自衛隊戦国繚乱 プリンセスオブジパングトルーパーズ 

ブラックウォーター

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02 東海の策謀編

強かお姫様に言うことを聞かせるには?

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04

 尾張の上空を2機のF-35BJがエンジン音を響かせて飛んでいく。
 『現在高度3000フィート。1000フィートまで下げて侵入する』
 『ちょっと、ローパスなんて聞いてないすよ!』
 土壇場で作戦を変更し、低空侵入を行うつもりらしい江藤一等空尉に、バディである二尉が抗議する。
 『せっかくだ。今川の将兵の度肝を抜いてやろうじゃないか』
 『やれやれ、コピー』
 2機は沓掛城がはっきりと見えるほどに高度を下げていく。
 『こちらスパイナー。目標をマーク。準備良し』
 地上で身を隠している特戦群の隊員から攻撃準備完了の知らせが入る。
 『スワロー4了解。
 “かつらぎ”聞こえますか?目標の再確認願います』
 『電波を確認した。偵察によって特定した場所とおおむね一致する。
 作戦決行。いてまえ!』
 “かつらぎ”からの連絡で、特戦群がしかけた発信器と、偵察によって割り出された目標、そして現在特戦群がマークしている目標が一致することが確認される。
 『ドロップ、ナウ!』
 2機のF-35BJの両サイドのウエポンベイが開き、誘導爆弾4発が同時に投下される。本来ならGPSによって誘導が行われ、補助的にレーザー誘導で誤差を縮めるものだが、レーザー誘導のみでもそこそこに精密な誘導は可能だ。
 加えて、誘導装置の改良により色や波長の異なるレーザーによって、複数の爆弾を同時に誘導することも可能になっている。
 誘導爆弾は、多少の誤差はあったもののレーザーでマークされた目標に着弾した。
 『こちらスパイナー。目標の破壊を確認。全弾命中。さすがだ』
 低空で侵入しているとは言え、飛行中の戦闘機から目視で戦果を確認することは不可能だ。だが、特戦群からの通信で、作戦は成功したことを知る。
 『なあに、そちらの偵察と誘導のお陰だ。
 ミッションコンプリート。RTB!』
 2機のF-35BJは轟音を上げて上昇しながら旋回し、帰還していく。
 ここに、今川制圧作戦の第一段階が完了したのだった。

 上空の戦闘機からはディスプレイに映るアイコンの1つとしか認識できないことだったが、爆撃されたがわは阿鼻叫喚の有様だった。
 まあ、ちょうどみなが朝餉を食い終えた後で、米蔵は無人だった。故に、爆発に巻き込まれた死傷者はわずかだった。加えて、物資を運び込むときに人が道を塞がないように、蔵は兵舎からは離れた場所に建っていたのが幸いした。延焼した火に巻き込まれた人間もわずかだったのだ。
 だが、問題はそこにはなかった。沓掛城とその周辺に布陣する今川勢は約1万。それらを養うための米味噌が一瞬にして燃えてしまったのだ。今川勢の精神的なダメージは計り知れなかった。
 “腹が減っては戦はできぬ”はただの戒めや理屈ではない。戦闘状態にある中では、食料の枯渇は死活問題なのだ。戦闘が起きれば、人間は平時の数倍ものエネルギーを消耗する。そして空腹で消耗した兵は戦力ならないばかりか、足手まといにさえなる。食料がなくなれば士気は崩壊し、兵は逃げ、軍勢は早晩瓦解してしまうのだ。
 「なんたること!これが自衛隊の力か!」
 「よもや米蔵だけを正確に焼き払うとは」
 「これでは我らは戦わずして敗れるぞ!」
 今川の将兵たちに動揺が走る。今川も最初から大国であったわけではない。ひもじい思いをしながら戦った経験は誰しも持っているのだ。
 「みなの者落ち着けい!」
 だが、義元の号令でなんとか落ち着きを取り戻す。
 「燃えてしまったものはどうにもならん!直ちに三河と遠江に早馬を出せ! 改めて兵糧を運び込むのだ!
 それと銭を用意せよ。周辺の村や里から兵糧を買い入れよ。多少高くともかまわん!」
 義元は的確に指示を下しながらも、嫌な予感を感じていた。敵が兵糧攻めを選択したとすれば、この後もどんないやらしい手を使ってくるか予想もつかない。
 国境の三河がわの城や砦には予備の兵糧は備蓄してある。それらが届けば特に問題はなくなるはずだ。さりとて、織田勢が自分たちを飢えさせるためにあらゆる手を打ってくるとしたら?
 飢えという最も怖ろしい敵に屈して戦わずして敗北する今川勢の姿を、義元は必死で頭から追い払う。
 今はともかく、失った兵糧の補充に努めるほかないのだ。

