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06 鮮血の京都編

蜜愛の夢と切って落とされる火蓋

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05

 京都、細川邸。
 「んん…藤孝…気持ちいいか…?」
 「やんっ!ああっ…ああっ…ん…」
 暗い寝室の中、布団の上で生まれたままの姿の美女2人が愛し合っている。
 青いショートボブヘアの凛とした美人、明智光秀と、長い黒髪と緋色の目が美しい細川藤孝だ。
 2人は布団の上に膝建ちになり、両手をいわゆるラブ握りに握り合わせ、口づけを交わしている。
 「んんん…また来る…来そうだ…!」
 「んん…光秀…わたしも…」
 光秀と藤孝は体を密着させ、互いに唇と舌を貪りながら胸の膨らみを擦り合わせる。
 二つの官能が同時に弾け、2人は密着したまま硬直した。
 そのまま2人は抱き合い、布団に倒れ込む。
 ふと、藤孝はしょうじの向こうが微妙に明るくなっていることに気づく。
 (また朝まで愛し合ってしまった…)
 女同士で蛇のように何度も交わっているのに、急に気恥ずかしくなってくる。
 男と女の交わりは男が果ててしまえば基本的に終わりだが、女と女の交わりに明確な終わりはない。強いて言えば触れ合い、愛し合って、互いに心まで満たされれば終わりか。
 そのため、女同士の交わりは1日、あるいは1夜続くこともある。
 「藤孝…んん…」
 「光秀…ん…」
 2人はまた口づけを交わす。
 (不思議な気分ね)
 藤孝は思う。
 自分が光秀とこうして親密な関係になったのはごく最近だ。
 始まりは光秀と一緒に自宅で酒を飲んでいた晩のこと。酔っていたところを光秀に押し倒され、裸にされてそのまま抱かれてしまったのだ。
 藤孝は光秀を憎からず思っているし、キリシタンというわけでもないから女色に忌避感があるわけでもない。
 それどころか、何度も光秀に抱かれ、そして何度も光秀を抱く内に、藤孝は身も心も光秀のものになってしまった。
 もう、光秀なしでは生きていけないだろう。
 そして、今ではすっかり光秀のいいなりになってしまった。迷っていた、将軍義昭の信長排除計画も、光秀がいうならと参加を決めた。
 だが、だからどうと言うこともなかった。
 光秀に抱いてもらえること、愛してもらえることが今の藤孝の全てだった。
 甘く幸せな夢を見ているようだった。が…
 「藤孝…そこもとを愛している。この世の誰よりも。
 だから…決して私を裏切らないでくれ…」
 光秀の余計なひと言が、藤孝を甘い夢から覚ましてしまう。
 (結局、光秀が見ているのはわたしではない…)
 藤孝は幸福感と心地よさが一気に冷めていくように感じた。
 光秀のことだ。自分を利用するような悪意はないだろう。あるいは、光秀自身も気づいていないかも知れない。光秀は誠実で不器用なところもある女だから。
 だが、光秀の目に映っているのは結局は足利義昭なのだ。光秀にとって一番大事な人物は、足利義昭なのだ。
 どれだけ“愛している”“必要としている”と囁いてくれても、自分は光秀のもっとも大事な存在ではない。
 「光秀…わたしもあなたを愛している…」
 だが、藤孝はあえて光秀に愛を囁き返す。
 光秀に自覚があるかはともかく、騙されているのはわかっている。でも、騙されるのも悪くはない。光秀を愛おしく思っているから。
 光秀に自分を利用する明確な意思がなかったとしても、光秀が自分を愛するのは義昭をもり立てるのに必要だから。信長を討つのに必要だからだろう。女趣味の噂がなかった光秀が、義昭の決意を聞いてからほどなく自分を求めたのがその証左。
 (ずっと続かない。いつかは終わりが来る…)
 藤孝は、そんなどす黒く冷たい思いを胸の奥に感じる。
 (でも今は…その日が少しでも遠ければいいと…)
 だが、光秀と抱き合って互いの股間を指で愛撫し合い始めると、藤孝の思考は幸福感と心地よさに再び塗りつぶされていく。藤孝は再び甘く幸せな夢へと堕ちていった。
 今はまだ、夢を見ていようと。


 比叡山、延暦寺。
 「御前様、この度はご協力を頂きまして誠にありがとうございます」
 畳敷きの当世風の客間の中、小柄なツーサイドアップの美少女、松永久秀が、高僧の1人に対して優雅な仕草で頭を下げる。
 「いえいえ、他ならぬ弾正はんのお頼みですよって」
 高僧は予定調和の言葉を発し、おじぎを返す。
 信長の命令で、畿内一帯で同時多発的に発生している騒乱に関する金の流れを示す資料を要求されたことはまだ想定の範囲内だった。比叡山が将軍義昭の求めに応じて、騒乱を起こすための資金を用立てていたのは事実だったのだから。
 だが、その調査に久秀が寄越されてきたときは、さすがに面食らった。
 なんと言っても久秀は義昭がわの人間なのだから。
 義昭にしてみれば久秀は姉を亡き者にされた仇のはずだが、敵の敵は味方と手を組んだらしい。
 それだけならまだしも、内通者である久秀に信長が敵対勢力の調査を命じたというのが驚きだった。
 「なにやら私は信長様に信頼されているようです」
 とは久秀の言葉。
 「しかし、ほんまに大丈夫ですやろか?
 うちらが資金の援助しとった証拠をお渡ししても…」
 久秀から何度も事情は説明されているが、高僧はいまだ恐れていた。古い宗教を嫌悪するともっぱらの噂の信長のこと。怒り狂って比叡山に攻めてきはしないかと気が気でないのだ。
 「ですから何度も申し上げています。
 この比叡山には毎日のように莫大なお金が入っては出ていきます。それがどこから出てどこに流れて行くか、正確には調べようがありません。
 資金を融通したのは確かでも、それが国一揆や海賊、一向一揆の支援に使われるとは思わなかったと言い張ればそれまでです。
 御前様がそれを知っていた証拠などないのですから」
 久秀はそこで一度言葉を句切る。
 「一方で、この弾正も調査を仰せつかっておきながらなんの成果も上げられずでは、信長様を失望させてしまいます。
 あるいは二心を疑われるやもしれません。
 御前様に提供して頂いた証拠が、そのまま私たちの身の証となるのです」
 長広舌を終えた久秀は、ぞっとするような笑顔を浮かべる。色っぽさと功名心と、そして恐らく狂気を含んだ笑いだった。
 高僧はそれ以上追求する気力をなくしていた。
 松永久秀という人物、聡明で鼻が利き、弁も立つ。だが、腹の内がまるで読めない人物でもある。なにを目的とし、なにによって立っているのかがさっぱり見えない。
 義昭がわに与していながら、反対にいる信長の調査を引き受けている。しかもその手腕は見事なもので、調査はかなりうまく行きそうだ。
 どちらを勝たせたい?という疑念は尽きないが、これ以上詮索すべきでないと、彼の本能が警告してた。
 余計な知恵を廻さず、久秀の手腕と知略と、そして良識に期待して任せるしかない。そう考えざるを得ないのだった。
 「弾正様、後のことはよしなに」
 「はい、この松永弾正にお任せ下さい」
 こうして、久秀の調査任務は成功するのだった。

 久秀が比叡山から持ち帰った情報と証拠は、畿内で起きている争乱の内実をつかむのに非常に役に立つものだった。
 時間はかかるだろうが、これならば比叡山に畿内の各勢力への金の融通を頼んだ人物。要するに、騒乱の黒幕を突き止めることも可能なはずだった。
 併せて、畿内の織田の支配地域に向けて、反抗勢力やその関係者に資金や物資を供給することを厳禁とする触れが出される。これは効果てきめんだった。発覚すれば厳重に処罰されるとなれば、誰しも好んで危ない橋は渡らなくなる。
 織田がたは、直接的な戦闘のみならず、情報戦においても、補給兵站と言う意味においても勝利しつつあったのである。


