2 / 26
01
いらっしゃい
しおりを挟む
02
祥二がたどり着いたのは、岡山市のはずれにある一軒の小料理屋だった。
のれんには“小料理屋 湊”とある。
「あそこに、恵子が…」
のれんが出た店を遠目に眺めて、引くことも進むこともできなくなってしまう。
会うために来たはずだった。
ひと目姿を見るために、わざわざ岡山まできて、興信所に高い金を払って人捜しを依頼した。
だが、いざ尋ね人がいるという場所を前にすると、どうしようもなく怖い。
(このまま帰るべきか?)
そんなことを思うが、どうしても顔を見たいという気持ちを無視できなかった。
決意したわけでも、覚悟ができたわけでもない。
ただ思考停止したまま、歩を進め、のれんをくぐっていた。
「いらっしゃ…」
カウンターに立っていた女の、きれいで色っぽい声は途中で切れる。
そして、驚愕の表情になる。
「こんばんは」
どう声をかけていいかわからず、祥二はそれだけ言う。
本当は動揺していたが、努めて落ち着いた風を装い、カウンターに腰を下ろす。
(相変わらず美人だな)
10年ぶりに見るその姿に、祥二はそう思わずにはいられない。
一色惠子。
かつて、本気で愛した女。
そして、悲恋というにはあまりに情けない顛末を迎えて終わった。
世間からどう見られようとかまわないと思っていた。
あの愛は真実だったはずだった。
だが、全部をうっちゃって女と添い遂げるだけの覚悟が持てなかった。
彼女からいなくなった、と言い訳すべきではない。
逃げたのは自分の方だった。
「なんにしましょう?」
「地酒の熱燗を。銘柄は任せます」
柔らかな笑顔で恵子が差し出したおしぼりを受け取り、取りあえず注文をする。
恵子もわずかだが動揺しているのがわかる。
祥二は少しほっとした。
もしかして、歯牙にもかけられないかも、と思ったのだ。とっくに終わったこと、と。
「女将さん、知り合いかい?」
豪放そうだがいかにも一本気、という感じの板前が聞いてくる。
自分と恵子の間の微妙な空気を感じ取ったらしい。
「ええ、昔ちょっとね。お客さん、ゆっくりしていって下さいな。すぐお出しします」
恵子は無理をした笑顔でそう言うと、熱燗の準備を始める。
(なるほど、夫婦経営の店か)
なんとなくだが、確信する。
この板前が、今の恵子の夫なのだ。
ほっとすると同時に、無性に寂しくもなった。
「付け合わせです。どうぞ」
「ありがとう」
板前が差し出した切り干し大根を、お礼を言って受け取る。
「お客さん、どちらから?」
「ええ…東京からです」
「これはまた遠くに。お仕事ですか?」
「ええと…どちらかと言えば逃げてきたようなものかな?仕事でちょっとしたことがありまして…。骨休めってとこです」
板前の気さくな表情と明るい声に、つい話しがはずんでしまう。
「お見受けしたところ、けっこう稼いでる方のようですが…。失礼ですが、やっぱり高い給料くらいじゃ割に合わない、責任と苦労を背負われているとか?」
「いえいえ、会社の部下も、家族もみんな良くやってくれてます。ただ…仕事がきついし、家庭もいろいろ物入りなもんですから…」
板前に対して、よもやあなたの女房に会いに来たとは言えない。
祥二は口から出任せを並べ続ける。
この10年の、自分の人生そのものを語っているような気分だった。
「これで良かった」「後悔などしていない」
そう去勢を張り続けて来たのだ。
祥二がたどり着いたのは、岡山市のはずれにある一軒の小料理屋だった。
のれんには“小料理屋 湊”とある。
「あそこに、恵子が…」
のれんが出た店を遠目に眺めて、引くことも進むこともできなくなってしまう。
会うために来たはずだった。
ひと目姿を見るために、わざわざ岡山まできて、興信所に高い金を払って人捜しを依頼した。
だが、いざ尋ね人がいるという場所を前にすると、どうしようもなく怖い。
(このまま帰るべきか?)