 だが、義元の予測は悪い方向に当たった。
 「て…敵襲!敵襲―――っ!ごほごほ!」
 兵糧を三河から搬送する荷駄隊が、織田勢のゲリラ部隊によって片っ端から襲われていたのだ。
 催涙ガスによって無力化された荷駄隊に、陸自のレンジャー徽章持ちと、織田の腕利きの武士で構成される部隊が襲いかかる。
 「下がれ!下がるんだ!用があるのは積み荷だ!お前たちじゃない!」
 ボディーアーマーと鉄帽で身を固めた上に防毒面を装着している自衛隊員は、表情が見えない分よけい不気味で威圧的に見える。
 着剣した89式小銃を構えた自衛隊員たちが荷駄隊を下がらせ、武士たちが荷物に油をかけて火を放っていく。
 「お前たちの上役に伝えろ!兵糧は燃えたとな!」
 そう言って森林の中に姿を消すゲリラ部隊。
 命は助かったとは言え、今川の荷駄隊の挫折感と敗北感は筆舌に尽くせるものではなかった。苦労して運んできた荷が焼かれてしまったというだけではない。前線で兵糧を待ちわびている将兵たちをさらなる飢餓と絶望に追い込んでしまう。
 事前にレンジャーと特戦群が念入りに調査をしていたことが功を奏した。今川の補給線は全て織田がたに知れており、どのルートで荷駄隊を送ろうがことごとくゲリラに襲われ、荷を焼かれてしまうのだ。
 沓掛城周辺に布陣する今川勢は、いよいよ窮地に立たされることになる。

 さて、ところ変わってこちらは知多湾、日間賀島海域。
 『当海域は封鎖中である!進路を変更せよ!繰り返す、進路を変更せよ!』
 SH-60J対潜ヘリが、ドアガンである50口径重機関銃による威嚇射撃を行いながら警告する。今川がたの船団は進退窮まっていた。
 織田がたのゲリラ部隊による妨害で、陸路による補給は絶望的と見た今川がたは、海路による補給を試みた。だが、“かつらぎ”から飛び立った対潜ヘリに見つかってしまったのだ。
 織田がたは、今川がたが海路で補給を試みる可能性を考え、知多湾と渥美湾に網を張っていたのだ。
 「船頭!あんなのに勝ち目はねえ!引き返しやしょう!」
 「いやだめだ!沓掛には弟がいる。やつに米を届けずには帰れねえ!」
 船頭は補佐役の水夫の具申をはねつける。本来なら船頭は船に乗る者たち全員に対する責任がある。水夫たちは船頭に信頼を置いている。無謀な航海にそんな彼らを付き合わせる権限はない。だが、沓掛で弟が腹を減らしているかも知れないという思いが、船頭を意固地にさせていた。
 『これより貴船らを撃沈する!』
 最終宣告とともに、50口径の射撃が容赦なく開始される。木造船など紙も同然。喫水線が簡単に破られ、海水がどっと流れ込んでくる。
 「2番船が沈むぞ!」
 「くそ!やつらの鉄砲、なんて威力だ!」
 船頭には信じられないことだった。今まで危険な航海を幾度となく成功させ、多くの人や荷を運んできた船。自分たちの家である船があっという間に沈められてしまったのだ。
 「やむを得ん。進路を西に取れ!半島に船を座礁させるんだ!
 こうなったら積み荷だけでも沓掛に運んでやる!」
 「だめだ!間に合わない!」
 船頭の命令を実行する前に、船は喫水線に大穴を開けられ傾いていった。
 「ちくしょう…ちくしょう…!」
 船頭は沈む船から離れ、救命用の小舟の床の上に座り込んで無念の思いにくれていた。弟は、沓掛の将兵たちは今頃兵糧が届くのを今か今かと待っていることだろう。
 こんなことが許されるのか?
 戦いにきれいも汚いもない。むしろ敵の補給を絶つのは戦の定石とさえ言える。立場が逆なら自分たちも同じことをしていたことだろう。だが、船頭は怒りを抑えることができなかった。
 腹を減らしているやつらに米を届けようとしているだけの俺たちをここまで痛めつけ、大事な米を船ごと海に沈める。そんなことをする権利がどこの誰にあるというのか?
 船頭はあまりに理不尽な状況に、怒っていなければ正気を保てそうになかった。
 かくして、今川がたの補給作戦は海路に置いても失敗に終わったのだった。

 10日がたち、20日がたつと、今川勢の疲弊がはっきりとしてきた。
 緒戦、まだ体力がある内に、織田がたの挑発に乗って意味もなく散発的な戦闘を行ってしまったことが災いした。部隊ごとに支給されていた米はたちまち底をついてしまい、後は雑草でも喰って飢えをしのぐほかはなかった。
 だが、雑草では必要なカロリーをまかなうのは難しいし、なにより雑草が持つ様々な成分が人体に悪影響を与え始める。
 尾張が貨幣経済が発達した土地柄であることも今川がたに不利に働いた。町に行けばたいていのものは手に入るため、農村といえども食料を多くは備蓄していなかったのだ。織田がたが農村の食料を高い金を払って半強制的に買い上げていたこともある。
 銭を持って周辺の農村を訪れても、譲ってもらえるのはわずかだった。無理やり奪い取るという方法も検討されたが、そもそも農村に備蓄してされている食料がわずかではあまり意味がない。それどころか、不必要な反感を買う結果になりかねなかった。
 今川がたの将兵の口に入るものは、雑草汁か白湯のような雑炊だけとなっていく。

05

 今川がたの疲弊がはっきりしてきたのを見計らって、本格的に今川を屈服させる作戦が実行に移される。
 「今川の将兵は疲弊しているが、いまだ戦意は喪失していない!
 信念を持つ者たちに節を曲げさせるためには言い訳を与えてやる必要がある!そのために不可欠なパズルのピースを手に入れることができるか否か。
 それは諸君らの双肩にかかっている!
 胸のウイングに恥じぬ働きを期待する!
 各員、奮起せよ!」
 夜もふけた尾張の地。清洲城に隣接する自衛隊駐屯地のヘリポート。整列した陸自の隊員たちに向けて、木場一等陸佐が激励の言葉を発する。
 「カウント5秒前、4、3、2、ひと、今!」
 木場の号令で、隊員たちが一斉に時計のカウントダウンタイマーを作動させる。
 「田宮、頼むぞ。なんと言ったって今回は敵地のど真ん中に乗り込むんだ。
 一番厄介なのは回収の時だからな」
 「了解です。
 俺たちは救難部隊です。味方を回収する訓練は死ぬほど受けてきました!」
 空挺部隊の隊長、亀井一等陸尉のことばに、田宮が周囲でアイドリングするヘリのローター音に負けない声で応じる。
 「離陸します!」
 「了解です、やって下さい!
…ちぇ!俺だってレンジャー持ちなのに」
 離陸するUH-60Jのドアから先行して離陸していくV-22を見て、田宮はぼやく。空挺降下を行う部隊に加えて欲しいと上層部に談判したのだが、田宮に与えられたのは降下した部隊の回収任務だったのだ。
 『聞こえてるぞ!空挺部隊ってのは地獄の訓練をクリアしてやっと務まるんだ。
 レンジャー持ちだってだけでやれるもんじゃない!』
 ヘッドセットから亀井の声が聞こえてくる。無線がオープン回線になっていることに、田宮もUH-60Jの機長も気づいていなかったのだ。
 「失礼しました!」
 上官であると同時に、栄えある第一空挺団から任務部隊に派遣されている亀井の言葉には重みがある。田宮は自分の軽率さを反省し、窓から外を眺める。
 UH-60Jのキャビンは視界が悪く、ほとんど何も見えなかったが、下界には人がいて殺し合いが起こっている。それは確かだ。
 信長と縁を持つ者もおそらくは。田宮は、先だって信長に呼び出されたことを思い出す。

 「松平元康殿がですか?」
 「ああ、物見が松平の旗を今川の陣の中に確認した」
 最前線にほど近い出城の一室で、田宮の問いに信長は沈痛な面持ちで応じる。
 「単に人手が足りなくて前線に配置されただけかも知れん。が、内通を疑われた可能性も有る。いずれにせよ、このままでは元康は確実に命を落とすことになる」
 信長の返答に、田宮はまずいことになったと思う。
 松平元康は、要するに後の徳川家康だ。織田の同盟者として数々の戦場で武勲を挙げ、天下布武に貢献した。その後は豊臣政権下でも力を振るい、やがては天下人となる。
 田宮としては本能寺で信長が討たれ、藤吉郎が道半ばで没して徳川と豊臣の戦が起こるという自分の知る歴史を忠実になぞるつもりは毛頭ない。
 だが、歴史がどう動くにせよ松平元康は織田にとって重要な人物となる。死なせるわけにはいかない。
 だが、もし松平勢が自衛隊が味方する織田勢と戦闘になったら、生き残れる可能性はほとんどないだろう。
 「もしかして、松平殿を調略していたとか?」
 「いや、ときどき文のやりとりをしていただけだ。
 律儀なやつでな。“今は自分は今川のために全力で働くだけ”と言われればこちらに寝返れとも言いにくくてな」
 だが、戦況が不利になって、かつて信長と交流のあった元康が内通を疑われ、身の証を立てるために前線に送られた可能性はある。それが信長の推測だった。
 「わかりました。作戦を前倒しするよう上に具申してみます」
 「良いのか?じえいたいはことが予定通り運ばないのを嫌うだろう?」
 用意周到頑迷固陋と揶揄される自衛隊の気質を信長は理解しているらしい。
 「あなたに、二度も妹を失わせるわけにはいきませんから」
 田宮のその言葉に、信長は目を潤ませる。それは嬉しいからだろう。
 「知は優しいな」
 そう言った信長は田宮を抱きしめ、甘えるように胸に顔をうずめる。信行を自ら討ち、この上元康まで失ったら、自分は悲しみで壊れてしまうかも知れない。それを察してくれたことが嬉しかったのだ。
 「その、前から聞こうと思ってたんですが、信長様はどうして俺を夫に選んでくれたんです?」
 「実は、私もそれをずっと考えておった」
 信長は少し考える仕草をする。
 「あれほど強い兵力を持った男が夫なら尾張は安泰という打算もあった。胸を揉まれ、口づけもしたのだからお前の妻になるのが筋だとも思った。
 だが…今にして思えば一目惚れだったのだ。
 私が“邪気”に取り憑かれた時のことを覚えておるか?」
 「もちろんです」
 忘れようもない。あの素晴らしいふかふかの膨らみの感触…ではなく、信長が邪気に取り憑かれ、物の怪と化してしまった時のことを。
 「あの時、私はお前の手にかかって死にたいと言うた。
 知り合って半日も経っていないお前に。
 一目惚れしていたと考えれば筋は通る。理性をなくした物の怪になるくらいなら、せめて惚れた男の手にかかって死ねたら幸せと思ったのだ」
 信長が抱きつく腕に力を込める。
 「だが、お前はあまつさえ私を邪気から解放してくれた。
 お前たちの言葉ではなんと言ったか…“はあときゃっち”か?
 もう私の心はお前に奪われてしまったのだ」
 「信長様」
 田宮は信長を強く抱き返していた。
 今まで、信長との関係はいささか打算や下心があったように思える。自衛隊を尾張に受け入れさせるため。自分たちがこの世界で生きていくため。信長が美少女だから。立派な胸の膨らみをお持ちだから。
 だが、今この瞬間、田宮は信長を本気で愛おしいと思った。そして、守りたいと。信長が悲しむ顔を見たくないと。
 「知…」
 信長は顔を上げて目を閉じる。田宮はゆっくりと唇を重ねていた。
 
 今川家の本拠地である駿河は今川館に向けて。V-22は闇に紛れて飛んでいた。
 「降下まで6分!」
 空挺部隊員たちは立ち上がり、装備のチェックをしていく。どれだけ安全を期しても、空の上から人をばらまくという行為には危険はつきものだ。だからこそ、注意と点検を緻密に行い、少しでも危険を減らす努力が要求される。
 『コース良し!よーいよし、よーいよし、降下、降下、降下!』
 赤のランプが青に変わり、ベルが鳴るのを合図に、12名の空挺隊員たちは一斉に夜の空へと躍り出る。月は糸のように細く、月明かりではほとんど何も見えない。あらかじめ今川館に潜入した特戦群の工作員によって、各所に赤外線のみを反射するペイントが施されているおかげで、降下すべき位置だけはなんとかナイトヴィジョンを通して見ることができる。
 降下地点周辺を警戒していた兵たちは、1キロ先から飛来する特戦群スナイパーの銃弾によって打ち倒されていく。ナイツの高級スナイパーライフルSR-25と、血のにじむような訓練を重ねてきた狙撃手の腕が組み合わされば、暗闇の中1キロ先からでも狙撃に危なげはない。
 5点着地で首尾良く目的地に降下した空挺隊員たちは、パラシュートを放棄し、装備をまとめ、コンテナから折りたたみストックの89式小銃を取り出す。
 パラシュートと射殺された兵の死体は物陰に隠してしまい、取りあえず痕跡を消す。
 お行儀は悪いが土足のまま廊下を進み、目的の人物がいる部屋に突入する。
 「今川義元公がご息女、今川氏実殿ですな?
 申し訳ないが、われわれにご同行願いますよ?」
 「んーーー…?」
 が、肝心の捕獲対象は上半身を起こしたまま寝ぼけ眼で空挺隊員たちを見るだけだった。
 「ええと、氏実殿に間違いないか?」
 「まちがいありません。特戦の連中が取ってきた写真、この娘さんです」
 「このままお持ち帰りしていいんだよな…?」
 「まあ、それがわれわれの任務ですから…」
 顔を見合わせていても始まらない。
 よほど寝起きが悪いのか、寝ぼけたままの氏実をお姫様だっこして、空挺隊員たちは回収地点への道を急ぐ。
 『ジャヴァウォックよりピューマへ。回収地点到達まで3分』
 回収部隊の隊長である田宮からちょうどいいタイミングで通信が入る。
 「ピューマよりジャヴァウォック。パズルのピースは回収した。
 引き上げ頼むぞ!」
 『ジャヴァウォック了解』
 回収地点である城の石垣の上の広場に、UH-60J2機が前照灯を照らしながら降りてくる。さすがに異状に気づいた今川兵たちがなにごとかと集まって来るが、空挺部隊と回収部隊の銃撃になすすべもなく撃ち倒されていく。
 上空では万一包囲された場合に備えてAH-64D2機が援護射撃の準備をしている。また、ヘリが万一撃墜された場合を想定して、CH-47JAが1機高度千メートルで待機している。
 が、幸いにしてどちらも使わずにすむことになる。氏実を人質に取られていることに気づいた今川兵たちは、弓や鉄砲を使うわけにはいかない。勇猛にも槍や刀で追撃を試みた兵たちは、刃が自衛隊員たちに届く前に銃弾を受けることになった。
 「よし、全員乗ったな?離脱するぞ!」
 「了解!」
 次期当主を拉致され戦々恐々とする今川の将兵たちを尻目に、UH-60Jは悠々と上昇し、今川館を後にするのだった。
 今川氏実という、今川を屈服させるのに不可欠なパズルのピースを確保する作戦は、かくして成功に終わったのである。

06

 『当方は今川氏実殿をお預かりしている』
 沓掛城の周辺を旋回するUH-60Jの拡声器から、勝家が呼びかける。そして、ドアから氏実の姿が義元と今川の将兵たちに見せつけられる。
 「なんと…氏実様が…」
 「どうしたらいいのだ…。兵たちも飢えで戦意を無くしつつあるときに…」
 「我らはこのまま滅ぶのか?」
 織田がたの補給妨害作戦によって腹を減らしていたところに、次期当主であり今川家のマスコットとも言える存在と言える氏実が捕虜になってしまった。
 今川がたはいよいよ士気を維持することは困難となっていくのである。
 「氏実。ひどいことをされていないだろうか…?」
 「人質は無事だからこそ価値があります。織田の将兵たちの理性と分別に期待するしか…」
 大切な娘の身を案じ、実を切られる思いの義元に雪斎はそれくらいしかかける言葉がなかったのである。

 が、実を言えば手をつかねているのは織田がたの方だった。
 清洲城に軟禁された氏実の担当を勤める田宮はあの手この手で氏実を懐柔し、あるいは脅して従わせることを試みた。だが、意外に強かで知恵の回る氏実は一筋縄では行かなかったのである。
 「氏実様。お茶の時間でございます」
 「あ、お兄ちゃん。ねえねえ、今日のお茶うけはなあに?」
 おおらかというのか厚かましいというのか、人質に取られている自覚は全くなし。親戚の家に遊びに来ているような気安さで、氏実は田宮を迎える。
 (全く怖ろしい子)
 それが田宮の印象だった。
 見事な金髪をお下げにした、愛らしい容姿の少女。みなその外見に騙され、気がついたらすっかり毒気を抜かれてしまったのだ。
 「知殿か。じゃあ、知お兄ちゃん!」
 最初に会ったとき、にぱっと笑いながらそう呼ばれ、田宮は思った。この少女非常にあざとい、そして侮れないと。その予測は間違っていなかった。
 「お菓子は頂くけどー。父上に降伏勧告はできないかな-?」
 「痛いのは確かにいやだけどー。
 こんな可愛い女の子にひどいことしたら織田の名前に傷がつかない?女の子に優しいので有名なお兄ちゃんの名誉にもねー」
 そんなことを言って、今川への降伏勧告を行うことをのらりくらりとかわすだけではない。ちゃっかり城の中になじんで、織田家の衣食住を満喫しているのだった。
 実際、織田家は今川を屈服させるだけでなく、今後味方として利用しなければならない。それを考えると、あまり氏実にひどいことをするのはまずいから困ったことだった。
 (やむを得ん。あまりやりたくない手ではあるが…)
 田宮は作戦を次の段階に進めることとした。

 数日後、夜のとばりが下り、みなが夕餉を終えてそろそろ寝る準備をする時間。田宮は半兵衛を伴って氏実にあてがわれた部屋を訪れる。
 「氏実様。田宮でございます。失礼致しますよ」
 「お…お兄ちゃん…お願いだよ…。もう許して…」
 「だめですよお。これは氏実様の日課なのですからあ」
 すっかり怯えている氏実に田宮の後ろから紙ファイルを持って続く半兵衛が、邪悪な笑みを浮かべて言う。
 「い…いや…」
 氏実の顔は恐怖で引きつった。
 
 一方こちらは沓掛城。
 陸自の指揮通信車と装輪装甲車がおなじみの降伏勧告を発しに城に近づく。
 『義元公、聞こえますか?
 氏実様は今この瞬間も怖い思いをなさっている。降伏なさらないなら、さらに恐怖することとなりましょう』
 義元は拡声器で呼びかける勝家の言葉に歯がみする。
 「くそ、やつら氏実にどんなひどいことをしているのだ…!」
 『氏実様の声を聞かせて差し上げましょう!』
 なに?沓掛城に緊張が走る。氏実が拷問されている声を聞かせようとでも言うのか?
 『ちちうえー!助けて-!怖いよー!』
 無線につながれた拡声器から響いた氏実の悲痛な悲鳴に、今川の将兵たちは息を呑む。「一体どんなひどいことをされているのか?」
 「織田のやつらめ…。むごいことを…」
 みなが氏実の愛らしい容姿とあざとい仕草を思い浮かべ、怒り、悲しむ。が…。
 『お兄ちゃんが…田宮殿が怖い話を延々と聞かせるんだよーー!
 怖いのいやー!いーやーー!』
 今川の将兵たちは一転してずっこけることになる。
 「怖い話?」
 「怪談を聞かせてるってことか…?」
 「織田のやつら、何を考えておるのだ?子供の遊びじゃないんだぞ…」
 今川の将兵たちはなんの冗談だとあっけにとられる。が…。
 「織田のやつらめ!なんとひどいことを!氏実は怖いのが苦手なのだぞ!」
 義元が鬼気迫る表情で壁に拳を打ち付ける。
 「え…殿が動揺しておられる…?」
 「もしかして脅しが有効に働いてるの?」
 予想外の展開に、今川の将兵たちは顔を見合わせるのだった。
 
 「私は馬借を営んでおります。
 これは、私が仕事の途中で体験した出来事です…」
 「ひいい…」
 田宮がワードで作成し、A4に印刷した物語を氏実に読み聞かせていく。暗く、おどろおどろとした口調で。氏実はここ数日怪談を聞かされ続けたことを思い出し、既に涙目になっている。
 怪談の内容としては、“ほん○にあった怖い話”などで紹介された恐怖体験を、この時代に合わせてアレンジしたものだ。タクシー運転手が途中で怪しい客を拾い、怖ろしい体験をする話を馬借に置き換えている。
 「“あの、本当にこの道でいいんですか?”
 私は何度も聞きますが、馬の背に乗った女性は黙って頷くだけです。
 道はどんどん悪くなり、見通しは次第に効かなくなっていきます」
 「やだあ…」
 「氏実様、耳を塞いだらおかずを減らしますよ」
 恐怖で耳を塞ごうとする氏実に、半兵衛が悪魔の笑みを浮かべながら注意する。怖い話はいやだったが、同時にこの城のごちそうや田宮の作るお菓子がいただけないのもいやだった。
 連日のごちそう責めとお菓子攻撃で、氏実はすっかり美味しいものの中毒になってしまっていたのだ。
 氏実は耳を塞ぐことも許されず、怪談はいよいよ佳境に入る。
 「“ああ!?”
 私は馬の手綱を引きました。私の目の前にあったのは断崖絶壁だったのです。あと一歩進んでいたら、真っ逆さまだったことでしょう。
 “ちょっと、どういうことですか!?”
 そう言って私は馬の方を見ました。しかし、馬の背に乗っているはずの女性の姿がいつの間にか消えていたのです。
 これはどういうことなんだ?そう思ったときです」
 「ひいいい…」
 「“死ねばよかったのにっ!”」
 「いいいいいいやああああああああああああああああああーーーーーーーーーー!」
 田宮の鬼気迫る表情と、おどろおどろしい突然の大声に、氏実は城中に響かんばかりの悲鳴を上げたのだった。
 「いつの間にか私の後ろに立っていた女性が、この世のものとは思えない怖ろしい声でそう言ったのです。
私は馬の背にまたがり、元来た道を脇目も振らず逃げ戻りました。どこをどう走って戻ったのか覚えていません。
 ただ、今ならわかるのです。あの女性はこの世のものではない。そして、あの場所は黄泉路の入口であったと…」
 田宮が物語を結ぶ。氏実はほっとして頭を垂れる。
 「さて、少し休憩したら次のお話です」
 「ちゃんと聞いて下さいねえ。耳を塞いだら、明日のお菓子はなしですよ。
 ついでに、みんながお菓子とお茶をしているところを指をくわえてご覧になって頂きます」
 氏実にお茶を出しながら、半兵衛はすてきな笑顔でそう言うのだった。
 「そんなあ」
 苦手な怪談が今夜も長く長く続くことに恐怖する氏実は、今にも泣き出しそうだった。

 「おにいちゃーん、そこにいるよね?返事してよ、怖いんだからー!」
 便所の個室の中から、氏実の泣きそうな声が聞こえる。
 連夜のように田宮特選の怪談を聞かされ続けた氏実は、夜1人で用足しに行けなくなってしまったのだ。なぜか毎晩のように田宮が便所まで付き合わされている。
 「あの、氏実様、返事をしろと言われても、耳を塞いでたら聞こえないんですけど…」
 「だからー!恥ずかしいから耳は塞いでて!だけど返事はしてよー!」
 気持ちはわかるけどそりゃ無茶だ。田宮は大きく嘆息する。
 「無茶言わないで下さいよ…」
 「もう!だから恥ずかしいから音聞かないでよー!
 お兄ちゃんのすけべ!変態!種馬―!」
 俺にどうしろって言うんだ…。田宮は氏実の用足しが終わるまで、無茶ぶりに付き合わされることになるのだった。
 まあ、女の子が怖くて用足しに行けないから付き合うのは保護欲をそそられるし、萌える状況ではあるのだが。
 でも、これでいいのかなあ?
 作戦を立案しておいてなんだが、なんかこれって自衛隊員として人間としてだめじゃないか?そんなことを思ってしまうのである。
 氏実を怪談で怖がらせて助けを求めさせる。作戦は成功しつつある。今川勢も動揺しつつあるという。だが、田宮はその成果を素直に喜べないのだった。
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