 摂津、石山本願寺。
 ここは一向宗の総本山である。建前としては寺だが、下手な城よりも充実した防備と規模を誇っている。
 本尊堂では、この寺の主に対して、何人もの人物が必死で嘆願しているところだった。
 「法主様、どうしても法主様のお名前で命令はいただけまへんのか?」
 「くどい、新右大臣、織田信長公との和睦は既に決定事項やったはずや。
 蒸し返しは許さん」
 大柄で筋骨逞しい僧侶に、ショートカットでおでこが魅力的なほっそりした美少女がそっけなく応じる。
 この少女こそ、一向宗の法主にして、石山本願寺の主、顕如である。
 若くして法主についただけはあり、大人相手に一歩も引かない貫禄と度量を備えている。
 「しかし、建前ですが信長など幕府の臣下の1人に過ぎません。
 幕府の長たる義昭様から、信長を討つのに協力せよとの密命なのです」
 「その密命言うんが気に入らん。何かやましいところがあるよってそんな形を取らざるをえんのやろ。危ういわ。
 だいたい、いつから一向宗は人様から金もろて兵出すようになったんや?うちら傭兵と違うで」
 顕如の指摘に、集まっている一向宗の門徒たちの中からぎくりとする者たちが出る。それもかなりの数。
 やはりか、と顕如は思う。信長への復讐心もさりとて、金に目がくらんで義昭の企てに参加したものが1人ならずいるようだ。これはもう物取り信心という次元の話ではない。阿弥陀仏の教えを金で売る所行だ。
 「顕如様、我らが金を受け取っていたことは別にやましいところはおまへん。
 戦うためにはまず金がいります。仏敵信長を倒すためには。
 ご無礼とは存じますが、信長とその配下の者たちによって同胞が多数殺されたことを、顕如様はお忘れではおまへんでしょうな?」
 感情に訴えるやり方に出て来る門徒に対して、顕如は言葉を選びながら返答する。
 「忘れてはおらんよ。
 せやけど、復讐にこだわっとったらさらに人死にが出る。
 右大臣様も、本願寺が和睦に応じれば以後は友好的な関係を結ぶ用意があるとの仰せや。
 法主として、これ以上の犠牲は出しとうない」
 顕如の返答に、門徒たちは一理あると思いながらも納得できていないらしい。
 「では、このまま泣き寝入りですか!
 我らの中には、信長の兵たちに、そしてじえいたいに家族を殺されたものもいるのですぞ!」
 顕如はこっそり嘆息すると、静かに口を開く。
 「だから、あんたさんがたが自前の兵力と資金で動くんはかまわん言うとるやろ。
 ただし、何度も言うように本山は無関係や」
 それが妥協点だと告げる顕如。
 門徒たちは歯がみしながらも、顕如の意志は固いことを悟る。何を言おうが、石山本願寺を義昭の企てに参加させることは不可能なのだ。
 門徒たちは諦めたらしく、ぞろぞろと本尊堂から退出する。
 「全く、せっかくまとまりかけとったもんが。いい迷惑や」
 顕如は我知らずつぶやいていた。
 顕如も、当初は信長と自衛隊に対して徹底抗戦を行う構えだった。だが、自衛隊の空飛ぶ剣の力を見せつけられ、戦う気が失せてしまったのだ。
 少なくとも石山本願寺は信長と和睦することで意思統一ができていたし、他の門徒たちもしぶしぶながら和睦に応じようとしていた。
 それが、義昭の煽動で元の木阿弥になってしまったのだ。
 その結果が先ほどの問答だった。
 「公方様。因果応報、自分のやったことは全部自分に返って来るんや。
 自分のなさろうとしてること、ほんまにおわかりですか?」
 顕如は二条城の方角に対して問いかけてみる。もちろん答えは返ってこない。が、そうせずにはいられなかったのだ。

 こうして、畿内の一向一揆は義昭の密命に応じて活動し始める。
 石山本願寺が不参加であったため、所期の見積もりより大幅に戦力は少なくなったものの、それでも畿内に政情不安を起こすには充分な戦力だった。
 畿内全体が血に染まろうとしていた。


 京都、二条通り。
 「持ってきたか?」
 「あ…ああ。これだ」
 狭い小路の物陰、織田勢の下働きの男が、一見して商人らしい男と会っていた。
 「なるほど。これはありがたい」
 「俺が情報源だってことは内密に頼むぜ…」
 「わかっている」
 商人らしい男は、約束の金を下働きの男に渡す。
 この下働きの男、ばくちで借金を作ってしまい首が回らないのだ。
 返済を迫られて窮していた時に、どうやってそれを知ったか、商人らしい男が声をかけてきた。織田家、特に織田信長の今後の予定を教えてくれれば金を払うと持ちかけてきたのだ。
 下働きの男は、すぐにこれはやばいと感づいた。だが、借金を返せなければ奉公先に掛け合って給料を抑える、と脅されている状況では選択の余地がなかった。
 結局、管理していた信長の予定簿に書かれていた情報を売ってしまったのだ。