そんなことを思うが、どうしても顔を見たいという気持ちを無視できなかった。
決意したわけでも、覚悟ができたわけでもない。
ただ思考停止したまま、歩を進め、のれんをくぐっていた。
「いらっしゃ…」
カウンターに立っていた女の、きれいで色っぽい声は途中で切れる。
そして、驚愕の表情になる。
「こんばんは」
どう声をかけていいかわからず、祥二はそれだけ言う。
本当は動揺していたが、努めて落ち着いた風を装い、カウンターに腰を下ろす。
(相変わらず美人だな)
10年ぶりに見るその姿に、祥二はそう思わずにはいられない。
一色惠子。
かつて、本気で愛した女。
そして、悲恋というにはあまりに情けない顛末を迎えて終わった。
世間からどう見られようとかまわないと思っていた。
あの愛は真実だったはずだった。
だが、全部をうっちゃって女と添い遂げるだけの覚悟が持てなかった。
彼女からいなくなった、と言い訳すべきではない。
逃げたのは自分の方だった。
「なんにしましょう?」
「地酒の熱燗を。銘柄は任せます」
柔らかな笑顔で恵子が差し出したおしぼりを受け取り、取りあえず注文をする。
恵子もわずかだが動揺しているのがわかる。
祥二は少しほっとした。
もしかして、歯牙にもかけられないかも、と思ったのだ。とっくに終わったこと、と。
「女将さん、知り合いかい?」
豪放そうだがいかにも一本気、という感じの板前が聞いてくる。
自分と恵子の間の微妙な空気を感じ取ったらしい。
「ええ、昔ちょっとね。お客さん、ゆっくりしていって下さいな。すぐお出しします」
恵子は無理をした笑顔でそう言うと、熱燗の準備を始める。
(なるほど、夫婦経営の店か)
なんとなくだが、確信する。
この板前が、今の恵子の夫なのだ。
ほっとすると同時に、無性に寂しくもなった。
「付け合わせです。どうぞ」
「ありがとう」
板前が差し出した切り干し大根を、お礼を言って受け取る。
「お客さん、どちらから?」
「ええ…東京からです」
「これはまた遠くに。お仕事ですか?」
「ええと…どちらかと言えば逃げてきたようなものかな?仕事でちょっとしたことがありまして…。骨休めってとこです」
板前の気さくな表情と明るい声に、つい話しがはずんでしまう。
「お見受けしたところ、けっこう稼いでる方のようですが…。失礼ですが、やっぱり高い給料くらいじゃ割に合わない、責任と苦労を背負われているとか?」
「いえいえ、会社の部下も、家族もみんな良くやってくれてます。ただ…仕事がきついし、家庭もいろいろ物入りなもんですから…」
板前に対して、よもやあなたの女房に会いに来たとは言えない。
祥二は口から出任せを並べ続ける。
この10年の、自分の人生そのものを語っているような気分だった。
「これで良かった」「後悔などしていない」
そう去勢を張り続けて来たのだ。
0
あなたにおすすめの小説
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
神典日月神示 真実の物語
蔵屋
歴史・時代
私は二人の方々の神憑りについて、今から25年前にその真実を知りました。
この方たちのお名前は
大本開祖•出口なお(でぐちなお)、
神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)です。
この日月神示(ひつきしんじ)または日尽神示(ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)に「国常立尊(国之常立神)という高級神霊からの神示を自動書記によって記述したとされる書物のことです。
昭和19年から27年(昭和23・26年も無し)に一連の神示が降り、6年後の昭和33、34年に補巻とする1巻、さらに2年後に8巻の神示が降りたとされています。
その書物を纏めた書類です。
この書類は神国日本の未来の預言書なのだ。
私はこの日月神示(ひつきしんじ)に出会い、研究し始めてもう25年になります。
日月神示が降ろされた場所は麻賀多神社(まかたじんじゃ)です。日月神示の最初の第一帖と第二帖は第二次世界大戦中の昭和19年6月10日に、この神社の社務所で岡本天明が神憑りに合い自動書記さされたのです。
殆どが漢数字、独特の記号、若干のかな文字が混じった文体で構成され、抽象的な絵のみで書記されている「巻」もあります。
本巻38巻と補巻1巻の計39巻が既に発表されているが、他にも、神霊より発表を禁じられている「巻」が13巻あり、天明はこの未発表のものについて昭和36年に「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります」と語っています。
日月神示は、その難解さから、書記した天明自身も当初は、ほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神典研究家や霊能者達の協力などで少しずつ解読が進み、天明亡き後も妻である岡本三典(1917年〈大正6年〉11月9日 ~2009年〈平成21年〉6月23日)の努力により、現在では一部を除きかなりの部分が解読されたと言われているます。しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれていることもあり、解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的です。
そのために、仮訳という副題を添えての発表もありました。
なお、原文を解読して漢字仮名交じり文に書き直されたものは、特に「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれています。
縄文人の祝詞に「ひふみ祝詞(のりと)」という祝詞の歌があります。
日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになってきたと言われています。
この小説は真実の物語です。
「神典日月神示(しんてんひつきしんじ)真実の物語」
どうぞ、お楽しみ下さい。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる