる。
与一のように補習を受けに来ている生徒はもちろん、夏休み中も部活があるところは多いもんな。
今日も朝からグラウンドでは運動部員の声があちこちで響いている。
(そう言えば、兄ちゃんはどこの部活の顧問もしていないんだよなぁ……)
兄ちゃんは運動神経がいいし、頭もいいから、どこかの部活の顧問になっていてもおかしくない。しかし、学校での兄ちゃんの立場は数学教師のみだった。
前にその理由を聞いてみたら、俺が学生のうちは、そういうものになりたくないと言っているみたいだった。
うちは親がいないから、部活の顧問なんかになってしまったら、家のことができなくなると思ったんだろう。
そういうところは本当に弟思いだと思うし、俺もできれば兄ちゃんには一生部活の顧問なんかになって欲しくないと思っている。
だって、万が一運動部の顧問なんかになってしまったら、試合だの合宿だので兄ちゃんが家を空けることが増えちゃうかもしれないじゃん。
試合先でよその学校の生徒に兄ちゃんが目を付けられるのも嫌だし、合宿先で兄ちゃんの風呂上がり姿とか、寝起きの姿を見られるもの嫌だ。
更に、男子生徒と一緒に風呂――なんてことになってみろ。俺は発狂しちゃうよ。
だから、兄ちゃんにはこのままただの数学教師のままでいて欲しい。
ちなみに、日向の恋人の上村先生は週に二回の英語クラブの顧問をしているが、夏休み中は部活もお休みらしい。
ついでにいうと、体育教師の鵜飼先生は陸上部の顧問だし、遠山先生は剣道部なんていう汗臭い部活の顧問をしている。
遠山先生と剣道なんて全く結びつかないと思うのに、あれで遠山先生は学生時代、剣道で全国大会にまで行ったことがある実力の持ち主らしい。
人は見掛けによらないものだと思うけど、遠山先生にだって今の俺達と同じように青春を謳歌していた時代があるんだよなぁ……。
「そう言えば真弥。昨日与一から聞いた話は真実さんに言ってあげたの?」
机に着き、早速夏休みの宿題に取り掛かり始めた俺と日向は、いざ宿題を始めてみたものの、ついつい無駄話もしてしまうようだった。
それは仕方がないことだし、むしろそうなるのが自然だ。
確かに、俺と日向は今日、夏休みの宿題をするために学校に来ているわけだけど、夏休みは始まったばかり。せっかく友達と一緒に勉強をしているのに、お互い黙々と勉強するだけじゃつまらないもんな。
「昨日聞いた話……。ああ、あれなんだけど、あれ、与一の勘違いだった」
「勘違い?」
「そう。与一が見たっていう女の人、遠山先生の彼女じゃなくて姉ちゃんらしいよ?」
「そうなの⁉ 遠山先生ってお姉さんがいたんだっ!」
「意外だよな。俺も兄ちゃんから聞いた時はびっくりした」
ほらみろ。日向も遠山先生に姉ちゃんがいるって知らなかったじゃん。ほんと、どんだけ自分の話を生徒にしない先生なんだよ。普通、教師ならもっと生徒と仲良くしようとは思わないわけ?
まあ、みんながみんなそんな先生だったら生徒との関係がなあなあになっちゃって、先生の威厳ってやつがなくなっちゃうのかもしれないけどさ。
でも、もう少し生徒との交流もした方がいいと思う。人付き合いが苦手だったとしても、それが仕事っちゃ仕事なんだから。
とはいえ、別に生徒から嫌われているわけじゃないから、必要最低限のコミュニケーションは取っているんだろう。俺は全然話すこともないけど。
「そっかぁ……お姉さんかぁ……。それは残念だったね、真弥」
「ほんとそれ」
昨日、与一から遠山先生に彼女がいるんじゃないかって話を聞いて浮かれていた俺を知っている日向は、それがただの糠喜びに終わって残念がる俺の気持ちを察してくれた。
俺は兄ちゃんにどうにかしてあの二人との関係をやめさせたいと思っているのに、それがなかなか難しいんだよなぁ……。
(この夏休み中に何か劇的な変化でも起こってくれないだろうか……)
そう期待したいのは山々だけど、そう簡単に劇的な変化が起こってくれるはずはないよな。
せめてどちらか一方だけでも兄ちゃんのことを諦めてくれたらいいけど、今の二人を見ている限り、それは当分無さそうな話だと思う。
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