 「ほう、この日、滞在先は本能寺か。これはいい」
 商人らしい男は、下働きの男から受け取った書面に目を通してほくそ笑んだ。


 京都、祇園にある神社。
 「いいですか?これをゆっくりと目で追って下さい」
 「はい…」
 明かりを灯した板敷きの部屋の中、巫女の装いをした女が、織田家の腰元に何かをゆっくりと語りかけていた。
 腰元はぼんやりと焦点の合わない目で、目の前で揺れる赤い宝石をあしらった首飾りを目で追う。
 「あなたは時が来たら、料理にこの薬を入れなければなりません。
 それが決まりなのです。疑うことはありません。疑ってはいけません。疑うことなど思いもよりません」
 「はい…料理に…薬いれなければなりません…」
 腰元は巫女が吹き込む言葉を深層意識に染みこまされていく。
 巫女が彼女に施しているのは催眠暗示だった。
 部屋に焚かれた香と、今まで何度か催眠状態に誘導されたことの相乗効果で、腰元の意識は簡単に深いところに沈むようになっている。
 最初のきっかけは、腰元が交際している男の借金癖のことで、神社に相談に来たことだった。この神社は、女性の悩みを聞く相談所のような仕事もしているのだ。
 それは裏を返せば、悩みを抱えた多数の女性が集まって来ることを意味していた。
 それは、謀を巡らす者にとってはよだれが出るようなものだった。
 悩みを抱えた人間というのは、その悩みを解決するためという理由を与えれば、簡単に心を操ることができるからだ。
 この腰元も、体の力を抜いて、心を楽にして悩みと向き合うためという名目で催眠暗示をかけられた。時間をかけて何度も何度も催眠状態にされる内に、容易に催眠状態に入らせ、操ることさえできるようになった。
 今では合図一つで簡単に心を深いところに沈めることができる。深層意識に干渉し、巫女の思うままに行動させることが可能になっている。
 今の彼女は、妖しげな薬を偉い人たちの食事に混ぜることさえ、ためらいなく行うはずだった。
 「いい子ね。 
 では、私が手を叩くとあなたは意識が戻ります。そして、今日ここであったことは忘れています。
 1、2、3、はい」
 巫女が手を叩くと腰元の目に光が戻る。だが、自分が今まで何をしていたのか覚えていない。
 首をかしげながらも、なにやら心が軽くなったことに感謝して、腰元は帰っていく。巫女に渡された薬の包みを無自覚に懐に入れたまま。

 「あの薬を盛られたら、一晩は動くことさえままならない。
 念には念を入れないとね」
 これで準備は全て整ったと、巫女は伸びをする。
 織田信長を排除する作戦の準備は全て完了した。二重三重の策が巡らされ、死角はない。後は最高責任者である足利義昭の下知を賜るのみ。
 巫女は邪悪な笑みを浮かべた。


 京都、二条城。
 足利義昭は、湯漬けと数枚の漬け物という簡素な夜食を取っていた。
 無論、経済的に苦しいわけでも、ダイエットをしているわけでもない。
 義昭が鎧姿なのを見ればわかるとおり、これから戦闘が始まるのだ。
 戦闘では急速に栄養分を消耗するが、食い過ぎて動けなくなってしまっては本末転倒だ。陣中食として、湯漬けは発明だと義昭は思う。
 「義昭様、予定の刻限にございます」
 「わかりました」
 義昭の残りの湯漬けを流し込むと、立ち上がり背筋を伸ばす。
 「伝令を出しなさい!
 作戦開始です!狙いは京中、本能寺。幕府に対する反逆者、織田右大臣信長を討つのです!」
 義昭の号令に応じて、伝令が馬を走らせて関係各所に向かう。
 「見ているがいい、織田信長」
 義昭は武者震いを感じていた。
 相手は織田信長だ。どれだけ策を尽くそうと怖いという気持ちは消えない。
 だが、義昭は内心で信長と戦ってみたいと思っていたのだ。
 それは、敵に対する闘争心であると同時に、子が親に自分を認めさせようとする気持ちに似たものであったかも知れない。

 その夜、ついに火ぶたは切って落とされたのだった。
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